明けの星の境界線

宇土為名

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 窓を開けると、ひやりとした風が入って来た。
 目の前に立つ銀杏の木から、枯れた葉が舞い落ちていく。
 あんなに暑かった風も肌が焦げるようだった強い日差しも、すっかり姿を消してしまった。毎年嫌だと思う季節は今年もまた、あっという間に通り過ぎた。もう冬だ──季節が巡るのは本当に早い。
 息を吐きだせば、白く空気に溶けていく。
「おーい帰るぞー」
 放課後のざわめく教室の中から中井の声がした。
 ああ、と怜は振り返った。
 中井が廊下を指差してにやりと笑った。
「その前におまえにお客さん来てるけど?」


 あの騒動から四ヶ月が過ぎた。江島はあの日の翌日から学校に来なくなり、その一週間後に依願退職した。懲戒免職される前に自ら辞めたのは、その後の影響が大きいからだろうが、こういう話は広まるのが早い。江島が神田を探したように、ネットがあればすぐに噂は拡散される。きっともう江島は教員の職に就くことは出来ないだろう。
 学校内でも江島やそれに関する話題で持ちきりだったが、一ヶ月も経つとそれも次第になくなっていった。今ではもう誰も名前さえ口にしない。まるで何事もなかったかのようだ。穏やかな日常、目の前にいなければ消えていったものを思い出すこともない。傍観者でしかない皆の関心は日々変わり、どんどん薄らいでいく。
「…悪いけど」
 そう言うと、彼女はじっと怜を見つめてから目を伏せた。少し俯いたその顔は切り揃えた前髪で怜からはほとんど見えなくなる。
「そうですよね、…うん。わかってました」
「ごめん」
「いえ」
 顔を上げた彼女は笑っていた。
「はっきり言ってもらえてよかったです」
 どこかすっきりとした表情は、本当に駄目だと最初から分かっていたのだろう。怜に告白をしても、無駄なのだと。
「あの、…えと、最後だからお願い聞いてもらってもいいですか」
 お願い?
「なに?」
 珍しいことを言うな、と怜は少し驚いた。今まで散々好きだと告白はされてきたが、そんなことを言う人はいなかった。
「て…手を握って欲しくて」
「手?」
 怜は思わず自分の手を見下ろした。
「だっ駄目なら、いいです! あのほんとっごめんなさい! すみません!」
 慌てたように彼女は両手を顔の前で振り回した。真っ赤になった顔が今にも泣きそうに見える。ふと、その顔をどこかで見たことがあるような気がした。
 どこで?
「手、出して」
「へっ、あ、っ──」
 怜の言葉に彼女は固まった。仕方がないなと、怜は顔の前で硬直した彼女の右手を取った。
「~~~~~っ!!」
 小さな手だ。
 すっぽりと手の中に納まってしまう。
「これでいい?」
 握った手をぱっと離し、怜は言った。ぱくぱくと金魚のように彼女は口を開いては閉じる。
「じゃあ」
 怜は背を向けた。自分でもどうしてこんなことをしたのか分からない。彼女の手を握った手のひらはほんのりと温かい。手のひらを開いて閉じていると、先輩、と呼び止める声がした。
 振り返れば、握り込んだ右手を彼女は胸に当てていた。
「手紙、…っありがとうございました」
「…え?」
「ずっと前に出したの、読んでくれて」
 手紙?
 何のことだと目を見開いた途端、ばっと彼女は頭を下げ、踵を返した。
「──」
 そのまま後ろの階段を駆け下りていく。バタバタとした足音はすぐに遠ざかり、やがて校内の雑音に紛れて聞こえなくなった。
 …手紙って何のことだ?
 確かに好きだという手紙はよく貰っていた。朝下駄箱の中に入っていたのだ。まるで少女漫画のようだと、中井によく笑われていた。
 そのどれもに返事をした覚えはない。いつも読まずに捨てていた。そうするのが当たり前だったから。
「……」
 ちくりと怜の胸を刺す。それは今まで感じたことのなかった罪悪感だ。
「おう、終わった?」
 怜の足音に気づいたのか、廊下の端で窓に寄りかかっていた中井が顔を上げた。片手にはスマホを持っていて、その指はせわしなく動いている。
 相変わらずまめだなと怜は呆れた。
「ああ」
「じゃあ帰るかあ」
 中井は大きく伸びをすると、怜が追い付くのを待ってから歩き出した。並んで階段を下り、昇降口に着く。
「おまえ今日バイトだっけ」
「そう」
「またユズが行きたいっつってたから、今度連れてくわ」
「…やめろ、連れてくるな」
 あいつが来るとろくなことがない。心の底から嫌な顔をすると、中井は声を立てて笑った。
「人の彼女そんな嫌がんな」
「あいつと付き合ってるおまえの気が知れねえよ」
「ははっオレも」
 いつの間にかそういうことになっていたと怜が知ったのは、ついこの間のことだ。元々仲のいいふたりだったが、ただの友達だと思っていた。
 人はどうなるか分からないものだ。
「まあ頑張れよ、じゃあな」
 校門を出た道の先で別れる。
 怜は軽く手を上げてそれに応えた。

 ***

「お待たせしました」
 テーブルに皿を置く。綺麗に盛り付けされたそれに感嘆の声が上がると、怜はいつものように説明をしテーブルを離れた。カウンターの向こうのキッチンでは店長が電話を受けている声がする。ホールにまで響かないように小声で話しているつもりだろうが、元々声の大きい人なのであまり効果はなかった。
「だから、…ないって。ないない。そんなの断ってくださいよ…はあ?」
 何の話なんだか、話し出してからもう十分にはなる。よほど相手がしつこいのだろうか。
「いらっしゃいませ、…」
 店長の声を背に聞きながら、カランと鳴った入り口に顔を向ける。見覚えのある姿にふと怜は口を噤んだ。
 女性の一人客。特に珍しくもない。
 見交わす視線に、空気の密度が濃くなった気がした。
「どうぞ、奥の席へ」
 女が何か言う前に、怜はそれを無視して言った。
 顔に出さず席に案内する。メニューをテーブルに置くと、ふっと笑う気配がした。
「髪切ったの?」
「はい」
「長い方が好きだったのに」
「俺は鬱陶しかったですね」
「…そうなの?」
 意味ありげに女は笑うとメニューも見ずに注文をした。前回と同じメニューだった。怜は一礼を返しテーブルを離れた。背中にじっとりとした視線を感じたが、どうでもいいことだ。
 オーダーを通すと、ようやく話を終えた店長が返事をした。その声はひどく疲れていて、よほど相手が悪かったのだろうと怜は思った。
「おまえも面倒なことは後回しにするなよ」
「? はあ」
「後々大変だからな」
 冷蔵庫から材料を取り出しながら店長はぼやく。一体何のことかと首を傾げるが、それに返ってくる答えはない。
「すみませーん」
「はい」
 客席からの声に怜は反応した。テーブルの上は綺麗に食事が終わっている。追加の注文だろうと見当をつけ、怜はテーブルに向かった。


 二十一時を回る前には殆どの客が帰って行った。最後に残ったのはあの女の客だけだった。
「ご馳走さま」
 閉店時間を五分ほど過ぎた頃、ゆっくりと女は立ち上がった。
「1,870円です」
 鞄から財布を出しカードで払う。女は端末を操作しながら、ちらりと怜を見た。
「その髪似合ってるわ」
「ありがとうございます」
「…何か少し変わった?」
 怜を上目に見つめながら、女は面白そうに言った。
「はい」
 ふうん、と女は目を細めた。
「また私と遊ばない?」
 隙なく化粧した唇は赤く艶めいている。綺麗な髪、綺麗な顔、見られることを意識して動かす指先。きっと男なら、じっと見つめられただけで気持ちを持って行かれそうだが、怜には相変わらず何も響かない。
「いえ、遠慮しときます」
 領収書を渡そうとした怜の手首を女は掴んだ。
「また…、きみの首に痕付けたいな」
「──」
 ああそうだった。肌に痕を残されたのだ。それを中井に見られたことを怜は思い出した。家に帰りたくなかったというだけで、どうしてあのときの自分はこの女に付いて行ったりしたのだろう。
「結構です」
 怜は掴まれた腕を返し、女の手から外した。
「もう間に合ってるので」
 シャツの首元に指をかけ、ぐっと下に引き下ろす。
 そこからほんの少しだけ覗き見える鎖骨に女は笑い、店を出て行った。


「成長したな」
 振り返ると、店長がこちらを見てにやにやと笑っていた。片付けをしていると思っていたのに、いつからそこで見ていたのか。
「別に…」
「いや、手を叩き落とさなかっただけ大人になった」
 カウンターの端に寄りかかるとエプロンのポケットから煙草を取り出した。箱を叩きおもむろに一本咥えるのを見て怜は呆れた。
「客席で吸うなよ」
「吸わねえ吸わねえ…」
 唇に挟んだ煙草が上下に揺れる。店長は反対のポケットに手を突っ込み、折り畳んだ紙を怜に差し出した。
「ほら、今月の給料明細」
「ああ…、どうも」
 そう言えば今日は給料日だった。二つ折りのそれを開くと、怜は金額を見て目を眇めた。
「なんか多くね?」
「ああ、時給上げた」
 は? と怜は顔を上げた。
「なんで」
「なんで? 上がって困るようなことでもあるか?」
「いや…、ないけど」
 ないが、上がりすぎなような気もする。先月の時給から100円上がっている。普通バイトの給料はこんなにも一気に上がるものなのだろうか?
「まあとっとけよ。おまえのお陰で店も繁盛してるんだし」
「…顔かよ」
 お陰と言われて思い当たるところは悲しいかなそこしかない。顔を顰めた怜に店長は声を立てて笑った。
「かもな」
「嬉しくねえよ」
 可笑しそうに店長は目を細めた。
「嫌がるなよ、それもおまえの一部だろうが。観念して一生上手くやっていくんだな」
「……」
 そんなことは言われなくても分かっている。
 表の看板を返し、入り口の鍵を閉めた。中に戻ると、店長がキッチンで何かを作っている。怜はホールにモップをかけ、掃除をした。黙々とできる地味な作業が好きだ。テーブルを拭きながらふと顔を上げると、暗い窓ガラスに自分の顔が映っていた。長い前髪をばっさりと落とした自分にいまだ慣れない。いつもしていたヘアピンも今はもうロッカーに放り込んだままになっている。
 ふいに頬を撫でられた感触が蘇って、怜は身震いした。
 早く──
「後藤」
 呼ばれて、はっと怜は振り向いた。
「もう上がれ、後はやっとくから」
 そう言って店の紙袋をカウンターの上に置いた。持ち上げると重さがあった。中には秋から始めたばかりのテイクアウト用のボックスがふたつ入っている。
「ふたりで食えよ」
 かちりとライターで煙草に火を点けると店長は言った。
「受験もうすぐだろ、頑張れって言っといてくれ」
 逸巳くんなら受かるだろうけどな、と笑う声に怜は何も言えなくなった。


 駅からの道は、もうすっかり何も考えずとも歩いて行けるようになった。何度も通った場所を身体が覚えている。だからひとりでも歩いて行けるのに、いつも逸巳はそこで待ってくれていた。
「お疲れ様」
 駅の入り口に逸巳は立っていた。怜は駆け寄ってお待たせ、と言った。
「ごめん、遅くなった」
「大丈夫、僕もさっき終わったから。それで、あの、大事な話があって──」
 珍しく急いたように逸巳が話し出した。それを見ていた怜は、逸巳の頬が青褪めていることに気づく。思わず指先を握れば、驚くほど冷えていた。
「嘘つき」
「え、あ」
 驚いて引っ込めようとする指先を、怜はぎゅっと掴んだ。
「ちゃんとどっかに入っててって俺言っただろ」
 いつからここにいたのか。
 待ち合わせるときは近くの店の中にしようと決めたはずなのに、逸巳は全くその約束を果たしてくれない。夏休み明けから塾を変えた逸巳とは以前の駅で待ち合わせることが難しくなった。新しい塾は逸巳の自宅から近かったため、怜が最寄りまで行くことで会う時間を確保していた。
 困ったように逸巳は笑った。
「いや、ちょっとの時間だし、もったいな…」
「風邪引いたらどうするの」
「え、だいじょうぶ──」
「大事な時期だろ、何考えてるの」
 怜は逸巳の手を引いて歩き出した。
「怜、待って、あの…っ」
 逸巳が指を抜こうとするが、怜は離さなかった。
 離したくない。
 冷たかった指先に自分の体温を移していく。
「…怜?」
 信号待ちで立ち止まると、傍らの逸巳が怜を見上げた。怜は前を向いたまま強く逸巳の手を握り込んだ。指と指の間に自分の指を絡め、細い指の輪郭を辿る。
「どうした…?」
 自分でも分からない焦燥が胸の中を駆け抜ける。
 誰もいない暗い交差点。
 大型のトラックが前を通り過ぎていく瞬間、怜はたまらなくなって逸巳を縋るように抱き竦めた。

 ***

 もう待てなかった。
 家に入った途端キスで口を塞いだ。
 玄関の鍵を閉めようとする逸巳の手を捕らえ、その場でドアに体を圧しつけた。駄目と藻掻く逸巳のズボンを下ろし、震えるそれを口に含んで声を上げさせた。
「待って、ま、怜、れ…っ!」
「待てない」
 泣きじゃくる逸巳を追い立てるように逝かせ、吐き出したものを飲み込む。尿道に残っていたものまで足りないと吸い上げると、いつにない激しさに逸巳は泣き喚いた。
「やだ、も、や…!」
 だが、それで足りるはずがない。怜はぐったりした逸巳を抱え上げると、部屋に連れて行きベッドに沈めた。逃げようとする逸巳をキスで何度も宥め、その服をはぎ取ると、執拗に愛撫した。
 胸を弄り、体中を甘噛みする。小さな穴を舐めて解すと、どろどろに逸巳は蕩けていく。
 指を差し込みいいところをゆっくりと擦り上げた。三本が入るまでになると、怜自身もも痛いほど張り詰めていた。でも、まだだ。
「い、く、ぅ…っいぃきた、い…!」
「だめ」
 もっと──欲しがらせたい。
 逸巳がいきたいと泣くたびに快楽を逸らし長引かせた。
「まだだよ」
 あ、と切れ切れに上がる甘やかな声が響く。
「れ、…っ、あ、あ…っ」
 ベッドに伏せた逸巳の背が撓った。肘をつき逃げ出そうとシーツを掴む。その手に自分の手を重ねると、浮き上がった肩甲骨に怜は歯を立てた。きつく肌に食い込むと、逸巳の体がびくりと震える。
「い、やあ、イっ…い、…っや」
「逸巳…」
 だめ、逃げないで。
「だ、って、だ…っあ、は、っ」
「だめじゃないでしょ…?」
 噛み痕を宥めるように舌を押し付けた。腕の中でびくびくと逸巳の体が跳ねる。後ろに入れていた指をゆっくりと引き抜き、下肢の間に伸ばせば、そこはぐっしょりと濡れていた。
「いっちゃったの?」
「あ、っ、あ…っ」
 ぬめる先端をそっと指の腹で撫でると、逸巳は首を打ち振るった。いやいや、と声にならない声を上げる。感じすぎて辛いのだろう。
「…逸巳」
「ひっ…」
 背中から圧し潰すように覆い被さると、怜は逸巳のものをゆっくりと上下に扱いた。出来るだけ緩慢に、ゆるゆると動かす。耳朶を噛み舌先を耳の中に押し込むと、逃げ場のない逸巳が悲鳴のような声を上げた。
「あーっ、あっ、っあ、…っや、いや、いやあ…っぁ!」
「ん…」
「ひ、あ、あっ、あ…っ」
 無意識に逸巳の腰が動き出す。怜は自分のものをローションで濡れた窄みに押し当てた。柔らかくほどけた小さな穴が、怜の先端にぴたりと吸い付く。
 一気に、突き入れた。
「──あ、ああああーーっ、…っ!」
 硬直した逸巳の体を抱き締め、怜は入れたものをずるりと引き抜くと、またひと息に置くまで捻じ込んだ。ぱん、と肌と肌がぶつかり合う音に脳が焼き切れそうになる。
「くっ…」
「あ、あっ…ぁあ、…んぅ!」
 強引に振り向かせ唇を塞いだ。快楽で零れた涙を拭い、そのまま仰向かせる。細い脚を肩に担ぎ逸巳の体内を抉りながら口腔を舌で犯した。息苦しさに零れる喘ぎ声さえ欲しい。奥に引っ込む舌先を追いかけ吸い上げる。執拗に何度も甘噛みをすると、やがて逸巳な体から力が抜け、怜の動きに応えはじめた。
「あ…、あ、…ん、っ」
「逸巳」
「…っ、れ…い」
 散々貪った唇をようやく怜は解放した。顔を覗き込むと、涙の浮いた瞳で逸巳はこちらを見上げていた。
「どうし…」
 どうしたの、と濡れた唇が動いた。
 ゆらゆらと揺れる水の底のような瞳に、自分の顔が映っている。
 見慣れた顔はなぜか今にも泣きそうに見えた。
 なぜ?
「…怜」
 家の中はひっそりと静まり返っていた。予定を早めた位知花がこの家を出てから二ヶ月が過ぎ、前にもまして家の中は伽藍洞のようだ。
 そして逸巳もまた、春になればこの家を出て行く。逸巳の希望する大学は、ここからでは通えないのだ。
「……」
 聞こえるのは、自分たちの息遣いだけ。
 他には誰もいない。
 誰も。
 誰も…
「怜…?」
 窓から差し込む月明かりが、逸巳の胸の上に斜めに落ちている。
 まるで境界線のように。
 ふたりを分ける──
 ぽたりと、怜の目から涙が零れ落ちた。
「…分からない」
 言い様のない感情がせり上がって来る。もうずっと、ずっとだ。
 ずっと、押し込めていた。
 どうしてだろう?
 どうして。
 どうして──
「い…かないで」
 言葉が溢れてくる。
「行かないで逸巳」
 置いて行かないで。
「行かないで、…」
 どうしてもっと早く生まれなかったのだろう。あと一年、たった一年の差だ。そうすればもっと、もっと同じ時間を過ごせた。同い年だったなら、逸巳の傍に今もいるあの寺山のように、自分もあの場所にいられたのに。
 春になったら…
 一年、──高校を卒業するまで。
「いやだ」
 嫌だ。
 逸巳と離れるなんて。
「あ…、あっ、ぁあ、あ…、は…っ」
「逸巳、いつみ…!」
「んっ、あ、あ、だ、め、だめ、れいっ…怜」
 細い腰を掴み、抉るように突き入れる。もうすっかり怜の形になった柔らかな肉が、逸巳の感じる奥をごりごりと突くたびにきゅうっと食い締める。
「い、ぅ、いくぅ…っいっちゃ、ぁ…」
 俺の、俺のもの──
「好きだ、好き、いつみ、…」
「い、は、…っあ、あ、」
「行かないで…行かないで」
 やっと見つけたのに。
 俺だけのもの。
 他の何も要らないから。
「あ、ひ、い…! いや、い、あああああっ…!」
 ごり、と強く膨らんだしこりを圧し潰すと、逸巳が大きく仰け反った。その背を掬い上げ抱き締めると、逸巳の腕が怜の背中を掻き抱いた。悦すぎて辛いのだろう、ア、ア、と零れる喘ぎが首筋に当たった。たまらない。もう駄目だ。
「…逸巳、噛んで、っ、お願い」
「っ、あ、あ…っ」
「ね…?」
 印をつけて。
 俺を逸巳のものにして。
 泣き濡れた瞼に唇を落とすと、逸巳の腕が怜の首に回った。
「んぅ、う…!」
 躊躇いがちに引き寄せられる。ちり、と肌に走るかすかな痛みに、怜の口角が上がった。沸騰しそうな欲望のまま、逸巳の最奥へと先端を押し付ける。
「あ、──ぁ、!」
 逸巳が声にならない声を上げた。ふたりだけの家の中、高く上がる嬌声にぐらぐらと脳が揺れる。誰にも渡せない。いっそ、いっそ孕んでしまえばいいのにと思いながら怜は逸巳の中に射精した。
「──っ」
 熱い飛沫が逸巳の中を濡らしていく。重なる肌の間が温かい。逸巳のペニスの先端から、透明な液がとろとろと溢れていた。
「あ…、ぁっ、あ…」
 自分の肉棒がみっちりと嵌ったそこが、ひたひたと自分の精で満たされていく。塗り込むように小さく動かすと、逸巳の細い脚がびくびくと痙攣した。
 その胸に怜は顔を埋めた。
 細い指が怜の頬を辿った。宥めるように温かな手のひらで覆われる。その手を取り、怜は手首の内側に唇を押し当てた。
「…いかないで」
 どこにも行かないで。
 髪をゆっくりと梳かれ、怜は目を閉じた。
 ずっとこうしていたい。一年も離れられない。
「…大丈夫」
 大丈夫だよ、と微睡む怜の耳元に柔らかな声が落ちてくる。
「どこにも行かないよ」
 そんなことは叶わないと思うのに、逸巳が言うと本当にそうなるような気がする。
 心臓の音を聞きながら、怜の意識は次第に眠りの中に引きこまれて行った。
 一緒に暮らそう。
 春になったら、ふたりで。
 そう逸巳が囁いた気がしたのは、都合のいい夢だったのだろうか。





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