斜陽街

日生ななめ

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一章 学生、古物商、聖職者

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 淡々と喋る要以外、その場にいる全員が文字通り三者三様の反応を示した。
 斎藤はこれ以上ないほど顔をしかめる。悪趣味じゃないって? これ以上ない程性悪じゃないか。自分の喪った部分にくっついている、断ち切られた他人の腕や足の感覚を想像し、背中に冷たいものが走るのを感じた。アニメ映画の題材だ。勝手に動く呪われた右腕に苦しめられる若武者を、金曜日の映画番組で何度も見てきた事を思い出す。
 遥は罪悪感と嫌悪感、それに勝るとも劣らない好奇心が混ざった、何とも言えない切なげな表情を浮かべる。肘の関節十数センチ先で切られ、露出した骨を包むように丸くなっている左腕をじっと眺めると、泣き出してしまいそうな、笑い飛ばしてしまうような、くしゃくしゃの表情に変わっていく。
 豪太は皺が寄った眉間を片手で押さえ、ふうっ、と鋭く息を吐いた。石像のような厳めしい表情のままロビーの天井を仰ぎ、何かしらぶつぶつと呟くと、ゆっくりと手を下ろして再び要と目を合わせる。その瞳から怒りの色が消えてないことに、斎藤は気が付いた。

 困惑、期待、嫌悪。様々な感情が入り混じった空間に、不思議な沈黙が流れた。僅かに上ずった遥の吐息と、ため息のように漏れる豪太の鼻息が、沈黙をゆっくりと破っていく。
「冒涜もいい所だな」豪太が呆れ果てた様子で肩をすくめる。「拉致、監禁、人体実験。それに加えて自首した異能者を四肢切断して、それを義肢にして売るって? 平家にあらずんば人にあらず。人研財団のスタッフ以外は全員実験材料に見えてんのか?」
 豪太の話の最中、要がだらりと降ろしたままの手を動かした。人差し指、親指、パー。サインの意図を組んで、斎藤も静かにうなづく。
「モラルと道徳の話は今してないよ。僕が聞いてんのは、喪った手足をもう一度生やしたいかどうかだけ」飄々と要は語る。
「もっと言うと、五体満足の豪太君には聞いてないかな。ねぇ、遥ちゃん?」豪太の陰に隠れ、黙って顔を伏せていた遥がびくりと体を震わせる。要が豪太の向こう側からこちらを見ている事に気がつくと、慌てて顔を伏せた。
「ねえ、遥ちゃん」くりくりとした目を見開いて、今度は要がゆっくりと遥に近づく。豪快な大型獣の威嚇と、慎重な小動物の狩り。二人の動作は対照的だった。

「おい、遥に近づくんじゃ……!」「押さえろ、斎藤功介」
 要に向けて伸ばされた腕を、合図と共に斎藤が反射的に掴む。
 バルブをひねるように、豪太の手を回転させる。豪太の顔が痛みで歪んだ事を確認すると、そのまま全力で手前に引き寄せる。バランスを崩し、前かがみのような姿勢になった豪太のみぞおちに空いた左手を軽く押し当て、深呼吸と同時に弾丸を放つようなイメージで力を込め、打ち込む。
 ぐあ、豪太が唸り声を上げた。体から力が抜けるのを、手のひらから感じる。すかさず、相手の手を放さないように気を付けながら、腕を素早く豪太の背後に持っていく。多少強引に腕を肩甲骨の間にはめるように宛がい、耳元に口を寄せる。
「班長命令だ、ちょっと黙っててください」震える手と罪悪感でくぐもった声を必死で押し殺し、囁く。
「要さんにあなたをどうこうする気は無いと思います。佐々木さんをクラブU5から引き剝がす計画も、全部出まかせですよ。口下手のせいでうまく伝わってないかと思いますが、実働部隊って意外と暇ですし、十分練習の時間は取れると思いますよ」
 豪太が文字通り目を丸くする。こういう玩具あったよな、タンバリン持ったやたらうるさい猿。
 演技の下手そうな豪太が余計な事を漏らす前に、曲がった膝に軽く蹴りを入れ、無理やり膝立ちの状態に持っていく。
「豪太ッ!」遥が声を上げ、豪太に駆け寄る。パーカーもボトルも放り出して、コースの上で見せた見事なスタートダッシュを決める。その姿には階段で出くわした時の等身大の可愛らしさも、練習中に遠くから見た戦士のような気高さも見られなかった。義肢装具者でも競技者でも、異能者でもない、どこにでもいる普通の少女がそこにいた。

 よし、食らいついた! 斎藤は内心、ほくそ笑む。かなり荒い手ではあったが、ずっと何か言いたげに黙っていた遥から、喚く豪太を引き離し、殻の無い自由な状態にする事が出来た。
 さあ、反論、同意、罵倒し放題だぞ。言いたいこと言いまくっちまえ。

「ストップ」がしゃん。メカニカルな音がロビーに響いた。いつの間にか要の手に握られていた警棒が、走り出した遥の目の前に突き出される。
「助けたいなら黙って聞いて、話聞くのも嫌だって言うなら、豪太君ごと真っ直ぐ収容所に連れてく」あれ。演技に見えんぞ、要さん。
 遥にばれない程度に極めた腕抑えを緩めながら、内心で悪態をつく。
 遥は声もなく、潤んだ目で要を睨み付ける。それを一応の了承と踏んだのか、要は警棒を少しだけ降ろして、再び話し始める。
「僕らが非収容異能者遥ちゃんに要求する条件は二つ。一つはさっき聞いてもらった義手の臨床実験、およびそのテスター。遥ちゃんがテストして問題が無かったら、義肢は量産して、すぐにクラブU5に届けさせる」
「うわ、きったねぇ……」いきなり非収容異能者それ引き合いに出すのか。回りくどく威圧的な要の言葉に、酷く腹が立つ。
「同感だ」クラブU5から引き剝がされるわけではない。それが分かって安心したのか、僅かに冷静さを取り戻した豪太がぽつりと呟く。

「君が市内で普通に生活出来てるのは、誰の恩赦のおかげかな? 別に僕らに歯向かって実験体になっても、一切構わないけどね」とかの脅し文句の方が、本心むき出しな分何倍も良心的だ。

「さ、決めて。収用区行きからの実験体か、特典付きで実働部隊のアルバイトか」焦りから来る脂汗か、恐怖から来る涙か、遥の頬にぽろりと小粒の水滴が伝っているのが、少し離れた斎藤の目にも見えた。「……こっちの事は気にすんな、練習の時間は取らせる」すがるように見つめられた豪太が、その責任から逃げるように首を振る。
「許可は出したぞ。後はお前が決めればいい」目を伏せ、悟ったような口調で、ぽつりと呟いた。

 賑やかな沈黙が流れた。グラウンドから鳴るスタートホイッスルの音、競技場を外周する何処かの部員たちの足音、遠くから僅かに聞こえた、金属バットでボールを打つ甲高い音。
「……要」「うん?」
 瞬間、要の頬を透明な鈍器が襲った。遥の左手がこめかみのやや下辺りを狙ったのが、妙にゆっくりとした映像で、目から流れ込んでくる。

 拳がぶつかる瞬間、遥の口が隣に居なければ聞こえないような小さな動きで「ふざけるな」と動くのを、要は見逃さなかった。

 ごす、と鈍く湿った音が、沈黙を切り裂いた。殴った経験も、殴られた経験もある斎藤から見ても、見事なフックパンチだった。
──打ち方とか構えとか、しっかり教えたら輝く逸材だろうな──いや、そうじゃなくって。
「要さん!」「馬っ鹿、痛え痛え!」豪太の動きを止める役目も忘れ、右腕を掴んだまま体を乗り出す。いびつな状態に歪んだ右腕に、豪太が悲鳴をあげる。
姿勢を崩した要が、じわじわと赤黒く腫れだした頬も厭わず、無言で平手を突き出す。大丈夫だという事なのだろう。
「そもそもこれが厄介ごとの始まりだったんだな」
遥はじっと左腕を見つめると、突然、前腕を力強く鷲掴みにした。そのままゆっくりとバイクのアクセルをひねるように回す。
 かちん、と子気味いい音がなり、ロックの外れた左腕が、ゆっくりと肘の少し下辺りから離れていく。
 時代劇の用心棒が日本刀を抜くように、パーカーの袖口からゆっくりと引き抜くと、乱雑に右肩に担ぎ上げる。
「……こんな形で悪いけど、左腕これ、返すわ。財団由来の品だってんなら、返品もお前ら当てで大丈夫だよな?」「……うん、しっかり受け取った」
 ゆっくりと立ち上がり、腕を受け取らんと手を伸ばす要に、気まずそうな顔で遥が応じる。

「いや、今じゃなくて、後でな。家に予備機もあるし、これは今日もまだ使いたいし。そのうち事務所の方に向かうから、その時にでもいいか? 新しい義手の話も、その時詳しく聞かせてよ」「……ご決断、感謝致します」
 意図を汲んだ要が、片膝を着いたまま深く頭を下げる。土下座みてぇだな。情けない格好の要を目の当たりにしても、胸中に嘲笑も憐憫も湧かないのが不思議だった。
「おい、遥がああ言ってんだ、もういいだろ、手ェ離せ」「あ、すまん」
 思わず手を放してしまう。猛獣のように息巻いていた豪太は、今やすっかり意気消沈していた。

「……糞野郎共め」聞こえよがしに放たれた豪太のつぶやきが刺さる。逃げるように伏せた瞼で視界が霞んだ。ああ、俺たちはどうやって償えばいいんだろう。頭の中で問いかけが反響する。
「……ここまで身勝手したんです、もう後には引けません。必ず、僕たちが異能の謎を解明させます」
答えは思いもよらない場所から放たれた。警棒を畳みながら凛とした声で語る要が、斎藤の目には聖者のように写った。
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