亡国の系譜と神の婚約者

仁藤欣太郎

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第三章 亡国の系譜

第百六十七話 スタート地点の平等

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「今日の講義のテーマは『公平性』だったんだ。もっと具体的に言うと、『スタート地点の平等』の話」
「「スタート地点の平等?」」

 ジャンとシェリーは聞き慣れない言葉に首をかしげた。

「たとえば、僕たちはみんなそれぞれ違う特徴を持って生まれるだろ? それから生まれる家柄も違う。こういう生物学的な違いや経済的、社会的な違いが人生を左右することはなんとなくわかるよね」
「「うん」」
「これは統計調査でもわかっていて、裕福な家庭に生まれた人ほど学歴が高く、生涯賃金も高くなりやすいんだ。それが『裕福だから高学歴になる』のか『遺伝的に知能が高いから裕福になる』のかは明言できないんだけど、現状では両方とも影響があるだろうって言われてる。でも生まれによって選択の自由が左右されるのは不公平だよね。そこで、社会制度によって生まれた時点の不公平を軽減しようっていうのが、『スタート地点の平等』っていう考え方なんだ」
「「へー」」

 ジャンとシェリーはニコラのわかりやすい説明に膝を打った。彼の説明するところによると、遺伝的な性質による優劣はどうしようもないから、経済的格差や教育格差をできるだけ減らし、万人に平等な機会を与える政策を施行する必要がある、ということらしい。しかしそれは、現実には多くの問題をはらんでいるという。

「ただ問題は経済格差や教育格差だけじゃないんだ。たとえばイールを含め、世界の多くの国の学校が九月入学だよね。実はこんな当たり前のことにも問題が潜んでいるんだ。フィロス学術研究所が行った大規模な統計調査によると、社会的地位の高い人や組織のリーダーには九月十月生まれが多いらしい。それとは逆に七月八月生まれは社会的地位が低い傾向にあるみたいなんだ」
「あ! あたしわかったかも!」

 シェリーはニコラの言おうとしていることが読めたようだ。

「じゃあシェリー、言ってみて」
「入学するまでに生きてきた時間は七月八月生まれより九月十月生まれのほうがだいぶ長いから、体格の大きい人が多いんじゃない? ほら、子どもって成長早いし。だからそれで自信をつけるとか」
「うん、たぶんそうだろうって言われてる」

 これはもっともな話だ。入学した時点で、生まれてからの期間に十カ月前後の差が生じてしまうため、初等教育では同学年の間で体格に大きな差が生じるということが普通に起こる。それによって必然的に不公平が生じるというわけだ。

「でもよー、だからって学校なくすわけにもいかねぇよな? 俺が言うのもなんだけど」

 劣等生だったジャンは自嘲気味にそう切り返した。

「ジャンの言う通りさ。公教育は安定した社会を築くためになくてはならないもの。当然なくすわけにはいかない。それに、社会には自分に強い自信を持つリーダーが必要だから、この不公平は必要悪として受け入れるべきだって意見もあるんだ。この主張に反論するのは難しいよね」

 二コラの言葉に、二人はうんうんとうなずいた。

「さらに言うと、仮にもっといい代案が出たとしても、すぐにそれを実施できるかというとそうじゃないんだ。公教育だって一から十まで潔白ってわけじゃない。いろんな利権が絡んで簡単には制度を変えることができない。これは僕の個人的な見解なんだけど……ソフィさんの前でこんな話をしていいのか……」

 ニコラはソフィを横目に見た。

「いいわよ。だいたい察しはつくし。続けて」

 彼はソフィの了解を得て安心した。

「旧アナヴァン帝国の衰退は官僚機構があまりに大きくなりすぎたことも影響していたと思うんだ。それでいろいろな利権が絡み合って、皇帝以下、旧アナヴァン帝国の上層部は身動きが取れなくなった」
「その話なら午前中の講義で聞いたぜ」
「え? そうなのか?」
「ああ。ちょっと複雑な気分だったけどな。父さんや母さん、おばさんたちがどんな苦労をしたのかは、なんとなくわかった」

 ジャンの言葉に、ソフィは少し悲しげな表情を見せた。

「……続けて、ニコラ」
「あ、はい。……公教育っていうのはえてして大規模なものだから、国の規模が大きくなれば必然的に官僚機構の力が必要になるものなんだ。そこで一度利権構造が出来上がってしまうと、それにぶら下がっている官僚たちがその利権を維持しようとやっきになる。だから彼らは、既存の価値観に反する政策に対しては強固に反対するんだ」

 旧アナヴァン帝国ほど大規模でないにせよ、世界の多くの国は官僚制を採用している。それは必要に迫られてのことだが弊害もあるという。官僚機構はときとして、既得権を守るために、社会が潜在的に必要としている改革を妨害することがある。

「もちろん問題は官僚機構だけじゃない。これは今日の講義の中でもあった話なんだけど、仮に入学時期を生まれ月にすると、必要な場所と人材が膨大になるから、効率を考えると現実的じゃないんだ」
「そうよね。クラスの数が十二倍になったら先生の数と教室の数が足りなくなっちゃう」
「シェリーの言う通り、場所も人も膨大になる。それを管理する人も必要だしね。公教育のありかたひとつとっても、完全な公平を実現するのは難しい。そうなると手をつけられるのは、社会保障制度など、富の再配分の仕組みぐらいってことになる」
「「社会保障制度?」」

 この世界ではまだ一部の国を除いて、まともな社会保障制度が出来上がっていない。当然、ジャンとシェリーもそれがなんなのかよくわかっていなかった。ニコラはそれについてじっくり丁寧に解説した。

「……っていうことなんだ。ちょうどいま、東の大陸では国民皆保険制度というのを施行する話が上がっているらしい。ただそれを実現するためには税制を改正して、所得や資産の多い国民から多くの税収を確保しなきゃならないんだけど……これにもいろいろ問題があってね」
「それもあたし、わかったかも」

 シェリーはまたニコラの言おうとしていることが読めたらしい。

「じゃあシェリー、言ってみて」
「お金持ちから反対される、ってことじゃない?」
「そういうこと。資産家の多くは自分の資産をなかなか手放さないからね。それよりも大変なのは、一代で巨万の富を得た人なんだ。彼らは築き上げてきた資産を自分より怠惰な人間に渡したくないと思っている可能性があって、実際そういう主張をする人は一定数いる。これは庶民から反感を買いやすい主張だけど、たしかに彼らの成功は彼らの努力による部分が少なくないだろうから、そこに手をつけるのは逆に不公平って意見もあるんだ」

 クーラン帝国をはじめとした大国には、大国ゆえの問題も少なくない。国の規模が大きいために、大規模な法改正を行おうとすれば必ず反対者が現れる。各国政府は旧アナヴァン帝国と同じ轍を踏まないよう細心の注意を払ってはいるものの、現実には様々な困難があった。
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