恋の舞台はお屋敷で

伊東悠香

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1巻

1-3

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 メイド初日の朝。
 私の仕事は、庭に出てポストから新聞を取るところから始まった。

「今日の天気はどうだろうな~……って、ん?」

 天気予報を見るつもりで新聞をバサッと広げて……腰を抜かしそうになった。

「聡彦さん、聡彦さん!」

 もう既に起きていて、ジョギングの用意をしていた聡彦さんが怪訝けげんな顔で私を見る。

「声デカすぎ……」
「だ、だって。聡彦さんが、全面にドーンと載ってますよ!?」

 私が新聞を広げて、その広告が出ているところを彼に見せた。決め顔で栄養ドリンクをさわやかに手にした聡彦さんが微笑んでいる。

「あぁ。それ、今日新聞に載るんだったんだ」

 他人事みたいにそう言って、彼はまた自分の作業を続ける。

「……聡彦さんって仕事何なんですか?」

 広告の下のほうに「シュウ」と、書いてある。
 そういえば、ホテルで助けてもらった時、相手の男性が彼を「シュウ」って呼んでいたのを思い出した。

「モデル。聞いてない?」
「はい」

 私は知らなかったけど……何だか結構有名な人みたいだ。どうりで……テレビで見たような気がしたわけだ。

「そう。それから、俺の生活にはリズムがあるから……そこは仕事と思って付き合ってもらう事になる。あ、それと、『聡彦さん』って呼ぶのやめてくれる?」

 トントンとシューズの履き心地を確認しつつ、彼は少し渋い顔をした。

「分かりました。じゃあシュウさんって呼びますね。あ、でも馴れ馴れしいですかね?」
「……別にいいけど……」

 こんな淡白な言葉で私の疑問は片づけられてしまった。
 この時の私は、恩人&有名モデルのお世話をする事になった自分を、こんな事もあるんだな、くらいにしか考えていなかった。



   3 〝聡彦の取扱い説明書〟による彼の一日


 シュウさんは、まず朝五時に起きる。当然私はそれより前に起きなくてはならない。眠い目をこすり、朝のお茶をれ……彼がジョギングに出るのを見送る。
 手には店長がザッとメモしてくれた〝聡彦の取扱い説明書〟なるものが握られている。まぁお金持ちのボンボンだから……気難しかったりするのだろう。


『注意1:目覚めにモーニングティーを淹れる事。雨の日はアッサム。晴れの日はダージリン。微妙な日はブレンドで』 


 これがあるから、天気に神経質になってしまって、日々のニュースで最重要視しているのは「明日のお天気」である。

「セカンドフラッシュを淹れなおしてくれる?」

 晴れたからダージリンだなと思って、普通にそれを淹れたらこのお言葉。どうやら今のマイブームはセカンドフラッシュだったようで、説明書にあったファーストフラッシュブームは去ってしまったようだ。

(エスパーでもない限りシュウさんのご要望に応えるのは難しそうだなぁ)

 そう思いつつ、頑張る私。シュウさんが雨の日も風の日もジョギングとトレーニングを怠らないのを見ていて、自然に応援したくなったというのもある。


『注意2:聡彦は卵命。卵の質・鮮度には要注意』 


 この注意事項を見逃していたため、最初の料理で文句を言われた。

「こんなもの口に入れられないな」

 心を込めて作った料理。美味しくなかったのかな。

「何か変な味しますか?」
「別に、そういうんじゃないけど」

 後で分かった事だけど、彼は私が来るまでほとんど卵だけで生活していたらしく……卵の味には相当うるさいみたいだ。中身の見えない卵の質を見極めろっていうのは、私には相当な難題だ。
 でも弱音は吐けない。
 そんなわけで、この日から私は「卵オタク」になってしまったのだった。


『注意3:ワインセラーの管理をしっかりする事。銘柄めいがらを間違うと大変な事になるので注意』


 彼は食前酒としてワインを飲むのを好む。
 ソムリエにチョイスさせたワインを、屋敷のワインセラーで管理していて、私は子供の世話をやくようにワインを一番いい状態に保つ努力をする。

「フルボディーを頼んだつもりだけど。あんた耳壊れてる?」

 軽く一杯飲みたいという言葉の方が耳に残ってライトな赤を用意してしまった。

(金持ちのボンボンってこんなものなのかなぁ?)

 野山で猿のように成長した私にとって、シュウさんの生活習慣は信じられない事の連続だった。


『注意4:聡彦はかなりのゲーム好き。対戦できるよう、それなりの実力をつけるべし』


 モデルがゲームオタクだなんて……と、彼の趣味を知った時、やや意外だなと思った。
 私はもともとゲームなんかやらないから、シュウさんと対決したって勝てた試しがない。

「俺と互角になるまで練習して」
「分かりました……」

 メイドの仕事に〝ゲームの腕を上達させる〟なんて内容が含まれているのは私だけだと思う。それでもシュウさんの命令だ……やらざるを得ない。

「朝寝坊は三文の損」
「う……」

 ゲームのしすぎで寝坊した朝……ベッドサイドに突然シュウさんが現れて言った。

「俺がジョギングする前に起きておいてって言ったよね? 言われたことを守らないメイドは要らないんだけど」
「うぅ……ごめんなさい。頑張りますぅ……」

 朝の五時前に起きる生活なんて今までしたことがないから、相当きつい。涙が出そうになるけど、ここはグッと我慢して頑張るしかない!

「あんまり我慢しないで。嫌だったらいつでも出ていっていいんだからね」

 嫌味っぽくこんな事を言われても私は石のように動かない。

「……出ていきません」
「ふ~ん……本当にしぶといみたいだね」

 あくまでもシュウさんは私をこの屋敷から追い出したいようだ。でも、私の恩返しはまだ満足できるほど出来ていない。シュウさんの意地悪さに負けるつもりもない。
 だから、私は今のところ何があってもここの仕事を続けるつもりだ。
 店長から受け取った彼の取扱い説明書に忠実に従っているだけでは、あんまり意味がないように思えるこの頃。私はオリジナルな方法でシュウさんに追い出される事なく何とか仕事をこなしている。
 ここまで頑張っているのにはちゃんと理由がある。
 最初はシュウさんって冷たい人かなっていうイメージで見ていたけど、案外優しいところも見えたりして……ベイビーの店長が言っていたように放っておけない気持ちになっている。
 彼のジョギングコースは私も買い物で通る道で、その道沿いにあるお地蔵様に向かって彼は手を合わせている。
 実は私もそのお地蔵様に、毎日綺麗な野の花を摘んでお供えするのが日課になっていた。だから、彼が手を合わせているのに鉢合わせした時は、結構驚いた。

(シュウさんがお地蔵様にお祈りしてる……)

 結構真面目に目をつむってお祈りしているみたいだったから声をかけるのをためらった。

「な、何をお祈りしてたんですか?」

 私が居たことに気づいたシュウさんは特別驚きもせず私を一瞥いちべつして言った。

「別に……」

 スタスタとジョギングを再開した彼の後ろ姿を見ながら、私はちょっとほのぼのしてしまったのだった。あの姿はシュウさんにしては可愛らしかった。
 またある時……、私が古本屋で買ってきた長編少女マンガを徹夜で読んだようで、次の日目の下にクマを作っていた。

「ちょっと……あれってオチどうなってんの?」
「さぁ……不定期連載ですからね。いつ完結するのか分からないみたいですよ?」
「この作品が完結するまでに作者死んじまったらオチ分からなくなるじゃん!」

 こんな事を真面目に言われて、クールな彼が熱くなるのがこんな事なんて……と、微笑ましく思ってしまった。
 子供が精いっぱい背伸びをして大人を演じているように見えて、そういうのが私の母性をキュッとつかむのだ。
 だから私はザンギのエサにも気を遣うし、シュウさんが好みそうな少女漫画をさりげなくリビングのテーブルに放置するのも忘れない。これがメイドとしての気遣いだと思うし、彼が喜んでくれる姿を見るのが何より嬉しい。


 そんなこんなで二ヶ月が過ぎた。まあ、正直シュウさんのハードスケジュールに合わせて生活するのは相当きつい。それでも頑張り続けられるのは……やはりシュウさんにそれなりの愛着が湧いていたからだ。

(いや、でも彼の要望通りの事をしようとすると死ぬほど大変だし、正直月給上げて欲しいんですけどね)

 なんて気持ちもあったりしたけど、それを分かってるのかどうか……ベイビーの店長への報告一回目の日……彼女はのんきに喜んでいた。

「助かってるわぁ~、ユラちゃん。まさかあの子をここまで見てくれる子がいるとは思わなかったわ。あなたに頼んで良かった。本当に毎日お疲れ様!」

 予想外の長期勤務を続けている私を、店長は丁寧にねぎらってくれた。シュウさん独特の生活ぶりは、やはり店長も十分承知しての依頼だったようだ。

「いえ。思ったより可愛らしいところもあるんで、頑張れてます」

 実際、パジャマを逆に着ていたり……スリッパを片方別のまま歩いていたり。何かと世話をやきたくなってしまうシュウさん。元来世話女房タイプの私は、つい彼のお世話に熱が入ってしまう。

「そうでしょう? あの子の可愛さ、ユラちゃんなら分かってくれると思ったわぁ」

 自慢の甥っ子を褒められて店長も上機嫌だ。

「にしても、どうして〝聡彦〟なのに〝シュウ〟なんですか?」

 彼の本名とモデルとしての名前が違うのは当たり前かもしれないけれど、どこから「シュウ」になったのか聞きたいなと思っていたのだ。
 すると店長は得意げに言った。

「シュウっていう名前をつけたのって私なのよ。聡彦っていう名前が〝秋〟を連想させるから〝シュウ〟がいいわよ! ってアドバイスしたら、その通りつけてくれたの。可愛いでしょ?」
「は、はぁ」

 シュウさんは案外店長になついている様子。ちょっと微笑ましい。伯母の店長が実質、シュウさんの母親代わりなのかもしれない。でも店長はこう見えて超多忙。シュウさんがひとりぼっちなのを気に病んでいた様子だから……そういう意味でも私はやりがいのある仕事をさせてもらっている。
 二十五歳の、若い彼。私は彼より三つほど年上だ。弟が一人増えた気分なのは否めない。
 彼の両親は二人とも俳優をやっていて、ほとんど(というか全然)家にいない。ザンギだけが友達みたいだし……あんな孤独な生活を、彼はいったい何年続けてきたんだろう。
 シュウさんがあんなに素っ気ないのって……やはり、親の愛情をしっかり受けられなかったって事なんだろうか。

「ねぇ、あの子……ユラちゃんを口説いたりしなかった?」
「は? 何もありませんよ~」
(私なんかザンギより格下扱いだし……)
「あら、残念。お見合い話を持っていっても〝興味ない〟って冷たく断られる日々でねぇ……あんなにいいオトコなのに女っ気がないのはもったいないわよ」
(女っ気……まさか、それを私に求めていると? それって、シュウさんの彼女って事?)

 思いもかけず自分の心臓がドクンッと鳴ったのを感じた。でも私の動揺をよそに、店長は語り続ける。

「シュウに女っていうものを教えてやりたいのよねぇ。女を知ってこそ一人前の男だと思うし。ね、ユラちゃんもそう思うでしょう?」

 チロリと私を見る目は、獲物をターゲットオンした時の獣のよう。

(て、店長。鼻からスモークが出て怖いんですけど!)
「ど、どうですかね? 私はあんまり女っぽくないですし……そういうのを期待されても……」

 シドロモドロになる私の肩を叩いて彼女はニッコリ笑った。

「まぁ、そんなつれない事言わないで! ユラちゃんならきっと聡彦という男の本質を引き出せるわよ」
「その根拠があるんですか?」
「根拠っていうか〝勘〟ね」
「勘……」

 店長の勘は当たる。それは私も知っている。
 でも、今回だけは「どうかなぁ???」と、クエスチョンマークが三つつくぐらいの疑問だ。毎日「しぶといね」「まだ辞めないの?」って言われ続けている身としては。
 正直あれだけ歓迎されてないのだから出ていってもよさそうなものだけど、私は恩義以外のところでもあの屋敷を出るのが惜しくなっている。シュウさんの姿を毎日見ていたいと思ってしまっている。改めて考えると、これって弟に抱く感情とは少し違う気がする……
 雲の上の人で、決して手が届く人ではないと分かってはいるけれど……


 次の日からも私のまめまめしい努力は続いた。
 でも、店長の言葉のせいで、私の調子は少し崩れている。恋人として意識したらどうなるかって考えてしまうのだ。
 彼の態度は相変わらず冷たいけど……本当の冷血漢だとは思えない。だから自分の中の動揺は隠して、せっせと彼の世話をやく。

「おかえりなさいませ!」

 いつも通りジョギングから帰った彼を丁寧に出迎えた。
 でも、彼は呼吸を整えながら私など見向きもしないで真っ直ぐバスルームへ急ぐ。

「……シャワー浴びるから、どいて」

 満面の笑みで迎えたというのに、このセリフ。でも、これくらいの言葉は慣れっこ。全然落ち込んだりしない。
 それより、シュウさんの次の行動を読んで動かなければいけない。
 シャワーを浴びて、彼がリビングに戻る頃にちょうど食事が揃ってるように、私は計算して動いている。
 が、私はこの日「二枚用意しておいて」と言われたバスタオルを一枚用意し忘れていた。
 店長に言われた事で多少動揺していたというのもあるけど、ミスはミスだ。おとなしく怒られるしかない……

「聞いてた? 俺の話」

 呆れた雰囲気でシュウさんが私を無表情に見下ろす。

「はい。聞いてましたが、忘れてました……すみません」
「わざと? ていうか、俺に対する嫌がらせ?」
「そんな事するわけないじゃないですか!」
「どうだかね……ま、タオル早くくれよ」
「はい」

 新しいバスタオルを彼に手渡し、私はまたもやシュウさんの要望に応えられなかった事にガックリとうなだれた。

「以後、気を付けますんで……て……?」

 その場を去ろうと顔を上げたとたん、シュウさんの美しすぎる半裸が目の前にあるのに気付き、私の目に星が飛んだ。
 モデルなのだから美しいのは当然なんだけど、何と言うか……美術室にあるトルソーのように均整がとれている上に、何とも言えない色気が漂っている。

「あ……シュウさんの……うぁ!」
「おっと!」

 ドキドキしすぎてよろめいた私を、彼はとっさに支えてくれた。
 フワッと香るシャンプーの香り。少ししっとりしたシュウさんの身体の感触。そのどれもが私のドキドキをさらに加速させた。

「……熱でもあんの? 顔赤いけど。ていうか、あんた本当に挙動不審だよな?」

 シュウさんの整った顔が私の顔にぐんぐん近づいてくる。私はあわてて手をかざして彼の動きをストップさせた。

「も、もう大丈夫ですから! すみませんでした!!」

 シュウさんの腕から逃れると、私は逃げるようにダイニングルームに駆け込んだ。これ以上シュウさんと至近距離にいるのは危険。私の心臓が……危険。
 つい先日も心臓が破裂しそうな事があったばかりなのに。


 あれはめちゃくちゃ寒い日の夜……停電で、オール電化にしてある御堂邸は全く暖房がきかなくなってしまった。

「さむ……」

 歯の根が合わないほど寒くて、お風呂にも入れないし……私は懐中電灯を手に、停電前まで暖房のきいていたリビングに下りた。すると、考える事は同じのようで、シュウさんもリビングにいてブランデーを飲んでいた。

「シュウさん……お酒、少しは温まります?」
「胃袋だけは若干温まるけど、他は凍りそうだよ……」
「そうですか」

 ガタガタ震えている私を見て、シュウさんはプッと笑った。彼は温かそうなガウンを着ているから、私ほど寒くはなさそう。

「あんたに風邪ひかれたら明日から不便だからな……俺のベッドに来いよ」
「……は?」

 目が点になって固まった私を見て、軽く呆れた顔をするシュウさん。

「……何か勘違いしてない? 今は非常事態だから言ってるんだ。体温が二人分あれば多少あったかいだろ」
「あ、あぁ! そうですね」

 お酒が入っていたのもあるんだろう。いつものシュウさんではあり得ない発案だった。
 シュウさんの後ろをついて歩き、朝の目覚めの時とお掃除の時しか入ることのない彼の部屋に足を踏み入れる。

「まったく……いつまで停電してんだよ」

 ぶつくさ言いながら、彼はモソモソとベッドに入った。
 私は、すぐにそこに入る勇気がなくて、ちょっとモジモジしていた。すると、シュウさんがパサッと上掛けの布団をめくって私に入るよう黙って指示した。

「……本当にいいんですか?」
「無意味な質問しないでくれる?」
「そうですね……じゃ、お邪魔します」

 ドキドキしながらそっとシュウさんのベッドに入り、彼の身体に触れないよう気を付けながら布団をかぶった。

「離れてたら意味なくない?」
「どうすればいいんですか」

 そう言うと、彼はぐいっと背中を私の身体にくっつけてきた。

「ひゃぁ!」
「変な声出すなよ……これくらいくっついてないと寒いだろ」
「う……そうですね」

 確かに、二人で布団にくるまっていたら一人でいた時の数倍は温かかった。シュウさんの身体は全身筋肉で出来てるから、その発熱量は大きい。
 しばらくして、ベッドの中が適度に温まってきた頃……シュウさんはクークーと寝息をたてて眠ってしまった。
 温かいのはいいけど、私は興奮してしまって寒かった時よりさらに眠れなくなり……背中に感じるシュウさんの体温を感じながら、一晩中ドキドキしていたのだった……

(これって……恋なのかな?)

 ずっとシュウさんがモデルでカッコいいからドキドキしてるんだと思っていたけど。それだけでこんなにときめくのはおかしい。冷たい態度の中に見えるほんの少しの優しさに私のハートが温められて……無意識のうちに彼を異性として意識してしまうようになったのかもしれない。


 こんな感じで、シュウさんを好きだと自覚してからの私はあたふたする事が増えてしまった。しかもこの本心は打ち明けられない……何といっても彼はご主人様なのだ。好きだとかそういう感情を出してしまったらここで仕事をするのが難しくなる。

(つらいけど……片想いのままかな)

 シュウさんが使ったばかりの少し湿ったバスタオルを手に、私は「はぁ」とため息をつく。
 一緒のお屋敷で過ごしていて分かった事だけど、シュウさんは多分かなりのテクニシャンだ。エロチックな気分にさせる色気も持っているし、女心を絶妙にくすぐるサディスティックな言葉の操り方も知っている。
 この人の魅力に捕らわれたら、苦難があってもついていきたい女性は少なくないはずだ。

(何で彼女いないんだろう? 店長が心配するほど女っ気がないってどういう事?)

 私の知らないシュウさんの過去。彼の心に陰を落とす事があったのは確かみたいで。
 その顛末を知ったのは、ずっと後の事だ。



   4 その名もカオリン


 シュウさんとの生活にやっと少し慣れた頃、再び私を混乱させる出来事が起きた。
 この屋敷で一緒に暮らす人間が、少しの間増えるというのだ。しかも、その人はシュウさんにとってとても大切な人らしい。

「大切な人……ですか」
「ああ。俺の唯一の女だからな」
「おっ、女!?」

 私は本気で飛びあがってしまうほど驚いた。
 シュウさんに特定の恋人がいた!? ショックもあったけど、「そんな人がいたのか」というのが本音だ。でも、私の反応を見てシュウさんは満足したようにニヤッと笑って言葉を足した。

「……っていうのは冗談だけど。まあ、特別な人間なのは本当だから……」

 私がまだ頭から湯気を出している最中だっていうのに、シュウさんはその人の写真をテーブルに投げた。

「名前は樫村かしむらカオリ。今日の三時までにはここに来るはずだから……まあ、適当によろしく」

 そう言い捨てて、シュウさんは撮影の仕事があるとかでさっさと出かけてしまった。

「……」

 沈黙したまま、テーブルに置かれた写真を見る。
 樫村カオリ。モデル風の、肉付きが程よくてセクシーな感じの美人だ。

「……この人にメイドも頼めばいいんじゃないの?」

 何となくムカッとくる。
 恋人でもない女性を屋敷に入れる。シュウさんの性格上、よほど特別な関係でなければ、そんな事はしないはずだ。

(いったいこの女性はシュウさんとどういう関係なの?)

 嫉妬しっとが入り混じった気分で写真を見る私。女っ気がないって思っていたのは店長と私だけで……

「シュウさんって案外遊び人だったりして……」

 彼は美形だし、何ていったってお金持ちだ。誰だって好きになるだろう。
 そんな彼にとっての「特別な女性」。
 この美人と一緒に、当分過ごさなければならないのかと思うと心は晴れなかったけど、私はそれをぐっとこらえて……掃除の続きをやった。


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