亡国の系譜と神の婚約者

仁藤欣太郎

文字の大きさ
上 下
82 / 283
第二章 ギルドの依頼

第八十二話 家庭教師のお仕事

しおりを挟む
 扉を開けて中に入ると、そこは診療所の診察室だった。大きな建物の向こう半分は診療所になっていたのだ。だから家主に代わってミレーヌが応対した。

 診察室のデスクには、せかせかとカルテをまとめる男性がいた。彼はそれを終えると、椅子から立ち上がってニコラの方を向いた。

「ようこそいらっしゃいました。私この第八区の区長の傍ら医師をしております、モーリス・ド・モリエと申します。よろしくお願い致します」
「イールから参りました、ニコラ・ポワティエと申します。こちらこそ、よろしくお願い致します」

 モーリスと名乗るこの男性は、立派な口ひげをたくわえた、知的で威厳のある顔をしていた。

「仕事場で申し訳ありませんが、どうぞお掛けください」
「はい、失礼します」

 ニコラは患者用と思われる椅子に腰かけた。

「ミレーヌ、これからお仕事の話をするから、おまえは二階へ上がっていなさい」
「はい、お父様」

 ミレーヌはモーリスに言われて部屋から出て行った。知的で威厳のある医者の父に、どこか世間知らずなところのある娘。ド・モリエ家はいかにも良識ある家庭といった感じだった。

「さて、依頼の件ですが、どちらの案件ですかな?」
「はい、この二件です。行政書類の整理と、ご子息の家庭教師の案件です」
「なるほど。私の発注した案件はそれですべてです。では、ニコラさんの経歴と能力を教えていただけますか?」

 ニコラはモーリスの質問に応じて学業成績とイールでの業務内容を具体的に伝え、イール王室のエンブレムを見せた。モーリスは熱心にうなずきながら彼の言葉に耳を傾けた。

「いいでしょう。その経歴でしたら行政書類の整理も家庭教師も十分にこなせそうですね。では、ニコラさんさえよろしければ明日からでも働いていただきたいのですが、いかがでしょう?」
「はい、喜んで!」

 モーリスはニコラを信用し、ニコラもそれに応じた。

「では決まりですね。うちはひと部屋空いていますから、よろしければそちらをご利用ください。住み込みでもかまいませんよ。もちろん宿泊料はいただきません」
「そんな、そこまでご迷惑をお掛けするのはちょっと……」
「無理強いはしません。ただ、ギルドから手配された方に使っていただくためにご用意した部屋ですので、特に気を遣う必要はありません」
「そういうことでしたら、お言葉に甘えて」

 ニコラは合理的な性格なので、正直なところ宿代を節約して粗利を増やしたいという欲があった。そのため最初からモーリスの申し出に応じたいと思っていたが、形式上一度は遠慮しておく必要があるとも考えた。モーリスの方もニコラの性質をこの十分ほどのやりとりで見抜いていたため、彼が応じやすいように言葉を選んで対応した。二人は年齢こそ離れているものの、性格的には近いところがあった。

「では部屋にはのちほどご案内するとして、具体的な仕事内容をご説明しましょうか」
「はい、よろしくお願いいたします」

 モーリスはデスクの横にある棚から書類を数枚取り出してニコラに見せた。

「作業の内容はこの棚にある書類を今月中に正式な行政書類の書式でまとめることです」
「なるほど。少し書類を拝見してもよろしいですか?」
「どうぞ」

 ニコラは書類に目を通した。内容はすべて理解できるものだったため、あとはフェーブル王国で採用されている書式を確認すればなんとかなると彼は踏んだ。

「これなら問題なさそうです」
「そうですか、それは良かった。もし細かい部分でイールと異なる点がありましたらご遠慮なくお尋ねください」
「はい、ありがとうございます」

 続いてモーリスはミレーヌの家庭教師の話に移った。

「それでもう一つ、家庭教師の依頼ですが……」

 彼は少し困った顔で言葉を詰まらせた。

「なにか問題でもおありなのですか?」

 ニコラはモーリスの表情から気持ちを察して尋ねた。

「いえ、それがですね、ご指導いただくのは先ほどのミレーヌなのですが、熱系魔法がまったくと言っていいほど扱えないのです。私と家内はどちらも冷気系を得意としていましたから、その影響が強いのかもしれませんが……嫁いで行った上の娘二人と比べても極端なのです。高等学校リセの試験はお情けで通してもらっていますが、いずれ卒業試験を受けることになりますから、それまでに申し訳程度でも熱系魔法を使えるようにさせなければと焦っているのです」
「なるほど、それで熱系魔法を実務レベルで使用できることが条件として書かれていたのですね」
「はい、そうです。親戚の中にはもちろん熱系魔法を扱える者もいるのですが、みな本職で手一杯で時間がとれない状況なのです」

 モーリスは本当に頭が痛いといった様子だった。おそらくこれまでも同じような依頼をしてきたのだろう。そしてその誰もがミレーヌに熱系魔法を習得させられなかったということは、容易に想像がついた。ニコラはそれを察して、モーリスが安心できるよう、普段より少し自信ありげに振る舞ってみせた。

「わかりました。私も魔術の腕を買われてイールの宮廷に召し出された身です。最善を尽くし、必ずやミレーヌさんに熱系魔法を習得させてみせましょう」
「ありがとうございます! 是非よろしくお願い致します!」

 こうしてニコラは依頼主から好感触を得ることに成功した。とはいえミレーヌがどのぐらい熱系魔法が苦手なのかは、実際に見てみないとわからない。いずれにせよ、簡単に解決できるような楽な仕事ではないとニコラは感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?

山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。 2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。 異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。 唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第三章フェレスト王国エルフ編

世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。 神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。 『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』 平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

偽物の侯爵子息は平民落ちのうえに国外追放を言い渡されたので自由に生きる。え?帰ってきてくれ?それは無理というもの

つくも茄子
ファンタジー
サビオ・パッツィーニは、魔術師の家系である名門侯爵家の次男に生まれながら魔力鑑定で『魔力無し』の判定を受けてしまう。魔力がない代わりにずば抜けて優れた頭脳を持つサビオに家族は温かく見守っていた。そんなある日、サビオが侯爵家の人間でない事が判明した。妖精の取り換えっ子だと神官は告げる。本物は家族によく似た天使のような美少年。こうしてサビオは「王家と侯爵家を謀った罪人」として国外追放されてしまった。 隣国でギルド登録したサビオは「黒曜」というギルド名で第二の人生を歩んでいく。

処理中です...