斜陽街

日生ななめ

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序章

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 小型のバスを無理やり軍隊の仕様に改造したような、濃い緑色の車が駐車場に止まるのが見えた。要が万歳のように体を伸ばす。
「来たね、運転手さん誰だろ」「ちょっと待って」
 風除室の外に出ようとする要を、佐奈が引き止める。「何サラッと搬送斎藤君任せにして逃げようとしてんですか、気絶させた人が持って行ってくださいよ」うつ伏せのまま足元に横たわる目標を足で小突きながら、佐奈がじっとりと要を睨む。
「斎藤君いるじゃん」「怪我人頼りにしないの! 黒澤総長に言いつけますよ?」「えー、アッキーに言うのー……」
 要はぶつぶつと文句を言いながら、目標を米俵のようにかつぎ上げる。
「告げ口はよくないよ」
「いいじゃないですか、密告。1984年とか、リベリオンみたいで」
 さっきから聞いてれば、この人どんな趣味してんだ。
 立ち上がり、尻についた埃を払いながら、斎藤は心の中で佐奈に勧める映画を考える。マッドマックスとか好きそうだよな。今度新作出るんじゃなかったっけ?

「おっす、お疲れさん」「あれ、リッヒー? 何で護送車運転してんのさ?」護送車の運転手を確認し、斎藤は軽いめまいに襲われる。
「嘘だろ、何でお偉いさんが二人そろうんだよ」
 最初期の異能サンプル兼実働部隊の隊長、谷内要と、作戦立案とサンプル管理を一手に担う財団の頭脳、中澤李人。
 家族がサンプルになったとかで、復讐を考えている奴がいたら、今が絶好のチャンスだな。ドア越しに親しげに会話する二人を見ながら、周囲にそんな人影が近くにないか注意を巡らせる。
「斎藤は休みだったのに、悪かったな。確実に捕らえられるのが今日しかなかったんでね、お前だけじゃなくて非番の調査部も何人か引っ張り出して捜索に当たらせたんだが」
 李人は血色のいい顔を車のウインドウから乗り出すと、苦々し気な表情を浮かべ、こめかみを指でとんとんと叩く。
「すまねぇな、次の週末は三連休を期待してくれ」
 公務員には見えない。李人を見るたびに斎藤は幾度となくそう思う。整髪剤で整えたであろう、つんつんと逆立ち、所々地毛の混じった金髪に、生地の所々にインディアン風の装飾金具が付いたジャケット、だぼついた皺だらけのストリートジーンズといった装いは、海外の薄暗い路地裏や、深夜の繫華街にいくらでもいそうな、軽薄な若者らしい格好だった
 服装や髪形だけでなく、表情もそれらしい。切れ長で鋭い、刃物のような目つきを、人懐っこくにこにこと細めながら、自身に話しかける李人が、人類研究財団の重鎮だとは斎藤には思えなかった。

「荷物詰み終わりました、李人班長」護送車の後部から、佐奈の気だるげな声が聞こえた。「早く帰りましょうよ、演技ももう疲れた」やや掠れた声が要と斎藤の反対側、助手席の方に回り込む。
「おう、佐奈っち、図書館での諜報お疲れさん」李人が反対側を振り向き、助手席に乗り込んだ佐奈を労う。
 諜報。聞きなれない、大袈裟な表現に乾いた笑いがこぼれた。
「今回の騒ぎでバレただろうし、しばらくは本部で内勤に移ってくれ。明日は休んじゃっていいよ」
「やったぁ。班長、ついでにこのまま家まで送って~」ちょうど、李人に隠れて姿は見えないが、佐奈の猫なで声が耳に届いた。ぽつぽつと鳥肌が立つのを感じる。ああもう、その声勘弁してくれないかな。
「冗談ぬかせ、要人護送と送り狼、同時にできるわけないだろ」
趣味の悪い冗談を臆面もなく言い放つと、李人はふと、何かを思い出した様子で、くるりと再びこちら側に向き直った。
「なあ、増員計画の話、したっけ?」
「してないですよ? どこか増員するんですか?」佐奈が李人の横から、ひょっこりと首を覗かせる。
「ああ、実働部隊もそろそろ増員した方がいいだろって、出る前までアッキーと話してきたんだ」
「アッキーが?」ぼんやりと空を眺めていた要が、名前に反応して、ぱっと振り向く。「アッキーが言うんなら異論はないけど、なんで急に増員?」小首をかしげ、同意を求めるように斎藤を見る。
「斎藤君、後輩欲しい?」
「ええ、もちろんです。人手が増えるのなら、何だって歓迎します」
 そりゃ、あんたには異能があるし、人にできない事もできて、部下なんて必要ないのかもしれないけれど、曲がりなりにも隊長だろ。責任者なんだぞ。心の中で、堰を切ったように文句が溢れ出す。
 振り回される俺の身にもなって欲しい。空飛んで移動するあんたに追いつくの、すごい大変なんだぞ。
「ははは、カナ、不人気だな。斎藤にも多少は気使ってやれよ」李人の同情するような、馬鹿にするような語り口に、背中の毛が逆立つ。今俺口に出してたか? 
「ん? いやいや、顔に書いてあるぜ?『カナメさんのパルクールに迷惑してます。後輩とこの悩みを共有したいです』って」
「共有はともかくとして、俺そんなに分かりやすい顔してますか」
「してるしてる。李人班長じゃ無くても、あたしでも分かったもん」
 にやにやと笑いながら、覗き込むように自身の顔を見る調査班の二人が、いつも以上に憎たらしい。
「リッヒー、もう行った方がいいよ」要が車のドアをこんこんと指で叩く。何事かと周囲を見渡すと、照明の消えた図書館の方から、見えない何かに怯えるように、こそこそと移動する職員達が見えた。
「思ったより遅かったな。避難誘導、通報、職員退避と、図書館なら火災訓練で慣れてそうなもんだが」李人の顔が、冷静で知見に満ちた、頼もしい父親のような表情に切り替わる。
「僕らはともかく、勝手にいなくなった佐奈ちゃんは怪しまれる。話はまた明日聞くから、今日はここで解散にしようよ」
「分かった、増員計画は近いうち、あー、明日にでも書類なりデータなりで形にしとくわ。まあ、楽しみにしててくれ」
「じゃあね、リッヒー。気を付けて」「おう、カナもな」
 二人は簡単に話をまとめると、グラスで乾杯をするように、軽く握り拳を打ち付け合う。仲良しの友人同士の挨拶というよりは、スポーツ選手のルーティーンを思わせる、流れるような仕草だった。
 李人が静かに鍵を回す。エンジンが唸るような音を立て、護送車がゆっくりと震えだした。
 眠りから覚めた動物が伸びをするように、護送車はのそのそと後退すると、反動をつけたようにぐんと勢いよく発進する。
 目の前を颯爽と通り抜け、背面を二人に晒した瞬間、悲痛な表情でリアガラスを叩く目標が目に入り、胸中の泥が再びふつふつと湧き上がる。

「慣れなきゃ駄目だよ」すぐ隣から聞こえた氷のような声に、高所から落ちていくような錯覚に陥る。そうだ、慣れなくちゃ。でも、慣れた所で俺に得はあるのか?
「斎藤君、ここは節目なんだ。人類はこれから、否が応でもこの街の超能力と向き合っていかなきゃいけない。僕らはその厄介ごとと向き合う、最初の世代だ」声は冷たいままだった。震える首をゆっくりと動かし、隣の要に顔を向ける。
 要の顔には、作戦前に裏通りで見せた表情と同じ、優しく温もりに満ちた、落ち着いた雰囲気を纏っていた。
「どうあれ、何もかもまだ始まったばかりなんだ。さっきのヤンキーみたいな異能者だって、危険だから、静かで清潔な収容室に一生閉じ込められるのか、安全だから解放されて、友達に異能力を自慢できるようになるのか、まだ何も分からないじゃないか」
 冷たい声のまま、暖かな表情のまま。慰めとも𠮟責とも取れない言葉を、要は淡々と語る。
「異能が無い世界は僕たちで終わりだけど、異能に満ちた世界は僕たちが始まりなんだよ。僕たちなら、異能に満ちたこの街を、きっといい方向に変えられる」
 それは斎藤に向けられた言葉と言うよりも、自身が抱く心を形にして、他人に示しているようにも聞こえた。
「そう……ですね、ええ、そうですよね」要が放つ静かな熱意と、氷のように冷たく固い決意に当てられ、斎藤は、曖昧な返事しかできない。

 その決意はどこから湧くのだろう。ふと、そんな疑問を抱く。魅力の無いこの街に、要の熱源になる何かがあるとは思えなかった。

「帰るよ、斎藤君」斎藤の心を透かして見たかのように、要は冷たく言い放つと、図書館の方に向き直り、軽い駆け足で歩み寄っていく。
「あ、そうだ」そう呟き、要はぴたりと足を止めた。一連の行動を合図にしたように、一気に日が沈みきった。電源を切ったように周囲に暗闇が満ちる。
「明日はオフィスのカフェで落ち合おう、僕そこで朝ごはん食べてるから」振り向き、はしゃぐ少女のような表情を見せる要に、先程までの不思議な聖人のような面影は、全くなかった。
 再び振り返り、図書館へと向かう駆け足は勢いを増し、先程目標を捕らえた、建物から風除室へと向かって行く。
 入り口の自動ドアが音を立てて開く。要は中には入らず、勢いそのままに大きくジャンプすると、風除室の屋根の縁を掴む。
 また異能か。暗くなると反応もよく分かる。要の足が地面から離れた瞬間、体から赤い稲妻のような光が走るのが見えた。
入隊当初の事を思い出す。要が自身の異能を語ったのは、最初の一度しかなかった。

──僕も異能者なんだ。少し念じれば、僕は上下左右、あらゆる方向に落ちる事ができるし、普通の数倍の速度で物を落とすことができる──

 重力の枷から放たれたように、要は軽々と図書館の屋根に登っていく。林、電柱、民家の屋根。ひょいひょいとあらゆるものを足場にして、あっという間に斎藤の視界から消えていった。

「本当、何なんだあの人」斎藤の呟きが、日が落ちた暗い街に溶けていった。
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