斜陽街

日生ななめ

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一章 学生、古物商、聖職者

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 柔らかく、使い込まれた様子の二人掛けのソファーに並んで腰を沈めながら、お茶の用意を急ぐ青年にバレないように、きょろきょろと室内を見渡す。

 通された応接間らしき小さな部屋は、アカシア製でまとめられた棚やテーブル、不思議なデザインの陶器が所狭しと並んだ、魔女のアトリエや、おとぎ話に出てくる作家の書斎のような、幻想的な雰囲気の漂う空間だった。
「谷内とは久しぶりだな、最近本部でも見かけなかったが、忙しかったか?」「三ヶ月ぶりくらい? そうだね、忙しくはなかったけど、久しぶりだ」青年は腰ほどの高さの棚から、年季の入った陶器の壺を取り出しながら、要との雑談に耽る。
「そっちのノッポ、お前の部下か? ちらっと見かけた事はあったが、まさか班員が一人だけとはね。財団の人手不足が伺えるな、手足になる実働部隊がたった二人だけかよ」部屋の中心、目の前に置かれた古いテーブルに、ぞろぞろとティーセットが並んでいく。
 幻想的な空間には不釣り合いな、現代的なデザインの電気ケトルから、薄くひびや色移りが入った、使い慣れた様子のティーポットにお湯を注ぐ。白い蛇のように立ち昇る薄い湯気が、薄暗い室内の雰囲気にマッチしていた。

「あれ、初対面なの?」「そうなりますね」その初対面の人から、俺ナイフ突き立てられたんですが。目の下あたりにできた、注視しなければ気づかない程に小さい刺し傷を指で撫でる。
「まあ、そうだなあ、初対面でも気心知れた仲。赤い糸で結ばれた運命の友、ってやつかもね」青年がへらへらと笑う。こいつどんな神経してんだ。じっとりと青年を睨み付けるが、ウインクで返される。
「一応名乗っとくか、俺はかなきって言って、副業でやってる探偵の方で財団と取引させて貰ってる」さかなへんに、示すと申すで、かなきと読む。背を向けたまま、鰰はそう続けた。
「俺は斉藤です、斎藤功介。実働部隊の隊員として、少し前に入隊しました」カップを受け取り、注がれた薄緑色のお茶からは、木いちごのような甘酸っぱい香りが漂っている。
「ん? はたはた?」お茶の注がれた洋風のカップを受け取り、説明された漢字を頭で思い浮かべる。A市の冬の名物が名前なのか?

「毎回思うんだけど、それ絶対かなきとは読まないよね」要がお茶を啜りながら、文句を漏らす。「熱っ」
「いいんだよ、こう読ませるのがルールなんだ」笑いながらお茶を片手に鰰は向かい側の席についた。「名前なんて自分で決められるもんじゃないし、変えたところで、そうそうしっくりくるもんじゃねえだろ? かれこれ十年近くもこの名前で過ごしてきたんだ、今更改名しようとも思わん」
 十年? 鰰の語る年月に、斎藤は小さな疑問を抱く。どう見ても俺と同い年くらいか、少し年上くらいじゃないか。こう見えて実は十代だとでも言うのか?

「それに、副業で探偵ですか」怪しさの塊だな。いや、人研財団もそんなもんか。勝手に文句を思い浮かべて、勝手に納得する。
「そう、探偵。コナン君みたいな感じじゃなくて、猫探しとか浮気調査の延長線みたいな人達。鰰君だけじゃなくて他にも結構な探偵さんに情報収集を依頼してるんだ」
 合点がいった。人員不足の割に豊富な財団の情報網や、住民からの活動への反対の声とは裏腹に、積極的に入ってくるタレコミは、こういったアウトソーシングが理由なのだな。
「まあ、名前だの職業だの、しょうもない雑談はもういい」鰰が私物であろう、自身の名と同じ漢字を冠する、顎の突き出たうろこの無い、不細工な魚が印刷されたマグカップを手に向かい側のソファに腰かける。そんなに気にいってんのか? その名前。
「追加の商談と行こうじゃねえか、人研財団の尖兵さんよ」余裕と自信に満ちた微笑みを浮かべ、鰰は斎藤と要を睨む。

「室長だか総長だか知らんが、偉そうな女の子から話は聞いたよ、俺のことスカウトしたいって?」「アキちゃんは課長。実際偉いんだから、嘘でもいいから敬ってあげて」要がすかさず突っ込む。今必要か? その情報。突っ込みへの突っ込みを心の中に封じ、斎藤は黙って二人の商談を聞く。
「単刀直入に行こう。人研財団直下での仕事はリスクが高すぎる。一応客商売なんでね余所様の人体実験に加担してるとあっちゃ、店に何されるかたまったもんじゃねえ」けらけらと冗談めかして鰰が笑う。事実、財団で働くことにリスクがある事は否定できない。要と二人でパトロールに当たっていた時、石や空き缶を投げつけられた事もある。大切にしているらしき屋敷にゴミを投げ入れられるのは許し難いのだろう。
 仮に石を投げられるリスクを冒して人研財団に入隊しても、待っているのは人に自慢できる程度の給与と、市が管理する施設や区域に、調査の名目で自由に出入りできるという、しょぼくれた特権程度だ。
 調査できる範囲が広がるのは探偵にとって魅力的だろうが、本人が言うように顧客からの信頼が命の探偵だ。顔見知りにでもに目撃されたら、大変な事になるのだろう。人間狩りで悪名高い財団に入っても、信頼を地に落とすだけで、特にメリットは無いように見えた。

「残念だが、この話断らせて貰う」
「まあまあ、商談をしようって言ったのはそっちだよ? 話だけでも聞いてってよ」今度は要が余裕綽々といった風体の笑みを浮かべる。目を細め、小首をかしげ、鋭利な印象のあった鰰のそれとは違って、どこまでも穏やかな、陽だまりのような笑みだった。
「今朝の新聞見た? A市の行方不明者増加って記事」
「ああ、ニュースの方でな」鰰が鼻で笑う。「どうせお前らだろ。調子乗ってバカスカ拉致ってるから、ポリ共に目ェ付けられるんだ」お茶を片手に鰰が失笑を漏らす。
「ああ、うん、そうなんだよね……」要も苦い顔で、お茶に息を吹き付ける。ふうふう、ふうふう。カップの中に広まる波紋と、息に乗って僅かな湯気が揺れ動く。
「実際、今はそれしか選択肢がないんだ。強襲、確保、連行、調査。異能者じゃなかったらお詫びと謝礼と箝口令で釈放。異能者だったら収容してサンプリング」
「死ぬほど強引な作戦だな。なあ、前から思ってたんだが、国から協力宣言出てなかったら、どうするつもりだったんだ?」
協力宣言。懐かしい単語が出たな。斎藤は最初にその言葉を聞いた、三年前の事を思い出そうとする。

 しかし、どうも上手くいかない。脳の海馬に絹を被せたかのように、ぼんやりとした記憶しか出てこない。俺、三年前に何かあったのかな?
 異能研究課の発足当時の状況を、斎藤は詳しくは知らない。学生だった頃、何の前触れもなく県内ニュースで発表された、超能力研究所の設立と、研究への支援を行うというA市の声明、殆ど同時に現れた、小さなビル街の空を駆ける「飛行男」の噂。それをくだらないと笑って話せた、ふわふわと髪を揺らす童女のような彼女。
 それらが斎藤の持つ、異能に関する最も古い記憶だった。

「協力宣言がなかったら、か」人肌程度まで冷めたティーカップをゆっくりと降ろすと、ゆっくりと目を細める。遠くに消えてしまった記憶を確かめるように、ぽつりとつぶやく。
「多分、誰も何もしなかったと思う。異能はほったらかしにされて、異能犯罪がどんどん増えて、異能者は本当に危険なものだって、僕らが皆に教えているよりも、もっと早く、皆が身をもって知ると思う」要は冷めたお茶を一気に飲み干す。液体が通った喉が大きな芋虫のように、豪快に震える。
 空になったカップをテーブルに置くと、要は真剣な表情で鰰の顔を見る。
「現状を打開するには、とにかく異能について知る必要がある。より多くの異能力者を集めて、より良いサンプルを増やさないといけない。探偵の情報収集力は大きな強みになる。鰰君、どうか人研財団に力添えして欲しい」
「お前の心情と俺が欲しい理由は分かった、人研財団の仕事の重要性もな。んで、それと収容者の急増が何の関係がある?」じれったそうに鰰が眉をひそめる。「立ち話もなんだと言ったが、長すぎる話もなんだぞ」
「じゃあ、ずばり言うね。収容者の部屋とか家とか、研究所に放り込んでから、ずーっとほったらかしなんだよね」

 要の言葉に、斎藤の全身から冷たい汗が吹き出す。お前らはどこまで不幸な異能者を弄べば気が住むんだ。
「ある程度必要な物は持ち込み許可されてるけど、当然全部は入りきらない。もう戻れない人もいるから、引き払ってもらわなきゃいけない部屋もある。不動産はは市政と協力すれば何とでもごまかせるけど、中の家具類は無理だ、指紋とかで足がついちゃうし──」「ああ、分かった、そうゆうことね」
 鰰が要の言葉を遮ってくつくつと笑う。「分かったよ。俺に異能者の遺品を売りつけようってんだな」遺品。まだ生きてるのに。
 今までに収容した異能者達の、とても死人とは思えない、リアルな十人十色の恐怖の表情が焼き付くように脳裏によぎる。
「……権力ってのは怖いな、どんな人格者をも狂わせる! 行方不明者と死人に口は無しってか? 恥ずかしくないのか人権財団!」鰰が叫ぶ。なじったり非難するような上ずった口調ではなく、要の、人研財団の真意を確かめるような、強い意志を感じさせる、野太い怒声だった。
 知ったことかと言わんばかりに、口調も崩さず要が続ける。
「何とでも言っていいよ。でも僕らは止まれない。今まで収容して来た異能者達を無下にしない為にも、ここまで来たら使えるものはなんだって使ってやる」

 異能者になったら、財団に身も心も捧げ、本当に大切なもの以外質に入れなさい。死ぬ気で抵抗しても、上層部は覚悟を決めているので無駄ですよ。恐怖政治もいいとこだ、テトラグラマトン党でももっと思いやりがあったぞ。
「よくもまあ、そんな心意気の無い条件を、よりにもよってこの俺が飲むと思ったな?」
 相変わらず言葉と表情が一致しない。珍獣を見るような、好奇心に満ちた少年のような表情で、怒声を放ち続ける鰰を、斎藤はまじまじと見つめる。
「蹴り殺されないうちに帰んな、さっきのブリキのおもちゃがまだ欲しけりゃ、それは持ってけ。二度と店に立ち寄るんじゃないぞ」

 ゆっくりと立ち上がり、口も付けてない自身のマグカップとポッドを手に、いそいそと部屋を出ようとする。
「じゃあ、これが最後ね。リッヒーが『反応薄かったらこれ言え』って言ってたんだけどさ」眉をひそめて、要が悲しそうな表情のまま、ぽつりと呟く。
「『短針十三センチ、長針秒針十八センチ。どどめ色が四時七分を指す』だってさ。これって何かの歌詞?」
 いいリリックじゃないか。どっかのテクノポップか? 心の中で要の呟きを冷やかす。そういえばこの人親睦会でなんかの洋楽歌ってたな。案外歌に自信あんのかも。

「……汚いぞ」そんな思考もどこかに吹き飛んだ。背中越しに放たれた鰰の呟きは、先刻までの分かりにくい怒りの雰囲気とはまるで違う。哀愁、悲哀、後悔。暗い感情がひしひしと伝わってくる広い背中に、じわじわと鳥肌が立つ。
「ねえ、これって何かの暗号?」
 鰰が振り返る。爬虫類のような鋭い顔中に、亀裂のように皺を刻んだ、険しい表情だった。
「……そのリッヒーとかいう性悪に伝えろ、三日以内に「それ」を搬入できなかったら、この話は蹴らせて貰うとな。搬入したブツが万が一偽物だと分かったら、お前らを皆殺しに向かうとも言っとけ」期待と興奮、僅かな怒りを込めた口調で、要に指を突き立てる。
「……苦渋の決断でしょうが、我々は感謝します。ようこそ、実働部隊へ」要がゆっくりと頭を下げる。
 そう、こんなのばっかりだ。斎藤も慌てて頭を下げる。
 A市ここは、こんな奴らばっかりだ。誰もが、必ず誰かを見ている。こいつ、というか、多分財団に協力してる奴らは、こんな風に何かしらの弱みを握られてるんだろうな。要を真似して、神妙な表情で深々と頭を下げながら、斎藤はそんなことを考えた。

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