【短編】喧嘩してから冷たい幼馴染を看病したら、寝言で「……好き」と呟いている

もろ平野

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喧嘩と寝言と、お粥と恋。

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「…………すき」

久々に入った幼馴染、佐古川小町の部屋でのこと。俺、吉佐春太の耳にそんな言葉が飛び込んできたのは、土日を控えたとある金曜日のことだった。

「寝言、か」

おかゆの立てる湯気越しに、幼馴染の少し苦しそうな寝顔が見える。大人びた横顔が汗ばみ、つややかな黒髪がぺたり、と貼り付いていた。微かに開いた口から、僅かに乱れた呼吸音が聞こえる。

そう、目の前で眠っている幼馴染は、風邪を引いているのだ。

しかし、それにしたってまた、

「なーんで、俺かなぁ」

と呟く。何で、よりにもよって俺が今、ここに居るのか。スポーツドリンクを袋から取り出しながら、その理由を思い起こし始めた。



休日前の金曜日の帰り道という、1週間で1番幸せな時間。普段母との連絡はメッセージで済ませているけれど、珍しく電話が掛かってくる。

「もしもし。何かあったの、母さん」

と聞くと、全く予想外の言葉が飛び出てきた。

「あんた今日はあと暇でしょ?小町ちゃんが風邪引いちゃってるらしいから、看病に行ってあげて」

「……なんで俺?こま……佐古川の叔母さんは?大体、母さんだっていいでしょ」

「ちょっとは考えなさい、最初からそれが出来たら頼まないわよ。晶子さん、急に手術が入っちゃったのよ。それで私、雨音の三者面談にもう出てて」

晶子さん、とは医師である小町のお母さんのことで、雨音、とは俺の妹のことだ。そういえば、三者面談のプリントをリビングで見た記憶がある。

「………いやでも」

「んもう、良いから行って!私だって女子高生の部屋にあんたなんか入れたくないわよ、でも『春太くんならいいですから!』って」

もう少し考えれば、俺が行かなくても良い代案を思い付けたのかもしれない。けれど、そのために道端で考え込むのと、諦めて向かうことを天秤にかけた結果、後者に傾いたのだった。

「分かったよ、行くから。何、持ってけばいい」

「とりあえずウチにあるスポーツドリンクと、あとお粥作って持って行ってあげて。あ、マスク忘れないでね」

そこで一拍置いて、母さんはもう一言。

「…………変なコトするんじゃないわよ」

「するかバカ!」

通話を切り、少しだけ足早に帰路を歩く。母さんの最後の一言が、頭の中をぐるぐると回る。

変なコトなんて、できるわけも、するわけもない。

なぜならば、つまり、どうしてかというと。

なぜなら俺は佐古川小町のことが、好きだからだ。

そして、もうひとつ。

これ以上、今以上に、好きな女の子に嫌われないために。




家に着き、自室にカバンを放り込む。冷蔵庫から冷や飯を取り出してお粥を作り始めると、意識は自然と小町のことに向かっていった。

田舎町に生まれた家が向かいの俺たちは、幼稚園から中学まで同じ、という絵に描いたような幼馴染だ。高校は別に分かれたけれど、いつも下らない話をして下らないことをして、同じような時間を過ごして、今になる。

「遊びに行ってくる」「遊びに来る」といえば大抵、ほとんどの場合お互いの家。そしてそれは、中学校を卒業するまで続いていた。それが明確に変わったのは、卒業式の日。些細な、本当に些細な喧嘩をしてから、俺たちは全く話さなくなったのだ。

高校に入ってから一度、「おはよう」と声を掛けてみたのだけれど、目すら合わせずに小町は歩いて行った。俺があの時折れて謝っていれば、そんな風に何回思っただろう。

そしてそのままあっさりと一年は過ぎて、今ここに至る、というわけだ。

高校生にもなれば、色々なリズムはずれ出して、顔なんて望まなければ合わせることもない。喧嘩した卒業式から宙に浮かんだままの気持ちがそのまま、ぼんやりとしたお粥の味のような気がした。



無声音でため息を1つついて、お粥にラップをかけ、もう片方の手にスポドリと冷蔵庫の中にあったゼリーを入れた袋を持つ。玄関に出て靴を履き、立ち上がってドアを開ける。

体は大きくなったけれど、向かいに見える『佐古川』の表札は以前より遠くにさえ感じられる。

田舎町あるあるだろうか。大抵鍵などかけない家がほとんどだというご多分に漏れず、佐古川家の引き戸はカラカラと簡単に開いた。

「お邪魔、します」

マスクを着けて、記憶通りに小町の部屋に向かう。ドアに手を当てて、深呼吸をひとつ。

カチャリ、と開けたドアの奥、ベッドの上で小町は寝ていた。記憶通りのベッド、記憶通りの本棚、記憶通りじゃない小物。

「……小町」

呼びかけるだけ、ただそれだけのことが、こんなにもエネルギーを使うことだなんて、小さい頃の俺は考えもしなかったことだった。

「小町、……………小町」

答えはないまま、微かに開いた小町の口から聞こえる呼吸音だけが静かな部屋に響く。

「春太……吉佐、春太だ、です。お邪魔してる」

と続けると、小町は微かに身じろぎすると、僅かに頬を緩めた、ような気がした。

ていうかどうしよう、起こした方が良いよな、いや部屋入る前に起こすべきだったんじゃ……などと不意に慌て出した俺の耳に、小町の声が飛び込んできたのは、次の瞬間だった。

「はる、たぁ」

言葉に、詰まる。

いつぶりに名前を呼ばれただろう、とか、そんなことを考える余裕なんてどこにもなく、ただ湧き上がる真っ白な嬉しさが胸を満たしていく。

スポーツドリンクを握った手に力が入る。部屋に沈黙が降りた後、うわ何やってんだ俺、いいからまずは起こせよ、と口を開きかけると。

「……………すき」

「……………っ」

すき、と小町が吐き出した息の音と、俺が呑んだ息の音が重なる。

途中まで外したお粥にかけたラップの隙間から、湯気がたちのぼる。顔に当たった湯気はすぐに冷めて、目の端に水滴を作って落ちた。

「寝言、か」

と呟き、そりゃそうだよな、と自分で自分に納得してしまう。そりゃそうだ、「すき」なんて、まさか自分に向けられたものだなんて思えるわけがない。

全部、寝言だ。全て、あまねく一切、全部。今ここに居るのが、小町の好きな男だったりしたら良いのに。

「なーんで、俺かなぁ」

俺はただ、風邪を引いた幼馴染の看病に来て、それをすぐに終えて、帰る、それだけだ。そう、それだけ。だから、まずは小町を起こそう。透き通った胸の痛みは、今は知らないふりをして。



「小町」

と、先程までより大きな声で名前を呼ぶ。何度か繰り返すと、小町はうっすらと目を開けた。

「……………ん……」

「起きた?………お前の母さんと、ウチの母さんに頼まれて来たんだ。こま……佐古川が風邪を引いたから、看病に行ってくれって」

時間にして数秒。小町の意識は、次第にはっきりとしだしたらしい。

「~~~っ…………!!」

大きく目を見開き、布団を胸元まで引き上げた小町と僅かに視線が交錯する。

「スポドリとゼリーと、あとお粥持ってきたんなけど、食べられるか」

と、膝立ちで近付き、差し出そうとすると。

「いま、近くに来ないでっ……!」

と、小町は言った。

ああ、そうか。

そうか、敢えて幼馴染と言わなければ、唯の他人になったのだから、と、心が漂白されていくような。

こういう時人間は、笑うようにできているらしい。それも、とびきりで下手くそな笑顔を。

「…………ごめん、俺が悪かった」

じゃあここ、持ってきたもの置いていくから、と続けて立ち上がろうとした時。

「ちがくて…………いま、汗、かいてるから」

と、微かな声が耳に届く。恥じらいを浮かべたその声が頭の中で意味をなすまで、随分時間が掛かってしまう。

「……………そっか」

居心地の悪い沈黙が降りて、以前は何も考えなくても止まらなかった会話が上手く続かない。

バカみたいだ。いちいち喜んだり凹んだり、そのくせどこかが痛いままの胸は変わらない。まるで、バカじゃないか。

「俺、……もう行くよ。ここ、持ってきたやつ置いていくから」

結局、そう口にする。

すると、小町は一度驚いたような顔をしてから、僅かに桜色の唇を噛む。少しの間の沈黙が流れた後、俺は今度こそ立ち上がって、ドアの前に立つ。

「お大事に」と言う俺の声と、「まって……!」と言った小町の声が重なったのは、その時。

もう一度沈黙は落ちなかった。すぐに小町が次の言葉を発したからだ。

「まだ、いてほしい」

風邪を引いた、ずっと前から好きな女の子の弱々しい声。喧嘩してからずっと、この耳に入ることのなかった、小町の声。

もう何がなんだか分からなくなってぐちゃぐちゃになって、結局俺はもう一度座り直す。

「「あの時は、ごめん」」

次の言葉も、同時だった。そして、その意味も。言いたくて、聞きたかったその言葉。

視線がぶつかり合わさって、次に口を開いたのは小町だった。

「…………あの時、嫉妬したんだよ、柄にもなく。今思えばバカみたいな理由で。その、もう気付いてるだろうけど…………春太の第二ボタン、欲しかったんだ、私」

再び降りた、それ程居心地の悪くない沈黙の中で、一年前の卒業式を思い出す。



「ねえ、なんで先帰っちゃうかな」

卒業式を終えて、「この道を帰るのも最後か」などと思いながら帰路を歩いていると、後ろから小町が声を掛けてきた。

「待ってろなんて言わなかっただろ」

「結構探したんですけど、春太のこと」

「知らねえよ。……ていうか、お前も先島とかと話してたじゃん」

クラスの男子の名前を出すと小町は怪訝な顔をして、

「卒業式なんだから話くらいするよ、普通」

と言う。何も話さずに10歩ほど歩くと、小町は俺の胸に目を止めて、こう言った。

「ふぅん。…………帰ってよかったの?私じゃなく、第二ボタンを上げた女の子と帰ったら良かったじゃん」

きっと良くなかったのは次に俺が言った言葉だった。ぶつけてしまったのは、小町がクラスの男子と話していた時に感じた嫉妬と、形にならない好意を裏返したもの。

「お前に関係ないだろ、別に。大体、お前が1人で帰ってた俺に追いついてきたんじゃん」

声のトーンはいつもより低く落ちていて、それは小町も一緒だった。いつもより少し固い表情だったのが、さらに頬を強張らせて言う。

「…………あっそ。こんな日まで変にイライラしちゃって、バカみたい」

子供じみた言い合いが加速して、謝れば終わるはずの喧嘩が、終わってくれない。

目の端に涙を溜めた小町が、「……もういいっ」と走り去ってようやく、呼吸を思い出す。

意地を張って、引っ込みがつかなくなって、お互いの心は殴られて痛いのに、その日はどうにも止まれなかった。



そして気が付くと、謝る機会すら訪れないまま一年が経って、そして今。ようやく謝る機会と勇気が訪れて、小町の部屋にいる。




小町もまた、熱の残る頭ながらも一年前を思い出していた。思い出すのは、春太を追いかけて玄関を出る、その少し前から。


「ついに、だね……!」

「上手くいくよ、きっと上手くいく。じゃあ、行っておいで」

そう励ましてくれた、親友と言っていい程仲の良い友人たちに頷きを返して、私はいつもの下校路を小走りに急いだ。

「佐古川小町は、今日、告白をする」

と、呟く。小さな頃からずっと一緒に居た、来月から別の高校に行く、幼馴染に。

どんな結果になっても唯の幼馴染で居られなくなる告白はずっと後回しにしてきたけれど、同じ時間を過ごせるのは、今日までなのだ。今日を逃してしまったら、どこにも気持ちの行き場はなくなってしまいそうで。

だから追い付いた春太の胸に、第二ボタンが既に無くて、「関係ないだろ、別に」と言われたとき、私の頭は真っ白になって、上手く働かなくなってしまったのだ。

「ふぅん。…………帰ってよかったの?私じゃなく、第二ボタンを上げた女の子と帰ったら良かったじゃん」

自分でも、ああ、嫌な女の子だ、と思ってしまった。多分今私、全然可愛げのない顔をしてる。

告白するつもりだったその時の私にはどこにも余裕なんてなくて、そしてそれは、いつもは何処か大人びている春太も同じだった。

いつもなら謝って10分後にはいつも通り笑っているくらいの喧嘩は、告白と卒業と色々を混ぜたあの時の私には上手く受け流せなかったのだ。


その後告白なんて勿論出来るわけもなくて、宙に浮かんだ気持ちを抱えたまま、この一年を過ごしてしまった。



そして、今。2人は1年ぶりに向かい合っていた。

「……大人気なかったね、お互い」

「うん。……どっちも意地張ったまま、譲らなかった」

「…………前、『おはよう』って声掛けてくれたの、無視してごめん。何て返したらいいか、分からなかった」

「いいよ、そんなの。……お粥作ってきたけど、食べれたら」

「ありがとう、食べるよ。…………あったかい」

少しだけ大人びた会話を、遅くなったテンポで交わす。小町がお粥を食べて、そしてそれが終わるとまた会話は途切れて、静けさが部屋を満たす。

「……じゃあ、俺、もう行くよ。お大事に」

立ち上がってそう言うと、小町は一度口を開けて、閉じて、もう一度開けて、こう言った。

「あ……あのさ。私、夢を見てたんだ、さっきまで」

小町は続けて、桜色を取り戻した唇から言葉を紡ぐ。

「一年前の夢。寝言、言ってたかも。あのね、もう時効かもしれないんだけど、さ」




「春太、…………すきです」

静かな部屋に、その言葉は溶かしたように消えていく。

消えてしまうその前に、ずっと前から喉の奥に止まったままの声が、口から滑り出る。

「時効じゃないと信じて、言うんだけどさ」

謝罪と後悔と、沢山の思いが、想いと混ざって言葉になる。

「俺、小町のことが好きだ」


小町の風邪が移ったのだろうか、体は溶け出したチョコレートのように熱い。「熱、……ぶり返しそう」と言う、小町がはにかんで涙混じりに笑う声が、耳にいつまでも残っていた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
作者より
お読み頂き、ありがとうございました。二人の恋、如何でしたでしょうか。皆様の心を少しでも動かせたなら幸いです。

「面白かった!」「尊い」「こういう恋がしたい」
と思って下さった方がいましたら、是非フォロー&星、宜しくお願い致します。何作かこの後も投稿する予定ですので、ユーザーフォローも是非。

それでは、またどこかでお会いできることを願って。
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