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5章

信じさせて2

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『少しの時間でいいから話できない?』

 今更なんだろうかと不審な気持ちにしかならない。
 坂田さんとの付き合いがうまくいっているのかどうか、もう私には興味もないことだったし、万が一何か相談されても困るなというのが正直なところだった。

 それを素直にメールで返すと、圭吾はさらに具体的にメールを書いてきた。

『佐伯課長の話をちょっと聞きたいんだ』

 恭弥さんのことを話題に出されたら、流石に黙ってはいられない。
 どういうことかとメールで尋ねても教えてくれる気配なかった。

(どうして圭吾が恭弥さんのことを尋ねてきたりするんだろう。私と彼が付き合ってることは、まだ会社の人は誰も知らないはずなのに)

 その時、偶然坂田さんが目の前を通ったせいで心臓が嫌な音を立てる。

(今日私と会ったりして大丈夫なの?)

 コピー機の前にいる彼女を盗み見るけれど、特にいつもと変わらない表情で仕事を進めている。
 圭吾からの告げ口で恭弥さんへの気持ちがどうこうなるとは思わないけれど、なんだか悪いことをするみたいで気持ちが進まない。
 それでも圭吾は依然と変わらない一方的なメールで私を誘い出した。

『ミラノで17時に待ってる』

 行きたくないとメールしたけれど、私の返信には応答しない。

(相変わらずだなあ)

 行きたくない気持ちの方が強かったけれど、恭弥さんのことってなんだろうという気持ちは消すことはできない。

(話だけ聞いて、アルコールは飲まないで30分で帰る。そうしよう)

 そう決めると、私はとりあえずその日の仕事に集中した。

***

 ミラノという洋食屋は、圭吾と付き合っていた頃に時々立ち寄ったお店だった。
 なんとなく店長と顔を合わせるのも気まずくて、圭吾と別れてからは行っていない。

(なのにまた圭吾とここで会うことになるなんて)

 なぜか自分の方が先に着いてしまい、余計嫌な気分だ。
 私は落ち着かない気分で水だけ一気に飲んでしまった。
 すると店長が気遣うように私を見て、声をかけてくれた。

「お客様。飲み物だけ先にお出ししましょうか」
「あ……じゃあグラスワインの赤をお願いします」
「以前と同じ、軽めのものでよろしいですか?」
「は、はい」
(覚えててくれたんだ)

 嬉しいような、気まずいような。
 私はそわそわした気持ちのまま、運ばれてくるワインを眺めた。
 懐かしいお店で一口ワインを口にした時、やや焦った様子で圭吾が店に入ってきた。

(呼び出しておいて遅刻とか……)
「遅かったね」

 つい棘のある感じでそう言うと、圭吾は申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる。

「ごめん。美里に勘繰られそうだったから、ちょっと別の店で時間潰してた」
「勘繰られる……って、疑われるようなことしてるのはそっちでしょう?」
「いやいや。悪さしてんのは向こうの方だし」

 圭吾は席に着くなり、頭を抱えて絶望的なため息を吐いた。

「悪さ? 坂田さんが?」

 うんと頷いてから圭吾は真面目な顔で私を見る。

「いきなりだけど、聞いていい?」
「何?」
 
 ドキッとしつつ尋ね返したところで、店員さんがオーダーを取りに来た。
 圭吾は私のグラスワインを見て同じものと、チーズの盛り合わせを頼んですぐに私に向き直った。

「栞って佐伯さんと付き合ってんの?」
「え……ううん、付き合ってないよ」

 仕事がやりづらくなるから、付き合ってることはしばらく伏せようと約束したのだ。
 だから会社では一切それと分かるような言動は取っていない。
 圭吾はエレベーターの一件があるから、何かあるのかと思っているのだろう。

「本当に?」
「本当に。佐伯さんは特定の恋人は持たない主義みたいだし」
「……なるほどねえ」

 妙に納得した様子で、圭吾は頷いた。

「迫られたら誰とでも寝るって噂本当なのか」

(……っ)

 驚いて言葉に詰まったけれど、私も過去の話は本人から聞いているし否定はできない。

「昔、そういう噂があっただけでしょ? 今はないと思うよ」
「どうかな。独身だし、狙ってる女性が多いのは俺も知ってる」

 元カレから今の恋人がモテる話を聞いている自分の立場が、よくわからなくなってくる。

「……その話、坂田さんと何が関係あるの?」
 
 なるべく冷静を装って尋ねると、圭吾は気まずそうに目を伏せて一つため息をついた。
 こんなクリスマスイブの夜に元カノを呼び出してまで聞くことなのだから、彼にとって相当に重要な話なのだろう。
「まさか、坂田さんと佐伯さん……が何か関係あるの?」

 否定してほしくてそう聞くと、圭吾は否定せずにただ黙っている。
 その沈黙に心臓が嫌な音を立てた。

「嘘でしょ? だって坂田さんは圭吾と……」

 二人は結局今や誰もが認める恋人になっていて、私も結婚の話でも出たら普通におめでとうと言えそうだなと考えていたくらいなのだ。
 でも、彼らの関係は私が想像していたような甘いものとはちょっと違ったようだ。

「栞にひどいことしておいて言えることじゃないのかもしれないけど」

 そう前置きしてから、圭吾は今日私を呼び出した本当の理由を口にした。

「正直、俺……あいつとどう付き合っていいかわかんないんだ」
「……どういうこと?」
 
 どうやら坂田さんは性欲が強く、毎晩必ず求められるのだという。

「俺も嫌いじゃないから最初は良かったんだ。でも、疲れてると難しい日もあってさ……」
「あー……うん」
(なんでこんな話、聞かなきゃならないの)
 
 困惑でどんな表情をしていいかわからなくなっている私の前に、チーズの盛り合わせが置かれた。
 圭吾の前にもグラスワインが置かれ、私はわずかに揺れる赤い液体に見入った。

(振られた理由がそこなのに、圭吾はどういう神経でこんな話をするんだろう)

 圭吾の自分勝手さと無神経さに、流石にはらわたが煮え繰り返りそうだ。
 恭弥さんの話なんじゃなければ、速攻で話を切り上げて帰っているところだ。
 それでも私は本音をグッと我慢して、客観的な意見を言ってみた。

「ちょっと依存症の傾向があるんじゃない?」
(求めても、求めても寂しさが埋まらないとか。そういう心の傷的な……)

 私の意見に圭吾も思い当たるところがあるようで、うんと頷いた。

「……かもな。でも体の浮気を時々は我慢してほしいっていうのは……それはちょっと耐えられそうにないんだ」

 坂田さんがそんなに旺盛な人だったとは初耳だけど、私が気になるのはその先だった。

「それで、坂田さんの欲求と佐伯さん……何か関係あるわけ?」

(まさか今も時々会ってるとかだったら、私耐えられないんだけど)

 尋ねておいて、心臓が痛い。
 胸を押さえながら答えを待っていると、圭吾はポツリと呟いた。

「今までで一番良かったのは佐伯さんなんだって」
「え?」
「この前、美里が酔っ払った口でこぼしたんだ……あの人より良かった人はいないって」
「…っ」

(いつの話なの? 本当だとしても、かなり前のことだよね)

「で、でも。それって随分昔の話なんでしょ?」

「さあ。何年前かは分からないけど、美里が体の関係だけでもいいのにって言うくらいだから相当良かったんじゃない……」

「……」

 恭弥さんを忘れられない女性の気持ちは、否定できない。
 あの人のルックスだけでなく、どこか捉えどころがない気だるい感じ。
 たまに見せる可愛い顔。
 
 そういうのを併せただけでも魅力的なのに、肌に触れてくる指遣いや唇だけでいたるところを麻痺させるほどに感じさせてくるテクニックを知ってしまったら……

 それは……簡単に忘れるなんてできないだろう。

(恭弥さんは……一晩で相手の体に自分の魅力を刷り込んでしまう人なんだ)

 単にモテるというだけではおさまらない、女性を夢中にさせる天才なのだろう。

(それでも彼自身は私を愛そうとしてくれてるし、必要だと言ってくれてる。だから信じようって決めて……いるんだけど)

 空腹に入れたワインが今更のように回ってきて、私は圭吾がその後何を話しているのか耳に入らなくなっていた。
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