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第Y章

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 そうして毎日を一緒に眠るようになって一週間が過ぎた。賀野が組に慣れた頃であろうと和室を訪ねると、鸞はバークと寝っ転がって絵を描いていた。
 「お疲れ様です」
 「少し席を外してくれ」
 上原が部屋を出たのを確認すると、隣に座ってお絵描き帳を覗き込んだ。
 「何を描いてるの?」
 「バークだよ!」
 金色のクレヨンで塗りつぶされただけのそれはとても犬には見えなかった。
 隣でのんびりと寛いでいるバークが自分の肖像画だと分かると、死にたくなるに違いない。それくらい彼の絵には破壊力があった。もっとも十才に絵心がなかったからなのか、それとも中身が幼くなったことによる影響なのかは不明だが。
 「…よく描けているな」
 賀野はとりあえず適当に褒めてやる。
 「じゃあ、かのさんにあげる!」
 「…ありがとう」
 正直いらないの一言に尽きるが、気前よく破って渡してくれた手前にこりと微笑んで受け取った。
 「ところで、私が君を買ったという話を覚えているか?」
 「うん、それがどうしたの…?」
 「具体的にどういう流れで記憶喪失に至るのかは知らないが、少し前に私は君の持ち主だった男から、君を買わないかと持ちかけられたんだ。私が買わないと、君を超能力者の被験体として外国の研究所に売り飛ばすというものだから、助ける為にその場は君を買ったんだよ」
 全て嘘っぱちだ。そんな男なんかいない。
 鸞は突然の話に絵を描く手が止まる。
 「ちょう、のうりょくしゃ…?おれが?」
 「そう、君が。ちなみに私も超能力者だよ」
 賀野が手品のように氷を作ってみせると、それに負けないくらいきらきらと瞳を輝かせた。
 「すっごーい!まほうみたい!もっとみせて!」
 「いいよ」
 水晶のように綺麗な欠片をいくつも出現させると、彼は手を伸ばして触れようとしたので、賀野がそれを制した。
 「頭の中で想像して、自分の方に引き寄せてごらん」
 彼は不思議そうな顔をしたが、言われたとおりに想像してみると、欠片がすっと己の方に近づいた。
 それが楽しくて、彼は欠片を整列させたり、くるくる回したりした。念の為例のやらかしたボールでも試したが、十才の時同様、無反応だった。
 「君は念動力使いだ。頭の中で想像すれば、尖ったものを自由に動かすことができる」
 「へえ、じゃああれも⁉︎」
 彼は買い与えられた色鉛筆や折り紙、鋏などを一気に浮かせてみせた。
 鮮やかな色が二人の頭上を埋め尽くす。
 超能力を使うのを止めさせると、それらは雨のように降りかかった。
 「鸞、私の許可がない時は念動力を使ってはいけないよ。他の人にけがをさせてしまうかもしれないからね」
 「わかった!」
 「それで、もといた場所に返してやりたいのはやまやまなんだが、いかんせん君がどこの誰か分からないことにはね…だから、私は君をしばらくうちで保護したいと思う」
 「じゃあ、パパとママにはあえないの?おうちにかえれないの?」
 鸞はあからさまに悲しそうな顔になった。今にも泣き出しそうだ。
 「なるべく早く探すけど、絶対に見つかると保証はできない。でも鸞は絶対私が守るから」
 「かのさん…」
 賀野が優しく抱いてやると、彼は力なく項垂れた。あやすように背中を叩いてやると、いくらか顔色がよくなる。
 「それともう一つ。君を保護するにあたって、正式な一員として受け入れる為に、親子盃を交わしたい」
 「おやこさかずき?それはおやこどんみたいにおいしいの?」
 賀野はその子供らしい質問に苦笑しながら、優しく教えてやった。
 「違うよ鸞、盃を交わすというのはお酒を飲んで親子になるということなんだ。…君が家に帰るまではね」
 そんな日は永遠に来ないだろうけれど。
 「え!じゃあ、かのさんがパパになるの⁉︎」
 「有体に言えばそうなるね」
 「パパ!パパができた!」
 「鸞、待て!」
 よほど嬉しかったのだろう、鸞は制止も聞かずに屋敷中を駆け巡ってそのことを大々的に報告して回った。
 「え、親子盃⁉︎」
 「うん、そうだよ!」
 仕事中の子分はもちろん、止めなければご近所さんにまで挨拶に行く勢いだった。彼はバークの散歩もしているので、近所の婦人方と知り合いになっていた。
 どうやら近々賀野が親子盃を交わすつもりだと、あっという間に組中に知れ渡ってしまう。もっとこう、発表するタイミングとかあったのに。
 「はあ…」
 最初は利用してやるつもりが、記憶を失ってこちらが振り回されるはめになるとは。元気すぎる鸞をどうしようかと思う一方で、彼から貰った絵を額縁に入れて飾る賀野であった。
 後日十才の時とは異なり、天童会が一堂に会す中で盃事は行われた。
 いったいなぜこんなわけの分からない奴を子分にするのかと不思議に思われたが、超能力者だと知ると皆納得した。
 鸞も事前に何度も練習をしていたので、何一つ間違うことなく無事に儀式は終わった(ちなみに十才はいずれ退場してもらう予定だったので、あえて大がかりな儀式は行わなかった。彼は大友会に通じていたとして、表向きは処分されたことになっている)。
 だが、賀野は大きな誤算をしていた。
 てっきり戦闘能力はそのままかと思っていたら、記憶と一緒にすっぽり抜け落ちてしまっていたのである。
 今のところどのくらい戦えるのか確かめるべく、屋敷にある道場で対峙した時のこと。
 「鸞、ちょっと私を殴ってみろ」
 「やだ、パパにそんなことはできないよ…!」
 彼はすぐに賀野の方へ走って抱きついた。
 すると賀野もまんざらではなさそうに抱き留めて、頭を撫でてやる。
 「そうだよな、無理を言ってすまなかった」
 上原がオレは何を見せられているのだろうとげんなりしていると、
 「じゃあ上原を殴れ」
 「え、オレですか⁉︎」
 いきなり指されて面食らう。いくらなんでもそれはひど過ぎると上原は涙目になったが、
 「どうしてかんばるーをなぐってほしいの?…パパ、さっきから変だよ?」
 鸞が断ってくれたおかげでことなきを得た。
 だが、賀野の表情は晴れなかった。
 戦ってみろと言っても相手を攻撃することをためらう始末、これでは十才をわざわざこちら側に引き摺り込んだ意味がないではないか。薬を飲ませたことは失敗だったのか。
 けれども、彼は諦めなかった。
 鸞の仕事を選手から前座に変更したのだ。同じ超能力者同士、恵那と組んで踊れば受けるのではないかと考えたのである。
 幻覚と念動力がかけ合わさればさらなる興奮と迫力が生まれること間違いなし、客も超能力者を二人同時に見られて大いに喜ぶだろう。
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