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しおりを挟むオリエンス。
『──オリエンス』
シノが僕の名前を呼ぶ。
『シ…』
愛しくて胸がいっぱいになる。
『シノ…っ』
『泣くな』
『ひと月も、な…、どうし…』
手のひらで触れた頬は少し痩せた気がした。よく見れば彼の体は細かな傷がいくつもついていた。
『手当を…』
『要らない』
『でも…っ』
シノは苦笑を浮かべて眦を下げた。
『大丈夫、逃げて来るときに出来ただけだ』
『に…』
逃げて?
それはどういう意味だ。
シノは城にいたのではないのか?
次の言葉を探していると、大きな手が僕の髪を撫でた。
『話はもう──後だ』
ベッドに僕を沈めシノは覆い被さってきた。
『ん…っ、』
唇を舐められる。びくりと浮いた体を強く抱き締められた。大きな身体は僕を囲い、もがくことも出来なかった。
『──オリエンス』
『…は、あ──、っん…っ!』
『会いたかった』
僕も。
僕も会いたかった。
『会いたかった…、オル』
薄い夜着を剥ぎ取りながらシノが言う。乾いた唇が首筋を下りて露わになった肩の薄い肌に押し当てられた。硬い歯が突き立てられる感触に全身が火を吹いたように熱くなる。
『あッ…』
『俺の──』
ピリッと走った痛みにシノに縋りつくと、宥めるように柔らかな舌がそこを舐めた。
『俺のオリエンス』
快感が背筋を震わせる。熱に気ぶる視界はぼんやりとして、輪郭がない。小さなランプの明かりの中でシノの目が食い入るように僕を見つめてくる。
熱を孕んだその視線がどんな意味を持つのか僕はもう知っていた。
けれど、ここにいたら──きみは。
『俺は何も要らない』
シノが呟いた。僕の考えを見透かしたように。
『で、も』
『余計なことは考えるな。大丈夫、全部──』
『あ…っ、あ、い』
『上手くいくから』
『アッ、だ…、シ、ノ…っ』
肌に痕を残しながら下に下りていく唇。熱い舌が脚の付け根を焦らすように舐めた。堪らずにシノの髪を掴み頭を引き剥がそうとするが、逆に手首を捉えられ、シーツに押し付けられた。空いている手で胸をきゅっと摘みあげる。
『や…!』
腰が跳ね、思わず突きだしたそれを見計らったかのようにシノは僕のものを咥えた。ねっとりと纏わりつく舌に声にならない快感が全身を駆け巡る。
『やあッ、やだ、や、っ、いやあ…っ』
こんなことは今までされたことがない。シノと供寝をするようになってはいたが、こんな、こんな。
こんなことは一度も──
一度だってされたことがない。
『あ、あっ、ん、い、い、やっ、も、も離し、や…んう!』
味わったことのない快感に声が止まらない。溜まる熱をどうにかしようと首を振っているとシノは僕の手首を解放して喘ぐ口の中に指を入れてきた。
『んんう、っんっ、んぅ…っ』
太くごつごつとした指を出し入れし、僕の口蓋を指で擦る。舌で追い出そうとすればするほど、シノは執拗に僕の口を犯した。
『オル…』
脚の間に体を入れ僕の脚を片手でやすやすと持ち上げる。足首を掴み片足を高く上げ、シノはそれを自分の肩に担いだ。僕の体を折り曲げてじゅっじゅっ、と卑猥な音を立てて激しく扱き上げた。
あ、あ、と僕は喘ぐ。
『で、あっ、あ、シ…っはなし、て、でる、で、あっ、ッ!』
口を弄るのを止めないシノの腕を掴み引き剥がそうと爪を立てた瞬間、きつく吸い上げられた。
『ア──』
目の前が白く弾け、どろどろに溜まった熱が一気に解放されていく。シノの口の中に。
『あ…、ぁ…っ、あ』
一滴も残すまいとするように執拗に舐め取られる。残滓をきつく吸われ脚が跳ね上がった。肩に担いだ剥き出しの太腿をシノの手のひらが撫で擦る。
こくりと嚥下する音に全身が熱くなった。恥ずかしさに涙が滲んだ。シノは僕の口からゆっくりと指を引き抜くと、体を起こした。
顔が近づいて来る。
『……』
僕の涙を舐め取る唇は優しかった。愉悦で痙攣する体から、ゆっくりと力が抜けていく。唾液で濡れた口元を指で拭われ、口づけられる。
『ん…っ』
深く挿し込んでシノは僕の舌を絡め取った。
下腹部に熱いものが押し付けられる。その熱にぞくりと震えた。
『欲しい、…おまえが』
『…あ』
『オリエンス』
オリエンス、オリエンスと繰り返し耳朶に吹き込まれる声は切羽詰まって聞こえた。掠れた声、熱い息、欲情が隠しきれない吐息。
同じ男だから何をしたいのか分かる。
僕をどうしたいのかも。
『おまえは、…』
何が欲しい?
『っ、…僕は──』
言葉が出て来ない。
合わせた視線が精いっぱいだった。
僕が欲しいものは──
『あっ…!』
僕の後孔にシノは己の先端を押し付けた。それは既に濡れていて火傷しそうなほど熱かった。焦らすように円を描く。なにか冷たいものがとろりとそこに垂らされた。
覚えのある花の匂いが部屋中に広がった。
『ん、あ、やだ、シノ、しの、あ、あああっ』
毎夜指で解されていたそこは、あっさりとシノの先端を飲み込んでしまった。
ああ、だめだ。
だめだ。
引き返せなくなる。
熱く硬いものがずるりと一気に挿入って来た。
まだ一度も繋がったことのない場所に。
僕の脚が跳ね上がる。
『あ、あ、あああああっ』
『オリ、エンス…、オリエンス』
『い…だ、や、あっ…っシ、の、いあああっ』
指よりもはるかに大きなものが肉を穿つ。狭い隘路を突き進む痛みに背中が仰け反った。逃げようとするその体をシノがきつく抱き締める。
息が出来ない。
『あ、あ…ぁ』
『オル』
息をしろ、と囁かれ、必死で息をした。目を開けるとシノが僕を見下ろしていた。
ゆらゆらとその輪郭が揺れる。
『シノ…、…』
好きだ。
こんなにも。
きみが好きだ。
腕を伸ばし、首筋に抱きつくとシノは僕の口を塞ぎ、ゆっくりと動き出した。
『あ…あ、っ、あ』
肩越しに見上げた天井に黒い影が映る。
頼りないランプの明かり。
古びた部屋。
すすけた壁紙に揺れる光。
僕とシノが重なり合った影。
このまま、ひとつになって溶けていきたい。
溶けて。
(それでいいのか?)
そのときあの声がした。
『──アッ』
(信じるのかそいつを?)
『んん、う、あっ、ああ、』
抽挿は次第に早くなっていく。シノは僕の腰を掴み、激しく腰を打ちつける。がくがくと世界が揺れた。その激しさに何も考えられなくなる。
『シノ、も、っあっ…あっ、あっ』
(おまえを騙しているかもしれないぞ)
『オリエンス』
『あ、っ、あああ』
シノの声にあの声が重なる。やめろ、と叫びたい。でも出来るわけがない。
(騙されるんじゃない)
『やだ、あ、もうや…っ、あ』
違う、違う違う。
どうして今、声が聞こえるんだ。混乱し、ここから逃げたくて僕はシノの胸を押した。
『離し…っ、──ア』
『…っ』
逃げる僕をシノは素早く引き戻した。強い腕の中に抱き込み、大きな身体で僕を押しつぶすようにして動けなくすると深く激しく口づけられた。
『ん、んんう、っうん、ん』
『…何を考えてる』
『なに、も』
(そいつはおまえを騙してるぞ)
『嘘をつくな』
『ちが…、あ、あっんんん!』
再び唇を塞がれ口内を貪られる。咎めるように深く強く僕を穿つ律動に何も考えられなくなっていく。シノの手が僕のものを掴み、抽挿に合わせて扱き立てた。
快感の熱が一気に体中を駆け巡る。
『…あっ、あっ、あっ、シ、ノっ…!』
『──オリエンス』
ひと際強く穿たれ、シノの先端が僕の感じる部分を強く抉った。白い火花が目の奥で弾け、抑えようのない熱が一気に噴き上がってくる。
『い、あ、──あああああ!』
絶頂に白くなる視界。生温かなものが僕の腹に飛び散った。ぐったりと弛緩した体を引き寄せ、まだ果てていないシノはなおも肉を穿つ。喘ぐ声が止まらない。達したばかりの体は小刻みに震え、与えられる何もかもを感じてしまう。
『は、あ、あ、っあ』
愉悦に涙が溢れた。
シノの顔の横で僕の脚がぶらぶらと揺れている。
『や、も、シ…ノ、シ…、あ、あ、あっ…いや、ぁあ…』
『オル、オル…』
(信じるなおまえは騙されてるぞ)
『…っ好きだ、好きだ』
(騙されるな)
違う。
違う。
シノは、シノは…
『…ッ』
僕の中でシノの肉が大きく膨れ上がった。びくりと震え、奥の奥に勢いよく吐き出した。
熱い。
いやらしい音を立て、ゆっくりと掻き混ぜる。まるで自分のものだと知らしめるように。
『あ…』
シノの汗が僕の頬に落ちた。長い髪が乱れて、その先端からもぽたりと雨のように降り注ぐ。
『オリエンス』
糸が切れたようにゆっくりと瞼が落ちてきた。僕は眠りの中に沈んでいく。
『…何も心配しなくていいんだ』
シーツに落ちた僕の手のひらにシノの手が合わさる。温かくてしっとりと汗ばんだ手のひら。握り締められ、それを返したいのに、もう思うように体が動かなかった。
目が覚めたのはまだ夜明け前だった。
夢の中でずっとあの声は僕に囁きかけていた。
(騙されるんじゃない)
抱き締めるシノの腕の中から僕はそっと身を起こした。部屋の中は夜のようにまだ暗く、ほんのかすかな朝の匂いが混じっている。
眠るシノの顔を眺め、瞼にかかる髪を指で払った。
(いずれおまえを裏切るぞ)
シノが、僕を。
(ひと月も帰って来なかったではないか)
それが証拠だと笑う。
(男のおまえと一緒になどいられはしない)
『──』
そうだ、僕は男だ。
僕と一緒にいたところでシノには何の得もない。受け入れてもらえるはずのないこの関係は、彼をいつかじりじりと追い詰めていくだろう。
今はよくても。
(そうだ)
耳元でにやりと笑う。ひたりと影のように肩に貼りつき、僕の首に纏わりつく何かがゆっくりと糸を引く。
(おまえは捨てられる)
シノが身じろぎ、その腕が何かを探すように僕がいた場所を撫でる。シーツの擦れる音がしんとした部屋に響く。指が少し離れた僕の手に辿り着き、指先をきゅ、と握った。
たったそれだけの行為が胸を締めつける。
いずれ──もしも、シノが僕から離れるときが来たら、僕は──
彼がいなかった間の苦しみを思い出す。
身悶えて眠れなかった夜。
嫉妬で身の内を灼いた。
『──』
(さあ、オリエンス──こいつをおまえだけのものにしろ)
『──』
別の誰かに、渡すくらいなら。
いっそ──
いっそ、…
今、ここで。
この手で。
『……』
それはまるで他人事のようだった。
僕の手がゆっくりとシノに伸びていく。
僕の意思とは関係なく、僕を動かす何か。
「そうだ」
声ははっきりと聞こえた。
耳の中に直接吹き込まれる囁き。
息がかかる。
ひたりと笑う。
僕を誘う。
ゆらゆらと世界が揺れる。
眠るシノの首に指を這わせ、そして。
そして。
力を。
『──』
さあ。
「さあ、願え…オリエンス」
どんな望みも叶えてやろう。
『シノ』
そして、僕は──
誰かが遠くで僕を呼んでいる。
僕を、僕ではなくなった僕を。
もう僕ではない名前を。
「七緒!」
世界が戻ってきた。
誰かの悲鳴。
遠ざかっていく足音。
目の前には梶浦がいた。
今見た記憶の中で同じ名前で呼ばれていたのは、紛れもなく彼だった。
手のひらは揺らめきに触れているのに、消えていない。
どうして。
どうして?
「なん、で…っ」
いつもなら簡単に消えてしまうのに。
あんなに簡単に消えるくせに。
「どうしてだよお…!」
指先に残る感触。
それはたった今の出来事のようだ。
「詞乃、おれ、おれは──」
あの記憶が本当なら。
おれは。
「おまえを…」
「オリエンス」
オリエンス。
記憶の中の自分の名前。
篤弘の声に七緒は振り返り、息を呑んだ。
「──」
それはもう篤弘ではなかった。
濁って淀んだ黒い水の塊が、通路に倒れた篤弘の影からのびていた。
「今こそおまえの願いを叶えてやろう」
その声には聞き覚えがあった。
あの声だ。
──どんな望みも叶えてやろう
「やめろ!」
あのとき願ってしまった。
そうだおれは願ったのだ。
その声に負けて、シノを自分だけのものにしたいと願った。
笑い声が響く。
そのとたん梶浦を覆った揺らめきがどす黒い色に変わっていく。梶浦の苦しみが手のひらを通して伝わってきた。
まるで水の檻だ。
「嫌だ、いやだ嫌だ! 詞乃、詞乃ッ!」
手のひらを打ちつける。何度も何度も、七緒は揺らめきを消そうと手のひらに力を込めた。
「なんで、なんでっ…!」
いつもみたいに消せない。
指先だけでよかったのに。
どうして。
どうして肝心なときには何ひとつ出来ないのか。
「おまえが望んだことだオリエンス」
「違う! 違う、おれは…っ、おれは…!」
自分のものにしたかった。
でも、出来なくて。
出来なくて──
涙が溢れ出した。
「だから、逃げて…」
思い出した記憶の断片がぼろぼろと涙と共に湧き出てくる。
逃げ出した自分の姿。
夜明け前の闇の中を、ただひたすらに走っていた。
そして──
「そうだ、おまえは逃げ出した。だからおまえの願いを果たそうと私はここにいるのだ」
「もういい、もう、いいから…!」
「そうはいかない」
黒い水はゆらゆらと揺れた。
これを何と呼ぶのか七緒は知らない。
過去の自分もきっと分かっていなかった。
「契約はまだ終わってはいない」
黒い塊は大きく膨れ上がり、梶浦を覆う黒い揺らめきに飛びかかった。
(あ)
そのとき、どこからともなく蝶が現れた。
夜の闇の中から。
七緒の頭上を舞い、きらきらとした瑠璃色の鱗粉を撒きながら黒い塊の上を羽ばたいた。
「あああああああああああああああ――――!」
その瞬間、激しい悲鳴が響き渡った。
梶浦に取りついた揺らめきが大きくうねり、黒い塊が暴れ狂う。苦しみの声を上げグネグネと動くそれは四方に捩じれ、八つの手足のようなものを生やしてのたうち回った。
それはまるで蜘蛛そのものだった。
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