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90.蝉の声
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※※※夜穂視点です。
「やす、髪が濡れたままだ」
風呂上りに部屋へ引き上げようとして声を掛けられた。
良実がこんな時間に廊下にいるのは珍しい。
「おう、ほっときゃ乾くからな。何だ、こんな時間に」
「甲斐にCD借りてきたんだ。明日聴こうと思って」
「へえ? 何借りたんだ?」
覗き込もうとしたら、隠された。
「内緒。知りたきゃ、明日放送室においで」
へ? なんだ??
「お、おう……?」
良実は機嫌よさそうに救護室の方へ歩いていった。
「おやすみ、やす」
夏場、良実はエアコンの効いた救護室で寝る。
良実にはもう寝る時間だもんな。
「おやすみ!」
最近二人きりになる機会がなくて困ってたから、ちょうどいい。
明日こそ、付き合ってほしいって言ってみよう。
8月目前だけあって、ひどく暑い一日になりそうだ。
ランニングに短パンしか着る気になれない。
放送室は冷房が効くけど、効いてくるまではきっと蒸し風呂だろう。
先に行って部屋を冷やしておくか。
案の定の放送室に入って、エアコンをつけつつ熱気が逃げるまでと窓を開ける。
蝉の声が聞こえる。
窓辺に寄りかかって、降り注ぐような蝉の声の中、ぼんやりと考えた。
なんて切り出そうか。
さっぱり思いつかない。
良実が初恋の相手なんだから、人に交際を申し込むのも初めてだ。
ドアが開いた。
「なにしてるの、やす。窓全開で。そこ暑くない?」
慌てて俺は窓を閉めながら返した。
「蝉と会話してたんだよ、ほっとけよ」
「蝉と会話? 器用だね」
良実は笑った。
「でも、俺嫌いじゃないな」
「?? 何が」
「蝉の声だよ。必死に生きてる感じがして、頑張れって思う」
そう言いながら、良実は座ってCDをセットした。
いつ危篤になるかもわからない病気を持つ良実は、生きることについていろいろ考えたりすることも多いんだろう。
俺も、お前に頑張れって思うよ。
お前の言う一言一言すべて、覚えていられたらいいのに。
たくさん悩んだ思考から生まれるその言葉を。
傍にいて、少しでも多く聞いていたい。
「……ピアノ曲?」
モニタースピーカーから流れ出したのは、クラシックに似たおとなしいピアノだった。
「クサヴァ・エンゲルだってさ。せせらぎをテーマにした曲らしいよ」
覚たちの父親、世界で有名な音楽家のクサヴァ・エンゲル。
「へえ? 何でまた急にクサヴァ・エンゲルなんだ?」
「んー……甲斐に選んでもらったんだ。優しくて癒されるような曲をね」
「癒されたいのか? なんかあったのか」
良実は机に頬杖をつきながら俺を見た。
「癒されるべきなのは、やすだよ」
「……は?」
俺は、元気だよな。
何を言い出すんだ、いったい?
「期末試験の頃から、ずっと悩んでる顔してる」
ああ……。
なんていって告白しようか、悩んでいたかもしれない。
二人きりになる機会がなくてもやもやしていたかもしれない。
「って、どうせやすの悩みって俺がらみだろうから、俺が心配するの筋違いかもしれないけど」
「良実が好きだよ」
良実をまっすぐ見たまま言うと、良実もまた俺をまっすぐ見たまま答えた。
「うん、ありがとう」
「好きで好きで、困ってるかも知れねえな」
「そう言われると俺も困るんだけど。悩み事はそれ?」
良実はため息をついてみせる。
「いや、違う。良実って、好きなやついないよな?」
「え? うん、今はね……出会いもないし。でもだからってやすの気持ちがまったくわからないわけじゃないよ」
「うん」
でも俺の気持ちをわかってほしいわけじゃない。
つまり俺が言いたいのは。
「良実に好きなやつが出来るまででいいんだ」
「え?」
「ほかに好きなやつが出来たら、終わりでいいんだ」
「やす?」
「それまで、俺と付き合ってくれないかな?」
良実は呆然と俺の顔を眺めた。
あれだけ好きだって言ってたけど、交際を申し込まれるのは想像してなかったのか。
良実が少し悩みながら厳しい表情をした。
「……もし断ったら?」
「え? 別に、今までどおりだろ……」
うつむきかけた俺の腕を掴んで、良実は話した。
「もし断ったら、やすは適当な複数の誰かとセックスするの? それとも他の誰かを好きになるの?」
「他の誰かなんて考えられねえよ。それ出来るなら、もうとっくに諦めてるだろ、10年の片想いだぞ」
「うん……」
返事しながら、良実は俺の返答をまだ待つ。
「俺、もうセックスはしない。だって、お前遠まわしに言ったよな?」
ちらりと窓を見る。
あの時咲いていた花はもう散って、濃い緑の葉が揺れてる。
「好きな相手以外とするのは間違ってるって」
「うん……言ったかもね」
「別に、キスして抱きしめるだけでもいいんだ」
良実は何か考える顔をしてる。
「付き合って」
「もし付き合ったら……」
「うん?」
「やすは俺にキスとハグまでしかしないのか?」
「え……」
良実は何が言いたいんだろう。
お前は重い心臓病じゃないか。
走ることもできないんだからそれ以上のことはできないに決まってる。
「俺はやすを縛りたくないんだ」
即答で断ってくると思ってた。
どうして良実は嫌だと言わないんだ。
ノンケなんだから男となんかつきあえないだろ。
「条件を出してもいい?」
「言ってみろよ」
俺は頷いた。
お前が望むことなら、聞いてやる。
「俺を病人扱いしないで。そうしたら、俺は夜穂と付き合うよ」
今、付き合うって言ったか?
病人扱いするなって?
あれ、俺都合の良すぎる方に解釈しすぎてないよな?
「やす、髪が濡れたままだ」
風呂上りに部屋へ引き上げようとして声を掛けられた。
良実がこんな時間に廊下にいるのは珍しい。
「おう、ほっときゃ乾くからな。何だ、こんな時間に」
「甲斐にCD借りてきたんだ。明日聴こうと思って」
「へえ? 何借りたんだ?」
覗き込もうとしたら、隠された。
「内緒。知りたきゃ、明日放送室においで」
へ? なんだ??
「お、おう……?」
良実は機嫌よさそうに救護室の方へ歩いていった。
「おやすみ、やす」
夏場、良実はエアコンの効いた救護室で寝る。
良実にはもう寝る時間だもんな。
「おやすみ!」
最近二人きりになる機会がなくて困ってたから、ちょうどいい。
明日こそ、付き合ってほしいって言ってみよう。
8月目前だけあって、ひどく暑い一日になりそうだ。
ランニングに短パンしか着る気になれない。
放送室は冷房が効くけど、効いてくるまではきっと蒸し風呂だろう。
先に行って部屋を冷やしておくか。
案の定の放送室に入って、エアコンをつけつつ熱気が逃げるまでと窓を開ける。
蝉の声が聞こえる。
窓辺に寄りかかって、降り注ぐような蝉の声の中、ぼんやりと考えた。
なんて切り出そうか。
さっぱり思いつかない。
良実が初恋の相手なんだから、人に交際を申し込むのも初めてだ。
ドアが開いた。
「なにしてるの、やす。窓全開で。そこ暑くない?」
慌てて俺は窓を閉めながら返した。
「蝉と会話してたんだよ、ほっとけよ」
「蝉と会話? 器用だね」
良実は笑った。
「でも、俺嫌いじゃないな」
「?? 何が」
「蝉の声だよ。必死に生きてる感じがして、頑張れって思う」
そう言いながら、良実は座ってCDをセットした。
いつ危篤になるかもわからない病気を持つ良実は、生きることについていろいろ考えたりすることも多いんだろう。
俺も、お前に頑張れって思うよ。
お前の言う一言一言すべて、覚えていられたらいいのに。
たくさん悩んだ思考から生まれるその言葉を。
傍にいて、少しでも多く聞いていたい。
「……ピアノ曲?」
モニタースピーカーから流れ出したのは、クラシックに似たおとなしいピアノだった。
「クサヴァ・エンゲルだってさ。せせらぎをテーマにした曲らしいよ」
覚たちの父親、世界で有名な音楽家のクサヴァ・エンゲル。
「へえ? 何でまた急にクサヴァ・エンゲルなんだ?」
「んー……甲斐に選んでもらったんだ。優しくて癒されるような曲をね」
「癒されたいのか? なんかあったのか」
良実は机に頬杖をつきながら俺を見た。
「癒されるべきなのは、やすだよ」
「……は?」
俺は、元気だよな。
何を言い出すんだ、いったい?
「期末試験の頃から、ずっと悩んでる顔してる」
ああ……。
なんていって告白しようか、悩んでいたかもしれない。
二人きりになる機会がなくてもやもやしていたかもしれない。
「って、どうせやすの悩みって俺がらみだろうから、俺が心配するの筋違いかもしれないけど」
「良実が好きだよ」
良実をまっすぐ見たまま言うと、良実もまた俺をまっすぐ見たまま答えた。
「うん、ありがとう」
「好きで好きで、困ってるかも知れねえな」
「そう言われると俺も困るんだけど。悩み事はそれ?」
良実はため息をついてみせる。
「いや、違う。良実って、好きなやついないよな?」
「え? うん、今はね……出会いもないし。でもだからってやすの気持ちがまったくわからないわけじゃないよ」
「うん」
でも俺の気持ちをわかってほしいわけじゃない。
つまり俺が言いたいのは。
「良実に好きなやつが出来るまででいいんだ」
「え?」
「ほかに好きなやつが出来たら、終わりでいいんだ」
「やす?」
「それまで、俺と付き合ってくれないかな?」
良実は呆然と俺の顔を眺めた。
あれだけ好きだって言ってたけど、交際を申し込まれるのは想像してなかったのか。
良実が少し悩みながら厳しい表情をした。
「……もし断ったら?」
「え? 別に、今までどおりだろ……」
うつむきかけた俺の腕を掴んで、良実は話した。
「もし断ったら、やすは適当な複数の誰かとセックスするの? それとも他の誰かを好きになるの?」
「他の誰かなんて考えられねえよ。それ出来るなら、もうとっくに諦めてるだろ、10年の片想いだぞ」
「うん……」
返事しながら、良実は俺の返答をまだ待つ。
「俺、もうセックスはしない。だって、お前遠まわしに言ったよな?」
ちらりと窓を見る。
あの時咲いていた花はもう散って、濃い緑の葉が揺れてる。
「好きな相手以外とするのは間違ってるって」
「うん……言ったかもね」
「別に、キスして抱きしめるだけでもいいんだ」
良実は何か考える顔をしてる。
「付き合って」
「もし付き合ったら……」
「うん?」
「やすは俺にキスとハグまでしかしないのか?」
「え……」
良実は何が言いたいんだろう。
お前は重い心臓病じゃないか。
走ることもできないんだからそれ以上のことはできないに決まってる。
「俺はやすを縛りたくないんだ」
即答で断ってくると思ってた。
どうして良実は嫌だと言わないんだ。
ノンケなんだから男となんかつきあえないだろ。
「条件を出してもいい?」
「言ってみろよ」
俺は頷いた。
お前が望むことなら、聞いてやる。
「俺を病人扱いしないで。そうしたら、俺は夜穂と付き合うよ」
今、付き合うって言ったか?
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