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プロローグ
Episode1 客人の願いは叶えられた。
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―僕も、君と世界を見て回りたいー
そんな夢はとうの昔に捨てた七月中旬、斜陽のビル街に蒸される。雑踏に混じって信号待ちする僕は、コンクリートに滴り落ちる汗とそのシミを呆然と眺めていた。
赤点だらけの答案用紙は、クシャクシャにして、肩から下げる鞄の中に。教室で嗤われることに慣れていたのが、唯一の救いだった。
後方から誰かの肩がぶつかり、力なくよろける。気がつくと、信号が青になっていた。細長い影に引きずられるように、片側二車線の長い横断歩道を渡る。
「あー」
世界、滅ばないかな。
そんな、漠然とした、切実な願い。間違いなく、『鈴川主人公』とかいうおめでたい名を持つ人間の願いではないと、乾いた笑いが自然と浮かぶ。この名前のせいで、僕はいつだって面白おかしい客人だった。
横断歩道を渡りきってしばらくすると、どこからか良い匂い。嗚呼、これは濡れたコンクリートの匂いだ。中学生の時、この匂いがすると部活が中止になったので、この匂いは好きである。僕を唯一客人として扱わなかった親友と帰れる合図だったのだ。
雷鳴と雨音が近づいてきた。オレンジが灰色に陰ってきたので、右手を差し出し、空を見上げる。頬と手のひらに、ポツリ、ポツリ。そして、容赦なく大粒の雨が降り注ぐ。
しかし、濡らせど、濡らせど、笑顔は乾いたまま。傘は、持っていない。
「あーあ。どうしよっかな」
いっそ、死んでしまおうか。……いや、死ぬ勇気も、気力もないな。
視線を落とす。そこには、轟々と唸るマンホール。僕は、前髪から落ちる雫を、ただ見つめていた。
ドン、と前方から肩がぶつかる。斜め後方へ力なくよろける。
「……もう、消えてしまいたい」
不自然なまでにゆっくりとした時間のなか、一粒の雨にそう祈った。
ドボン
目を開ける。沈んでる。水面は、光源は、あっという間に遠くへ。え。いや、え?
「ゴバッ」
たまらず、息を吐き出した。水泡は上昇し、光点に吸い込まれていく。
心も身体も深淵に沈んでいく中、僕は星に手を伸ばすことはしなかった。
***
雨音と遠い破裂音。背中には、硬く冷たい感触。恐る恐る、目を開ける。
そこには、白い砂漠、ぽつりぽつりと浮かぶ廃墟、曖昧な地平線。そして、黒よりの灰色に染まった空。まるで、白黒テレビの中に迷い込んだみたいだ。濡れて重くなったワイシャツと、手元の冷たく滑らかな感触は、本当によくできていると思う。
ただ、状況は夢そのものだ。そうであれば、一体どこから夢なのだろう。このモノクロの世界に来てから? 水溜まりに沈んでから? それとも、『主人公』とかいうふざけた名前をつけられたところからだろうか?
両手で砂を掬い上げる。水分を含んで少し汚くなってはいるが、やはり空よりは白っぽい。
ところで、先ほどから度々聞こえる破裂音。この雨の中で、何か軽く爆発でもしているのだろうか。そう、例えば正面に見える廃墟の影とか……。
何か、耳をかすめた。耳元で、目覚ましには余りある、鼓膜が裂けんばかりの爆音。何が、起こった?
「g7hd@yth-」
耳元で、何か機械のような声がする。次の瞬間、僕は雨の中を低空飛行していた。いや、正確には飛ぶように駆ける何かの小脇に抱えられているのだ。その何かは段々と速度を上げ、後方の破裂音、もとい銃声が遠くなっていく。
しばらくして、屋根のある廃墟に降ろされる。落ち着いて僕を抱えていた”何か”を見上げる。そこにいたのは、白髪の美少女だった。なんというか、まるで……。
「天使、みたい」
「q@ed@942@?」
やばい、声に出ていたか? そう慌てていると、彼女はしゃがみ込み、僕の目をじっと見るのだ。
「あの……」
混乱する中、とりあえず何か問おうとする。しかし、その瞬間、事件は起きた。
「rg7iyh@ted」
「えっ……え?」
起きたことを、ありのままに言葉にする。彼女は僕の両肩をがっちりつかんだかと思えば、目を閉じて顔をこちらに近づけてきたのだ。
「あの、何を」
だめだ、この子話聞かない。そうか、これは夢だ。ちゃんと五感が機能する夢だそうに決まっている。そうでなければこんなこと起こりうるはずがない。
僕は、ぎゅっと目を閉じた。
「……?」
唇に、例の感覚はない。代わりにおでこにひんやりとした感覚が伝わってくる。そういえば、肩のあたりもこころなしかひんやりとしている。
「スキャニング完了です。お疲れさまでした」
しばらくして、額と肩のひんやりとした感覚はなくなった。恐る恐る目を開ける。すると、彼女は立ち上がっていて、僕に手を差し出していた。
「お客人様。ようこそ、この世界へ」
そんな夢はとうの昔に捨てた七月中旬、斜陽のビル街に蒸される。雑踏に混じって信号待ちする僕は、コンクリートに滴り落ちる汗とそのシミを呆然と眺めていた。
赤点だらけの答案用紙は、クシャクシャにして、肩から下げる鞄の中に。教室で嗤われることに慣れていたのが、唯一の救いだった。
後方から誰かの肩がぶつかり、力なくよろける。気がつくと、信号が青になっていた。細長い影に引きずられるように、片側二車線の長い横断歩道を渡る。
「あー」
世界、滅ばないかな。
そんな、漠然とした、切実な願い。間違いなく、『鈴川主人公』とかいうおめでたい名を持つ人間の願いではないと、乾いた笑いが自然と浮かぶ。この名前のせいで、僕はいつだって面白おかしい客人だった。
横断歩道を渡りきってしばらくすると、どこからか良い匂い。嗚呼、これは濡れたコンクリートの匂いだ。中学生の時、この匂いがすると部活が中止になったので、この匂いは好きである。僕を唯一客人として扱わなかった親友と帰れる合図だったのだ。
雷鳴と雨音が近づいてきた。オレンジが灰色に陰ってきたので、右手を差し出し、空を見上げる。頬と手のひらに、ポツリ、ポツリ。そして、容赦なく大粒の雨が降り注ぐ。
しかし、濡らせど、濡らせど、笑顔は乾いたまま。傘は、持っていない。
「あーあ。どうしよっかな」
いっそ、死んでしまおうか。……いや、死ぬ勇気も、気力もないな。
視線を落とす。そこには、轟々と唸るマンホール。僕は、前髪から落ちる雫を、ただ見つめていた。
ドン、と前方から肩がぶつかる。斜め後方へ力なくよろける。
「……もう、消えてしまいたい」
不自然なまでにゆっくりとした時間のなか、一粒の雨にそう祈った。
ドボン
目を開ける。沈んでる。水面は、光源は、あっという間に遠くへ。え。いや、え?
「ゴバッ」
たまらず、息を吐き出した。水泡は上昇し、光点に吸い込まれていく。
心も身体も深淵に沈んでいく中、僕は星に手を伸ばすことはしなかった。
***
雨音と遠い破裂音。背中には、硬く冷たい感触。恐る恐る、目を開ける。
そこには、白い砂漠、ぽつりぽつりと浮かぶ廃墟、曖昧な地平線。そして、黒よりの灰色に染まった空。まるで、白黒テレビの中に迷い込んだみたいだ。濡れて重くなったワイシャツと、手元の冷たく滑らかな感触は、本当によくできていると思う。
ただ、状況は夢そのものだ。そうであれば、一体どこから夢なのだろう。このモノクロの世界に来てから? 水溜まりに沈んでから? それとも、『主人公』とかいうふざけた名前をつけられたところからだろうか?
両手で砂を掬い上げる。水分を含んで少し汚くなってはいるが、やはり空よりは白っぽい。
ところで、先ほどから度々聞こえる破裂音。この雨の中で、何か軽く爆発でもしているのだろうか。そう、例えば正面に見える廃墟の影とか……。
何か、耳をかすめた。耳元で、目覚ましには余りある、鼓膜が裂けんばかりの爆音。何が、起こった?
「g7hd@yth-」
耳元で、何か機械のような声がする。次の瞬間、僕は雨の中を低空飛行していた。いや、正確には飛ぶように駆ける何かの小脇に抱えられているのだ。その何かは段々と速度を上げ、後方の破裂音、もとい銃声が遠くなっていく。
しばらくして、屋根のある廃墟に降ろされる。落ち着いて僕を抱えていた”何か”を見上げる。そこにいたのは、白髪の美少女だった。なんというか、まるで……。
「天使、みたい」
「q@ed@942@?」
やばい、声に出ていたか? そう慌てていると、彼女はしゃがみ込み、僕の目をじっと見るのだ。
「あの……」
混乱する中、とりあえず何か問おうとする。しかし、その瞬間、事件は起きた。
「rg7iyh@ted」
「えっ……え?」
起きたことを、ありのままに言葉にする。彼女は僕の両肩をがっちりつかんだかと思えば、目を閉じて顔をこちらに近づけてきたのだ。
「あの、何を」
だめだ、この子話聞かない。そうか、これは夢だ。ちゃんと五感が機能する夢だそうに決まっている。そうでなければこんなこと起こりうるはずがない。
僕は、ぎゅっと目を閉じた。
「……?」
唇に、例の感覚はない。代わりにおでこにひんやりとした感覚が伝わってくる。そういえば、肩のあたりもこころなしかひんやりとしている。
「スキャニング完了です。お疲れさまでした」
しばらくして、額と肩のひんやりとした感覚はなくなった。恐る恐る目を開ける。すると、彼女は立ち上がっていて、僕に手を差し出していた。
「お客人様。ようこそ、この世界へ」
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