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1巻
1-1
しおりを挟む第一章
月が中天に上り、きらめく星々が夜空を飾る。
その下、おごそかな建物の廊下に、男が立っていた。彼の美しい横顔を月明かりが照らし出す。
ひとりの娘が、その男に向かって石床に額を擦りつけながら懇願した。
「どうか、わたしを抱いてください!」
静寂の中、娘の――ティシアの必死な声が響き渡った。
◆ ◆ ◆
周囲を砂漠に囲まれたフロロフ王国は、鉱物資源が豊富である。砂漠でしか採取できない鉱物は他国でも高額で取り引きされるので、国はとても豊かだった。
ティシアは、そんなフロロフ王国で産まれ育った娘だ。最近十八歳になったばかりである。
母のシプリーと二人で、王都から離れた静かな村で暮らしていた。父はティシアが産まれる前に亡くなったと聞かされているので、顔も知らない。
男手のない生活ではあるものの、特に困ってはいなかった。
母シプリーは、薬の調合を行う『調薬師』の資格を持っている。しかも特に優秀な者しか試験に受からないと言われている、『宮廷調薬師』として働いていたこともあった。そんなシプリーの教えを受け、ティシアも薬に対する造詣が深い。
そのため、ふたりは医者がいないこの村で、調薬師として生計を立てていた。
調薬師は医者までとはいかぬものの、病気に対処できる知識を備えているので、村民たちから重宝がられている。
ティシアが共同の井戸で水を汲んでいると、ひとりの少女が声をかけてきた。
「おはよう、ティシア!」
振り向くと、そこには織物屋の娘がいる。年が近いこともあって仲よくしている彼女は、満面の笑みを浮かべていた。
「おはよう。機嫌がよさそうね。いいことでもあったの?」
「うふふ。実はね、恋人ができたの」
「ええっ、もう? ……あっ、いや、おめでとう!」
うっかり口を滑らせて「もう」と言ってしまったが、上機嫌な彼女は気にしていないようだ。
なにせ彼女は、つい一週間ほど前に恋人と別れて大泣きしたばかりである。それが今や、輝かんばかりの笑顔を見せていた。
「相手は誰なの?」
「隣村の人よ。昨日、その人の家に織物を届けに行く途中で、雨に降られてしまってね。濡れた姿で家に辿りついたあたしを見て『そのままだと風邪を引く』って言ってきて、まあ、そのまま流れで……ふふっ」
「えっ? じゃあ、付きあう前に『しちゃった』ってこと? 流れでって、具体的にはどういう流れなの?」
ティシアは身を乗り出した。
「ティシアはいつも、この手の話に興味津々ね。そんなに気になるなら、自分で経験してみればいいのに。あなたの容姿なら、誰も断らないわよ」
そう言った彼女の肌は褐色で、黒い髪をしている。
対して、ティシアは透けるような白い肌を持ち、髪の色も銀色だった。
このフロロフ王国では、殆どの人が褐色の肌に黒髪という容姿を持つ。しかし、数千人に一人の割合で、ティシアのような銀髪白肌の娘が産まれるのだ。
この容姿は人目を惹く。母のシプリーも銀髪白肌のため、三十代後半ながら、いまだに結婚の申しこみが絶えないほどだ。
年頃であるティシアにも、縁談の話が沢山きている。告白だってよくされるし、目の前の彼女の言う通り、作ろうと思えば簡単に恋人を作れるだろう。
しかし、ティシアは誰とも付きあうつもりがなかった。
「恋人はいらないわ」
「いつもそう言ってるわよね? モテるのに、どうして?」
「それは……」
真っ直ぐに見つめられて、言葉が詰まる。
今から遡ること十年前――当時八歳だったティシアは、宮廷調薬師として働いていたシプリーと一緒に王都で暮らしていた。
そのとき、ひょんなことからふたりで大臣の悪事を目撃してしまい、命を狙われる身となってしまったのだ。そうして母に連れられ、この小さな村に逃げてきたのである。
ティシアという名前も偽名だ。本名はアイシャというけれど、十年間使っていないので、今ではティシアと呼ばれるほうがしっくりくる。
十年経ったとはいえ、未だに捜されているかもしれない。そう考えると、相手を巻きこむことを恐れて、ティシアは誰とも付きあえなかった。ましてや結婚なんて、もってのほかである。
しかし、恋人は作れずとも、男女の営みについては興味があった。
村には娯楽が少ないため、色事の話が盛んだ。その中でも、恋多き彼女が語る内容はすごかった。
「わたしのことより、あなたの話が聞きたいわ。ねえ、どんな流れでそういうことになったのよ」
話をそらすと、彼女は待っていたかのように、すぐに語り出した。
それを聞きながら、ティシアはあけすけな内容に頬を染める。恋人はいらないけれど、性交への知識と興味は人並み以上にあるのだ。本音は経験したいと思っていることは、誰にも秘密である。
「す、すごいわ……!」
「そうでしょう? うふふ、実はまだ続きがあるのよ。聞きたい?」
「聞きたい、聞きたい!」
「ティシアは本当にこういう話を聞くのが好きよねぇ……。でも、まずは水を汲んじゃいましょう」
「そ、そうね」
話に熱中するあまり、手が止まっていたので、慌てて作業に戻る。
「じゃあ、あとで教えてね!」
「はいはい、またあとでね」
ティシアは水の入った重い桶を持って、家へ帰った。重労働のさなかでも、頭の中は先ほど聞いた刺激的な話でいっぱいである。
「ただいま、母さん」
扉を開けると、家の中でうずくまっているシプリーの姿が見えた。
「母さん!」
ティシアは思わず桶を取り落としてしまう。せっかく汲んできた水が床に流れてしまったけれど、そんなことは気にしていられない。慌ててシプリーに駆け寄る。
「……っ、足が急に動かなくなって……」
青ざめた顔で、シプリーが答えた。ティシアは彼女の服の裾をめくり、足の様子を確かめる。
「これは――!」
シプリーの白い足に、黒い痣が浮かんでいた。ふたりは顔を見あわせ、こくりと頷く。
それはある病の特徴だった。突然この黒い痣が浮かび、足が動かなくなるのだ。
「母さん、動かないのは両足とも?」
「いえ、片足だけよ」
そう聞いて、ひとまずほっとする。
ティシアはシプリーの体を支え、椅子に座らせた。
それから、片足が動かなくなったシプリーとの生活が始まった。
これは死に至る病ではないものの、自然治癒は絶対にしないし、治療が遅くなった場合は、後遺症として慢性的な痺れが残る可能性がある。治すには、王都にしか売っていない貴重な薬草が必要だ。しかしその薬草はとても高価で、村では比較的お金を稼いでるシプリーたちでも、この先五年は働かなければ買えないほどである。
だが、なるべく早く薬を飲まなければ完治できない。
この状況を打開するには、短期間で大金を稼げる仕事に就くしかなかった。
そんな仕事は王都にしかないが、命を狙われている身で王都へ行くのは不安が残る。もしあのときの大臣に見つかったら、殺されてしまうかもしれないのだ。
そう考えると怖くて、決心するのに時間がかかった。それでも、女手ひとつで自分を育ててくれたシプリーのことを思うと、危険を承知で王都に行くしかない。
子供だった十年前と今とでは、見た目がかなり変わっているし、誰にも気付かれるはずがないとティシアは自分に言い聞かせる。
そうして、杖をつきながら歩くシプリーに、ティシアは宣言した。
「母さん。わたし、王都に行くわ。王都でお金を稼いで、薬草を買ってこようと思うの」
「王都に……! だめよ、危ないわ」
シプリーの顔が真っ青になる。
「大丈夫よ、あれから十年以上経ってるわ。母さんはともかく、わたしは小さかったのよ? それに……見つからないように対策もしてるでしょ? わたしがあのときの子供だなんて、誰もわからないわ」
「ティシア……」
「薬さえあれば治る病気なのよ。でも、この村にいたままだと、薬草を買えるお金が貯まるまで、あと五年はかかるわ。そんなに待ったら、薬を飲んでも後遺症が残ってしまうはずよ」
ティシアは真剣な眼差しでシプリーを見る。
「王都に行けば、ここよりも、もっとお金が稼げるでしょう? 人が沢山いるぶん、調薬師の需要だって多いはず。王都で頑張れば、すぐに戻ってこられるわ。母さんを残して行くのは不安だけど、早く帰ってくるから!」
安心させるため、ティシアはにこりと笑う。しかし、シプリーは心配そうに眉をひそめた。
「でも……」
「王都にはこの村の何十倍もの人たちが暮らしているのよ? その中でわたしが見つかるなんて、そうそうないわ。心配ないわよ」
自信満々にティシアは答えた。その様子に、シプリーは大きなため息をつく。
「……わかったわ。心配だけど、あなたは頑固だもの。引き止めたところで、夜中にこっそり出て行ってしまいそうね。わたしが折れるしかないわ。でも、あなたの身を危険に晒してまで足を治したいとは思わないの。お願いだから、危険なことは絶対にしないでね」
「大丈夫よ、任せて!」
ティシアはシプリーの手をぎゅっと握る。母親の不安げな眼差しと、昔より小さく感じる手の感触に泣きそうになったが、それを誤魔化すように微笑んだ。
翌日、ティシアはまとまった額のお金を世話代として村長に渡し、シプリーのことを任せて村を出た。
小さなこの村ではみんな助けあって生活しているので、お金などいらないと言われたけれど、こういうことはきちんとしておいたほうが絶対にいい。それに、これから稼ごうとしている金額に比べれば、渡した額はわずかなものだ。
ティシアはまず、規模の大きい隣の村へ行き、王都へ向かう商人の馬車に乗せてもらうことにした。運よく顔見知りの商人に声をかけられたため、ありがたく同乗させてもらう。上機嫌な商人は、道中ティシアに話しかけてきた。
「そういえば、第七王子の噂を知ってるかい?」
「第七王子の噂、ですか……?」
小さい村では王族の噂なんて入ってこない。特に思い当たるものがないティシアは首を傾げる。
「神様に愛された王子と評判でな。なんでも、殿下に抱いてもらった女には、必ず幸運がやってくるんだと」
抱かれるだけで幸せになれるなんて、そんな都合のいい話があるのだろうか。疑問に思いつつ、続く話に耳を傾ける。
「例えば、貧しい娘の家の床下からとても高価な骨董品が見つかったとか、女官が抱かれた直後に高官に見初められたとか。王都では、殿下のことを知らない人はいないぞ」
「そんなに有名な話なんですか?」
にわかに信じがたいが、噂になるだけのなにかはあるのだろうと、ティシアは好奇心を抱いた。
「でも、女官はともかく、貧しい娘が王子様に抱かれるなんて……」
「なんとか王宮に入って会うことさえできれば、殿下は大の女好きだから、来る者拒まずらしい。なんでも、昔高熱を出して子種を失ったとかで、お子が作れないお体だそうだ。側室の子だから王位継承順も高くないし、あちこちでご落胤が現れる心配もないと、お偉いさんたちは殿下の放蕩を見て見ぬふりなんだよ。おかげで殿下は、三十代後半の今も独身だ」
簡単に抱いてもらえて、なおかつ幸せになれるのなら、王都で噂になるのもわかる。しかし、そんなことが本当にありえるのだろうか?
「この噂に興味はあるかい?」
「……ええ、気になります」
怪しいと思いつつも、初めて聞いた王族の話はやはり気になる。
こくりと頷くと、商人は布袋から耳飾りを取り出して、ティシアの掌に乗せた。商人がつけているものと同じ形だが、使われている石の色が違う。それに商人は耳飾りを両耳につけているが、ティシアに渡されたのは片耳ぶんだけだった。
「これは……?」
「王宮と取り引きをしている商人に与えられる耳飾りだよ。王宮への通行証の代わりにもなっている。その石の色で、入れる区画が決まっているんだ」
「すごいですね」
耳飾りには繊細な細工が施されており、偽物を作るのは難しそうだ。ティシアはそれをまじまじと見つめる。
「商売がうまくいったおかげで、王宮の奥まで入れる耳飾りを賜ることができてねぇ……。新しいものを頂いたら、それまで使っていたやつは返さなければいけないんだけど、なくしてしまったと言い訳して、ほら、この通り。なにかの役に立つかもしれないと、くすねておいてよかったよ」
商人は、片目を瞑る。
「それを門番に見せれば、簡単に中に入れると思うよ。もし幸せをつかみたいなら、行っておいで。殿下に会えれば、喜んで抱いてくれるだろう」
ティシアは掌の上の耳飾りと商人の顔を見比べた。
「これ、いいんですか?」
「正直に言うと、下心はある。俺のこと、お母さんに宜しく伝えてくれるかな? お近づきになれるきっかけはないものかと思っていたんだ」
そういえば、この商人は独身だ。シプリーとの結婚が目当てならば、ティシアに優しくしてくれるのも頷ける。
「ありがとうございます。これ、使うかどうかはわかりませんが……王都にいる間は、大切にします。あとで、ちゃんと返しますから! 母の足が治ったら、一緒にお礼に行きますね!」
ティシアは耳飾りをなくさないように、大切に懐にしまった。
下心ありきとはいえ、厚意は素直に嬉しい。さすがに不埒な見返りを求められたら断っていたが、「お近づきになれるきっかけ」くらいなら大丈夫だろう。
そうして、馬車は無事に王都へ着いた。村から王都までは遠く離れていると思いこんでいたけれど、予想より早く到着したので驚いた。
商人に別れを告げたあと、ティシアはある場所を探し始める。道行く人にその場所を聞くと、有名な場所らしく、簡単に知ることができた。歓楽街の中でもひときわ大きく、豪奢な建物――それは王都で一番高級な、アラーニャ娼館である。
母親には調薬師として働くと言って村を出てきたが、実はティシアは王都の娼館で働くつもりだった。そのためにお手製の避妊薬も持ってきている。
いくら金回りのいい王都に出てきたところで、調薬師の仕事では目的の薬草を買うのに一、二年はかかるに違いない。しかしここで働けば、もっと早く稼ぐことができるのだ。おそらく、半年もかからないだろう。
そんな訳で、ティシアはアラーニャ娼館で働こうと王都までやってきたのだ。
娼館の門の前には竜や獅子の銅像が飾られており、その目には宝石が埋めこまれていた。綺麗に磨かれた岩壁はつるつるで、硝子の窓まである。硝子なんて高価な物は村にはなかったから、ティシアは透明なその板をまじまじと見つめてしまった。
そんな絢爛豪華な建物なのに、門の近くには、娼館に似つかわしくない黒豚が放されている。ティシアは知らないことだったが、黒豚は商売における縁起物で、特に女が関わる商売では、近くに黒豚を飼えば繁盛するという言い伝えがあった。
黒豚はきちんと手入れされているようで、毛並みがよく清潔感がある。人に馴れているのか、どことなく愛想がよかった。食用の豚しか見たことがなかったティシアは、豚も案外可愛い生き物なのだと感心してしまう。
そんなティシアの脇を通り過ぎて、裕福そうな身なりの男たちが吸いこまれるように中に入っていく。
ティシアは美しい外観を堪能してから、門の前にいる店の用心棒らしき男に声をかけた。
「あの、すみません。ここで働くことはできますか?」
すぐに面接用の部屋に通されたティシアは、緊張した面持ちで担当者が現れるのを待つ。
アラーニャ娼館は仕事の内容こそ房事だけれど、店への借金さえなければ、通常の賃仕事のように、好きな時期に辞められると聞いていた。雇ってもらうには容姿の審査があるそうだが、髪と肌の色が珍しいティシアならきっと大丈夫だろう。
さらに、アラーニャ娼館はかなり稼げる場所であるらしい。村一番の美人が出稼ぎに来て、一財産を築いて帰郷することも少なくないという。
短期間で大金を稼ぎたいティシアには、うってつけの場所だった。
やがて店主と名乗る恰幅のいい男がやってくる。銀髪白肌のティシアを見て、穏やかそうな笑みを浮かべた。
「これはこれは……うちで働きたいのかい?」
店主の問いかけに、ティシアははっきりと「はい」と答える。
「うちの仕事、わかってる? ここに来るくらいだ、お金に困ってるんだろう。でも、あんたほどの器量があれば、お金持ちが嫁にもらってくれるんじゃないか? なんだったら、個人的に紹介してもいい」
銀髪白肌の娼婦がいれば店は儲かるだろうに、わざわざ違う道をティシアに示してくれるこの店主は、人がいいに違いない。
この人ならば、ティシアの事情をわかってくれるだろう。
「いいえ、わたしは訳あって結婚ができません。それに、すぐにお金を稼ぐ必要があるのです。実は――」
ティシアは母親の病のことを話した。急いで稼ぎ、早めに故郷に戻りたいと告げると、店主は腕を組んで深く頷く。
「なるほどねぇ……。短期間でお金を稼ぐには、うちは最適だろう。でも、ここがなにをする場所か知らない訳じゃないだろう? それとも、色事が好きだったりする?」
「……っ」
ティシアは声を詰まらせた。
確かに性交に興味はあるものの、経験があるわけではない。なんと返答するべきか悩んだあと、正直に口にする。
「すみません……そういった経験がないのは、この店では価値のあることでしょうか、それとも価値が落ちることなのでしょうか?」
そう訊ねたティシアに、店主は驚いたように目を見開く。
「そんなに綺麗なのに、経験ないの? あんた、モテるでしょう?」
「誘われたことはありますけど……その、付きあうこともできなくて」
「うーん、処女か……。本来なら高値がつくんだけどねえ……」
店主は難しい顔をしている。
「いやね、うちはすぐに辞められるから、お金目的で娼婦になりたいって来る処女の子は多いんだ。でも、いざ仕事となると、怖くなって逃げようとする子がかなりいて、そのたびに他の子を用意しなくちゃいけないんだよ。うちとしては、いくら高値がつくとはいえ、店の信用に関わるから危険は冒したくなくてね。最近では、処女の子はとらないようにしているんだ」
「わたし、逃げませんから!」
「そう言ってた子が、連続でダメでねぇ……。そうならないまでも、恐怖で大泣きしてお客さんを萎えさせたりとか。困るんだよね、そういうの」
「そんな……」
ティシアは、処女が理由で雇ってもらえないなど予想もしておらず、困惑する。
「しょ、処女でさえなければ、いいのですか?」
「純潔を捨てて腹をくくった子はよく働いてくれるからね。うちとしては歓迎するし、あんたの容姿なら雇うのに問題もない。でも、アテはあるのかい?」
「そ、それは……」
昔は王都にいたとはいえ、子供の頃なので、知り合いなどなきに等しい。一度村に戻って誰かに抱いてもらうというのも、シプリーの耳に入ったら大事になるだろう。
この王都で、見ず知らずの女を抱いてくれる男と出会う方法はないか。そう考え始めたところで、ティシアはあることを思い出した。――来る者拒まずの、大の女好きだという王子のことを。
ティシアを捜しているかもしれない大臣のことを考えると王宮に行くのは危険だが、こうなったら王子に頼むしか方法はあるまい。
「あの、これっ!」
ティシアは商人から受け取った耳飾りを店主に見せる。店主はそれを見て、目を瞠った。
「おお、この耳飾りは……!」
「これがあれば王宮に入れるって聞きました。なんでも、第七王子に会えば抱いてもらえるとか……」
「確かに、この耳飾りを見せれば王宮に入れるだろう。第七王子の噂は知っているのかい?」
訊ねられて、ティシアはこくりと頷く。
「殿下は三十過ぎてもなお、お盛んだからねぇ。どんな娘でも断らないという話だし、あんたの容姿なら喜んで抱いてくれると思うよ」
商人が言っていた通り、王子は来る者拒まずらしい。ティシアは表情をぱっと輝かせた。
「それに、殿下の噂は本物だ。大なり小なり、抱かれた娘はみんな幸せになっている。うちの娼婦でも抱かれた子がいるんだよ。その子は博打で大勝ちして、今では自分の店を持っている」
「そうなんですか……!」
ティシア自身はいまだに半信半疑だ。しかし、こう立て続けに本物だと聞くと、期待する心が芽生えてくる。
「殿下ならお上手だろうし、なにより顔がいいからね。初めてが素敵な経験になれば、娼婦として頑張れるんじゃないかい。処女を散らしてまでここで働きたいというなら、うちも安心して雇える」
「じゃあ、早速行ってきます!」
「いや、ちょっと待ちなさい」
光明が見えたと、勢いよく立ち上がろうとしたティシアを、店主が止める。
「そんなに焦らないで。そういう目的で王宮に行くのなら、夜がいい。昼間行ったところで、殿下は政務中だろうしね。あんたも村から出てきたのなら、疲れたろう? 夜まで、うちで休むといい」
「いいんですか?」
「もちろん。あんたは、うちで働くかもしれない子だからね。夜まで過ごして、よく考えるといい」
「ありがとうございます!」
店内を案内してもらったあと、ティシアは食堂で娼婦たちと同じ夕食を食べた。この仕事は体力がいるからか、量がかなり多く栄養価の高いものが多い。
娼婦たちにとってはいつもの食事だったようだが、村では年始の祭りでさえ食べられないほどのごちそうに、ティシアは感動してしまった。この食事を毎日食べられるのなら、この店でぜひ働きたい。
食事が済むと、「そろそろ行ってもいいだろう」と店主が送り出してくれた。
ついでに、店の用心棒も紹介される。彼らは昼夜問わず交代制で門の前にいるようで、目的を果たして戻ってきたら、いつでも店の中に入れてくれるという。
ティシアは耳飾りをつけ、王宮へ向かった。道順も聞いていたが、王宮は遠くからでもわかるくらい大きい建物なので、迷うことはない。
王宮に近づくにつれ、道は綺麗になっていくけれど、喧噪はなくなっていく。自分の足音が、やけに大きく聞こえる気がした。
見えてきた立派な門の前には、槍を携えた門番が立っている。彼らは近づいてくるティシアを警戒しているようだ。
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