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日常

僕の夢と貧困と彼女が好きって話5/27

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僕、とても彼女のことが好きだったみたいだ。

けれど、僕は自分の気持ちというものとうまく共存ができないから難しい。

僕は、馬鹿だから困ったことは困ったって言うようにした。わからないことは、わからないって、ちゃんと伝える。

でも、伝えるときは必ず嬉しいってことも忘れずに言う。

一つだけじゃ駄目なんだ、偏りは誤解を生む。

そうしたら、彼女はとても優しくて、良い人だった。

けれど、僕はやっぱり人のことがよくわからないから、君を傷付けてしまうことが何かを考える。何を言ったらダメか。何をしたらいけないかを考える。

そうやって、自分以外の他人のことを考えるのは素敵な時間だと思った。

全てが素敵なんだ。
優しい。
優しい時間。

現実を忘れそうになる。

でも、僕が恐れる、悲しい現実とはなんだろう。

わからない。
わからないのに、忘れちゃいけないって釘を刺しにくる。

ぬるま湯に浸ってられるのは、幸せな事だって教えにくる。

だけど、そうだ。

あの子は僕にとってそういう場所だ。

優しい、ゆったりとした幸せ。

そういう、場所だ。


だから、ずっとは居たくない。

自分が、その場所に慣れてしまいそうだから。
慣れてしまうのは、怖いから。

ありがとうってずっと言いたい。
僕が幸せだって思えるのは君のせいだって、君のせいで幸せなんだって。

君のおかげって言ったら、どこか重荷になる気がして、そんな言い方しかできない。

それでも、それが嬉しい。

自分が、他人のために幸せになれるのが嬉しい。

ありがとう。ありがとうって、泣きそうになる。

これを、僕は本気で思ってる。
ふざけても、気取ってもなくて、本当にそう思うんだ。

悲しいことがいっぱいあった。でも、悲しいだけだと苦しかった。だから、悲しいのを楽しいって思えば苦しくなくなると思った。
悲しくても楽しい。苦しくても楽しい。それで、いいやって。

だから、ちゃんと真っ直ぐに嬉しいことを喜べるのが素敵だなって思う。

悲しいことを悲しいって言えるのは、勇気がいる。
嬉しいことを嬉しいって言うより、勇気がいる。

僕は少しづつだけど変わっていて、素直になってきた。

気持ちが素直になれそうなんだ。

痛いことは、痛いって思っていい。
そんな簡単なことを、僕は最近思い出した。


安心とか、優しさとか、きっとそう言うものが必要だったんだ。

僕は、どうだろう。僕は、誰かを安心させている?誰かに優しくできている?

世界中には、子供がいて、色々な子がいる。

僕と同じ気持ちを育ててる子供もいる。

子供は無条件に守られるべきだ。

日本にいる僕ですら、悲しい気持ちばかり育ててた。

日本の外に出たら、悲しい気持ちを育てるしかない子供が沢山いる。

僕は、それが嫌だ。

僕の完全なるエゴだけど、嫌だと思った。

自分にできることはなんだろうって、ずっと考えている。

考えるだけで、何も行動はできていないけれど、僕は無力なわけじゃない。

調べることも考えることも、無関心より良いって、高校の時に先生は教えてくれた。

本当は、先生になりたかった。
学校の先生じゃなくて、孤児院の先生に。

先生じゃなくても、悲しいことを仕方がないって受け入れるしかない子供に、寄り添ってあげる仕事をやりたい。

それは、日本じゃなくても、海外でも良い。むしろ僕は海外の子供に寄り添いたかった。

寄り添った子供の誰かが、大人になった時に、僕と同じことをしてくれたら、それは素敵な連鎖になると思った。

悲しい連鎖じゃなくて、そういう、希望のある連鎖をつくりたい。

でも、そのためにはお金が必要で勉強も必要で、世界はそんなに優しくない。

そもそも、優しかったら負の連鎖は発生しない。

僕は、お金って存在がとても嫌いで、勉強は凄く好きだ。

まぁ、そんなことはどうでも良くて。

きっと、募金をするだけでも誰かの力にはなれるんだろう。

けれど、それだけじゃ根本的解決にはならないと思うんだ。

どうして、子供は悲しい思いをしないといけない?

多くの原因は貧困だ。

貧困の解決には、何が必要?

お金があれば解決する?
それなら、仕事がいる。
仕事をするには何が必要?
能力がいる。

知識がない人は肉体労働をするしかない。
知識があれば稼げる仕事ができる。

知識はどうやって身につける?

勉強をしないといけない。

勉強はどこでする?

学校、家、様々。

勉強ができない人はどうしてできない?

お金がないから、働くしかないから。
誰かに教わりたくても、誰もわからないから。

そうやって、どんどんどんどん、連鎖していく。

働くしかなかった子供が大人になって、その人に子供ができても、また、働くしかない。

けど、働けるならまだ良い方で…働く場所すら無い所もある。

なら、どうすればいい?

どこを変えれば、うまくいく?
どうすれば、貧困をなくせる?

会社を作っても、勉強ができる人に仕事はとられてしまう。

勉強ができなかった人はどうすればいい?

どうすれば、変えられる?

こうやって、どんどん連鎖的に考える。

そうやって考えて、僕には何ができるか、どこなら自分が入れるか、ずっと、ずっと考える。

夢見るんだ。
色々な人種の子供達と勉強して、笑い合って、楽しい時間を作ることを。

悲しい思いをしたひとは、それを忘れられない。けれど、それは価値観を広げる材料になる。相手を思いやれる心になる。

そういう子供たちが、大人になって世界を作れば、平和な世界を作れると思うんだ。


誰だって、悲しいのは嫌だろう。
戦争だって、平和を求めた結果だと僕は思う。それぞれの平和のために、戦ったんだと思う。

けれど、それは馬鹿げていて。
馬鹿げたことでもひとは死ぬ。

人の死の上にしか、平和が作れないなら、それは本当に平和なのだろうか。

どうして、戦争が始まったのか。
植民地だか、なんだか、なんやかんや。
自分の国を強くするため。

日本はロシアになっていたかもしれないだか、なんだか。


戦争なんてくだらない。
そう思うことは大事だと思う。


けれど、くだらないから知らないでいいっていうのは違う。
歴史は人間が行なってきた道だ。
必ず同じ性質が見れる。


だから、僕は歴史が好きだ。
価値観の相違を認められることは凄いことだ。


あぁ、なんの話をしていたか。

とにかく、僕は歴史が好きで、戦争がくだらないと思っていて、貧富の差をどうすればなくせるか考えていて、そう考えるのは子供のため。

子供は未来を作る人だ。

どうしてそれを蔑ろにする。

どうして、それがわからない。

どうして、それをわからない人が多いんだ。


こうやって考えるのは、僕に悲しい記憶が多かったから。

そして、僕が今、幸せだと思えるのは彼女のことを好きだとわかったから。

けれど、僕は中学生の頃か、もっと前かからこういうことは考えていた。

ただ、理由がわからなかった。
どうして、僕は悲しい思いをするしかない子供をなんとかして救いたいと思ったのか。

その理由が今日わかった。


ちなみに僕は、大学の専攻とは別に教職課程を履修していたりする。


どうしても、子供に寄り添いたい気持ちが忘れられなかったのだと思う。


僕は、人に優しくありたい。
悲しさは、優しさに変わるけれど、悲しいだけだと壊れてしまう。

なりたい職業はあるけれど、どうしてなりたいのかわからない。


その職より、貧困を救えるような職を目指せばいいのに。

僕は、よくわからない。
よくわからないけれど、何故か直感が当たる。

きっと、その職でもできることはある。
だから、僕はそれを目指して勉強する。

先生にもなりたいけれど、僕は直接的な学校の先生になりたいわけではないから。


今日は、色々と考えられた。
よかった。


いつも以上につまらない話をしてしまった気がする。

ここまで読んでくれた貴方。
ありがとうございます。

ここクマでした。
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