蘭と蕾

伊東悠香

文字の大きさ
上 下
12 / 33
1章

4話 喧嘩(3)

しおりを挟む
 窓から涼しい風が入ってくる。
 そろそろ秋なるかなーっていう季節だ。
 私のダメダメな夏も終わろうとしている。

 17歳の貴重な時間が、嫉妬と失恋で終わる。

「こんなんで高校生活を終わっていいんだろうか」

 ふとそんな事を思って、私は自分には目標とするようなものが何も無い事に気付いた。
 学校で友達と楽しくやってるけど、それだけだ。
 蘭のように自分の学力を高めようとする努力もしてないし、綺麗になるような肌のケアもしてない。
 こんなんだから、いつも蘭に負けた気分なのかもしれない。

 制服に着替えて階段を降りると、蘭が洗面所の鏡の前で髪をブローしていた。
 これを毎日やる事で、彼女はサラサラの綺麗なロングヘアになる。
 まさに「美少女」は努力のたまものなのだ。

 私も髪は伸ばしてるけど、ブローとかは嫌いだからブラシでといてゴムでポニーテールにするか、左右にふたつにしばる事が多い。

「おはよ」
 喧嘩の後は2・3日口を利かなかったけど、この日は私は心を改めていた。
 少し自分が大人になったつもりでドライヤーを止めた蘭にそう声をかけた。
 すると、蘭は少し驚いた顔をして、そのまま「おはよう」と普通に答えた。
 私はそれ以上話す気にはなれなくて歯ブラシに手をかけたんだけど、蘭の方から私に話しかけてきた。

「蕾……私、木内くんと付き合う事にしたんだ」

 ブラシに絡んだ髪の毛をティッシュに抜き取りながら、蘭がボソッと言った。
 私は驚きでチューブから歯みがき粉を大量に出してしまった。
「え、木内くんって……あのクラス委員長の?木内幹人くん?」
 学年には木内という名前の人は、私のクラスにいる委員長しかいない。
 蘭は特別うろたえる事も無く、そうだと頷いた。
「何で?」
「え、好きだって言われたし。私も結構好きだし……学校の行き帰りぐらいなら一緒でもいいかなって思って。OKしたんだけど」
 そうか。
 蘭はモテるから、学校の行き帰りだけでも一緒に過ごせるっていうのは、男子側からしたら相当なプラスポイントなんだろう。

 にしても、今まで誰の告白も受け入れなかったのに……どういう事なんだろう。
 木内くんは別に悪い人じゃない。
 どちらかというと、メガネが似合う好男子だ。
 ちょっと他の生徒とは隔たりを持っていて、何だか一人で高い場所にいるような…そういう圧力を感じるところもあるけど、私は嫌いじゃない。

「へえ……それ、マーくんには伝えたの?」
「伝えたっていうか……家の前まで木内くんが立ち寄ってくれたから。偶然顔を合わせたよ」
 その時のマーくんの反応が知りたい。
 どうだったんだろう。
「何て言われた?」
 そこまで言うと、蘭は私から目線を逸らした。
 私との喧嘩以外に、マーくんとの間に何か相当嫌な事があったに違いない。
 そうじゃなかったら、自分の気持ちが向いてもいない人の付き合いをOKするわけがない。

「マーくんは大学で彼女できたって言ってたよ。だから私の恋も応援するって言ってた」
どんよりした顔で、蘭はそれだけ言って洗面所を去った。
「……」

 マーくんに彼女。
 今まで一度も出来た事がないのに。
 何で突然、このタイミングなの?

 私は何か納得できない気分で食卓についた。
 マーくんはいつも通りコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
 別に彼女が出来てウキウキっていう様子は見えない。
 私が食パンをかじっていると、マーくんが新聞からふと顔を上げてお母さんに言った。
「あ、母さん。俺……今日の夕飯いらないから」
「めずらしいわね。何、彼女とデートなの?」
 マーくんに彼女が出来たのはお母さんにも知れていて、初めての事だから何故かお母さんの方がウキウキしている。
「まあ、そんな感じだよ」
 言葉を濁して、マーくんはまた新聞を読み出した。

 本当に彼女が出来たらしい。
 蘭が木内くんと付き合うタイミングと、マーくんに彼女ができるタイミングが合いすぎている。
 私は何だか置き去りにされたような気分になっていた。
 もしかしたら、私が二人に好きだと認めてしまったら…とか迫ったせいで、必死にその思いから逃げる為に別の人を好きになろうとしてるんだろうか。

 また私だけが悪い子だ。


 どうしても納得がいかない日々を送っていたある日、私はたまたま木内くんから蘭の様子を聞く機会があった。
「蘭と付き合ってるんだって?」
 眼鏡の奥にある瞳を光らせて木内くんは私をチラッと見た。
「まあ、付き合ってるっていうか……単に登下校を一緒にしてるだけだよ」
 明らかに不満そうな様子だ。
 やっぱり蘭の心が彼に無いのが、伝わってしまってるのかもしれない。
「でも、色々話できるんでしょ?あの子テレ屋だから、多少強引にいかないと」
「強引にいって、泣かれたらどうすんだよ。手を繋ごうって言っただけで泣かれそうだったし」
「……そうなんだ」
 私は落ち込んだ顔の木内くんにかける言葉も無くなって、それきり黙ってしまった。

 蘭は明らかに恋愛感情の無い相手を「一緒に歩く」という条件だけクリアさせて、それを「お付き合い」という枠にはめようとしている。
 どれだけ木内くんを傷つけているのか分かってるんだろうか。

 大人になろうと我慢していたけど、蘭の半端な態度に腹が立って、私はまたその日の夜喧嘩を売ってしまった。

「木内くんの事好きでもないくせに、心をもてあそぶの止めたら?」
「そんな事蕾に言われる筋合い無いよ」
 あからさまに私の言葉が勘に障ったような顔で、蘭はそう答える。
「自分の地位を守る為なら、他人を踏み台にしてもいいっていうの?」
 マーくんを好きだと認めてしまえば、家族がギクシャクするだろう。
 しかも背徳感の中で生きる覚悟も必要だ。
 でも…好きな人の為なら、そのくらいの非難は覚悟してもいいのではないかと思ってしまう。
 私の恋愛観で言えば、世界中を敵にまわしても…たった一人の愛する人に思われていればそれでいい。
 家族や世間っていうのは二の次だ。
 自分勝手かもしれないけど、恋愛感情をごまかして他人を傷つける事だって相当罪深い気がする。

「蕾はストレート過ぎる。マーくんがどれだけ私達に気を使ってるか分かってない」
 蘭が、まるでマーくんの事は自分が良く分かってるとでもいうような雰囲気でそう口にした。
 私はそれを聞いて、心がどんどん狭くなるのが分かった。
 水上くんの“いい女になる”というアドバイスが効力を失った。

「分かってないのは、蘭とマーくんでしょ!?そうやって嘘つきごっこやってさ……自分に好意を持つ人たちを傷つけてさ。それが正義なの。それが正しい人間の道なの!?」

 私が強い口調でそう言うと、蘭はとたんにその場に座り込んで泣き出した。
 こんなに大声を出して泣く蘭を、私は初めて見た。
 私は……蘭をとことん傷つけたらしい。
「何で……お前達……何でこうなんだよ」
 様子を見ていたらしきマーくんが部屋から出てきて、ガッカリした顔をした。
 彼なりに家族がうまくいくように神経をすり減らしているのは確かだろう。
 でもね、それがまやかしだっていう事に、もう気付いてもいいんじゃないのかな。

 呆然としている私の肩に軽く手をかけ、それから座り込んで泣いている蘭を彼は優しく抱きしめた。
「俺達……完璧な他人だったら良かったな。俺が守りたいのは家族っていう形なんだよ。でも、俺がいるせいで、蘭と蕾は苦しまないといけないなら……出て行くよ」
 思いがけない言葉に、私も蘭もマーくんを見た。
(家を出る……?マーくんが、この家を出てしまう?)
「ちょうどアメリカ留学も考えてたんだ。1年休学してアメリカで勉強してこようと思う」
「嘘でしょう?」
 蘭が涙目のまま彼を見上げる。
 私は言葉も出なくて、そのままマーくんを見ていた。
「俺は蘭も蕾も……本当に大事な妹だと思ってる。本当に、それだけだよ」
 あくまでも私達を平等に「妹だ」と主張するマーくんに対して、蘭も我慢の限界がきたようだった。
「私はマーくんしか見てない。あなた以外の男性なんか、考えられないよ!」
 彼の腕の中で泣き続けながら、蘭が初めて自分の本音を吐き出した。
 蘭もマーくんの心が見えなくて、私と同じぐらいずっと不安で怖かったに違いない。
「蘭……」
 愛おしそうに蘭を抱きかかえるマーくんの姿。
 兄として……朝比奈家の長男として色々な責任感で、彼だって押しつぶされそうだったのかもしれない。
 蘭を好きだと言えないから、とりあえず距離を開けようと思ったのかもしれない。
「マーくん。距離が離れても、好きな人を思う気持ちは薄まらないんだよ」
 私は水上くんが言っていた言葉を、思わず口にしてしまった。
 つまり、アメリカ留学したって、この家に戻ってくれば恋心は再燃する可能性が高いという事だ。
 だから、少し離れるのは逆に会いたい気持ちを余計につのらせるだけのような気がする。
「……」
 抱き合う二人を残して、私は自分の部屋に戻った。
 何だか涙も出てこない。
 私は…どうすればいいんだろう。

 授業をサボって屋上でぼんやりしている私を見つけ、水上くんが駆け寄ってきた。
「何やってんだよ。急に消えるからどこ行ったのかと思って、随分探したよ」
 息を弾ませながら、彼は私の隣に座った。
「水上くん。私…やっぱりいい女にはなれそうもないよ」
「あ?何だよ、まだ兄貴の事引きずってんの?」
「忘れようと思うし、気持ち切り替えたいんだけど…うまくいかない」
 私が表情も無くそう言ったのを聞いて、彼は唐突にピシリと私の頬を叩いた。
 決して強くは無かったけど、目を覚ますには十分な痛みだった。
「水上くん?」
「蕾……お前、何の為に高校生活してるんだよ。進まない恋愛だけに囚われて、自分の可能性つぶしてるんじゃねえの?」
 そこまで一気に言ってから、彼は澄んだ瞳で真っ直ぐに私を見つめる。
「蕾……もう1回走ってみれば?」
「え……」
「俺も他人の事どうこう言える立場じゃないけど、一応自分のやりたい事は何なのかって考えてる。蕾も中学まで走るの好きだったって言ってたじゃん。だから……走ってみろよ」
 厳しい口調だったけど、彼に言われた事はとても正しかった。
 私は大事な高校生活を、虚しい片思いだけで終わろうとしている。
 努力は嫌いだけど、走るのは嫌いじゃない。あれは頭の中が真っ白になる、とても気持ちのいい競技なのだ。
「うん……走ってみようかな」
 素直にそう答えた私を見て、水上くんは嬉しそうに笑った。
「その方が、絶対蕾らしいよ」
「そうだね……ありがとう、水上くん」
 私がお礼を言ったとたん、彼はそっと顔を近づけて軽く唇を重ねてきた。
「な、何すんのよ!」
 あっけないファーストキスの略奪に、私は真っ赤になって思わず彼の頭をパカンと叩いてしまった。
「キスはするから、用心しとけって言っただろ。今の蕾…スキだらけだったから」
「……やらしい」
「男はみんな、やらしいさ」
 そう言って、笑顔のまま彼は両手を高い空に伸ばした。
 こんな時ですら、水上くんの言葉も態度も……清々しく見えてしまう。

 水上くんにキスされたのがそれほど嫌な事では無かったのが、少し不思議だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【10】はじまりの歌【完結】

ホズミロザスケ
ライト文芸
前作『【9】やりなおしの歌』の後日譚。 11月最後の大安の日。無事に婚姻届を提出した金田太介(カネダ タイスケ)と歌(ララ)。 晴れて夫婦になった二人の一日を軸に、太介はこれまでの人生を振り返っていく。 「いずれ、キミに繋がる物語」シリーズ10作目。(登場する人物が共通しています)。単品でも問題なく読んでいただけます。 ※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。

演じる家族

ことは
ライト文芸
永野未来(ながのみらい)、14歳。 大好きだったおばあちゃんが突然、いや、徐々に消えていった。 だが、彼女は甦った。 未来の双子の姉、春子として。 未来には、おばあちゃんがいない。 それが永野家の、ルールだ。 【表紙イラスト】ノーコピーライトガール様からお借りしました。 https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl

坂の上の本屋

ihcikuYoK
ライト文芸
カクヨムのお題企画参加用に書いたものです。 短話連作ぽくなったのでまとめました。 ♯KAC20231 タグ、お題「本屋」  坂の上の本屋には父がいる ⇒ 本屋になった父親と娘の話です。 ♯KAC20232 タグ、お題「ぬいぐるみ」  坂の上の本屋にはバイトがいる ⇒ 本屋のバイトが知人親子とクリスマスに関わる話です。 ♯KAC20233 タグ、お題「ぐちゃぐちゃ」  坂の上の本屋には常連客がいる ⇒ 本屋の常連客が、クラスメイトとその友人たちと本屋に行く話です。 ♯KAC20234 タグ、お題「深夜の散歩で起きた出来事」  坂の上の本屋のバイトには友人がいる ⇒ 本屋のバイトとその友人が、サークル仲間とブラブラする話です。 ♯KAC20235 タグ、お題「筋肉」  坂の上の本屋の常連客には友人がいる ⇒ 本屋の常連客とその友人があれこれ話している話です。 ♯KAC20236 タグ、お題「アンラッキー7」  坂の上の本屋の娘は三軒隣にいる ⇒ 本屋の娘とその家族の話です。 ♯KAC20237 タグ、お題「いいわけ」  坂の上の本屋の元妻は三軒隣にいる ⇒ 本屋の主人と元妻の話です。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

僕とコウ

三原みぱぱ
ライト文芸
大学時代の友人のコウとの思い出を大学入学から卒業、それからを僕の目線で語ろうと思う。 毎日が楽しかったあの頃を振り返る。 悲しいこともあったけどすべてが輝いていたように思える。

管理人さんといっしょ。

桜庭かなめ
恋愛
 桐生由弦は高校進学のために、学校近くのアパート「あけぼの荘」に引っ越すことに。  しかし、あけぼの荘に向かう途中、由弦と同じく進学のために引っ越す姫宮風花と二重契約になっており、既に引っ越しの作業が始まっているという連絡が来る。  風花に部屋を譲ったが、あけぼの荘に空き部屋はなく、由弦の希望する物件が近くには一切ないので、新しい住まいがなかなか見つからない。そんなとき、 「責任を取らせてください! 私と一緒に暮らしましょう」  高校2年生の管理人・白鳥美優からのそんな提案を受け、由弦と彼女と一緒に同居すると決める。こうして由弦は1学年上の女子高生との共同生活が始まった。  ご飯を食べるときも、寝るときも、家では美少女な管理人さんといつもいっしょ。優しくて温かい同居&学園ラブコメディ!  ※特別編10が完結しました!(2024.6.21)  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

もう一度、キミと冬を過ごしたい

久住子乃江
ライト文芸
山下夏樹は、過去の出来事から自分を責め、人との関わりを絶ってきた。友達も作らずに高校生活を過ごしていた夏樹は、会ったこともない先輩、水無華蓮に話しかけられる。 いきなり告白され、自分が変わるきっかけになるかもしれないと思い、付き合ってみることにした。 華蓮と過ごす中で、夏樹に変化が見られたとき、『ミライのボク』を名乗る人物からメールが届く。 そのメールに書かれている内容通りの未来がやってくることになる。 果たして、そのメールは本当に未来の自分からなのだろうか? そして、華蓮の秘密とは──

処理中です...