斜陽街

日生ななめ

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二章 われわれのいる意味

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 時間を見て胴上げを取りやめさせ、四人で大通りまで引きずるように連行し、護送車の到着を待つ。少年が目覚める事も、野次馬が現れることも、通行人や車の往来が来る事もなく、ゆっくりと時間が過ぎていった。
 中身も無いような雑談を交わしながら一五分程度待っていると、遠く道路の向こうにぽつりと小さく、見慣れた装甲付きのバスが見えた。


 歩道に付いた護送車の運転席に見知った先輩の顔が覗いた。よっしゃ。希望通り。バレないように小さく拳を振るう。
「お疲れ様、功介君。怪我なかった?」「ええ、お疲れさんです……怪我、というほどの物ではないですが、ジャケットは焼かれました」左腕を上げて茶色く変色した袖を見せる。焼かれた一張羅をまじまじと見ると、やはり気が滅入る。
「あーあ、それ結構着てたやつでしょ? 可哀想に……」「まあ、寿命だったと思って割り切りますよ」噓だ。失神させて、関節外したまま異能者をほったらかしにする程度にはまだ怒っている。意識すればするほど滲み出る、自分の矮小さに嫌気が差した。


「何、斎藤怪我してんの⁉ 運転手さん、湿布とか包帯とかない?」
「あ、後ろに救急箱あるよ。使って使って」運転手が素早くハンドル横のレバーを引くと、ゆっくりと護送車のバックドアが開く。
「ドアのすぐ脇にそのまま置いてあるよ、新人さん」「あ……あたし、遥って言います。えーっと……」
困惑した遥に向けてふふっ、と花が咲くように笑う。「笠原って言います。よろしくね、遥さん」「……はいっ! あ、救急箱これか……」
 バックドアに頭を突っ込んでいた遥が、旅行鞄ほどはありそうな、大きな救急箱を引っ張り出す。後付けの装甲板で角と線の目立つデザインの護送車から、ずるずると物々しく使い古された鞄が出てくる様子は、化け物の産卵のようで薄気味が悪い。
「お待たせ、怪我はどっち腕? 火傷だって?」「右手……だけど、なあ、痛みはそんなにないし、そこまでしなくても……」
「いいから! 体は大切にしろ、何にかけても大切にしろ」遥の硬い右腕が無事な方の腕を掴んだ。硬く冷たい、人の腕とは明らかに違う感触に軽く鳥肌が立つ。
「……、代えなんか効かねぇんだから」思わず覗き込んだ遥の真剣な表情と、キリキリと僅かな機械音と共に握り締められる上腕の痛みが、斎藤の心も締め上げた。
「……悪い、配慮が足りなかった」「……んーん、こっちもごめん。熱くなった」気恥ずかしそうに俯きながら、遥が慈母のような柔らかい微笑みを浮かべる。普段の快活で粗野な印象からは離れたその笑顔に、斎藤は自身の胸がどきりと脈打つのを感じた。


「じゃあ、手当てしちゃってる間に異能者も集積しちゃうね」意図を汲んで、黙って微笑んでくれていた笠原がそれだけ伝えた。
「あ、お願いします。要さんが異能者の監視に付いてるんで、使ってやってください」笠原は再びくすりと笑う。「了解。じゃあ、男の子の方の新人君、心配ないとは思うけど周辺警護お願いね」
 了解ーっす。鰰の相槌も待たずに、笠原は全開にしたドアからひらりと降り立つ。駆け足にも近しい速度で、足首まで隠れる長さの冷暗色のロングスカートと、艶めく黒髪を揺らしながら。両の手は腰の後ろに回し、時折背中まで届く長い髪を気にしながら、闘魚ベタのような優雅さを見せびらかすように、しなやかな所作で要へと歩み寄っていく。


「……綺麗な人だね、優しそうだし。ホントに財団員? どっかのスパイだったりしない?」
 ぎこちない所作で左腕に包帯を巻きつけながら、遥がさらりととんでもない事を漏らした。万が一にもスパイが入社でもしたら、李人さんと課長がその日のうちに殺すんだろうな。
「うんにゃ、ありゃ事情があんだろ。李人辺りの愛人だ」こいつは絶対正気じゃないな。下世話に笑う鰰を無視する。
「要さんや李人さん程じゃないけど、あの人も古株の一人だよ。それこそ同級生じゃなかったかな、二十七歳で」
「……待て、二十七!? あのゆるふわカナ野郎二十七っつったか!?」
「あ……そっか……世間一般の二十七歳ってもっと大人っぽいはず、だよね……」
 シニカルな態度もどこへやら、目を見開いて驚く鰰と、要と笠原を見比べ、ふぅんと鼻を鳴らして軽く俯く遥。対照的な二人の反応に笑いがこぼれる。ことごとく失礼な奴らだ。

「……あれ、かっしーじゃん。結構久しぶりじゃない? 元気してた?」
 しゃがみ込んで警棒で少年をつついていた要が、近づいてくるゆったりとしたシルエットに気がついて顔を上げ、満面の笑みを咲かせる。
「三週間くらいぶりですね、ちょっとだけお久しぶりです。お疲れ様、谷内さん」くすりと笑いながら、笠原が優しく、ゆっくりとした声で答えた。


「……まあ、あー、なんだ、その…………李人じゃなく、要の女だったな……えぁー……財団って社内恋愛OKだっけ?」
 今度は鰰がぎこちなく視線を回し、面白くなさそうに顔を逸らす。最後に斎藤の方を向いたその表情は、変わらず薄ら笑いを浮かべている。何の感情だその面は。
「そういえば、茜総長はそういうとこ結構緩いな……」収容所の研究員と警備員がで話し合っているのはよく見る光景だったし、オフィスから少し離れた駅前のレストランで見慣れた顔同士が会食しているのを目撃したこともある。腕を組み合いながら夜の街へと溶け込んでいく二人も見た事がある。
「いや、異能課の活動方針考えりゃ納得か……」
 少し考えて、斎藤はおもいつくする。休日に観光地へと走らせる車の中で、向かい合ってテーブルを挟んだディナーの席で、情事の済んだベットの上で。
 人と人との間であれば、ましてや親しい人間との狭間であればなおさら、秘密が漏れるタイミングなんかいくらでもある。黒澤さんなら外部の連中を信用しないだろうしな。


「マジか、今のうちに美人の異能者に媚売っとこ」
「いやいやいやいや、それはマジで止めて。洒落にならない」「嘘ウソ。信用されてないねぇ、俺」へらへらと笑いながら両手を広げて、冗談のようにしか聞こえない弁明を述べる。後で李人さんにチクろう、コレは流石に問題発言だ。
「えっ、じゃあ今朝のデート相手ってあの……笠原ちゃんっていう先輩なの……? えっ? じゃなかったらあんな仲いいのに別に恋人居るの……?」
 巻かれた包帯も放り出して、遥の方は頬を赤らめ口を両手で押さえ、ぼそぼそ、ぼそぼそとつぶやきを漏らす。あ、さてはこいつ、意外と初心だな?
「…………手ェ動かしながら驚いてくれるか? それからお前、それ二度と表で言うなよ?」二人が交際している場面を想像して、そしてそれが周知の事実である様を想像して、斎藤は軽い優越感を覚える。
 万が一、本当に二人が交際していたら、異能研究課は大荒れだろうな。要さんに優しくされてる夢見る女の子と、笠原先輩にからかわれてる童貞野郎チェリーども。合わせて何人死ぬかな?


「……想像してみな? さんだぞ? 人並みの常識と知識はある五歳児だぞ? あの人は誰に対しても、それこそ恋人にだってああ接するだろうよ」
 気が付いたように二人が目を見開く。
「……え、じゃああの甘々な笠原、先輩の……態度は……?」遥の表情は見る間に綻び、顔色は絵の具を垂らしたかのように青ざめていく。あ、こいつと趣味合いそう。二人の関係に気付いた時の自分を、鏡写しで見ているかのような態度に、斎藤は頬を緩ませる。
「マジかー……要がかー……そっかー……」遥はぽつぽつと呟きながら、包帯の端同士を結びつける。
「……ん、簡単だけど終わったよ。痛くないか試して」
「だから、元から痛くはなかったんだって……」皮肉を漏らしながらも、掌を回し、力を込めを数回繰り返す。包帯の下に塗られた軟膏のぬめりが気になるが、その程度だった。痛みも不全もない。いつも通りの右腕があった。
「……あの二人、見てて楽しいんだよ。邪魔しないで、のんびり見守ってやろうぜ」まくられた袖を戻しながら、二人の方へと交互に向き直り、にやりと笑いかける。気色の悪いにやけ顔を浮かべる遥と、ばつが悪そうに眉をひそめる鰰。相変わらず対照的だな。その反応が面白くて、斎藤の顔も綻ぶ。


「おぉい笠原よォ、着いたら起こせって胃言ったろうがよ……」突然、スライド式の後部ドアが力なくゆるゆると開き、目をこすりながらスーツの男が現れた。
 浅野が来てくれたのか⁉ 綻んだ顔から笑みがこぼれた。


 斎藤が仄かに抱いた小さな希望は、車の方向へと振り返ると同時に消し飛んだ。眠い目を擦ってはいるが、それを差し引いても鋭い雰囲気を保った顔と、色抜けした明るい髪色を見て、笑みがすとんと消え去る。
「あー……あ! お疲れさァん副隊長! 初仕事はどうだった!?」
 静寂と雲の影が覆っていた住宅街に、怒声にも似た声援が走る。なんでこの人寝起きでこんな声出るんだ。孫策かよ。
「あれ⁉ リッヒーも来たんだ! 視察? 試験? みたいなのあるんじゃなかったの⁉」
 要が陽光が射したように明るい表情を浮かべ、直前まで話していた笠原をほったらかしてはしゃぎながら李人に駆け寄って行く。そんな光景に今日一番の目眩が襲った。さらば静かな帰路、こんにちは遠足帰りみてぇな旅路。
「なぜ……何故居る、中澤李人……」手当から解放され、自由になった両手で顔を覆い、深く息をつきながら天を仰ぐ。は、ご愁傷様ぁ、横からへらへらとした鰰の声が届いた。
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