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第三章 亡国の系譜
第百四十五話 初日終了
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「どうあれわたしたちはいま目の前に広がるこの世界以外の世界を認識することができません。仮にいまこの世界と同時に別の可能世界が実在するとしても、その世界についてなにかを知ることはできません。先ほどの偽装された過去の話のように、神話の中にその痕跡を見出すことができればあるいは……ということも言えるかもしれませんが、そのようなきっかけがない限りは話半分に聞いておくべきでしょう」
そのあとソフィは、世界の成り立ちに関する証明不可能な仮説をいくつか紹介した。たとえば世界はすべて幻覚で、なんらかの技術によって強制的に見させられているホログラムであるとする説。ボードゲームのようにプレーヤーが存在し、彼らが操作しているとする説。長大な明晰夢であるとする説。しかしそれらの説はどれも証明不可能かつ、それを示唆するような証拠がこの世界に存在しえない。興味深い仮説には違いないが、研究対象としては少なくとも本流に躍り出る可能性は低いとソフィは念押しした。
そして講義の時間も残りわずかというところで、彼女は結論に入った。
「今日は『決定論と自由意志と世界の成り立ちについての仮説』というテーマで様々な仮説や思考実験をみなさんにご紹介しました。これらはあくまで仮説にすぎませんが、今後百年の間になんらかの大きな発見があるのではないかと考えられています。当研究所が特に力を入れているのは先ほどのミクロな世界の運動法則に関する研究ですが、他の研究機関が予想だにしない発見をする可能性もあります。この世界がどのようにして成り立っているのか……すべては決定されているのか、そうではないのか。それらを完全に解明することは原理的に不可能ですが、近い将来、世界は大きな変貌を遂げることになるかもしれません」
ソフィはふうっと息を吐いて肩の力を抜くと、女神のように美しい顔で微笑んだ。
「けっきょくのところ、わたしたちに自由意志があるかどうかはわかりません。すべてはあらかじめ決められたことかもしれないし、この世界の外部から操作されていることかもしれません。しかし、だからこそ、わたしたちは自由意志を信じて選択し、行動すべきだとわたしは考えます。あなたが自分の意志で決定したと信じている選択は、あなたにとって明白な自由意志であるとも言えます。そう考えることが自分にとって有用であるのなら、そうしたほうが人生は豊かになるのではないでしょうか。……今日はいろいろとお話ししましたが、みなさんが自らの自由意志で人生を切り開いていけることをお祈りして、本講義を締めたいと思います。ご清聴ありがとうございました」
彼女が深々と頭を下げると、会場からは割れんばかりの拍手が湧きあがった。
拍手はソフィが大教室から出るまで続いた。そして会場に残った受講者たちはみな、満足気な顔をしていた。ジャンたちも聞き慣れない刺激的な話に興奮冷めやらぬ様子。いつのまにか、ソフィが一瞬見せた不穏な表情のことなど忘れ去っていた。
「やっぱりおばさんって凄いんだな。こういう話だったら俺もちゃんと起きてられるぜ」
「それはそうさ。フィロスは世界最高峰の研究機関で、ソフィさんはその所長なんだから。あと、そうでなくても寝るなよ」
「へーい。努力します」
リセの授業は真面目に受けていなかったジャンも、ソフィの講義には十分満足していた。
「でもほんと、ソフィさんって素敵よねー。あたし、話聞きながら見とれちゃった」
シェリーは別の意味でも満足したようだ。
「ああ、マリアさんとほぼ同じ顔だけど、輪をかけて綺麗っていうか」
「ねー。そんな人にお近づきになれるなんて、たまにはこいつも役に立つわねー」
そう言ってシェリーはジャンを指さした。
「なんだよ。俺はおばさんに会うためのチケットじゃねーっつーの」
「冗談よ、冗談。それにしても、ジェラールさんもマリアさんも素敵だなってずっと思ってたけど、まさかそんなやんごとなき人だったなんてねー」
「またどーせ、それに比べて……とか言うんだろ?」
ジャンはまたいつものようにシェリーに馬鹿にされると思っていた。しかし今回はそうでもなかった。
「ふふ、そんなことないわよ。あんたも最近ちょっと大人っぽくなったんじゃない?」
「ばっ、ばっか! そんなことねーよ! 俺なんてまだ……その……」
わかりやすい照れ隠しをするジャンと上機嫌のシェリー。その横でニコラはめんどくさそうな顔をしていた。
「二人とも、とりあえずソフィさんのところへ行かないか?」
「ああ、そうだな。そうしよう」
「そうね、行きましょ」
三人は立ち上がり、他の受講生の後について大教室を出た。
そのあとソフィは、世界の成り立ちに関する証明不可能な仮説をいくつか紹介した。たとえば世界はすべて幻覚で、なんらかの技術によって強制的に見させられているホログラムであるとする説。ボードゲームのようにプレーヤーが存在し、彼らが操作しているとする説。長大な明晰夢であるとする説。しかしそれらの説はどれも証明不可能かつ、それを示唆するような証拠がこの世界に存在しえない。興味深い仮説には違いないが、研究対象としては少なくとも本流に躍り出る可能性は低いとソフィは念押しした。
そして講義の時間も残りわずかというところで、彼女は結論に入った。
「今日は『決定論と自由意志と世界の成り立ちについての仮説』というテーマで様々な仮説や思考実験をみなさんにご紹介しました。これらはあくまで仮説にすぎませんが、今後百年の間になんらかの大きな発見があるのではないかと考えられています。当研究所が特に力を入れているのは先ほどのミクロな世界の運動法則に関する研究ですが、他の研究機関が予想だにしない発見をする可能性もあります。この世界がどのようにして成り立っているのか……すべては決定されているのか、そうではないのか。それらを完全に解明することは原理的に不可能ですが、近い将来、世界は大きな変貌を遂げることになるかもしれません」
ソフィはふうっと息を吐いて肩の力を抜くと、女神のように美しい顔で微笑んだ。
「けっきょくのところ、わたしたちに自由意志があるかどうかはわかりません。すべてはあらかじめ決められたことかもしれないし、この世界の外部から操作されていることかもしれません。しかし、だからこそ、わたしたちは自由意志を信じて選択し、行動すべきだとわたしは考えます。あなたが自分の意志で決定したと信じている選択は、あなたにとって明白な自由意志であるとも言えます。そう考えることが自分にとって有用であるのなら、そうしたほうが人生は豊かになるのではないでしょうか。……今日はいろいろとお話ししましたが、みなさんが自らの自由意志で人生を切り開いていけることをお祈りして、本講義を締めたいと思います。ご清聴ありがとうございました」
彼女が深々と頭を下げると、会場からは割れんばかりの拍手が湧きあがった。
拍手はソフィが大教室から出るまで続いた。そして会場に残った受講者たちはみな、満足気な顔をしていた。ジャンたちも聞き慣れない刺激的な話に興奮冷めやらぬ様子。いつのまにか、ソフィが一瞬見せた不穏な表情のことなど忘れ去っていた。
「やっぱりおばさんって凄いんだな。こういう話だったら俺もちゃんと起きてられるぜ」
「それはそうさ。フィロスは世界最高峰の研究機関で、ソフィさんはその所長なんだから。あと、そうでなくても寝るなよ」
「へーい。努力します」
リセの授業は真面目に受けていなかったジャンも、ソフィの講義には十分満足していた。
「でもほんと、ソフィさんって素敵よねー。あたし、話聞きながら見とれちゃった」
シェリーは別の意味でも満足したようだ。
「ああ、マリアさんとほぼ同じ顔だけど、輪をかけて綺麗っていうか」
「ねー。そんな人にお近づきになれるなんて、たまにはこいつも役に立つわねー」
そう言ってシェリーはジャンを指さした。
「なんだよ。俺はおばさんに会うためのチケットじゃねーっつーの」
「冗談よ、冗談。それにしても、ジェラールさんもマリアさんも素敵だなってずっと思ってたけど、まさかそんなやんごとなき人だったなんてねー」
「またどーせ、それに比べて……とか言うんだろ?」
ジャンはまたいつものようにシェリーに馬鹿にされると思っていた。しかし今回はそうでもなかった。
「ふふ、そんなことないわよ。あんたも最近ちょっと大人っぽくなったんじゃない?」
「ばっ、ばっか! そんなことねーよ! 俺なんてまだ……その……」
わかりやすい照れ隠しをするジャンと上機嫌のシェリー。その横でニコラはめんどくさそうな顔をしていた。
「二人とも、とりあえずソフィさんのところへ行かないか?」
「ああ、そうだな。そうしよう」
「そうね、行きましょ」
三人は立ち上がり、他の受講生の後について大教室を出た。
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