斜陽街

日生ななめ

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二章 われわれのいる意味

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だらだらと続く雑談を遮るように、突然、両腕を投げ出した少年が派手に咳きこんだ。もう絶叫も罵倒も飛んでこない。ぜひゅう、ぜひゅうとか細く乾いた呼吸が少年の喉を鳴らした。
 足元で弱り果てた少年と、驚いたような、呆けたような表情を浮かべる要を交互に見やる。要も同じように少年を見て、すぐに斎藤と目を合わせる。
 ふぅん、と無言で鼻を鳴らし、要がコートの内ポケットから財団支給の携帯を取り出すと、慣れた調子で手早くボタンを数個押し、耳に押し付ける。
「要さん、車呼ぶ前に、やることあるでしょ。部下増えたんです、いい加減認知してください」
「あ、そっか、二人も回収しなきゃね」要がはっとした様子で目を見開き、携帯電話を今度はズボンのポケットへと押し込む。ああ、これ後で無くしたって騒ぎだす奴だな。

「さて……音デカいからこれ嫌いだぜ」
 軽く顔をしかめながら、コートの腰部に備えられているバックパックに手を回し、筒に握り手が付いたような、非常に簡素な構造の拳銃と、緑色の紙で包装された筒を引っ張り出す。
 拳銃を中ほどでぽっきりと折り、銃口にぴったり収まる太さの筒を詰め込む。くの字に曲がった拳銃を、手首のスナップで元に戻し、軽く空中に放り投げる。

「さて……」空を舞った信号拳銃を再び手で持ち直して、片方の耳に人差し指を突っ込み、銃を持った反対側の二の腕を耳にぴったりと押し付けるようにして上に向ける。
「撃つよ、耳閉じて」「瞼みたいに言わないでください、耳は塞ぐものですよ」我ながら随分と理屈っぽい物言いだな。斎藤も両手で耳を瞬間、破裂音と共に要の拳銃から緑色の煙が立ち昇る。

「うえぇ、耳痛ぁ……」包装紙の弾け飛んだ筒を拳銃から取り外し、要が両耳をさする。
「電話出来そうですか?」「え? 何?」耳を塞いだまま要が呆けた顔を斎藤に向ける。ドリフじゃねぇんだから……
「コール、代わりにやっときます」「ああ、はいはいコールね! お願い!」胸ポケットから携帯を取り出して要に見せつける。老人のようなやり取りで要がうなずき、怪訝な顔を浮かべて胸のポケットをまさぐる。「携帯、ズボンのポッケに突っ込んでたじゃないですか、忘れましたか?」「……」要が恥ずかしそうに顔をほころばせ、ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、胸のポケットに戻した。

 登録していたボタンコールで事務局の番号を選択する。音質の悪いひび割れたコール音デイジー・ベルが鳴り、無機質な電子音声が呼び出し中だと告げる。
「あーあ、新人くんたち結局実戦には出せなかったね」耳を撫で擦りながら、要が残念そうな声を上げた。
「組手の回数増やしましょう」コール音はは急かすように鳴り続ける。
「実戦と練習は違うでしょ、遥ちゃんに全力パンチ出来る?」「自慢じゃないですが、出来ますよ。何ならあんただって出来るでしょ」皮肉ではなく、本心からそう言う。視界の端で、声も上げないまま、要が悲しそうな顔をするのが分かった。

 要がため気をつき、体を伸ばすのと、曲がり角から置いてけぼりにしてきた二人の顔が覗くタイミングが重なる。
「うわぁああ民間人虐待!」「まだ途中か⁉ 遥急いで写真取れ! ブン屋に高値で売り飛ばすぞ!」
「報道規制敷いてもらってんのにそんなことしたって意味無いでしょ。大体A市のどこにブン屋が居るのさ」「人類研究財団、異能研究課です、番号をどうぞ」
 電話の向こう側から透き通るような事務的な声が、通路の曲がり角からはふざけ半分の二人の声が、隣からは珍しく冷静なツッコミが、全てが重なって斎藤の耳に届く。

「……コールサイン8112。予定されていた異能者を該当の住宅付近で発見。同行は拒否されたので拘束済み。回収と引き上げを頼みたい。早く助けて」
 情報量の洪水に一瞬だけどう伝えるべきか思い悩み、やや私見の混じった報告を上げる。「浅野だろ? 早く、早く助けて」通話に出た相手の声の主に気が付き、悲鳴に近い心情を告げる。
「……なんだ、功介か。カナちゃん先輩なら話も弾んだんだが……」電話の向こう側のオペレーターがため息をつく。
「っと、間違えたわ。お疲れ様でございます、斎藤功介副隊長どの」電話の向こう側の男が、わざとらしくかしこまった口調で挨拶をやり直す。
「マジでやめてくれ、今日だけで散々いじられてるが、お前からのその扱いが一番応える」思えば、今日が副隊長としての初任務だった。そんな事すら忘れてしまうほどに濃密な時間を過ごしていた。

「はは、同期の中じゃお前が出世頭だ。もっと自信持てよ」
「こんな所で出世したっていい事はねぇよ。一年経っても給料もさして増えてねぇしな……いいからさっさと帰りの護送車手配してくれや」
 いつもの皮肉と変わらない口調で、しかし棘を抑えた柔らかい声で浅野を急かす。浅野は笑って受け取り、軽快にキーボードを叩く。人研財団に入る前から、二人の間に流れる空気感は変わってない。高校の頃からそうだったな。

「……おっと、喜べ。丁度副長が暇だ。あの人なら有事の対応も十分すぎるくらいだし、運転上手いから十五分で着くだろ」「……急かしてなんだが李人さんは嫌だわ、護衛は俺と要さんで十分足りるし。お前が来てくれ。これ以上空気読めねぇ陽気な人間が増えたら、本当に疲れる」
「よく言うぜ、俺免許持ってねぇの知ってんだろ。あー、ちょい待て待て……」嬉し気な声色で吐かれる悪態と、鍵盤を叩くかのような軽快さでキーボードを叩く音が耳に伝わる。この野郎、急な仕事に舞い上がりやがって。さては本当にヒマだったな?
「……笠原先輩……あ、江頭も空いてるわ。他は居ねぇ。三択だ」
「ああっクソ全部嫌だ! 笠原ちゃんと要さん一緒にしたらド修羅場完成して何話せばいいかわかんねぇし、エガ来られたらマジで胃に穴開く!」
「ははは、見事な役満じゃん」冗談めかして笑いながらも、浅野は手元の操作を辞めない。気遣いに満ちた柔らかい口調と、かたかたとリズミカルに奏でらるタイピング音が心地いい。
「……まあ、疲れ身にマシなの誰だと言われたら先輩だろ? 声かけといたよ。凍り付いた空気の中、昼寝でもしながらちんたら戻ってこい。じゃあな、お疲れさん」「ああ、ありがとう……」
電話がぷっつりと切れたのを確認し、携帯を畳む。

「あ、斎藤君連絡終わった~? 誰来るって~?」「ええ、今手配をッ……!?」

 気絶したままの少年を三人で輪になって、何故か祭り神輿のように胴上げをしながら、様子に気づいた要が顔をこちらに向ける。
「お、迎え来んの?」「え、今日これで終わり? 現場出動って思ったより終わるの早いんだね」遥、鰰も次々と顔を向ける。目線は外しても胴上げは続いていた。三人で生贄を囲み、ウィッカーマンに閉じ込める前の式典のように、鼻歌まじりにくるくると中空の少年の周囲を回りながら、落下してくる少年を受け止め、もう一度垂直に投げ上げる。
 三人の顔だけがこちらを向き、不思議そうな顔でじっと斎藤を見つめて来る。今まで見てきたどんな異能力より、豹変する要の表情よりも不気味な光景だった。

「……なんだ、これは……」声を絞り出す。俺は幻覚でも見ているのか? さっきの煙弾になんか入ってたのか? 
「いや、勝手に動かれるとやべぇって要が言うから」鰰が当然のことのように語る。
 仮に目覚められても、対処できない状況を作りたかったのだろう。腕も使えないまま、ほぼ空中に打ち上げられた状態。そりゃあどうしようもないわ。
「落としたらどうすんだ……」「要居るじゃん」
「ああ、うん。そうね」やや的外れの遥のツッコミに言い返す気力も無い。そりゃ重力自在人間が居りゃ落下事故の心配はないわな。
 ほんの数時間前、出頭要請の時に玄関の地べたに座り込むなと注意した手前、その場にへたり込むわけにも行かず、斎藤は呆然と、目の前で繰り広げられる儀式を眺めながら、その場に立ち立ちすくむしかなかった。
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