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4章
包まれる喜び(SIDE恭弥)
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(SIDE 恭弥)
俺の中にあった罪悪感は、栞を幸せにすることで拭えるんじゃないか。
そんな思いが少しあった。
体を重ねたからといって、心まで得られるわけじゃないのは自分でも承知していて。
栞は気づいていないかもしれないが、元カレを思い出すという時点でまだ彼女の心は彼のところに少しはあるという証拠だ。
(奪われたくない)
これはエゴだと知っていても、その想いをぶつけないでいられなかった。
ずるいと分かっていても、彼女が俺を受け入れるだろう言葉を巧みに使った。
そして当然のように彼女は心を開き、俺を受け入れた。
(……どこまでも俺って人間は薄汚れてる)
父を裏切った女性と関係を続けていた時点で、俺は母をも同時に裏切っていたことになる。
両親を裏切った息子っていうのは、どういう罪になるんだろうか?
こんな重いものを栞に背負わせるつもりはなかった。だから彼女が佳苗さんのことを気にしているという事実にハッとなる。
(そうか。告げるということは、背負わせるということと同じだったな)
反省はしても後悔はしない。
俺の駄目な部分も多少見てもらわないと、幻滅されるスピードが早まるだけだ。
栞には俺が皆から称賛されている部分ではなく、もっと闇の部分も知ってもらうことになるのだろうから。
「栞?」
夢中で抱いてしまったせいか、ハッと気づくと栞は腕の中で気を失うように眠っていた。
汗で頬に張り付いた髪をかき分け、そっとキスをしてやる。
「……セックスは確かに大事だ。こうして触れ合うと一緒になれた感じもわかる。でも……離れたらまた別々の人間に戻るっていう寂しさも大きくなるんだ」
佳苗さんが自分にとってどういう存在なのか判断できないでいた頃、俺は漠然と温もりが離れる寂しさは怖いものだと実感していた。
これが母親の愛を得られなかった人間の感覚なのかどうかはわからない。
でも、俺が『個』であること。
そのことを体を離す度に実感するのは、とても嫌なものだった。
(栞……君とはそういう悲しい関係にはなりたくはない)
俺が初めて心奪われた女性は、とても普通で、とても純粋で、とても……危なっかしい人だ。
しっかり見ていないと、あっという間に別の場所へ連れて行かれそうな危うさがある。
(裏切りを罪だとは思わないが、君を幸せにするのは俺だけなんだって……心でも体でも刻んでほしい)
「いや、俺がこれから刻んでやればいいのか」
我ながら勝手な人間だなと呆れつつ、それでも俺は腕の中の愛おしい存在を手放す気にはなれなかった。
***
翌日、目が覚めると栞は朝ご飯の支度をしていた。
俺は普通の家庭の朝を知らず、よく小説や映画で見る家族団欒の風景はファンタジーだろうと思って見ていた。
「あ、起きました?」
少し照れた表情で俺を見ると、栞はまだ湯気の出ているおかずに視線を落とした。
「ありもので申し訳ないんですけど。朝ごはん食べません?」
「栞が作ったの?」
「はい。と言っても、作ったのは卵焼きだけで……ほうれん草なんかは茹でただけですし。納豆は言わずもがなです」
このあまりに当たり前だという空気が、俺にとっては軽く衝撃だった。
何せ、一晩を過ごした女性と朝飯まで共にするっていうのは今までなかったから。
「……ありがとう」
まだ夢の途中なのかと思いながら、俺は彼女が用意してくれた食事を口にした。
レンジで温めたのではないぬくもりが、喉を通って胃に落ちていく。
(美味い)
「どうですか?」
心配そうに尋ねるから、なんだかおかしくなってしまう。
「おいしいよ」
「良かった! 恭弥さんが洋食派だったらガッカリさせちゃうなぁと思ってたんです」
「いや、俺は洋食も和食もどっちも好きだし。栞の手作りならきっとなんでも美味いよ」
「……上手ですね」
照れたような拗ねたような、微妙な顔で栞も箸を動かし始める。
この一般に普通と言われる風景に自分が入っていることが、なんとも不思議な感じがした。
そして、これは栞と自分があまりに違う世界で生きてきたのではという不安とも繋がった。
(考えすぎだろう。お互い知らない部分は埋めていけばいいわけだし)
そう考えるものの、やっぱり栞を幸せにすることなど自分にはできないのではという漠然とした弱さが顔をもたげる。
こんなに自分は情けなかったか?
そう自問自答するも、答えはすぐに出てこない。
(今まで以上に彼女を大切に扱う……今の俺にできるのは、それくらいか)
ゆっくりご飯を口に運びながら、俺はこの小さな優しい幸せが永遠に続いてほしいと願っていた。
それが簡単には叶わないのだと心の奥では知っていたからに違いないのだけれど。
自分と、自分の好きな人の幸せを願うのは、人間の当然の欲求なんじゃないのか?
俺の中にあった罪悪感は、栞を幸せにすることで拭えるんじゃないか。
そんな思いが少しあった。
体を重ねたからといって、心まで得られるわけじゃないのは自分でも承知していて。
栞は気づいていないかもしれないが、元カレを思い出すという時点でまだ彼女の心は彼のところに少しはあるという証拠だ。
(奪われたくない)
これはエゴだと知っていても、その想いをぶつけないでいられなかった。
ずるいと分かっていても、彼女が俺を受け入れるだろう言葉を巧みに使った。
そして当然のように彼女は心を開き、俺を受け入れた。
(……どこまでも俺って人間は薄汚れてる)
父を裏切った女性と関係を続けていた時点で、俺は母をも同時に裏切っていたことになる。
両親を裏切った息子っていうのは、どういう罪になるんだろうか?
こんな重いものを栞に背負わせるつもりはなかった。だから彼女が佳苗さんのことを気にしているという事実にハッとなる。
(そうか。告げるということは、背負わせるということと同じだったな)
反省はしても後悔はしない。
俺の駄目な部分も多少見てもらわないと、幻滅されるスピードが早まるだけだ。
栞には俺が皆から称賛されている部分ではなく、もっと闇の部分も知ってもらうことになるのだろうから。
「栞?」
夢中で抱いてしまったせいか、ハッと気づくと栞は腕の中で気を失うように眠っていた。
汗で頬に張り付いた髪をかき分け、そっとキスをしてやる。
「……セックスは確かに大事だ。こうして触れ合うと一緒になれた感じもわかる。でも……離れたらまた別々の人間に戻るっていう寂しさも大きくなるんだ」
佳苗さんが自分にとってどういう存在なのか判断できないでいた頃、俺は漠然と温もりが離れる寂しさは怖いものだと実感していた。
これが母親の愛を得られなかった人間の感覚なのかどうかはわからない。
でも、俺が『個』であること。
そのことを体を離す度に実感するのは、とても嫌なものだった。
(栞……君とはそういう悲しい関係にはなりたくはない)
俺が初めて心奪われた女性は、とても普通で、とても純粋で、とても……危なっかしい人だ。
しっかり見ていないと、あっという間に別の場所へ連れて行かれそうな危うさがある。
(裏切りを罪だとは思わないが、君を幸せにするのは俺だけなんだって……心でも体でも刻んでほしい)
「いや、俺がこれから刻んでやればいいのか」
我ながら勝手な人間だなと呆れつつ、それでも俺は腕の中の愛おしい存在を手放す気にはなれなかった。
***
翌日、目が覚めると栞は朝ご飯の支度をしていた。
俺は普通の家庭の朝を知らず、よく小説や映画で見る家族団欒の風景はファンタジーだろうと思って見ていた。
「あ、起きました?」
少し照れた表情で俺を見ると、栞はまだ湯気の出ているおかずに視線を落とした。
「ありもので申し訳ないんですけど。朝ごはん食べません?」
「栞が作ったの?」
「はい。と言っても、作ったのは卵焼きだけで……ほうれん草なんかは茹でただけですし。納豆は言わずもがなです」
このあまりに当たり前だという空気が、俺にとっては軽く衝撃だった。
何せ、一晩を過ごした女性と朝飯まで共にするっていうのは今までなかったから。
「……ありがとう」
まだ夢の途中なのかと思いながら、俺は彼女が用意してくれた食事を口にした。
レンジで温めたのではないぬくもりが、喉を通って胃に落ちていく。
(美味い)
「どうですか?」
心配そうに尋ねるから、なんだかおかしくなってしまう。
「おいしいよ」
「良かった! 恭弥さんが洋食派だったらガッカリさせちゃうなぁと思ってたんです」
「いや、俺は洋食も和食もどっちも好きだし。栞の手作りならきっとなんでも美味いよ」
「……上手ですね」
照れたような拗ねたような、微妙な顔で栞も箸を動かし始める。
この一般に普通と言われる風景に自分が入っていることが、なんとも不思議な感じがした。
そして、これは栞と自分があまりに違う世界で生きてきたのではという不安とも繋がった。
(考えすぎだろう。お互い知らない部分は埋めていけばいいわけだし)
そう考えるものの、やっぱり栞を幸せにすることなど自分にはできないのではという漠然とした弱さが顔をもたげる。
こんなに自分は情けなかったか?
そう自問自答するも、答えはすぐに出てこない。
(今まで以上に彼女を大切に扱う……今の俺にできるのは、それくらいか)
ゆっくりご飯を口に運びながら、俺はこの小さな優しい幸せが永遠に続いてほしいと願っていた。
それが簡単には叶わないのだと心の奥では知っていたからに違いないのだけれど。
自分と、自分の好きな人の幸せを願うのは、人間の当然の欲求なんじゃないのか?
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