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森林の国、エルフの歴史

レイの覚悟

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 ……何が起こった?

 狼狽える部下に檄を飛ばし落ち着かせながら集団の中央に立つ男──レイオールドは顎に手をやり観察する。

 起こった現象だけを抜き出すことは簡単だ。あの女お得意の高速移動と刀による攻撃。それだけだ。だがこれだけではこの結果は訪れる筈は無い。
 一手目との違いは……色と音。それに、威力とでも言おうか。最初の攻撃での移動はほぼ無音。それに瞬間移動と言っても遜色の無いほど目では経過を捉えられない。しかし今の移動。破裂したかのような轟音に、恐らく奴の進路を示す黒い光……あれはなんだ?

 記憶から先程の現象を呼び起こしながら、既に張り直された四枚のシールドに目をやる。

 先日ようやく実用段階まで引き上げられた特殊シールド。単純な盾としての役割はあるがそれだけではない。受けた衝撃をエネルギーとして吸収し、限界に達した瞬間に蓄えたエネルギーを反発力として周囲に跳ね返す。故に一撃で破壊できるのは一枚のみ。続けて二撃を繰り出そうとも、それより速く張り直す事も可能。しかし今のは一撃で二枚……待て、一撃?

 レイオールドはかすかな記憶を呼び起こしながら左掌に右指で文字を書く。

 確か、コクライ・カサネ、と言っていたか。カサネ……重……。一撃を重ねているとでも言うのか?
 確かに刀術での切り返しならば素早い二撃を繰り出せるだろう。しかし、あれは二枚同時に割られたとしか思えなかった。何だ、何を見落としている……?

 考え込むレイオールドだが、しかしその目はしかとレイの姿も映している。
 既にレイは離れた最初の位置に戻っており、感触を確かめるように両掌を握ったり開いたりと交互に繰り返している。

「……ん、まだいける」

 呟き、再び構える。しかし先程より僅かに姿勢が低い。前傾姿勢が強まっている。

 また来るか。

「狼狽えるな! 奴の攻撃は二撃、我々に届くことは無い! 侵略隊、駒の招集を早めろ。しかし現在交戦中の四人の対処も怠るな。シールド隊、心を落ち着けよ。割られることは避けられぬ。再展開を意識しておけば何の問題も無い。可能な限り奴の行動を把握し情報を収集せ──」
黒雷・三重こくらい・みえ

 漆黒の一閃。響く轟音。そして一枚のみを残し破壊されるシールド。

 三枚だと!?

 驚愕すべき事実。だがレイオールドはその動揺を一瞬のものとして振り捨てる。

 先程は重。今回は三重。つまり一撃増えた三連撃だろうが……ならば何故最初から三重をしない? 可能性としては、段階的に上げる必要がある、もしくはシールドの強度を計るための牽制。それに……。

 目線を前に向けると、寸前まで正面で刀を振り下ろしていたレイが後方、壁際まで下がっている。導線の見えない移動に、しかしある事実に気づく。

 僅かだけ見えた黒い閃光。あれは恐らく奴の導線だ。名の通り落雷のように一瞬の光だったが、だからこそ目に焼き付く。初撃はあちらから一直線に……しかし今のは折れ曲がっていた。つまり奴の移動距離が長くなっている。
 何故そんな事をする必要があるのか。こちら側の条件は同じ。罠を警戒したのかも知れないが、より考えられるのは……移動距離と連撃数が比例している? 奴の能力はただ移動速度の上昇だけとの報告だったが……違ったというのか?

 レイオールドの懸念は、しかし間違ってはいなかった。
 レイの『神速』。確かにそれはただ足が速くなるだけのスキル。速くなるだけ、というには収まらない結果をもたらすが、現象としては間違っていない。
 しかし、それはあくまで数日前までの話だ。

 スタート位置に戻り、三度構えながらレイは考える。

 あの距離なら三重までならいけた。壁を蹴れば四……でもそれだとあのシールドを壊すだけか。五は……出来たこと無いしな……。正直三で結構しんどいし、四だと休みたくなるし……でも。

 更に深く、方向は正面では無く斜めに。

 泣き言は言えないから、やるしかないか。

黒雷・四重こくらい・しじゅう

 駆ける。
 
 先程よりも角度を増した黒閃は壁を跳ねてレイオールド達へ向かう。そして名前の通り四枚全てのシールドを破壊すると三度スタート地点へと戻る。

「……やはりか」

 徐々に追い詰められる状況。しかしレイオールドは冷静に言葉を発する。

「貴様の攻撃回数はその移動距離に比例している。しかしその理由が分からなかった。加えて貴様の能力はその移動速度。脅威的、実に脅威的だ。目に映らぬ速度というものはそれだけで必殺たり得る……が、それだけだ。
 貴様にはそれ以外の能力は無く、刀術は優れ、特に抜刀術に秀でている……が、それはあくまで常識の範囲内。このシールドを四枚破壊する事は不可能。だからこそ不可解でした。……まあそもそも何故人間があんな速度で動けること自体が不可解なのですが、ようやく種が分かりました」

 指指したのは右斜め前方。先程レイが経由した壁だ。

「この倉庫、重量に耐えられるよう床は石で舗装されてますが壁は木製です。当然それなりの強度はあるでしょうが、身軽な女性とは言え人一人があの速度でぶつかり、蹴って無傷な筈が無い」

 その言葉通り、レイが刹那のうちに着地し、蹴ったその壁は、しかしそれ以前と何も変わっていなかった。せいぜいレイの靴の裏の汚れが僅かに付着した程度だ。

「貴様等のような不可解な蛮族と渡り合うには、一度常識を捨て空想のような可能性を考える必要がある。
 恐らく。貴様は能力によって体重を減衰、ないし無くすことが出来るのでは? 無論加速そのものの効果もあるのでしょうが、自身の重力がなくなればその効果は更に高まる。更にその移動で得た速度を、他の動きに転用が出来る。例えば、腕の振り。あの移動速度がそのまま攻撃速度に転用されたと考えれば、一応筋は通ります。……まあ」

 一度言葉を句切り、壁を指さしていた手を開き掌を上にしてレイに示す。

「リスクは相応にあるようですが」

 そこにいるのは、片膝をついて黒刀を突き立て杖のようにし、肩で息をしているレイの姿だった。

 レイオールドの推測はほぼ正解だった。『神速』は一つの能力だが、同時に五つの側面を持つ。『思考加速』、『五感強化』、『身体強化』、『脚力強化』。そして『重量減衰』……ではない。正しい表現は『不要物無視』だ。
 それは彼女の能力にとってあらゆる不要物を無視する力。

 移動の馬力が同じであれば重量は軽い方が良い。だから彼女は移動中の体重を無視した。
 加速すればするほど、そこに何も無くとも空気の抵抗が発生する。だから彼女は空気の抵抗を無視した。
 彼女にとって体重は無くとも、壁にとってはそうではなく、蹴られる衝撃も存在し、それで壊れれば踏み込みが甘くなり加速が減る。だから彼女は、踏み込みによる『加速』だけを得て『壁に与える衝撃』を無視した。

「そもそもは報告通り移動のための能力なのでしょう。しかしそれは貴様の抜刀術とは相性があまり良くない。文字通り移動しながら撫で斬りで事足りますからね。しかしそれでは満足せず上を目指し、能力の仕組みを理解し新たな技へと昇華させたのでしょう。お見事、実に素晴らしい!
 ──ですが、ここまでです」

 これだけでは移動速度が速くなるだけ。レイオールドの言葉通り、レイ自身の刀術とは相性が悪い。だから彼女は──『神速』の定義である『移動速度上昇』を無視した。

 それによって起こりえたこと。それを無視した瞬間、その瞬間の速度を他の動きに転用できる。それによって起こるのは『神速』で繰り出される抜刀術と、それから続く切り返し。
 踏み込みによる加速が無い故にその連撃は移動で得た速度を消費するまでの制限付きになるが、効果は絶大。
 しかし、それはいわば『神速』の目的外使用。レイ自身への負担は尋常では無い。

 腕は痺れ、重く、肺と横腹が酷く痛む。視界は霞み耳鳴りが五月蠅い。
 エクシアとの訓練で重は僅かな疲労。三重は連続使用は出来ず僅かな使用後に隙も生まれるが、タイミングさえ誤らなければ問題ないところまで持って来られた。しかし四重はまだその域に達していない。出来はするが、その後はまともに立つことさえ出来なかった。

 不意に、背後の大扉が開く。続いて上からは壊され木くずとなって落ちる天井。そこにいるのは味方では無く、虚ろな目を赤く光らせるエルフ達だった。
 確実に仕留めるつもりだろうか。背後のエルフ達はうずくまるレイを押さえつけようと手を伸ばし、天井に立ちエルフ達はその集団ごと仕留めようと魔法を構える。レイオールド達は動くつもりは無く、事が確実に終わるまでシールドを解くつもりはないようだった。

 このままでは自分は負ける。このままでも、今のままでもダメだ。

 刹那。脳裏に浮かんだのは一人の少女。かつて指導し、並び立ち、今や自分よりも前に立つと思う、アリアの姿。

 先にいかないと、ダメだ。

黒雷・五重こくらい・ごじゅう……!」

 だから彼女はほんの僅か踏みだし、『自身の全ての疲労、痛み』を無視した。

 指先がレイの肩に触れる寸前。その姿が消える。左右の壁を経由するジグザクの黒刀による黒い稲妻。
 一刀。斬り上げた刀で一つめのシールドを破壊。放たれ受ける跳ね返しの衝撃を無視する。
 二刀。斬り下ろしで二つめ。再び無視。
 三刀。再び斬り上げ。無視。中の人間の目線が動き始める。
 四刀。最後の斬り下ろし。無視。隔てる物が無くなる。目線が合う。思ったより距離が足りなかった、速度がもう少ない……なら

 五刀。斬り上げではなく、左から右へ横一線。シールドを発動していた四人を同時に。そうすれば次に繋がる。他の三人が五枚目をずっとやらなかったから多分この四人しか使えない。ならこの四人さえ倒せば、他の誰かが倒しやすくなる。だから──!

 決死の終刀。黒刀が一人目の横腹に迫る。腹部であれば刀を阻む骨が無く、柔らかく、しかし致命傷だ。
 切っ先が触れた瞬間、レイの強化された目はそれを捉えた。

 一人目の男の姿が一瞬揺らぎ、切っ先が触れようとしているのが腹部ではなく胸へとなっている。

「ぐふ……っ!」

 血を吐き、致命傷を負い、しかしレイの腕の振りを己の手で掴み、刀を己の肉体、肋骨と背骨で受け止めたのはシールドを張っていた兵士では無く、その背後にいたレイオールドだった。

「どうして……っ?」

 レイの疑問に、瀕死のレイオールドはしかし不敵な笑みを浮かべる。

「部下六人。二人は洗脳、四人は防御……小隊長の私が何も持たないと思ったか?」

 震える手で、しかし強く。決して逃がさないとレイの腕を強く握り一歩踏み出す。痛みなどとうに感じないとでもあざ笑うように一歩、一歩。掴む腕は決して曲げず、レイごと一歩、また一歩と部下から遠のく。

「私の魔導は位置交換。私と他の誰かとの位置を入れ替える……まあ、対象は事前に指定した味方のみで、範囲もせいぜい三メートル。我ながら使い難いものです……が」

 笑みが消える。それは覚悟を決めた者の最後の表情。

「使えない能力の私一人の命で貴様を仕留められるならお釣りが来ます。──防御魔導全展開! 私ごと蛮族の魔法で滅しなさい!」
「承知! レイオールド小隊長に帝国の栄光を!」

 僅かな躊躇いも無い。そんなものはもう済ませた。

 再び六人は四重のシールドで覆われ、周囲から魔力の反応がする。

「……っ、この……!」

 拘束を振り払おうにも、既に力が入らない。ただでさえ撃てば終わりの四重。それの負担を無視し限界を超えた五重を放ったのだ。もう『神速』を放つ余力も無く、腕を掴まれているから立てている様な状態だ。

 あとは皆に托して死ぬつもりだった。あの一刀で全部使ってその場で倒れるつもりだった。けど……ちょっとだけ躊躇った? だから止められた?

 体が動かないからか思考だけが、後悔の思考だけが回る。今更どうしようも無い考えだけがどうしようも無く浮かぶ。

「クク……っ、我等はどうせ捨て石、使い捨ての実験部隊だ。なればこそ、少しでも成果を上げ、隊長へ……後へ続く者への手向けとしよう!」

 目を見開き、自身への檄を飛ばす。

 ……ごめん。
 心の中で、彼女に謝罪する。何のための謝罪かは、正直分からない。けど、もう一緒にいられない。だから……。

 魔力は紡がれ魔法となり形をとる。そして放たれるその刹那。エルフ達の背後、上空。その空を埋め尽くす程の光が現れた。
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