彼女は空気清浄機

obbligato

文字の大きさ
上 下
5 / 24

04 ミナツキ

しおりを挟む

 鏡の中の少年は酷く疲れ切った顔をしていた。青白い頬に、口角の下がった唇、死んだ魚みたいな虚ろな瞳。

 じっと見つめていると意識がぼうっとしてきて、これが自分の顔なのだということを忘れてしまう。

 随分と幸薄そうな顔だ───気付けば客観的に自分を見ている。

 これが自分なのだと認めたくない一方で、自分を失いたくないという相反する感情が沸き起こる。

 自分が酷く惨めで憐れで情けなくて、胸がキリキリと痛み出す。例えようのない悲壮感に苛まれる。

 僕は無価値な人間。この世から消えて無くなってしまいたい。それでもやっぱり死ぬのは怖くて、でも生きてるのは辛くて、この生き地獄から楽になるために、自分を傷付ける。

 これは自分への“罰”。

 罰を受けてる自分は可哀想な存在であり、決して咎め立てられるような存在ではないと思いたいから。

 そうやって僕はいつも、自分を取り戻しているのだ。

 鏡に背を向け、男子トイレを出る。いつの間にか雨は上がり、雲間からは月が顔を覗かせていた。

 ミナツキから何かしら連絡が来ないだろうかとスマホを見つめていたところ、公園の駐車場の方から誰かが歩いてきた。

 こんな夜更けに公園に来る理由があるのは、彼女しかいない。

 近付いてくる影に向かって、擦れた声で問いかける。

「ええと…ミナツキさん、ですか?」

「はい」

 聞き覚えのある澄んだ声が応答する。

葉影はかげシンさんで間違いないですか?」

「はい」

 “葉影シン”というのは僕がSNSで使っているアカウント名だ。僕らは互いに本名を名乗っていないので、そんな風に呼び合うしかなかった。

 ちなみに葉影は葉介の“葉”から。シンは姫川の中から“臣”を取って“臣”。漢字のままだと読み方がわかりづらいので、カタカナに変換した。

「ええと……お久しぶりです。すみません、こんな時間に」

「いいえ、どうぞお気になさらず」 

 彼女がさらに距離を詰めてきた。春休みに出会った少女と同一人物であるはずなのに、今日はなんだか雰囲気が違った。背後にあるのが太陽ではなく、月だからだろうか───月光を反射した瞳が妙に艶めかしく、禍々しい。

 なんだか別人のようで思わずたじろいでしまったが、愛嬌のある垂れ目に笑い掛けられた瞬間、緊張は魔法のようにほどけた。

「じゃあ、行きましょうか」

「はい」

 挨拶もそこそこに、僕たちは公園の裏の駐車場へ向かった。そこに彼女の車が停めてあるらしい。

 可憐な彼女にはパステルカラーの軽自動車が似合いそうだ。芳香剤はフローラル系で、お洒落なシートカバーが敷いてあって───

 などとあれこれ妄想していたが、待ち構えていたのは黒のハイエースワゴンだった。

 闇の中だからか妙に威圧感があり、乗るのを躊躇ってしまう。

 このまま誘拐されてしまうんじゃないか……そんな気さえしてくる。

 だが今更引くこともできず、僕は黙って助手席に乗った。

 フローラルの香りどころか、車内は軽く煙草の匂いがした。よく見ると、ドリンクホルダーには車用灰皿と思しき容器が設置されている。

 運転免許も持っていて喫煙者ということは、二十歳以上ということか。それにしては随分若く見えるけど。

 ミナツキも運転席に乗り込み、慣れた手つきでエンジンを掛ける。

 僕の緊張が彼女にも伝わったのだろう。

「もし抵抗があるなら、降りても構いませんよ」

 気遣いの言葉を掛けてくれた。

「いえ、大丈夫です。ただ…ミナツキさんて煙草吸うんだなと思って…」

 どうでもいい話題を振った。

「ああ……その吸い殻は私が吸ったものじゃありませんよ」

 苦笑混じりに彼女は言う。

「実はこの車、近所に住む知り合いから借りてきたものなんです。私は車を持っていないので…」

「そうだったんですね。なんか、すみません…。そのお知り合いの方にも、よろしくお伝えください」

「どうぞお気になさらないでください。そんなことより、あまり夜更けに一人歩きしない方がいいですよ。不審者や変質者の格好の的です」

「……そうですね」

 “僕は男だから大丈夫ですよ”とは言えなかった。性犯罪者のターゲットは女性だけとは限らないことを、僕は身を持って知っている。

 そこでいったん会話は途切れた。僕はただぼんやりと、単調な景色が通り過ぎていくのを眺めていた。

 車は町の中心部から外れ、住宅と工場、商業施設などが混在する準工業地域へと入っていく。

「着きました」

 今にも崩れそうなオンボロの建物の前で降りるよう指示された。閉ざされたシャッターには○○ゴム工業所という掠れた文字が書かれてある。

 ミナツキが軽くシャッターを叩くと、ややあってからガラの悪そうな男らが顔を覗かせた。一人は金髪のツーブロックで、もう一人はスキンヘッドで首にタトゥーがあった。

 僕はびっくりしてとっさに電柱の陰に身を隠した。

 まさか彼女がこんなチンピラから車を借りていたなんて。知り合いって言ってたけど、どういう関係なんだろう…。

 ミナツキは車のキーと共にいくらかの金を男らに手渡し、それからまた僕に向き直った。

「それじゃ、行きましょうか」

 雑然とした路地を歩くことおよそ五分。

 案内されたのは、かなり年季の入った木造アパートだった。ミナツキの部屋は、三階の302号室らしい。

 ガチャリと鍵穴の回る音。生唾を飲みこみ、いざ部屋の中へと足を踏み込む。

 考えてみれば、女性の家に上がるなんて生まれて初めてだ。というか、そもそも同級生の家にすら上がったことがないのだが。

 真っ暗で薄ら寒い廊下を抜け、小ざっぱりとしたリビングに案内される。

 取り合えず、テーブルの前の座布団に腰を下ろした。

「今お風呂を沸かしていますから、良かったらどうぞ」

「えっ」

「濡れたままだと風邪を引いてしまいますよ」

 確かに先ほど雨に打たれたので全身がなんとなく湿っぽくて気持ち悪い。

「ええと…じゃあ、お言葉に甘えて」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

プレッシャァー 〜農高校球児の成り上がり〜

三日月コウヤ
青春
父親の異常な教育によって一人野球同然でマウンドに登り続けた主人公赤坂輝明(あかさかてるあき)。 父の他界後母親と暮らすようになり一年。母親の母校である農業高校で個性の強いチームメイトと生活を共にしながらありきたりでありながらかけがえのないモノを取り戻しながら一緒に苦難を乗り越えて甲子園目指す。そんなお話です *進行速度遅めですがご了承ください *この作品はカクヨムでも投稿しております

ペア

koikoiSS
青春
 中学生の桜庭瞬(さくらばしゅん)は所属する強豪サッカー部でエースとして活躍していた。  しかし中学最後の大会で「負けたら終わり」というプレッシャーに圧し潰され、チャンスをことごとく外してしまいチームも敗北。チームメイトからは「お前のせいで負けた」と言われ、その試合がトラウマとなり高校でサッカーを続けることを断念した。  高校入学式の日の朝、瞬は目覚まし時計の電池切れという災難で寝坊してしまい学校まで全力疾走することになる。すると同じく遅刻をしかけて走ってきた瀬尾春人(せおはると)(ハル)と遭遇し、学校まで競争する羽目に。その出来事がきっかけでハルとはすぐに仲よくなり、ハルの誘いもあって瞬はテニス部へ入部することになる。そんなハルは練習初日に、「なにがなんでも全国大会へ行きます」と監督の前で豪語する。というのもハルにはある〝約束〟があった。  友との絆、好きなことへ注ぐ情熱、甘酸っぱい恋。青春の全てが詰まった高校3年間が、今、始まる。 ※他サイトでも掲載しております。

【完結】碧よりも蒼く

多田莉都
青春
中学二年のときに、陸上競技の男子100m走で全国制覇を成し遂げたことのある深田碧斗は、高校になってからは何の実績もなかった。実績どころか、陸上部にすら所属していなかった。碧斗が走ることを辞めてしまったのにはある理由があった。 それは中学三年の大会で出会ったある才能の前に、碧斗は走ることを諦めてしまったからだった。中学を卒業し、祖父母の住む他県の高校を受験し、故郷の富山を離れた碧斗は無気力な日々を過ごす。 ある日、地元で深田碧斗が陸上の大会に出ていたということを知り、「何のことだ」と陸上雑誌を調べたところ、ある高校の深田碧斗が富山の大会に出場していた記録をみつけだした。 これは一体、どういうことなんだ? 碧斗は一路、富山へと帰り、事実を確かめることにした。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

深海の星空

柴野日向
青春
「あなたが、少しでも笑っていてくれるなら、ぼくはもう、何もいらないんです」  ひねくれた孤高の少女と、真面目すぎる新聞配達の少年は、深い海の底で出会った。誰にも言えない秘密を抱え、塞がらない傷を見せ合い、ただ求めるのは、歩む深海に差し込む光。  少しずつ縮まる距離の中、明らかになるのは、少女の最も嫌う人間と、望まれなかった少年との残酷な繋がり。 やがて立ち塞がる絶望に、一縷の希望を見出す二人は、再び手を繋ぐことができるのか。 世界の片隅で、小さな幸福へと手を伸ばす、少年少女の物語。

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

魔法使いの少年と学園の女神様

龍 翠玉
青春
高校生の相沢優希(あいざわゆうき)は人には言えない秘密がある。 前世の記憶があり現代では唯一無二の魔法使い。 力のことは隠しつつ、高校三年間過ごす予定だったが、同級生の美少女、一ノ瀬穂香(いちのせほのか)を助けた事から少しずつ変わっていく生活。 恩に報いるためか部屋の掃除や料理など何かと世話を焼いてくれる穂香。 人を好きになった事がない優希は段々穂香に惹かれていく。 一方、穂香も優希に惹かれていくが、誰にも言えない秘密があり…… ※魔法要素は少なめです。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています

処理中です...