斜陽街

日生ななめ

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一章 学生、古物商、聖職者

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「後の事は追って連絡させていただきます。搬入の方もご希望通りに。安心して搬入をお待ちください」
「拉致監禁、人体実験、財産の違法回収。組織犯罪の見本市みてぇな奴らの言う事に安心しろって? 全面協力宣言の有効期限切れたら、どうなるか今から楽しみだ」ぼろぼろの門の前で、二人が言葉を交わす。珍しく実直な口調の要と、減らず口を叩き続ける鰰。
 さっきから見てれば、この人達、あの屋敷の中で、よくこうもべらべらと喋れるな。
 屋敷に立ち入ってから、鰰と契約を取り付け、こうして出て来るまで斎藤はまともに口を開いていない。屋敷の放つ生暖かくおどろおどろしい空気と、鰰が纏う鋭い雰囲気が、斎藤の口を封じていた。
 お前は喋るな。一人と一棟に、そう釘を刺されているようで、ずっと鳥肌がたったままだった。ふわりと繁華街に吹く乾いた風が、体中の冷や汗を乾かしていく。
 それにしても、なんなんだ例のブツって。なんなんだこの店は。俺のイメージした古物商とまるで違うぞ。ダンディな初老の紳士が店主じゃないのかよ。なんでこんなに氷みたいな雰囲気にさらされなきゃいけないんだ。
 疑問と文句は尽きなかったが、斎藤はそれを飲み込む。思ったことをべらべらと吐き出す程、俺は子供じゃない。
「お前さん方、この後も仕事だろ? 野良猫のように縄張りを巡回するのか、猟犬のように異能狩りでもすんのか」
「旅人のように訪ねて周るんだ。人研財団に用がある人を」
 ひゅう、鰰の口笛が空を切る。「変わり者もいるもんだな」
 どの口が言うか。何度目かの皮肉が胸に浮かぶ。

「へんてこだけど、素敵な人だったね」亜人館のぼろぼろの門と、気だるげに手を振る鰰を背に、二人は再び繁華街を行く。
「どの口が言うか、って感じですけど」今度の皮肉ははっきりと口に出す。
 あんな奴と一緒に仕事。考えるだけで胃がきりきりと痛む。第二選考辺りで弾かれてくれないかとも考えたが、李人の命令で要が出てきている時点で、これが実質的な最終選考であると気がつき、小さく絶望する。
「えへへ、すてきかなぁ僕、ありがとね斎藤君」要が両手で頬を抑える。天真爛漫な表情と、無垢な態度が本当に癪に障る。
「それで、鰰の次は誰を訪ねるんですか? 学生? 聖職者? それとも時間も時間ですし、飯にしますか?」苛立ちを飲み込み、先を行く要の横に並ぶ。何気にこの人歩くの早いんだよ。
「うん、次はハルカちゃん……学生さんを当たろう、あの子なら鰰君と違って素直だからやりやすいはずだ」
「それは助かります」本当だろうな? 斎藤は半信半疑だった。
 異能力者を二手に分かれて挟み撃ちにすると言ってたのを鵜呑みにしていたら、追いかけっこに夢中になった要が作戦を忘れ、結局一人で追い込んで捕まえてしまった事もある。
 捕獲対象が異能力で作ったトラップを、その存在に気が付いた上で「面白そう!」と真正面からわざと引っかかりに行った事もある。
 技術や能力は頼りになるが、本人の行動や態度は信用ならない。斎藤の要に対する最終的な評価がそれだった。部下が出来たら、班長との付き合い方の好例として教えた方がいいかもしれないな。
「それじゃあ、行こう! 次は矢橋陸上競技場で待ち合わせだ!」要がジャングルに向かう探検隊の隊長のように、ポーズを取って人差し指を立てる。
「え? 待ってください、陸トラ? 大学のキャンバスに向かうとか、ファミレスで待ち合わせとかじゃなくって?」
そいつ、ホントに学生か? またとんでもない奴じゃないだろうな?

「なんか音楽流そうよ、ただ競技場まで歩くの、退屈」繁華街から大通りに出て十分もしないうちに、要が駄々をこね始める。
 面倒くさい女子高生かよ。並んで歩く要を追い越して、運動公園に続く道を進む。
「ヘッドホンもイヤフォンもないのに、音楽なんて垂れ流して歩いたら迷惑でしょうが」実体験である事は黙っておく。学生時代、部活帰りの仲間たちと人目も気にせず、大音量でスピーカーから音楽を流しながら帰ったのは迷惑であり、良き思い出だった。
「別にいいでしょ、どうせ誰も歩いてないんだし」要がうんざりと言った表情で両手を広げる。天気も良く、ゲームショップやラーメン屋などの簡素な商店が立ち並ぶ国道だが、車道に車の往来があるのみで、人の通りは殆どない。
別段、A市では珍しい光景でもない。平日昼間の街を見ていると、人口三十万人の統計も虚偽報告なんじゃないかと思えてくる。
「仮に道に人が居なくても、人研財団の実働隊がそんな愚連隊みたいなことなんてできませんよ」
「異能研究課なんて元々愚連隊みたいなもんじゃん、誰かとすれ違うことだってないんだしさ」
 喚きながら、要は携帯をポケットから取り出し、画面の上で指を走らせている。もう止めても無駄だろう。斎藤は観念して、要の路上音楽鑑賞に付き合う事にする。
「続きまして、ペンネームT.Kさんのリクエスト、UVERworldで『僕の言葉ではない、これは僕たちの言葉』です。それでは、どうぞ!」
 ラジオのDJのつもりかよ、小さく鼻で笑う。一応の配慮はしたのか、控えめな音量で流れ始めたギターの音色に、斎藤も耳を傾ける。



「……遅くね?」待ち合わせの前に昼ご飯を済ませようと、急いで買って来たチキンサンドの最後の一口を頬張りながら、あたしはとうとう、少し離れて座る豪太に不平を漏らす。
「休憩中にちょっと時間貰うって話だよな? もう三十分経つぞ?」競技場の非常階段に腰掛け、この季節にしては少し強すぎる日差しから肌を守る憩いの時間も、こうして長く続けばただ退屈でしか無くなる。ああ、早く走りたい。
「おかしいな……」豪太が不安そうに呟く。所々ガサツな癖に、判断が必要な所できっぱりと言い切る、直感の判断力の化身みたいな豪太が、こんな態度をするのは珍しい。こいつも流石に人研財団は怖いのかな?
「『世の中のすべてにイラついてます』って顔に書いてるノッポと、天真爛漫、純粋無垢な幼女みたいなチビ男が、ケンカしながらやってくるから、そいつらに声を掛けろって、李人から教わってたんだがな」
酷くあやふやな前情報に、大きくため息をつく。「そいつから名前とか聞かなかったの? そんなんで解るわけ、な──」もう練習に戻ろうか。そう思って膝に力を込めたのと、非常階段の影から談笑する二人の男が出てくるのは、まったく同時だった。


「ですよねぇ! サビ直前のシンセとボーカルの高音がもう最高に歌詞とマッチしてるっていうか──」
「わかるわかる! これ元はアニメの主題歌だったんだけど、そっちともすっごい歌詞がマッチしててさぁ!」
「あぁ~、この歌詞でアニメかぁ~! どうせ暗い話なんだろうけ気になるぅ! なんて言うタイトルなんすか?」


「顔の怖いノッポと、かわいいチビ男の、ケンカ……?」「音楽性の違いについて語り合ってんだろ、解散寸前のバンドでよく見られる光景だな」やや見当違いの考察を呟くと、豪太は待たされた鬱憤を晴らすように、勢い良く立ち上がる。コンクリートの階段から足踏みの振動がビリビリと伝わり、豪太に弾かれた空気の塊が、勢い良く体の横を通り抜ける。猛獣か何かかこいつは。
「あー、おい、お前ら、人研財団の下っ端か?」
「……下っ端かどうかはともかく、人研財団の者なのは確かです」
 男たちが足を止めた。緊張しているわけじゃなかったけど、心臓がゆっくりと高鳴っていくのが分かる。ああ、それじゃあ、この人達がそうなんだ。例の人さらいなんだ。
 雑に呼び止められたせいで、不信感を抱いたままゆっくりと振り向く二人の顔を、まじまじと見つめる。
背の高い方は、ジャケットと切りそろえた短髪が似合う、精悍な若武者みたいな横顔の青年だった。歴史ドラマで武将役をやっても違和感がない。棘のある雰囲気を纏っている。
 小さい方は、少し癖のある薄い色のミディアムヘアと丸っこい横顔が可愛い、男の子のような人だった。サイズの大きいカーディガンが醸し出すシルエットと、ステップを踏むように歩く姿は、確かに女の子みたいだ。
 相手は巨漢とチビ。こちら側も巨漢とチビ。なんだこりゃ。背比べ対決のチーム戦か?
「お昼時に待たせてごめんね、すぐ終わらせちゃうから」落ち着いた声で呟いて、こちらに向き直るチビ男の顔に驚く。くりっとした大きな瞳、一挙一動ごとに僅かに首を傾げる仕草。あたしはこいつを知っている。
「嘘っ⁉ 要じゃん!」「そうだよ、要だよ! こんにちは、ハルカちゃん」両手でピースサインを取って、にぱっと笑顔を浮かべる。 なるほど、確かに幼女だ。この人、怖いだけじゃないんだな。
 財団の地下研究室でチャラくて偉い人と一緒に、刺し貫くような目でガラス張りの実験室を見ていた青年の面影は、今目の前にいる少年のような男には見られない。
「お外で会うのは始めてだね、いつも実験ブースのガラス越しか、リッヒーを通しての伝言ばっかりだったから」
「お知り合いでしたか」要の隣のノッポが口を開く。喉が渇いてるのか、それともあたしの容姿に・・・・・・・緊張しているのか。少し高い声がひび割れている。もったいない。本調子ならもっと絵になるのに。
「うん、ハルカちゃんは非収容異能者だからね」
「は、はあ、そんなもんですか」ノッポが初対面でもそれと分かる、正直すぎる困惑の表情を浮かべる。こいつ、職員の癖に被収容異能者(あたしら)の事、大して勉強してきてないな。


 被収容異能者。斎藤は必死に記憶を反芻する。思い出せ、思い出せ。俺の脳は牛の胃。記憶を吐き戻せ。
「──異能者の反乱、暴走の危険性が極めて低く、異能そのものも研究資料としての価値が認められない場合、市内での保護観察処分に当てるものとする」階段に腰かけた少女が教科書を読み上げるように、すらすらと何かの文面を述べる。
「良く暗記してるね、偉いよ遥ちゃん」要がぱちぱちと軽く手を叩く。「でも、斎藤君はもっと勉強しなきゃ駄目だよ?」教師かよ、斎藤はむっとする。
「人研財団なのに勉強してないの? ノッポ君」斎藤は再びむっとする。この子、意外と生意気だな。軽く日に焼かれた褐色の肌に、薄手のランニングウェアが良く映える。パッチリと見開かれた四白眼気味の目と、つやつやと光るボブカットが可愛らしい、活発そうな雰囲気の少女だった。よく鍛えられた四肢も──

 その四肢の違和感に気が付き、呆然と固まる斎藤目掛けて、少女が階段を舞い降りる。
「あたし、遥。佐々木遥。春に香るとか、晴れに香るとかのオシャレな字面じゃなく、シンプルに「遥かなる旅路」とかの方の漢字ね」
「俺は斎藤功介、成功の功に紹介の介で、功介。シンプルな名前同士、これからもよろしく」一瞬だけ、斎藤は悩んだ。こうゆう人との握手は、どうするのが正解なんだろう。
「ええと、よろしく」悩んで、右手を突き出す。利き手なんだし、不快にはならないだろう。
 
 少女がふふんと、不機嫌な子犬のように鼻を鳴らした。「こうなって五年近いんだぞ、いまさら気になんてしないよ、遠慮することないって」胸中を見透かしたような一言に、心臓が一気に高鳴る。悟ったような、同情するような、爽やかな微笑みのままに、少女は手の甲を叩きつけるように左手・・を差し出した。驚いて反射的にその手を握ってしまう。
 ぎぎっ、かちゃり。筋肉の役割を果たすであろう、内部機構の乾いた音が、その左手が偽物だと告げる。プラスチックらしき透明な外装は、少女の体温が移ってほのかに生暖かかい。職人の手で磨き上げられたであろう、滑らかな感触がリアルに伝わる。
「義手との握手は始めて? おにーさん」いたずらな、艶っぽい表情で、遥が笑う。
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