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第三章 亡国の系譜

第百三十六話 『美容と健康のための最新の食事法』

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 午後一時前、ジャンたちはセミナー会場のフェーブル国立海洋大学院大学の東館に来ていた。

「シェリー、ここで合ってんだよな?」
「うん。東館二階、B教室って書いてある」

 シェリーはパンフレットを見ながらジャンに言った。その教室ではこれから『美容と健康のための最新の食事法』と題された講義が開かれる。扉を開けると、四十脚ほど用意された椅子はすでに半分埋まっていた。三人は空いている席に腰かけた。

「講義なんてリセのとき以来ね」
「うーん、嫌な思い出だな」

 ジャンは勉強があまりできなかったため、学校の授業と聞くと軽い拒絶反応を起こすところがあった。

「まあセミナーだし、定期試験があるわけでもないし、いいんじゃないか?」
「そりゃそうか。でもニコラ、もし俺が寝てても終わるまで起こさなくていいぜ」
「いや、寝るなよ、できるだけ。起こさないけどさ」

 そんな気楽な様子の二人とは裏腹に、シェリーはメモとペンを用意して授業の開始をいまかいまかと待っていた。それもそのはず、この講義はシェリーが希望したものだった。

 時計の針が午後一時を回ると、頭頂部の禿げた壮年の研究員が教室に入ってきた。静まり返る来場者を前に、研究員の男は教壇に立った。

「みなさん、こんにちは。この講義を担当させていただきます、バーナード・エリスと申します。どうぞよろしく」
「「よろしくお願いします」」

 エリスと名乗る研究員がにこやかに挨拶すると、来場者もそれに応えた。

「さてみなさん、この講義は『美容と健康のための最新の食事法』と題しまして、みなさんが普段口にしている食品について、いまわかっていることをざっくりとご紹介していきます。教室をお間違えの方は……いませんね。ではさっそく始めましょう」

 エリス氏はそう言うと、正面の黒板にお世辞にも上図とは言えない画力で肉と魚、野菜と果物、穀物の絵を描いた。

「絵心がない点はご勘弁を。一応左から、肉と魚、野菜と果物、穀物ですね。ちゃんとそういう風に見えますか? ……よかった。では説明していきますね」

 彼はチョークを置いて手に付いた粉を払った。

「これらの食品を口にしたことがないという方はおそらくこの中にはいないでしょう。どれも我々の食生活に浸透している食材です。ではかつてはどうだったか? 食文化の歴史に詳しい方なら、時代によってよく食べられた食材が違うということをよくご存じでしょう」

 ニコラとシェリーはリセの歴史の授業で聞いて、このことを知っていた。ジャンはリセの授業を真面目に聞いていないことも少なからずあったので、そんなことはほとんど知らなかった。

「ニコラ、ご存知?」
「ご存知」
「ふーん」

 ジャンが腕組みしながら聞いているその横ではシェリーがメモをとる準備をしていた。受け止め方は三者三様。昼食後ということもあって、ジャンは早くも軽い眠気に襲われつつあった。

「太古の昔、我々の最初の祖先は狩猟を中心に生活していたと言われています。世界各所の遺跡から発掘された彼らの骨や日用品から推測されるところでは、彼らは動物の肉を中心に、いくらかの木の実や果実を加えて食べていたとされています。しかしそれらの食材は保存しにくく腐りやすいため、食事にありつけないことも少なくなかったと考えられています」

 エリス氏の軽妙な語り口に、ニコラも少し関心を持って聞きはじめた。エリス氏は黒板にざっくりとした年表を板書しながら説明を続けた。

「そこで必要に迫られて、穀物が栽培されるようになりました。農具が開発され、保存しやすい穀物の生産が増えるにつれ、人々の食生活は格段に安定していきました。骨の大きさや状態から見て、平均寿命も三十歳弱から四十歳近くまで伸びたと考えられています。ところが困ったことに、そのまま穀物に依存する生活が浸透していくと、今度はまた寿命が短くなっていったのです。実は彼らがかつて食べていた動物の肉は、我々人間が生きていく上で必要不可欠な栄養を含んでいたのです」

 彼はやや興奮気味に語気を強めた。

「現に冷気系の魔法の研究が進み、動物の肉を冷凍保存できるようになるにつれ、我々の寿命は飛躍的に伸びていきました。これには直近百年間の医学と細菌学の目覚ましい発展も影響しています」

 ジャンが夢の世界に首まで浸かり、こくりこくりと頭を上下に揺らす中、受講者はやや身を乗り出してエリス氏の講義に聞き入った。彼はさらに続ける。

「このような歴史的な経緯に加え、当研究所が収集した疫学データをまとめると、ズバリ! この三系統の食材はいずれも私たちになくてはならないものなのです! そして健康で若々しい身体を維持するためには、これらの食材をどのように組み合わせるか、そのバランスが重要なのです」

 シェリーは彼の言葉をかいつまんでメモ帳に書き取り、またニコラはうんうん頷きながら話を聞いた。

 その後も講義は続き、エリス氏は近年形になりつつある栄養学の話を交えながら、健康と美容のための食事について噛み砕いて解説した。話は調理法にまで及び、料理が趣味のシェリーはメモ帳をほぼ一冊埋め尽くしてしまった。

「では、本日の講義はここまでです。みなさんお疲れ様でした」
「「ありがとうございました」」

 九十分の講義が終ると、受講者はみな連れ合いと講義の内容について話した。

「おい、ジャン、終わったぞ」
「……んあ? もう?」
「もうって、おまえはずっと眠りっぱなしだったから……」
「あー、そっか。うん、よく寝たわ」

 まだ少し寝ぼけた状態のジャン。それとは対照的にご満悦のシェリー。ジャンは彼女のメモを横目に見て仰天した。

「おいシェリー、そのメモ帳、真っ黒じゃねーか」
「え? ああ、講義の内容メモしてたらこんなになっちゃって。でもすっごくためになったわよ。あんたも寝てないで聞けばよかったのに」
「いや、俺はいいよ。黙ってじっと人の話を聞いてると眠くなるし」
「そう。でも次の講義はあんたの好きそうなやつでしょ?」
「あー、そうだった。眠気も覚めたしちょうどいいな」

 三人はこのあと同じ教室で開かれる講義を聞くためにその場に残った。
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