斜陽街

日生ななめ

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二章 われわれのいる意味

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「大丈夫なんだよな? 俺この後三十分で聞けること聞ける状態までしっかり回復してんだろうな?」
「だったらなんで常人なら死ぬ量の薬打ったのよ。だいぶ増えてきてるとはいえ、異能者のサンプルはまだまだ貴重なんだよ? ほんとに殺したらどうするつもりだったわけ?」
 フロアホールでエレベーターが来るのを待ちながら、李人と茜は世間話のように仕事について語り合う。
「カナはビルの四階から落ちたって死なねえだろ、奴もそれくらい硬かったんだって。異能に目覚めた時点で肉体がある程度頑丈になるの、さんざんいじくり倒して検証したじゃねえか」
「投薬で体調いじくりまわすのと、被験体一号おさななじみにゴム弾ぶつけて検証した物理的な強度、一緒にして考えないでよ。ドラクエだって魔法防御と物理防御は違うのよ」
 ため息まじりに茜が呟く。「そもそもさぁ、手錠とワイヤーだけで何とかならなかった訳? 締め落とした上で睡眠薬。こんなこと本部論理委員会のババア共にバレたらタダじゃおかないわよ」
「こないだの斎藤の件聞いたか? 図書館にいた不良の異能者。全身に血の散弾浴びて、むち打ちとミミズ腫れだらけだったとよ。既存装備だけでなんとかしろだと? 現場出て異能者とじゃれ合ってから言ってみな、あれでも足りないくらいだ。なんなら正当防衛で起訴できるぜ」
 愚痴を呟きながら、李人は思い出したように胸ポケットからくしゃくしゃになった銀色の紙箱を取り出し、茜に向けてちらつかせる。
「ダメ。財団は全フロア禁煙」「異能者と喫煙者に人権は無いってか、残酷なこった」不満たらたらと言った様子で、取り出した煙草を今度はズボンのポケットに突っ込む。殆ど同時に、エレベーターの階層表示が十五階で点滅し、ゆっくりとドアが開く。小さな密室が現れた。

 滑らかな音を立てながらエレベーターが下っていく。オフィス街の地下、財団が確保した異能者の収容施設と研究施設を兼ねた、巨大な地下シェルターへと降りていく。
「……異能者やつらは無罪であっても無力じゃない」
 李人がぽつりと漏らす。罪悪感に怯えながら、自分達の行いを正当化するかのような、卑屈な響きの混じった弱々しい声色だった。
「例え望まぬ天恵の力であっても、それを持つ者には相応の責任が伴う。そうだろ? それにな」「なにさ」うざったらそうに茜が李人を睨む。怯むことも、特に反応する事も無く、李人は続けた。
「あの異能はどう考えても異常だ。異能が異常、ってのもおかしな表現だが、とにかくあいつはヤバい。下手すりゃ財団の存続に関わって来るようなレベルの類だ」
 殺すなら今日だぞ。どうでもいいことのように、李人は最後にそう付け加えた。
「……」再び茜がため息をつく。屁理屈と暴力ばかりの幼馴染に呆れたというより、望まぬ力を得てしまった罪の無い市民に同情するかのような態度だった。
 凍りついた空気の中、エレベーターの階層表示が地下七皆で点滅し、ゆっくりとドアが開かれる。

 扉が開いた瞬間、地下特有のまとわりつくような冷たい湿気と、黒い生地に緑のアクセントが入った、ロングコートの制服に身を包んだ二人が敬礼で二人を迎えた。
「お疲れ様です。黒澤課長、中澤班長。面会の用意は完了しております」やや事務的な労わりの言葉と同時に、背の低い方の警備員が遥に厚手の防寒具を差し出す。
「異能が感染する可能性と、未だ対象の異能を測定中である事。それから、、事情聴取は十分以内でお願いします」
 簡素な説明をしながら、ジャケットを受け取り、案内に続こうとする李人を、髪の長い方の警備員が引き留める。
「李人班長。ここから先の立ち入りは……」
「ああ、はいはい分かってますって。俺の事ボディチェックしたって意味無いの知ってんだろ? ご苦労なこった……」
「形式だけでも必要なのですよ。大抵の人は食事の時に手を合わせるではないですか。しょくひんになった動植物に心の底から感謝などしている人間が、幾らもいるわけではないのに」
 屁理屈をこねる警備員に肩を空かしながら、両腿に取り付けていた四角形のホルスターを取り外し床に落とす。両胸のポケットから鞘に入った小ぶりの鉈を二本、腰から包丁を細くしたような形状のナイフを一本、踊るような、流れるような仕草で床に落としていく。
「マチェット二つ、牛刀型一つ。ダガーがホルスター二つに六つずつ。まあ、。研究班にはホルスターと鞘は事務所に届けるよう言ってくれ。いつもと同じだ」
 振り落としたナイフには一瞥もせずに、防寒着を翼のように翻して肩に羽織り、フロアの奥へと消えていく。先行ってるぞ。
「ちょっと前のガンダムでさ、こんなコンセプトの奴居たよね。刃物七本片っ端から使いつぶす奴」名前は出てこなかった。
「変革の為になすべき事がある、ってやつですね。私達の職場は見ての通り地下室ですが、地下勤務の末端職員でも、いつかは天上人ソレスタルビーイングになれるでしょうか」
「……それは、あたしたち次第だね。君も胸を張って財団員だって自慢出来るような未来を、頑張って作ってみせるよ」ぽつりと漏らした冗談に応じた長身の警備員に、ウインクと小さなお辞儀で礼を返し、茜も李人に続く。



 迷路のように入り組んだ隔離フロアの一角、「AB-303」と番号の振られた鋼鉄製の扉の前で、並んで開錠を待つ。
アブノーマライズabnormalize専用、三〇三号室。おっかねぇよな。一〇一号室の三倍の恐怖って訳だ」
「しょうもない事言ってないで質問内容とか纏めなよ……」そこで何かに気づいた茜が、はっとしたように目を見開き、舌打ちを漏らす。「さっきの子達、室内何℃って言ってたっけ⁉」
。いそいそと用意してた胸ポケットのボールペン、使えないだろうな」「先言ってよ!」
 李人が吹き出す。「なんだ、俺の事メモ帳代わりにするつもりじゃなかったのか? 
 ひゅう。渇いた口笛が地下室に響いた。「流石、図書館人間カメラアイは伊達じゃないね。試してもいい? ずーっと昔にカナちゃんとあたしと一緒に遺跡探検に行った時に、カナちゃんが持ってた絵本、覚えてる?」

「タイトルは『ドラゴンとお姫様』。一九四八年に講談社から出版。カナが持ってたのは初版で、以降の版とは劇中に出てくる敵役のドラゴンの色が違う。カナはこの本を定価780円で購入し、多分今も持ってる。……ついでに言うとこの質問は二回目。カナが異能者だって判った時にも聞かれて、今のと全く同じ答えを教えた」
 即答に近い速さで李人は答える。つらつらと、ノートに書かれた詩を読み解くように、語る。口調も、表情もまるで生気が感じられない。輝かしい思い出に浸るようにも、辛い記憶を必死に思い出しているようにも見えない。
「もう一個。二〇〇三年五月二十五日の、大森山小学校の給食のメニューは?」「コッペパン、牛乳、ABCスープと白菜とレモンのソテー、ささみのフライ。栄養値は前日の献立に引き続きやや塩分過多。要はソテーを残し、お前はスープを二杯おかわりした」
「大丈夫っぽいね」「まあね」
 そのやりとりを鍵としたかのように、大きな音でがちゃん、と音が響き、三〇三号室が解放される。畳一枚程度の小さなドアが、ゆっくりと上に引き上がっていく。
 扉の隙間から煙のような白い冷気と、雨の日のような湿った臭いが溢れ出す。眩い光を放つタイル状の照明が、壁、床、天井に隙間なく配置された、宇宙船の内部のような収容室が姿を現す。

 部屋の中心にある椅子には、二人が着込んだものと同じ防寒具に身を包み、アイマスクとイヤーカフで感覚を、古風な革製の手枷と足枷で身動きを封じられた青年が腰をかけていた。
「……寒いね」「異能封じに効果あるかと思ってたが、ここまで覿面とはな」
俯いていた青年が、ゆっくりと前を向く。見えも聞こえもしない筈だが、気配は感じたのか、アイマスクをかけられた顔で二人が居る方向を見据える。

「見えてる……?」歩みを進めていた茜が、青年の首の動きに連動するかのように半歩引き下がる。
「あんな派手にガチャガチャ鍵外してりゃ、耳栓目隠ししててもわかるって。ビビり過ぎだぜ? 総長サンよ」
 青年のイヤーカフを乱雑に剝ぎ取り、耳元で何回か指を鳴らす。
「ヘイ異能力者、感覚は生きてるか? 会話はできるか?」
「……高架下で、俺とケンカした人だよね」
 やや掠れた声で、青年が返事を返す。状況に見合わず、落ち着き払った様子でぽつりと、そう呟く。
「一度名乗った筈だが、記憶力は大丈夫か? 何度も自己紹介が必要か? 聞きたいことが山ほどある。面倒くさいんで聞くだけ聞くから、パッパと答えてもらうぞ、小澤開斗」
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