亡国の系譜と神の婚約者

仁藤欣太郎

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第二章 ギルドの依頼

第八十二話 家庭教師のお仕事

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 扉を開けて中に入ると、そこは診療所の診察室だった。大きな建物の向こう半分は診療所になっていたのだ。だから家主に代わってミレーヌが応対した。

 診察室のデスクには、せかせかとカルテをまとめる男性がいた。彼はそれを終えると、椅子から立ち上がってニコラの方を向いた。

「ようこそいらっしゃいました。私この第八区の区長の傍ら医師をしております、モーリス・ド・モリエと申します。よろしくお願い致します」
「イールから参りました、ニコラ・ポワティエと申します。こちらこそ、よろしくお願い致します」

 モーリスと名乗るこの男性は、立派な口ひげをたくわえた、知的で威厳のある顔をしていた。

「仕事場で申し訳ありませんが、どうぞお掛けください」
「はい、失礼します」

 ニコラは患者用と思われる椅子に腰かけた。

「ミレーヌ、これからお仕事の話をするから、おまえは二階へ上がっていなさい」
「はい、お父様」

 ミレーヌはモーリスに言われて部屋から出て行った。知的で威厳のある医者の父に、どこか世間知らずなところのある娘。ド・モリエ家はいかにも良識ある家庭といった感じだった。

「さて、依頼の件ですが、どちらの案件ですかな?」
「はい、この二件です。行政書類の整理と、ご子息の家庭教師の案件です」
「なるほど。私の発注した案件はそれですべてです。では、ニコラさんの経歴と能力を教えていただけますか?」

 ニコラはモーリスの質問に応じて学業成績とイールでの業務内容を具体的に伝え、イール王室のエンブレムを見せた。モーリスは熱心にうなずきながら彼の言葉に耳を傾けた。

「いいでしょう。その経歴でしたら行政書類の整理も家庭教師も十分にこなせそうですね。では、ニコラさんさえよろしければ明日からでも働いていただきたいのですが、いかがでしょう?」
「はい、喜んで!」

 モーリスはニコラを信用し、ニコラもそれに応じた。

「では決まりですね。うちはひと部屋空いていますから、よろしければそちらをご利用ください。住み込みでもかまいませんよ。もちろん宿泊料はいただきません」
「そんな、そこまでご迷惑をお掛けするのはちょっと……」
「無理強いはしません。ただ、ギルドから手配された方に使っていただくためにご用意した部屋ですので、特に気を遣う必要はありません」
「そういうことでしたら、お言葉に甘えて」

 ニコラは合理的な性格なので、正直なところ宿代を節約して粗利を増やしたいという欲があった。そのため最初からモーリスの申し出に応じたいと思っていたが、形式上一度は遠慮しておく必要があるとも考えた。モーリスの方もニコラの性質をこの十分ほどのやりとりで見抜いていたため、彼が応じやすいように言葉を選んで対応した。二人は年齢こそ離れているものの、性格的には近いところがあった。

「では部屋にはのちほどご案内するとして、具体的な仕事内容をご説明しましょうか」
「はい、よろしくお願いいたします」

 モーリスはデスクの横にある棚から書類を数枚取り出してニコラに見せた。

「作業の内容はこの棚にある書類を今月中に正式な行政書類の書式でまとめることです」
「なるほど。少し書類を拝見してもよろしいですか?」
「どうぞ」

 ニコラは書類に目を通した。内容はすべて理解できるものだったため、あとはフェーブル王国で採用されている書式を確認すればなんとかなると彼は踏んだ。

「これなら問題なさそうです」
「そうですか、それは良かった。もし細かい部分でイールと異なる点がありましたらご遠慮なくお尋ねください」
「はい、ありがとうございます」

 続いてモーリスはミレーヌの家庭教師の話に移った。

「それでもう一つ、家庭教師の依頼ですが……」

 彼は少し困った顔で言葉を詰まらせた。

「なにか問題でもおありなのですか?」

 ニコラはモーリスの表情から気持ちを察して尋ねた。

「いえ、それがですね、ご指導いただくのは先ほどのミレーヌなのですが、熱系魔法がまったくと言っていいほど扱えないのです。私と家内はどちらも冷気系を得意としていましたから、その影響が強いのかもしれませんが……嫁いで行った上の娘二人と比べても極端なのです。高等学校リセの試験はお情けで通してもらっていますが、いずれ卒業試験を受けることになりますから、それまでに申し訳程度でも熱系魔法を使えるようにさせなければと焦っているのです」
「なるほど、それで熱系魔法を実務レベルで使用できることが条件として書かれていたのですね」
「はい、そうです。親戚の中にはもちろん熱系魔法を扱える者もいるのですが、みな本職で手一杯で時間がとれない状況なのです」

 モーリスは本当に頭が痛いといった様子だった。おそらくこれまでも同じような依頼をしてきたのだろう。そしてその誰もがミレーヌに熱系魔法を習得させられなかったということは、容易に想像がついた。ニコラはそれを察して、モーリスが安心できるよう、普段より少し自信ありげに振る舞ってみせた。

「わかりました。私も魔術の腕を買われてイールの宮廷に召し出された身です。最善を尽くし、必ずやミレーヌさんに熱系魔法を習得させてみせましょう」
「ありがとうございます! 是非よろしくお願い致します!」

 こうしてニコラは依頼主から好感触を得ることに成功した。とはいえミレーヌがどのぐらい熱系魔法が苦手なのかは、実際に見てみないとわからない。いずれにせよ、簡単に解決できるような楽な仕事ではないとニコラは感じていた。
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