目が覚めたら見知らぬ夫が隣にいた。どうやら私は記憶喪失らしい

キスケ

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オルハイドの独白①

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 彼女のことが、好きだった。
 憧れだとか、恋慕だとか、愛だとか。どんな言葉でも言い尽くせない。ただ、心の全てで彼女を想っていた。


 初めてローズと出逢ったのは、まだ王立学院を卒業したばかりの十八歳の頃だ。
 しがない子爵家の次男だった俺は、学院を卒業後、実家の当主が代々にわたって補佐官として仕えている公爵家お抱えの騎士団に入団した。そこで与えられた任務は、領地警備でも魔物討伐でもなく、公爵令嬢の護衛という実に大儀なものだった。
 騎士にとって貴族令嬢の護衛はいわゆる花形の任務で、同僚たちにはたいそう羨まれたが、内心暗澹とした気分になった。こういうことは昔からよくあったのだ。俺は幼少の頃から朴念仁だと言われ続けてきたし、自分でも面白味に欠けた男だと承知しているにも拘らず、なまじ派手な容姿を持って生まれたせいで女性の扱いに慣れているふうに見られてしまう。今回の任務が回ってきたのもそれが原因に違いない。どう考えても俺には務まりそうにない任務だったが、かといって周囲の反感を買わずに上手く辞退する術も持ち合わせていなかった。

 そうして俺とローズが出逢う巡り合わせになった。当時十歳だった彼女のことを、その時俺はまだ何一つ知らなかった。公爵家の長女であり、王太子と婚約している次期王太子妃であるという、あまりに大きな肩書きが、小さな彼女を覆い隠していたからだ。そんなことも気づかず俺は、やはり巷で噂されている通り「非凡な容姿と才能に恵まれた王国一幸運な少女」なのだろうと当然のように思い込んでいた。きっと誰もが羨むような華々しい人生を歩んでいるのだろうと、疑いもしていなかった。
 ──だが、違った。
 ローズは恵まれた容姿も才能もない、ごく平凡な少女だった。それどころか、彼女は自らの生まれ育ちを幸運だと捉えてすらいない。護衛騎士として常日頃そばに控え、彼女の起き臥しを見守るようになった俺は、彼女が耐えている重圧と苦悩がどれほどのものかようやく理解した。

 ローズにとって最大の不幸は、父である公爵に愛されなかったことだろう。使用人たちから又聞いた話では、ローズの母と公爵は完全な政略結婚で、当時公爵には身分違いの恋人がいたという。愛のない夫婦の間に生まれた彼女を祝福する者は誰もいなかった。
 その上、公爵夫人が産褥で早逝すると、公爵はたった一年後にはかつての恋人と再婚してしまった。そして後妻との間に新たにもうけた娘の方ばかりを可愛がり、ローズを顧みることはなかった。代わりにローズは複数名の教育係に監視され、次期王太子妃として妃教育を厳しく叩き込まれてきたらしい。俺が護衛騎士になってからも、彼女はほとんどの時間を妃教育に費やす日々を送っていた。

 家庭の中で居場所がないローズにとって、唯一心を許せる相手は、屋敷の親しい使用人たちだった。少しでも暇を見つけては、温室に行って庭師が花卉や薬草の世話をするのを手伝ったり、厨房に行って料理人に調理の仕方を教わったり。ローズは使用人たちによく懐いていて、そんな彼女を使用人たちも何くれとなく可愛がっていた。そういう小さな平穏をこそ愛する彼女は、次期王太子妃としての重い肩書きを背負うには余りにも純朴で、それでも日々の厳格な教育に耐え忍んでいる幼い姿に胸が痛んだ。
 もし彼女が平民に生まれていたなら──。そんな埒もないことを考えずにはいられなかった。なんの柵もない、平凡な幸せの中で、彼女はただ笑っていられたのだろうか、と。
 今振り返ってみれば、彼女が使用人たちにだけ見せるそのあどけない笑顔に、俺は、我知らず惹かれていたのだと思う。

 護衛騎士として共に過ごした五年という年月は、決して短くはない。ローズはいつしか俺に心を開いてくれるようになり、俺は、そう。彼女を心から想うようになっていた。
 ただ、笑いかけられただけ。
 ただ、一緒に歩いただけ。
 ほんの少しの水で、恋心は急速に育っていった。俺の意思を無視して。
 こんなことは初めてだった。どうしていいか分からず、持て余し、とにかく何度も枯らそうと試みた。けれど無駄だった。枯らそうとすればするほど、俺が彼女をどれだけ想っているか思い知らされてしまう。
 決して実を結ぶことのない想い。
 それでも水をやらずにはいられない。
 不毛だと分かっている、だがそれもまた一つの愛し方だと割り切って。結末を望むべくもない恋をした俺に許された愛し方は、ただ、彼女の幸せを願うことだけだった。
 
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