斜陽街

日生ななめ

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三章 パンスペルミアの担い手

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 しゃきん、しゃきん。要が両手に収まった短い棒を交互に振り抜く。子気味いい金属音と共に三倍ほどの長さに伸びた警棒が、宮本武蔵の肖像画のようなシルエットを醸し出している。
「いつもの連結式じゃなく、スライド式ですか」
「そ。野良異能者と命削り合うバチバチの戦闘じゃない限り、こっちでいいだろって言われてさ」
 両の腕に構えた警棒を、拳を軸に一回転させる。初めて手にしたとは思えない程、見事に馴染んでいるようだった。

「それじゃあ、対暴漢の訓練と行こうか。斎藤君カモン」
 横の二人がこれ見よがしに安堵の息をつく。この野郎共……。
「タイマンに文句があるわけではないですが、折角人員も補充されている事ですし、志向を変えてみませんか?……例えば、3vs1とか」
 二人が殆ど同時に舌打ちを投げた。この馬鹿野郎共……
「おーおー、部下虐めて満足かい、えぇ? 戦闘員ショッカーはこうやって作られるってな」「お前、その姿勢でよく減らず口叩けるな」
 斎藤の横、あしもとで大の字に横たわる鰰を睨みつける。十数分前、自身が仕掛けた大外刈りで投げられた際、受け身も取らずに床に叩きつけられた時からずっとその姿勢を取っていた
「もう十分休んだだろ、立って動け、働け。でなきゃ亜人館に取り立てに向かわせるぞ」「はぁ~挙句の果てにはモノ質まで取りやがったよ、この公僕」悪態を吐きながらも鰰は一瞬だけ、瞳の中に怯えの色を浮かべた。
 そうして、文句を垂れながらも、凄まじい速さで立ち上がり、手を組んでぱきぱきと関節を鳴らし始める。そんなにあの柱時計が大事なのか。今は姿の見えない時計の元持ち主と、財団に協力を誓うこの少年。間にあるのはなんなんだろうな。斎藤は想像を巡らせる。

「さ、遥ちゃんも……」
「アッ、待って痛い! 腕痛い! 痛たたたた!」
「……要さん、技術部に連絡を。遥に幻肢痛が出たと」「……オッケー、科学班ならすぐにお薬処方してくれるよ」
 左腕を抑えてしゃがみ込む遥に冷ややかな視線を投げて、斎藤は要にアイコンタクトを取る。要も意図を組んで、悪戯っぽく歯を見せて笑った。折檻のため警棒を振るうでも、携帯を取り出し連絡を入れる訳でもなく、ドラマーがライブでパフォーマンスをするように、ふざけてロッドを回転させながら、二人で遥を覗き込む。
「しかし、財団支給の薬は副作用がきついと聞いていますが、大丈夫でしょうか」「あぁ~聞いた事あるよ~。味覚は鈍り、色彩は薄れ、震えは止まらないって奴でしょ~? それだったらただ叩かれ投げられで痛い方がまだマシだと思うんだけどね~」
「うぅわ、それは辛いだろうなぁ~、大人しく練習してた方がよっぽどマシだと思うんだけどなぁ~」
 ある事ない事適当に言い続けながら、二人並んで足元に転がる遥をじっと見つめる。タンクトップから覗く二の腕や、首筋に滲み始めた汗は、痛みによるものではないのだろう。
「あうぅ、痛み引っ込んだ、無事動ける大丈夫!」「一応、技術班の偉くて怖い人に連絡するのも出来るが?」「そうだよ~? ホントに痛いだったら無理しなくていいし~」要が普段見せないような、細く馬鹿にするような目線に驚く。
「いらんいらん! 何だよ怖がらせやがってド畜生が」
 立ち上がって薄く涙を浮かべながら、左腕をさする遥を尻目に、要の方へと向き直る。

「……さて、要さんが一人側でいいですよね」
「……いいよぉ。お手柔らかにねぇ」両手でドラムスティックをもてあそぶように回転させながら、要がウインクを返す。それはお茶目なつもりか?
「……ハンデはつけて貰えるん、すよね……?」気だるそうに、鰰が怯えた声で問いかける。
 ふーむ。要は目線を上に向け、顎をさする。少し考えるような仕草を取った後で、左手の警棒の回転を止め、伸ばしたままの警棒をその場にごとりと落とす。
「これじゃハンデにならないかな?」ウィンクしたまま片方の警棒を剣道のような姿勢で構えて、今度はシニカルな微笑みを漏らす。
「……異能は使ってもいいんだよな?」義手の指を一本ずつねじり、正しい動きを確かめるようにゆっくりと曲げながら、遥も質問を投げる。「接着してやるよ。ここで餓死させてやらァ」歯を見せ、目を剥き、鮫を思わせる凶悪な笑みを浮かばせる。
 要が再び考えるように首を傾げ、遥を真似するようにっと明るく歯を見せて笑った。「いいよぉ、使えるカード全部使ってかかってきなぁ~」「じゃさ、コレは?」これ? 斎藤が疑問を口にする前に、答えは鰰の掌の中に納まっていた。縦に横に、回っていた物を打ち上げて中空で。鰰も要を真似て、円盤のようにナイフをくるくると回転させている。
「先輩が凶器アリなんだ、俺も使えなきゃおかしいよな?」うち飛ばしたバタフライナイフが手のひらに収まる。きらりと鈍く光る刃を逆手に構え直し、あざ笑うように目を口元を歪ませ、くつくつと震えるように笑った。
「いいよぉ、ナイフ程度でビビるカナちゃん隊長じゃないしね! 斎藤君もメリケンサックくらい付けなよ、全員全力だ、かかってこい」
 要の顔には、未だ笑みが浮かんでいた。口調からは間延びした柔らかさが消え、鋭く不気味な雰囲気が滲みだし始める。
 
「……了解、斎藤副班以下2名、隊長の胸をお借りします……行くぞ!」

 号令から一拍の間を置いて、鰰がナイフを両手で握り直し、腰の辺りに構えて要に突進する。おいおい、暴漢の刺し方かよ。バタバタと突っこんでいく鰰を横から目線で追う。
「オラァ! 行っくぞオラァ!」「うぅわ、ドラマの刺し方じゃん……」
 同じような感想が出てきた事に、苦笑いを隠せない。要は立ち位置は変えず、脚を交差させ、体をひねるようにして鰰の攻撃を避ける。
「……うぅわ! よく見りゃそれ本物じゃんか! 殺す気⁉」要が勢いよく通過していったナイフに目を落とし、悲鳴を上げた。
 波状攻撃を仕掛けようと身構えて、要の方を向いて一瞬で体が強張る。
 要は悲鳴を上げただけで、顔は未だにこちらを向いていたし、別段驚いたような表情も見せていなかった。警棒の構えも解いていない。
 今突っ込んだら顎か、みぞおち突かれて悶絶コースだったな。

「刺されたって死なねえだろう、がッ!」
「刺された事なんか無いから分かんない、よっ!」ほとんど同時に、大きく振りかぶって二人はお互いの獲物を打ち付ける。かきぃん、と軽く鋭い音が道場に響き渡り、つば競り合いが始まる。
「遥、背後に回って俺と同時に突っ込め!」「え? あっ! 応ッ!」小柄で獲物も小さな鰰が、力負けして姿勢を崩し始めたのを見て、素早く短く遥に指示を下す。二人の組合に今度こそ介入すべく、勢い良く突進する。
「えぇ⁉ ちょっと待てまて待ってよっ……!」「おっ……⁉」
 ぱちり、と最早慣れた感覚と赤雷を持って、要が異能を発動させる。一瞬だけ光に包まれた視界と、前触れも無く響いた音に驚いた鰰が体をすくませ、ほんの少しだけ引き下がる。
「馬ッ鹿! 怯むな逃げろ! 死ぬぞ!」駆け足で近づきながら、鰰の様子を見て斎藤も悲鳴を上げる。
 一瞬の空白を置いて、要が曲芸を始める。
 引き下がった鰰に合わせ、体を押し込むように要も一歩足を踏み出す。双方、腕を動かすのも難しいほど密着した形になる。
 瞬間、要がアッパーカットの要領で腕を持ち上げる。二人の胴体の間を通り、三日月型の刃と鋼鉄製の棒が、ぎりぎりと硬い音を立てながら、ぱちぱちと瞬く赤い光にまとわれながら持ち上がっていく。
「ぅおっ!」勢いにつられて、鰰が背伸びした姿勢へとなる。腕がぴんと伸び切った所で、要は警棒を手放し、一昔前のゲームのバグのように、赤雷を伴いながら助走も付けず場所も動かさず、その場で見事な側転を見せる。
「顔ゴメン、カミ君!」突然目の前から要の顔が消え、入れ替わるように突然目の前に現れた要の足が現れる。
 至近距離で次々と巻き起こる要のアクロバットに、鰰は混乱したままなされるがままとなる。驚愕した表情のまま、あたふたするだけだったその顔に蹴りが入る。右足が顔面に華麗に刺さり、左足がナイフを握ったままの両手を弾く。
「遥ちゃん! ナイフそっち飛ぶよ! 気ィ付けて!」「はぁ⁉」鰰がうめき、よろめき、刃物をぽとりと手放すと同時に、要は逆立ちで身体を支えていた片腕をそのナイフに向け、赤雷を放つ。
 赤い稲妻に晒されたナイフが空中でぴたりと静止し、途端、ナイフが氷上を滑るように、空中をつつぅと、水平に渡っていく。
「あっぶ……!」遥が立ち止まり、顔の前で腕を交差させ、縮こまるように背を丸くする。「馬ッ鹿! その人当てる気無いからそのまま突っ込め!」思わず怯んだ遥に斎藤が絶叫する。
 要が腕をひねりながら体制を変え、こちらに背を向け、遥の方を向くのを確認して、足を一度突進の機動を変える。姿勢を低く保ち、要の背後に落ちる警棒に手を伸ばす。
 ナイフは斎藤が叫んだ通り、遥の横を掠めるように通過して、訓練場の壁に向けて落下していった。
 
 壁に刺さるまでの数秒の間に、様々な事が起こった。要が軽やかにその場を離れ、腕を解いた遥がおっかなびっくりファイティングポーズを取り、斎藤が警棒を拾い上げ、鰰が数歩よろめきながらその場に倒れ込む。

 遥が頑丈な左腕を伸ばした状態で突き出し、顎の横で拳を構えた、空手の正拳突き前のような姿勢で、要の突進を迎え撃つ。
「おっ、牙突?」「牙突なら逆でしょ!」要にツッコミを入れながら、遥は姿勢を整え、突進する要を真正面に捉える。微かに笑みを湛えた、余裕たっぷりの表情のまま、勢いそのままに向かってくる要に向けて、握り拳を突き込んだ。
「おお! いいパンチだけど、注意力は散漫!」
 健在の掌や腕とは比較にならない質量と硬度を持った鉄製の拳を、要は首を傾ける動きだけでするりといなし、その伸びきった腕にするりと手をかける。
「雑技団ってさ、名前の割に全然雑な技術じゃないよね。改名するべきだと思うんだ。よいしょっと!」左腕に置いた手に重心を傾け、足を振り子のような動作で空中に投げ出す。
 動き回りながら喋りまくって、よく噛まないよな。ディズニー映画のミュージカルシーンかよ。
 拾い上げた警棒を握り直し、少し考えてから背後に投げ捨てる。慣れない得物振り回した所で、隙を見て取り戻されるのがオチだろう。
「あ、ちょっと斎藤君! 人のものなんだから丁寧に使ってよね! ああ遥ちゃん腕振らないで! バランス崩したらきみも危ないよ!」
 投げ出した足によって支えを失い、床に転げ落ちるはずの要は、赤雷を纏い、体操競技のように腕を軸にして前回りのように体を回す。僅かなスペースしかない義手部分に、腕一本、逆立ちの姿勢で乗りあがる。猫が狭い所に潜り込むかの如く、流れるような一瞬の所作だった。
「うそ……」遥は自らの腕の上で片手逆立ちする要と、その要の体重を全く感じていないその状況に、呆然と声が漏れる。
「ほーんと。こんな風に操作出来るようになるまで、何年も滅茶苦茶努力したんだからね」
 逆立ちではなく、落ちる方向を分散させた状態で保つ事が大変だと言ってたな。大の字で寝そべる鰰を揺さぶりながら、要が言う通り雑技団もかくやの様相になった組み合いを横目で見やる。
「この技、結構体力使うの。ヤバくなったらすぐ言うね。すぐ降りるから着地狩りなり極め技なりでシメてもいーよ」「あ、はい……」
 逆立ちのまま、要がチーム全員を見回して、器用に腕一本だけで、腕の上での宙がえりを披露する。
 義手の上でしゃがみ込むような姿勢に変わった要の目は、鮮やかな血のような色で発光し、心臓の脈動に合わせてゆっくりと明滅を繰り返していた。
「そんで、どうする斎藤君? 人質一人出来上がりだ」「あ、この状況そういう事なの?」状況も、体勢も、何もかもが不釣り合いな姿勢のまま、要が斎藤の顔と遥の顔を交互に覗き込む。やや猫背気味にしゃがみ込んで、腕の上で静止し、深紅の瞳を細めてこちら側を覗き込んで来る様相は、梟を思わせる静かな獰猛さを感じさせた。

「……このまま待ちますよ。その状態(重力均衡)長持ちしないじゃないですか。待ってりゃ転げ落ちるか自分から降りるか、遥から反撃喰らって

「……模範解答だね、ネタばらししちゃうけど、もって……後、二十秒くらいかな……?」要の額にはじんわりと汗が滲んでいた。ほんの少し息が荒くなったのも見て取れる。上手に嘘が付ける人じゃない。異能者が狙って汗をかけるってんなら話は別だけど。
「さあ、二十秒、必死こいて作戦考えな!」「うう……!?」
 要が勇猛に吠えるのと同時に、鰰が顔を撫でさすりながら上体を起こし、鷹狩りのように要を腕に乗せた遥を見て、言葉を失う。
「なに……あれ……中国雑技団……?」「鰰、時間ないから早口で喋るけど、後十秒くらいで要さんはあの状態を解除しなきゃならなくならない。そのあと数秒は連続して異能も使えなくなるから、そこを逃さず皆で一緒に殴り掛かるぞ」よろめきながらもしっかりと立ち上がったのを確認して、斎藤は鰰の背中を叩く。
「勝って要さんに飯奢らせてやろうぜ」「訳が分からねぇんだが、勝算あるんだよ……な? なら乗った。丁度行ってみたい定食屋も見つけた事だしな」
 あと十秒。余裕たっぷりの微笑みを浮かべたまま、しゃがみ込み続ける要を睨みつける。
「あの~……あたしは……?」「……お前も合図までは動くな。もう絶対、どんな事があっても要さんをもう一度空へは行かせるな……!」ファイティングポーズを取りながら、身体側に寄せた  右手を握ったり、開いたりする動作を繰り返す。意図は伝わったようで、遥は少し顔の緩んだ表情でこくりと頷いた。
 あと五秒。各々が攻撃に備えて、構えを取り直す。斎藤はもう一度拳を握り直し、鰰はしゃがみ込んで履いているブーツの側面に手を伸ばし、要を腕に乗せたまま、遥は手持ち無沙汰だった右手の指をゆっくりと開き、バレないように要の背中側に寄せる。
「5……4……3」気がつけば、斎藤はぽつりぽつりとカウントダウンを呟いていた。自分の呟きと、時間の経過に合わせて、それぞれが自分の姿勢を、行動に最適な状態に微調整する。
「2……1……」「さあ……!」
 ゆっくりと瞳を閉じ、苦しくなるまで息を吐きだし、吸い込む。震える息を整える。
 薄暗く狭まった視界でも、要が不敵に微笑むのが見えた。
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