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01 秘密
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◆
自習中の静かな教室の片隅で、僕はひたすら折り紙を折っていた。
折り紙はいい。手を動かしていると、嫌なことを忘れられる。
背後で忍び笑いする男子たちの声さえ聞こえなければ、もっと集中して折ることができるのにな。いや、それより、ちぎった消しゴムをしきりに投げつけてくるのをいい加減やめてほしい。
僕はおずおずと後ろを振り返り、スクールカースト上位の山根陽斗をチラリと見る。三白眼の鋭い目と視線がかち合い、慌てて前を向く。
「ンだよ、姫川。なんか文句あんのかよ」
黙って俯いていると、椅子の背もたれを蹴りつけられた。蹴られた拍子に机がずれ、折り紙で作ったチューリップが床に落ちる。
「ははっ、見てみろよこれ。コイツ、花なんか折ってやんの」
山根はチューリップをぐしゃりと握りつぶし、僕の頭に投げつけてきた。他の男子たちがゲラゲラ笑い出す。僕は何も言い返せず、ひたすら俯いてこの時間が終わるのを待っている。
高校デビューを目指していたわけじゃないけれど、せめて中学の時よりはまともなスクールライフが送れることを祈っていた。
なのに、結局こうだ。安定のスクールカースト最下層。友達どころか、挨拶を交わすクラスメイトすらいない。
まぁ、一人の方が気が楽だから構わないのだが。
どんなやつにも必ず裏がある。信用して期待して裏切られるより、ひとりぼっちで耐えた方がずっといいんだ。
*
ゴールデンウィーク明けの席替えで、胡桃沢美桜という女子と席が隣同士になった。
肩で切りそろえたサラサラの黒髪に、涙袋の目立つ大きな瞳。アイドルも顔負けの美少女である彼女はクラスのマドンナ的存在で、いつもたくさんの友達に囲まれていた。
僕みたいな陰キャは一生関わることのないタイプだろう。そう思っていたのだが……。
「おはよ!姫川くん」
席替えをした翌日、美桜が僕に声を掛けてきた。
「えっ?」
僕は馬鹿みたいに口をポカンと開けて固まっていた。なにせ女子と会話した経験がほとんどなかったし、相手はクラス中の男子の憧れの的だ。「おはよう」というたった四文字の言葉を口から絞り出すのがこんなにも大変だったとは思わなかった。
頷くのが精一杯だった。そんな情けない僕を見て、美桜はくすっと吹き出した。だけどその反応は、馬鹿にしているわけではないようだった。
「ごめんね。いきなり話し掛けて」
僕の顔色を窺いながら、美桜は不安げにちょっと俯く。
「迷惑だったかな…」
「いや、別に……そんなことは……」
僕は何だか恥ずかしくて、ずっと机の上ばかり見ていた。
なんで彼女は僕なんかに話し掛けてきたんだろう。
なんだか居心地が悪いな。
彼女には悪いけど、あっちへ行ってくれないかな…なんて思う。
「ねぇ。姫川くんていつも折り紙折ってるよね」
「う、うん…」
「どんなの作れるの?」
「まぁ、色々……」
「色々ってことは、何でも折れるってことだよね?ちょっと何か折ってみてよ」
嫌だとは言えず、僕は手持ちの色紙を取り出して桜の花を作った。
完成した作品を渡すと、彼女は瞳を輝かせて感嘆の声を上げた。
「すごーい!可愛い!ね、この花もらってもいい?」
「うん…」
「やった。ありがとね、姫っち」
「ひ…姫っち…?」
「姫川くんのあだ名。ダメかな?」
「ダ…ダメじゃないけど……」
なんか恥ずかしいな……。
「あたしのことも美桜でいいからね」
「……う、うん」
きっと呼ばないだろうと思った。友達になれないのはわかっていたから。
美桜はスクールカースト上位の人気者。明るい日向の世界の住人。住む世界が違いすぎる。手の届かない遠い存在だ。
僕に話しかけてきたのだって、きっと気まぐれに決まってる。友達のいない僕を憐れんでいるんだ。
僕は自分にそう言い聞かせた。
“希望”という芽は小さいうちさっさと摘み取ってしまった方がいいのだ。
花が咲いた後に手折られるのはもっと痛いから。
*
学校から自宅まではバスで約三十分。僕は帰宅部なので普段は遅くとも17時までには家に着くのだが、今日は運悪く山根のグループに掃除を押し付けられてしまった。
帰宅したのは18時。すでに父は帰宅してソファで夕刊を読んでいた。
台所から、パタパタとスリッパを鳴らしながら家政婦の菫さんがやってくる。
「今日は遅かったのねぇ、葉介くん」
「はい。ちょっと掃除当番が長引いちゃって……」
「まぁ、それはご苦労様」
菫さんはエプロンを外し、帰り支度を始める。
「じゃあ今日はこれで失礼致します」
菫さんが帰ると、家の中は嘘のように静かになる。
やがて父は新聞を置き、無言で食卓に着く。僕も父の向かい側に座り、二人で菫さんの作ってくれた夕飯を黙々と食べた。
十年前に母が亡くなってから、我が家はずっとこんな感じだ。
小さいころはあれこれ干渉してきた父だが、今はもう、ほとんど何も聞いてこない。
諦観。無関心。目も合わせようとしない。
わかってる…。仕方ないことなんだ。
出来損ないの僕が悪いんだ。こんなだから、お父さんに呆れられて、見放されるんだ。
折り紙を折っている間は嫌な事を忘れていられるけど、夜になるとどうしても自己嫌悪に陥って眠れなくなってしまう。
明るい未来が想像できない。生きていく自信がなくなっていく。
どれだけ紙を折っても呼吸が落ち着かない。
気付くと紙を投げ出し、引き出しからカッターナイフを取り出して太腿に当てている。
焼けるような鋭い痛みと共に、生温かい鮮血が内腿を伝う。
そうすると、解放感と安心感が僕を包み込んでくれる。“生きている”と実感することができる。その痛みすら心地よい。
だから僕の両腿は傷痕だらけだ。
まっさらなキャンバスを埋め尽くすように隙間を探して、そこに刻みつけて。
塞がった傷痕の上に、また新しい傷を作って。
その繰り返し。
死にたいからじゃない。
生きるためにするんだ。
痛みは、血は、僕が生きていくためのクスリなんだ。
誰も知らない、誰にも知られたくない、僕の秘密───
自習中の静かな教室の片隅で、僕はひたすら折り紙を折っていた。
折り紙はいい。手を動かしていると、嫌なことを忘れられる。
背後で忍び笑いする男子たちの声さえ聞こえなければ、もっと集中して折ることができるのにな。いや、それより、ちぎった消しゴムをしきりに投げつけてくるのをいい加減やめてほしい。
僕はおずおずと後ろを振り返り、スクールカースト上位の山根陽斗をチラリと見る。三白眼の鋭い目と視線がかち合い、慌てて前を向く。
「ンだよ、姫川。なんか文句あんのかよ」
黙って俯いていると、椅子の背もたれを蹴りつけられた。蹴られた拍子に机がずれ、折り紙で作ったチューリップが床に落ちる。
「ははっ、見てみろよこれ。コイツ、花なんか折ってやんの」
山根はチューリップをぐしゃりと握りつぶし、僕の頭に投げつけてきた。他の男子たちがゲラゲラ笑い出す。僕は何も言い返せず、ひたすら俯いてこの時間が終わるのを待っている。
高校デビューを目指していたわけじゃないけれど、せめて中学の時よりはまともなスクールライフが送れることを祈っていた。
なのに、結局こうだ。安定のスクールカースト最下層。友達どころか、挨拶を交わすクラスメイトすらいない。
まぁ、一人の方が気が楽だから構わないのだが。
どんなやつにも必ず裏がある。信用して期待して裏切られるより、ひとりぼっちで耐えた方がずっといいんだ。
*
ゴールデンウィーク明けの席替えで、胡桃沢美桜という女子と席が隣同士になった。
肩で切りそろえたサラサラの黒髪に、涙袋の目立つ大きな瞳。アイドルも顔負けの美少女である彼女はクラスのマドンナ的存在で、いつもたくさんの友達に囲まれていた。
僕みたいな陰キャは一生関わることのないタイプだろう。そう思っていたのだが……。
「おはよ!姫川くん」
席替えをした翌日、美桜が僕に声を掛けてきた。
「えっ?」
僕は馬鹿みたいに口をポカンと開けて固まっていた。なにせ女子と会話した経験がほとんどなかったし、相手はクラス中の男子の憧れの的だ。「おはよう」というたった四文字の言葉を口から絞り出すのがこんなにも大変だったとは思わなかった。
頷くのが精一杯だった。そんな情けない僕を見て、美桜はくすっと吹き出した。だけどその反応は、馬鹿にしているわけではないようだった。
「ごめんね。いきなり話し掛けて」
僕の顔色を窺いながら、美桜は不安げにちょっと俯く。
「迷惑だったかな…」
「いや、別に……そんなことは……」
僕は何だか恥ずかしくて、ずっと机の上ばかり見ていた。
なんで彼女は僕なんかに話し掛けてきたんだろう。
なんだか居心地が悪いな。
彼女には悪いけど、あっちへ行ってくれないかな…なんて思う。
「ねぇ。姫川くんていつも折り紙折ってるよね」
「う、うん…」
「どんなの作れるの?」
「まぁ、色々……」
「色々ってことは、何でも折れるってことだよね?ちょっと何か折ってみてよ」
嫌だとは言えず、僕は手持ちの色紙を取り出して桜の花を作った。
完成した作品を渡すと、彼女は瞳を輝かせて感嘆の声を上げた。
「すごーい!可愛い!ね、この花もらってもいい?」
「うん…」
「やった。ありがとね、姫っち」
「ひ…姫っち…?」
「姫川くんのあだ名。ダメかな?」
「ダ…ダメじゃないけど……」
なんか恥ずかしいな……。
「あたしのことも美桜でいいからね」
「……う、うん」
きっと呼ばないだろうと思った。友達になれないのはわかっていたから。
美桜はスクールカースト上位の人気者。明るい日向の世界の住人。住む世界が違いすぎる。手の届かない遠い存在だ。
僕に話しかけてきたのだって、きっと気まぐれに決まってる。友達のいない僕を憐れんでいるんだ。
僕は自分にそう言い聞かせた。
“希望”という芽は小さいうちさっさと摘み取ってしまった方がいいのだ。
花が咲いた後に手折られるのはもっと痛いから。
*
学校から自宅まではバスで約三十分。僕は帰宅部なので普段は遅くとも17時までには家に着くのだが、今日は運悪く山根のグループに掃除を押し付けられてしまった。
帰宅したのは18時。すでに父は帰宅してソファで夕刊を読んでいた。
台所から、パタパタとスリッパを鳴らしながら家政婦の菫さんがやってくる。
「今日は遅かったのねぇ、葉介くん」
「はい。ちょっと掃除当番が長引いちゃって……」
「まぁ、それはご苦労様」
菫さんはエプロンを外し、帰り支度を始める。
「じゃあ今日はこれで失礼致します」
菫さんが帰ると、家の中は嘘のように静かになる。
やがて父は新聞を置き、無言で食卓に着く。僕も父の向かい側に座り、二人で菫さんの作ってくれた夕飯を黙々と食べた。
十年前に母が亡くなってから、我が家はずっとこんな感じだ。
小さいころはあれこれ干渉してきた父だが、今はもう、ほとんど何も聞いてこない。
諦観。無関心。目も合わせようとしない。
わかってる…。仕方ないことなんだ。
出来損ないの僕が悪いんだ。こんなだから、お父さんに呆れられて、見放されるんだ。
折り紙を折っている間は嫌な事を忘れていられるけど、夜になるとどうしても自己嫌悪に陥って眠れなくなってしまう。
明るい未来が想像できない。生きていく自信がなくなっていく。
どれだけ紙を折っても呼吸が落ち着かない。
気付くと紙を投げ出し、引き出しからカッターナイフを取り出して太腿に当てている。
焼けるような鋭い痛みと共に、生温かい鮮血が内腿を伝う。
そうすると、解放感と安心感が僕を包み込んでくれる。“生きている”と実感することができる。その痛みすら心地よい。
だから僕の両腿は傷痕だらけだ。
まっさらなキャンバスを埋め尽くすように隙間を探して、そこに刻みつけて。
塞がった傷痕の上に、また新しい傷を作って。
その繰り返し。
死にたいからじゃない。
生きるためにするんだ。
痛みは、血は、僕が生きていくためのクスリなんだ。
誰も知らない、誰にも知られたくない、僕の秘密───
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