わたしのヤンデレ吸引力が強すぎる件

こいなだ陽日

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1巻

1-3

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 国試を受けられるのは十八歳からと決まっているので、それまでしっかりと勉強し、十八になると同時に受験する。もちろん、結果は一発で合格だ。
 あとは、国試合格者が受ける一年間の研修さえこなせば無事に祭司になれる。
 アルからは「今年の合格者に君の名前を見つけたよ」と、合格を祝う手紙が届いた。彼はメーシャが祭司の道を選んだことをとても喜び、「いつか一緒に働ける日を楽しみにしている」とつづってくれている。
 その手紙を見た時、胸の奥がきゅんとしめつけられた。いつの間にか、メーシャはアルに恋をしてしまったのだ。
 彼と会ったのは一度だけ。しかし、それから毎月のように手紙が届けられていたから、そこまで遠い存在には感じなかった。
 婚約を解消した元婚約者に対してもそうだったけれど、メーシャは誰かを好きになったことはなかった。そんな中、助けてくれて、手紙という手段でずっと交流してくれた彼に、次第に心を寄せていたのだ。村娘たちとみんなで初恋の話をした時も、アルの名前を挙げたくらいである。

(アルさんと両思いになりたいなんて望まない。でも、改めてお礼は言いたいわ。……そのためには、なんとか研修を乗り切らないと)

 研修中は身代わり防止で顔を隠せない。とはいえ、祭司になりたいと言うメーシャに、同じく凶相持ちである祖母はこう教えてくれた。

『研修生の中にも、心をんでいる殿方が少なからずいるでしょう。でも、重圧に負けず難関国試に合格する精神力を持ち合わせた殿方が、なりふりかまわずにメーシャを襲うとは思えないわ。上手にあしらってごらんなさい。いくら凶相できつけたところで、すぐに嫌われることができれば平穏無事に過ごせるはずよ』

 メーシャの倍以上の年月を凶相と一緒に過ごしている祖母が言うのだから、間違いないだろう。
 とにかく、一年の研修さえ無事に終わって祭司となったら、ベールで顔を隠すことが可能になる。研修中に嫌われきらなくても、顔を見せなくなれば、相手はメーシャに対する興味を失うはずと祖母は言っていた。

「一年間、頑張ってみせるわ。そしてアルさんに会って、祭司になったわたしを見てもらいたい……!」

 机にしまっていた手紙を眺めて、過去のことを思い出しながら、ぐっと拳を握りしめる。
 研修の不安よりも、アルにまた会えるという希望がメーシャの胸を満たしていた。



   第一章 嫌われるための第一歩


 国試合格者の研修は、王都から離れた場所にある古城で行われる。閑静かんせいな環境なので、昔は王族の保養地として使われていたらしいが、大きい城はたまにしか使わないわりに維持が大変なため、研修施設として改修したのだ。
 毎年研修が行われているので、古めかしい造りでも綺麗に整備されている。王族の城で過ごせるのは光栄だと、浮き足立っている研修生も多い。
 城内には使用人たちが使用していた宿舎があり、研修生たちはその区画で寝泊まりをする。国試の成績上位者には個室が与えられた。もちろん、メーシャも個室である。成績が下がるごとに相部屋の人数が増えていき、すれすれで合格した者はなんと六人でひとつの大部屋を使うらしい。そんな環境では勉強に集中できなそうだ。
 もっとも、今は個室を使えていても、この研修中に成績が落ちてしまえば相部屋行きになる。だから、研修中も頑張らなければいけない。
 そして、いよいよ研修が始まった。顔を隠すことは禁じられているので、なるべく顔を見られないようにと、メーシャはうつむきながら歩く。それでも、どこからともなく視線を感じた。
 この容姿に興味を持つのは、心をんでいる男性だ。少しでも好意を向けられたら、相手に嫌われるように努めなければならない。
 メーシャはみすぼらしく見えるよう、わざと腰を曲げて過ごす。その様子は普通の研修生にも効果的で、研修が始まって五日となるが、一人も友人ができなかった。それでいいとメーシャは思っている。ここには友人を作りにきたわけではない。一人でいるのは気が楽だし、誰にも声をかけられないこの状況に意外と満足していた。
 ――しかし、集団生活をする以上、他人と関わらないわけにはいかない。
 金曜日。古城で一番大きな講堂で、研修生全員を集めた講義が行われた。
 ここには祭司の他にも文官、医官、騎士の研修生がいる。それぞれ難関の国家試験を通ってきた優秀な者たちだ。研修はそれぞれの職種に分かれて行われるが、役人としての心得など、全員が学ばなければならない講義はまとめて行われる。
 講義用に改造された大講堂には、体格のいい騎士研修生から、分厚い眼鏡をかけた文官研修生まで、様々な者が集まっていた。
 この講義を受け持つ文官の講師が、研修生たちに言う。

「毎週課題を出すので、必ず提出するように。どんな理由があろうと、課題の提出を三回忘れた時点で役人になる資格がないとみなし、国家試験からやり直してもらう」

 その講師の言葉に、研修生たちはざわめいた。せっかく難しい国試を突破したのに、課題を出さないだけで失格になるとは予想もしていなかったのだろう。
 講師の話では、風邪を引いて高熱を出そうと、郷里の親が亡くなろうと、課題の未提出が許されるのは二回まで。三回目は絶対に許されないとのことだ。
 一年間、毎週課題をこなさなければならないというのは、かなり厳しいと思う。
 しかし、研修が終わって役人になれば、国に重要な書類を提出する機会も沢山あるだろう。この研修期間に、やるべき仕事はどんな状況でも必ずやるという精神を学ばせるのかもしれない。

(一体、どんな課題なのかしら……?)

 初回だし、提出必須の課題ならば、そこまで大変ではなさそうだ。

「では、今回の課題を発表する。法律書の第一章を全文写し、来週のこの時間までに提出すること」
(それって、かなりの量だわ……!)

 講師の言葉に研修生から悲鳴が上がった。
 役人として、法律を覚えるのは至極当然のことである。国家試験でも法律に関わる問題は必ず出題されるので、法律書の第一章がどれほどの長さなのか、ここにいる研修生たちは身をもって知っていた。
 期間は一週間というが、研修生たちが受ける講義はこれひとつではない。他にも様々な講義があり、それぞれ課題が出るし、予習や復習が必要となる。上手に時間をやりくりしなければ、最初の課題からつまずいてしまうだろう。
 とはいえ、今日は金曜日。基本的に土日は休日だし、金曜日にあるのはこの講義だけである。頑張ればなんとかなりそうだ。

「……まあ、初回の課題の提出は期待していないが、今年の研修生は何人が提出できるか楽しみにしておく。では、今日はここまで。また来週」

 そう言って、講師は講堂から出ていく。

(確かに量は多いけど、とにかく書き写せばいいだけだし難しい課題ではないはずよ。今日と、土日を丸々使えば終わる。……でも、期待していないって一体どういうことかしら?)

 講師の言葉に疑問を抱きながらも、メーシャは荷物をまとめる。すぐにでも自室に戻って課題に取りかかりたかった。
 すると、一人の女性研修生が前に進み出て、先ほどまで講師が立っていた壇上に立つ。少しつり上がった眼差しが特徴的で、見事な金髪はくるくると波打っていた。メーシャと同じくらいの年に見える。彼女は研修生たちに呼びかけた。

「こんにちは、あたしは文官研修生のカレン・ドレドル! あたしの家は由緒ゆいしょ正しきドレドル伯爵家で、今年の研修生の自治会長よ」
「自治会長……?」
「なにそれ?」

 自治会長という響きに、多くの研修生たちが疑問を抱いた様子だ。再び講堂内がざわつくものの、一部の者たちは「ああ、あれか……」とわかったような口ぶりで呟いていた。

「自治会は代々研修生の間で作られてきた伝統のある組織なの。ここにいるのは難しい試験を突破した同期……つまりは仲間よ。皆で交流を深めるために、もよおしを企画開催するのが自治会の役目なの。他にも、規律を乱さないための監視役も務めるわ」

 なるほど、そんな組織があったのかとメーシャは感心してしまう。一年も研修が行われるのだから、そういう組織ができてもおかしくはないだろう。

「自治会長は研修生たちの間で代々受け継がれていく役職で、去年の研修生に血縁者がいた人から選ばれるの。あたしのお兄様が去年ここで騎士の研修を受けていたから、今年はあたしが選ばれたのよ。来年は、ここにいる誰かの弟か妹が引き継ぐことになるわ」

 カレンはふふんと得意気に鼻を鳴らす。

「それで、早速なんだけど、今日の夜にみんなで交流会をするわよ! 全員、強制参加ね!」
「えっ」

 強制参加と聞いて、メーシャは思わず眉をひそめた。
 先ほど大変な課題が出たばかりである。とてもじゃないが、交流会に出ている暇などない。
 それは他の研修生たちも同様に思っているようで、微妙な雰囲気の中、カレンはぺらぺらと話し続ける。

「国が管轄かんかつする正式な組織というわけではないけれど、自治会の存在は講師たちも認めてくれているのよ。交流会のために食堂を使えることになっているわ!」
(代々続いていて、食堂の使用許可まで下りるとなると、それなりの組織ね)

 厄介やっかいな組織だとメーシャは思った。

「さっき、先生が初回の課題の提出を期待していないって言ってたでしょう? それは、毎年最初の金曜日に大規模な交流会があって、研修生が全員参加するからなの。交流会ではお酒も出るわよ。土曜日はきっと勉強にならないけど、せっかくの同期だもの。きずなを深めるためにも、課題よりも交流をするのが大事だとあたしは思うわ」

 疑問に思っていた研修生も多かったようで、「なるほど……」と納得する空気になった。メーシャも合点がてんがいってすっきりする。

「交流会ではちゃんと名簿で出欠を取るから、不参加の人はわかるわよ? その名簿だって講師からもらったんだもの。自治会には逆らわないほうがいいわ。みんな、今夜は楽しみましょう?」

 そのカレンの呼びかけに、渋々といった様子で研修生たちが頷く。

(わざわざ名簿で出欠を取るなんて……。そもそも逆らわないほうがいいって、とんだおどしだわ。嫌々ながらも参加せざるを得ないし、そんな雰囲気になってる。……でも、これはいい機会だわ)

 メーシャはわざと音を立てて立ち上がった。カレン以外は静かにしていたから目立ち、注目が集まる。
 今まで目立ってはいけないときもに銘じて、なるべく顔を見られないようにしてきた。しかし、いつまでも顔を隠せるわけではない。そして、この凶相は心をんでいる男性を惹きつけるけれど、相手が常軌じょうきいっするような行動を起こすのは、メーシャのことを深く好きになってからだ。
 ――つまり、顔に惹かれただけで、そこまで好かれていないうちに嫌われてしまえばいいのである。自分の身を守るためには先手必勝だ。

「わたしは参加しないわ。課題をしたいもの」

 メーシャはきっぱりと言い切った。すると、講堂内に再びざわめきが起こる。

「な……! あなた、あたしの話をちゃんと聞いてたの? 同期の和を乱すつもり? 自治会の存在は講師も認めているのよ?」
「いくら認めていたところで、公式の組織というわけでもないし、交流会は研修の科目ではないでしょう? つい最近出会った者同士で無理矢理作った関係をきずなと呼ぶなんて、そんなのおかしすぎるわ。わたしは参加しなくて結構よ」
「食堂も貸し切っているのよ? 夕飯はどうするつもり? 交流会に参加しないでご飯だけ食べに来るなんて認めないんだから」
「あら、自治会は食堂の利用を制限する権利まで握っているの?」
「……っ」

 メーシャの正論に言い返せなくなって、カレンがわなわなと肩を震わせる。

「それでは、失礼するわ。皆さんはどうぞ交流会を楽しんでくださいね」

 嫌みたっぷりに微笑んでから、メーシャは講堂を出ていった。扉が閉まる寸前、「なんなのよ、あの女!」と甲高い声が聞こえる。
 一人で廊下を歩きながら、メーシャは口元を緩めた。

(今の、最高に感じ悪かったわよね? これで大体の人からは嫌われたはずよ)

 辺鄙へんぴな村で育ったが、村人全員が仲よしというわけでもない。小さな村の中でも嫌われ者はいたし、その嫌われる原因は大体が「和を乱す」からだった。
 人間は一人で生きていくことはできない。集団生活となれば、他者とは絶対に関わらなければならず、円滑な意思疎通をはかるためには普段から交流を深めておく必要もある。よりよい生活を送るために、村人同士で協力して行う作業もあった。
 それなのに、村のおきてに対して、ままや文句ばかりを言う者は大抵嫌われていた。そんな人間と交流を持ちたがる村人はいない。
 村では体調を崩せば、心配した他の人たちが見舞いに来て食べ物を置いていったり、代わりに畑を見てくれたりするが、嫌われ者が寝こんだところで、誰も心配しなかった。せいぜい一日に一度、死んでいないかどうか村長が確認しに家を訪問するくらいだ。
 よって、いくら人付き合いが苦手な人であっても、頑張って村人たちの輪に入る努力をしている。集団生活での孤立は、時として死に至る可能性があるからだ。なにかあった際に助け合えるように、お互いを思いやりながら交流をする。
 村で「集団の和」の大切さを学んだメーシャは、それをあえて逆手さかてに取った。

(集団生活において、和を乱すのは最低の行為よ。わたしの印象は最悪ね)

 自治会という存在は初めて知ったが、名簿を渡すくらいなのだから、その存在は講師たちにも認められているはず。代々続いているらしいし、食堂の貸し切りが許されることから、それなりの組織なのだろう。交流会の準備だって、大変だったに違いない。
 研修生たちは厳しい課題を出されたばかりで、交流会など参加している暇などないけれど、円満な研修生活を送るためには、嫌々ながらも参加する必要がある。
 そんな中、メーシャは堂々と不参加を宣言した。
 カレンを始めとする自治会の人たちにはまず嫌われただろうし、参加に乗り気でない人たちにも「感じが悪い」と思われたに違いない。この一年間、メーシャは孤立するはずだ。
 それでも、せっかく国試に合格したのだから、立派な祭司になりたかった。メーシャの特異な体質に惹かれた男に好かれすぎて、研修の途中で心中でも強要されたら、たまったものではない。
 研修期間はたった一年。好かれるよりも、嫌われて過ごすべきだとメーシャは考える。
 研修が始まって早々に、全員から嫌われる機会を授けてくれたカレンには感謝しかない。
 上手く嫌われたと思ったメーシャは気分よく部屋に戻る。そして、早速課題に取りかかった。
 交流会に参加した人たちは自治会の圧力に負け、今日の課題を「仕方ない」と諦めるだろう。そんな中、メーシャがしれっと課題を提出したら、「あいつだけずるい」と思うはずだ。よりいっそう嫌われるために、課題は完璧にこなさなければならない。
 メーシャは分厚い法律書を開いて、一字一句違えないように書き写していく。その量は膨大で、暗くなるまで作業に没頭した。


「こ、これだけやっても、まだ序盤……!」

 日が傾き、部屋が薄暗くなった。字を書き写すにはそろそろ灯りをつけなければならない。部屋に戻るなり、ずっと課題に取り組んでいたけれど、それだけ時間をかけても膨大な課題は終わりそうな気配がない。書き写すという単純な行為だし、メーシャは字を書くのは速いほうではあるが、いかんせん量が多すぎる。

「そろそろ、お腹がいたかも……」

 課題に夢中になっていたせいで、メーシャは昼食を抜かしてしまった。夕食の時間だが、そろそろ食堂で交流会が行われる頃である。『自治会は食堂の利用を制限する権利まで握っているの?』と言ったことだし、素知らぬ顔で堂々と食堂を利用すればいいと思うものの、はたして、座って食べられるような場所がいているだろうか?
 それに、下手に食堂に行こうものなら、無理矢理交流会に参加させられるかもしれない。
 昼食を抜いた分、お腹はとてもいていた。しかし、二食くらい抜いても健康に支障はないだろう。食料もまったくないわけではない。
 メーシャは机の上にある瓶に手を伸ばした。そこには果物を乾燥させ、砂糖をまぶした菓子が入っている。空腹は満たせないけれど、とりあえず水分と糖分さえ摂取していれば問題ないと、ふたを開けた時だった。部屋の扉がノックされる。
 研修生の宿舎の中でも成績上位者の個室がある階は、その個室を使用している者しか立ち入りが許されない。昔、成績上位者をねたんだ研修生がこっそり個室に忍びこんで事件を起こしたようで、厳しい決まりがもうけられたのだ。高官候補である成績上位者は国の宝であり、守るべき存在である。成績上位者以外がこの階に立ち入れば、厳しい罰が与えられるらしい。
 つまり、ここに立ち入りできるのは成績上位者である二十人だけだ。その中にあのカレンという女性はいなかったはずである。
 もしかしたら、「絶対に連れてこい」と自治会から言われた誰かが迎えに来たのかもしれない。メーシャはドアに近づき、鍵をかけたまま扉越しに声をかけた。

「……なにか用かしら?」
「はじめまして。私は騎士研修生のギグフラムです。それと……」
「医官研修生のユスターだ。重い。開けろ」
「は?」

 ギグフラムとユスターという名前には聞き覚えがあった。メーシャと同じく、この階に個室を与えられた成績上位者である。
 この一週間、なるべく目立たないようにうつむいて過ごしてきたメーシャは、彼らの顔をろくに見たことがない。もちろん、会話を交わしたことすらなかった。

「重いって、どういうこと?」
「重いという言葉の意味も知らないのか? お前、それでよく国試を通ったな」
「な……!」
「いいから早く開けろ」

 ドアを蹴られた。扉の向こうから、「ユスター、やめなさい」とたしなめる声が聞こえる。医官研修生のユスターはかなり気が短いようだ。
 騎士研修生のギグフラムが、優しい口調で語りかけてくる。

「お食事を持ってきました。私たちも交流会に参加しないことにしたんです。それで、前もって食堂のおばさんにお願いして、交流会用の食事をこっそりわけてもらいました。よかったら、一緒に食べませんか?」
「えっ?」

 メーシャはとりあえず扉を開ける。廊下には、両手に料理を抱えた男が二人立っていた。

「どうも、こんにちは」

 そう言って穏やかに微笑んだのがギグフラムだろう。
 騎士研修生とあって、彼はかなりの長身でがっしりとした体躯たいくをしている。服の上からでも盛り上がった胸筋がわかった。黒い髪は短く切りそろえられ、孔雀くじゃくいしのような濃い緑色の目をしている。

「入るぞ」

 メーシャの了解を得る前に勝手に部屋の中に入ってきたのが、医官研修生のユスターらしい。
 黒みがかった赤銅色しゃくどういろの髪は柔らかそうなくせっ毛だ。鈍色にびいろの目はつり上がっていて、なんとなく猫を連想させる。中性的な美しさを持つ彼はテーブルの上に大皿を置いた。

「ギグフラム、食器は?」
「私の部屋です。鍵はポケットの中に」
「わかった」

 皿を持って両手が塞がっているギグフラムの服をまさぐって、ユスターが鍵を取り出す。そして部屋を出ていった。
 ギグフラムは律儀に廊下に立ったまま、問いかけてくる。

「中に入ってもいいでしょうか?」
「え、ええ……」
「失礼します」

 彼は中に入ると、すでに大皿が置かれたテーブルを見て「ここに置いてもいいでしょうか?」と確認してきた。頷くと、そこに料理が置かれる。
 交流会用に用意されたご馳走ちそうなのだろうか、皿の上にのっているのはでっぷりと太ったとりの丸焼きだ。玉子が添えられたサラダと、パスタの大皿もある。部屋の中にいい匂いが充満して、お腹がぐうっと鳴った。

「他にも、飲み物があるので取ってきますね」

 ギグフラムの部屋に色々置いてあるらしく、何往復かしてすべての食べ物と食器が運びこまれる。メーシャは呆然としたまま、その様子を見ていた。

「これで全部だな」

 ユスターがドアを閉める。そして、我が物顔でテーブルの前に座った。

「立ったまま食うつもりか? 早く座れ」
「え? う、うん」

 うながされるままメーシャが腰を下ろす。その隣にギグフラムが座った。

「それでは、取り分けましょうか」
とりは俺がやる。どこから刃を入れれば綺麗に切れるか、俺が一番わかっているだろうからな」

 ユスターはナイフを持つと、器用にとり肉を切り分けていく。口が悪い彼だが、一番大きく綺麗に取れた部位をメーシャに差し出してくれた。メーシャがサラダを、ギグフラムがパスタを取り分けて、とりあえず全員の皿に料理がのる。

「あとは各自で直取りだな。よし、食うか。いただきます!」

 ユスターがパンと両手を合わせる。挨拶あいさつはきちんとするみたいだ。つられるように手を合わせ、いただきますと呟く。メーシャは一番いい匂いがするとり肉を口に運んだ。

美味おいしい!」

 焦げ目の付いた皮はパリパリとしていて香ばしい。とり肉の中には香草の交じったご飯が詰めこまれていて、肉汁がたっぷりとみこんでいた。昼食を抜かしたせいだろうか、よりいっそう美味に感じる。

「うん、旨い。これ、交流会用のメイン料理のひとつだろう? サラダやパスタはともかく、よくこの肉料理をくすねてこられたな、ギグフラム」

 同じく、とり肉を食べながらユスターが言った。

「くすねるって、言いかたが悪いですね。食堂のおばさんに夕食をお願いしたら『これを持っていきな』と頂いたんですよ。騎士研修生は、野戦対策として夜の訓練もあるから、夜食を作ってもらう関係で食堂のおばさんとよく話すんです。今回も、事情を話したらこころよくわけてくれましたよ」

 ユスターだけでなく、メーシャに対しても説明するようにギグフラムが言う。微笑んだ彼はまさに好青年で、話しかたも丁寧だし、食堂のおばさんに好かれそうだなと感じた。

「あの……ご飯をわけてくれて助かったわ。ありがとう。でも、どうしてわけてくれるの?」

 いきなり彼らが訪ねてきて食事が始まってしまったから、落ち着いて話を聞く暇もなかった。メーシャは疑問に思ったことを訊ねてみる。
 すると、ギグフラムとユスターがそれぞれ答えた。

「実は、私の兄も何代か前に研修を受けていて、交流会があることは知っていたんです。拒否権もなく全員参加で、一回ぶんの課題を諦めるしかないと……」
「とんでもないと思ってたが、講堂でお前が啖呵たんかを切っただろ? お前がいなくなったあと、『参加しない』と言い出した奴が何人か現れたんだよ。俺もその流れに乗って参加しないことにした」
「一人だけならともかく、参加しない研修生がある程度いるのなら、自治会も大がかりな嫌がらせはしてこないでしょう。あなたがああおっしゃってくれたおかげで私たちも助かりました。だから、一緒に食事をと思いまして」
「課題の未提出が許されるのは二回までだ。その一回をこんなことで使ってたまるか。かといって、自治会に目をつけられ、くだらない嫌がらせをされるのもごめんだからな。お前がああ言ってくれたおかげで、俺にとってはいい流れができた」

 どうやら、彼らはメーシャに感謝しているらしい。
 小娘一人が和を乱すような発言をしたら、その場の空気が悪くなる。なにせ、カレンは研修生の名簿を入手しており、『自治会には逆らわないほうがいいわ』とまで宣言しているのだ。立派なおどしである。刃向かうのには勇気がいるだろう。
 それなのに、メーシャに同調する者が出てきたのは想定外だった。

(全員から嫌われるのって難しいのね……。それでも、大半から嫌われたのなら、それでよしとしましょう。これで自治会に目をつけられたのは間違いないし、そんなわたしと仲よくしようと思う人はなかなか出てこないはずよ)

 今頃、大多数の研修生は嫌々ながら交流会に参加しているはずだ。交流会をどれくらい遅い時間までするのかわからないが、酒が残れば明日に響くだろう。課題を提出することができない彼らは、メーシャだけずるいと逆恨みするに違いない。
 ともあれ、嫌な女だと印象づけられたのは及第点だと思いつつ、メーシャはギグフラムとユスターを見た。

(この人たちは、ただの親切な人? それとも……)

 研修生たちは同期の仲間でもあるが、好敵手でもある。成績の上位二十名までしか風呂・トイレつきの個室を使用することができないのだ。この快適な環境を維持するために、成績優秀な研修生はさらに頑張る。そして、あと一歩で個室をもらえそうな者も、順位を上げるために必死で研修に励むのだ。
 自分が快適な個室を維持するためには、他の者には脱落してもらったほうがいいに決まっている。それなのに、ギグフラムたちは入手した料理をわざわざメーシャにわけてくれた。厚意は嬉しいけれど、そこに下心はないのか気になってしまう。

(人がいいだけなら問題ないわ。でも、もしわたしの凶相に惹かれてるのだとしたら、仲よくなるわけにはいかない)

 彼らの心情をはかろうと、メーシャは訊ねてみる。

「ところで、どうしてわたしの部屋で一緒に食べようと思ったの?」
「わざわざお前のぶんだけ取り分けて持ってくるべきだったと言ってるのか?」

 ユスターがにらむような視線を向けてくる。

「勝手に押しかけてしまって、すみません。この場で一緒に取り分けたほうが楽だと思ったので……。あと、成績上位者の個室は女性のほうに広い部屋が割り当てられるので、単純に広いほうがいいかなと思ったんです」

 ユスターとは対照的に、ギグフラムは申し訳なさそうに言った。

「それに、こいつは騎士研修生だぞ。ギグフラムの部屋は武器があって物騒だし、なにより男くさい。医官研修生の俺の部屋は薬品の匂いがする。なにかを食べるなら、お前の部屋が一番よさそうだと思った」
「そうなのね。わたしこそ、変なことを聞いてごめんなさい。嫌とかそういうのじゃなくて、単純に気になっただけなの」
「いえいえ、いくら同期といえど、女性の部屋に押しかけているのですから。警戒して当然です。……あっ、これ美味おいしいですよ」

 ギグフラムがサラダの赤い実を指す。どうやらかたよった取り分けかたをしてしまったようで、メーシャの皿にそれはなかった。一方、ギグフラムの皿の上には赤い実が沢山のっている。


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