斜陽街

日生ななめ

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二章 われわれのいる意味

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「で、例のらんちきオバさんとはどうだったの? 出頭命令なんて聞きそうになかったけど」
 寂れきった住宅街を、三人は次の目的地に向けて行軍する。
 大きなため息を吐きながら、斎藤はジャケットの胸ポケットから小さく畳まれたプリントを取り出す。

「我ながら上手くやったと思うよ。弟さんと比較検証だとか、異能者の顕現条件は家系が関連しているのか調べたいとか、ある事ない事それらしく並べ上げてさ」ぶつくさと文句を呟きながら、畳まれたプリントを開いていく。プリントの右側には、小さな「小澤」の押印がついていた。
「おお、処刑宣告用紙。実物初めて見た」鰰は懐から携帯電話を取り出し、素早く斎藤の背中と肩から飛び出す皺まみれの撮影する。
「え……そんな風に言われてんのこれ」斎藤は振り返り、げんなりとした表情を二人に晒す。
「……話してきただけなのになんでそんな疲れてんのさ」
「そうだそうだ、座ってコーヒー付きで熟女と話しだけだろ? 役得、ご褒美、ボーナスタイムじゃねぇか、爆発しやがれ」「うわ、鰰きも」
 斎藤は目を伏せ、ため息を漏らす。
「……『弟をどうした』『弟を返せ』の一点張りだったよ。家族仲はともかく、姉弟関係は悪くないの知ってたから、出してハンコ押させた」
 鰰の顔から笑みが消えた。「…………『貴女と弟さんとの身柄を交換します』ってか? ホントに無い事まで、よくもまああの空気の中で言えたもんだな」薄目がちに、ぽつりと呟く。普段のように悪趣味を楽しむ様子にも、非道な提案に憤るようにも見えなかった。ふざけた態度と打って変わった同情的な目線に、斎藤は困惑する。
「……お疲れ様、副班長」空気を読んだのか、遥も慈しみの目を向ける。こっちの表情は見慣れたものだった。上手いところま付き合えた女の子たちに、人研財団だとばらした時に向けられる目線。憐憫と慈悲の混じった冷たく優しい視線。それと同じだった。


「……さぁ! 気ィ取り直して次行くぞ!」
 朝の湿った霧のように纏わりつく暗い空気を振り払うかのように、斎藤は無理して明るい声を出す。察したのか、遥と鰰が再びにやりと作り笑いを浮かべ、小さく頷く。ああ、情けない。年下に同情までされて。
「次の異能者は確実に武力行使で仕留めたい。これは異能者で確定だし、気性の荒い男だって聞いたから、武力行使の可能性も十分にある。今度は待機もさせないお前らにも働いてもらうぞ」
 そう語り、踵を返し歩き始めた斎藤を引き留めるかのように、三人の間に留まる淀んだ空気を切り裂くかのように、笛とドラムの楽しげなリズムが特徴の、数年前に流行したコメディドラマのオープニングテーマが鳴り響く。
「ナースのお仕事!? 古ッ!」驚いた遥が悲鳴にも似たツッコミを上げる。
「……嘘だろ……ここで要さん……来るのかよ……」斎藤の顔が一瞬で青ざめる。
「ああ、谷内専用の着信音なんだ。納得」
「ろくな事起こらないならないって事ね」
「……その通りだ。覚悟決めろ、こっからは疲れるぞ……」

 悲痛な面持ちで携帯電話を開き、通話ボタンを押す。電話の向こう側からは、轟々と風を切る音が聞こえた。
「……はい、斎藤です」「あ、みっけた。もう二秒くらいで合流するね」
 鋭く鳴り続ける風の音に混じって、聞きなれた少し高い優しい声が、運動で上ずった息のままで、柔らかい声色でそう告げる。
 ただそれだけのやり取りで、斎藤は全てを察する。
「……総員上空注意ィィ! 馬鹿が降ってくるぞォォ!」
 突然大声を上げた斎藤を呆然と見つめる二人の頭上から、三人のちょうど真ん中に収まるような位置目掛けて、凄まじい速度で黒い影が降り落ちてきた。
「きゃっ!」「うおっ!」
 怯えた遥がその場にしゃがみ込み、咄嗟に鰰がそれを庇うように覆いかぶさり、影が向かって行った方向へ叫ぶ。
「貴様何者だ! 反財団の一派か!」
「僕だが?」
 斎藤の隣に降り立った影の主が、目深に被ったフードに手をかけ、啖呵を切った鰰に顔を晒す。
めくれ上がる外套のフードと一緒に、もこもことした茶色の髪が柔らかく揺れ、その場に露草と野花の香りがふわりと広がる。
「……随分とおしゃれ決め込んでますね」
 着地した要の服装を確認し、斎藤は軽くため息をつく。
 灰色と紺色のツートンカラーのロングコートと、白いタートルネックのようなインナーに、お気に入りらしきスキニーパンツ。
 要の私服かと勘違いしたが、胸元に見慣れたエンブレムが刻まれている事に気が付き、財団の物だと悟る。悟ったうえで細部を観察してみると、荒事を想定した作りが見て取れた。
 
 変わった外套だと思っていたロングコートは、紺色の布地の各所に灰色の装甲が付けられた、現代仕様の鎧ともいうべき代物だった。
 丸みを帯びた装甲が肩や二の腕、わき腹を覆い、脇差のように腰に供えられた二本の警棒が、実践に備えた仕様である事を主張している。
 中に着込んでいたぴっちりと肌に張り付くような質感のインナーも、よく見れば、コートとは別のすべすべとした材質の装甲が細かに縫い付けられている、交戦想定の防具だった。
 頸の周りまで覆う装甲は細かく鱗状に分割され、要の激しい運動を阻害しないような作りとなっている。各所に追加装備を取り付ける為のクランクが設けられていたり、腰回りの布はジッパーで取り外しが出来るようになっていたりと、拡張性も高く見通されていた。

「すげぇ、FFみたい」遥が感嘆の声を上げる。
「FFか? メガテンの悪魔とかには居そうだがな。後ろどうなってる?」鰰がしげしげと要を観察する。
「あ、そうそう、見てよこれ」重装備の出で立ちながら、要の動きは普段と変わらない。その場でワルツを踊るようにくるりと弧を描く。
「技術班の皆が一番力入れたらしいの。刺繍とか印刷じゃなく、刻印だから汚れにも強いんだってさ」「何が?」斎藤の質問の答えは要の背中にあった。
 外套の背には、斎藤もよく知る剣と天秤を構えた女神のエンブレムが刻まれている。いぶし銀の線で描かれたその文様は、A市の薄い陽光の中でもきらきらと輝いていた。
「……異能研究課のマーク、ですか」「そ。カッコいいでしょ」
「支給品ですか?」
 文字通り財団を背負って立つ。その粋がカッコいいかどうかには触れず、思ってもいない質問で話を逸らす。
 支給品だというのなら朝一番に招集された時、李人から渡される筈だ。もしかしたら、(茜さん)局長辺りが生傷の多い要を心配して作らせた、執権乱用まがいの私物の可能性もある。
 斎藤の思惑に反して、要は首を傾げる。
「……支給品だよ……多分」「えぇ……多分?……」斎藤はすかさず突っ込む。こんな中学生みたいなコート、万が一にも私物だったらこいつと友達の縁切るぞ。
「さっきオフィス寄った時にさ、屋上の技術室ラボの人達に呼び止められちゃってさ。試作品一号完成したから着てけ着てけって。技術主任のクスノキちゃん、あと三着作らなきゃって張り切ってたよ」
「あ、俺達の分もあるんだ……」もう一度、要の格好をじろりと見回し、少しだけげんなりする。
 まさか、まさかとは思うが、お揃いなのか? 金の使い方間違えた中学生みたいなロングコートでお揃い? 俺嫌だぞ、こんなの着て仕事すんの。
「……わざわざ屋上までなんの用が?」
、入口まで降りる必要が無いから」
 斎藤のフォローに要がこくりと頷き、鰰が苦笑いを浮かべる。
「本当に空飛ぶんだな」「もちろん、飛行男は伊達じゃなくってよ」
 演劇のワンシーンのように胸に両手を当て、ウインクを織り交ながら笑いかける。

「さて……大丈夫だった? 臨時隊長のお仕事」緩やかだった要の表情が、硬く引き締まり、責任感に満ちた鋭いものに切り替わる。
「……教わった事を反復するだけです、特に問題はありませんでした。二人共、指示通りよく動いてくれますしね」
 斎藤も真剣な表情を浮かべ、要の顔をじっと見やる。微笑みは絶やしてはいないが、目は少しも笑っていない。
「お昼済んだ? 僕はラボで軽くお菓子ご馳走になってきちゃったけど、補給なしで戦闘行動とか大丈夫?」
「次の訪問先は異能持ちで確定の男です。食事後すぐ相手にするにはハードな相手です。俺達はともかく、後輩二人はキビキビ動いてはくれないでしょう」要の背中をまじまじと眺め続ける二人に目をやる。
「オッケー。じゃあ手筈通り、すっと済ませて護送車読んだら、帰って余りの時間でシエスタと決め込もうじゃん」ふふん、と鼻を鳴らし、要が3人を先導する。通り過ぎる直前、引き締まっていた目線が緩むのが見えた。
「あなたそれで二時間寝るじゃないですか……残業、嫌ですからね俺……」冗談めかした口調で、切実な願いを口にする。冗談に聞こえてたらいいな。
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