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第1章 〜喪失・失った青年と喫茶店〜

輝くのは

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*         *          *



「アキラ……急にどうしたんだ?」

「えっと……虫の良い話だと思います。でもやっぱり野球続けたいです。退部届はなかったことにしてください、お願いします!」


 放課後、俺は体育教官室にいた。どっぷりとデスクチェアに座る鈴木は腕組みをしながら険しい顔をしている。

そりゃそうだ。顧問の言うことに2度も反して退部しようとしていたのだ。俺は頭を下げながら、次の言葉を待っていた。しかし、返事はない。

 ……頭を上げると、鈴木はニヤリとしていた。ええ、なんだこの顔。初めてみたぞ?茶色っぽい歯と目の端がキラリと光っており、俺が無言のまま待っていると急にガハハッ!と笑い出した。他の教員も驚いてこちらを注視している。なんだ、どういうんだ?


「ハハッ!やっぱり戻って来るか!そりゃそうだ、俺とおんなじで野球大好きバカだもんな!!」

「えっと……」

「退部届は俺の引き出しの中だ、まだ受理はしてない。……なにか大事なもんを思い出したみたいで良かったよッ!」


 おい、笑いながら俺の腕をバシバシ叩くな、痛いわ。


「それに……戻ってくるなんてのは最初から分かってたよ」

「え、そうなんですか?」

「あたぼうよォ~何年野球部持ってると思ってんだ。ずっと手のマメがそのままだったからな!ガハハッ!!」


 目の前で大げさに笑う鈴木を、今日は心の中で罵倒する気にはとてもなれなかった。むしろ、見直していた。実際野球を辞めたはずの俺は、素振りだけはしていた。ただバットやグローブを触るだけの日もあったが……とにかく俺は、野球を忘れようと努めていても自然と、そうしていた。

 少しだけ熱い胸の奥を感じながら、今度は深く頭を下げた。


 今後の方針や少しの雑談を経て、体育教官室を後にする。普段ならば気分の悪い教官室後だが、今日はなんだかスキップでもしたくなるような気分だ。ノリノリで闊歩する廊下もどこか輝いて見える。そのまま昇降口へ向かい、ローファーを置いて履き、校外に出る。

へ向かっている途中、スマホが震える。すぐにボタンを押して電話に出る。


「もしもし」

『あ、お兄ちゃん?今日からだっけ、私も行っていい?』

「たぶん大丈夫だぞ――ってやべ、もうこんな時間か!?」

『じゃあ後で行くねー!』

「おう、後でな」


 プツリと切れる電話。スマホをポケットにしまいいつもより多い荷物を持って、家でも喫茶店でもない場所へ向かう。

しばらく走って向かう。流れる電柱とコロコロ変わる家々の中、俺はやがて、走り疲れて膝に手をつく。……こんなことなら、自転車で来るんだった……!!


 ある小学校のグラウンドに着くと、整列をして声を揃えてランニングをしている少年野球の子どもたちがいた。それをベンチに座って眺めている人に近づく。座っている中高年ぐらいの、白髪混じりにキャップ、そしてよれたジャージを着たその人は、この少年野球団のコーチさんだ。


「あの~すみません」

「ん?……ああ!君が新しく見てくれるっていう」

「はい、赤松アキラと言います。本日からよろしくお願いします」

「はいはい~よろしくね!それじゃ、自己紹介してから早速、バッティングを見てもらおうかな」

「はい!よろしくお願いします」


 ……そう。俺はこれから、ミカの紹介で少年野球団のコーチをすることになった。と言っても平日の放課後にある練習を少し見るだけではあるのだが。

 ミカがたまたまこの、少年野球団に所属している子の保護者と知り合いだったようで、コーチ不足に悩んでいるという相談を受けたのだそうだ。あの夜言い合った時、本当はそのことを相談したかったらしい。


 自己紹介を終え子どもたちのバッティングを指導していると、ミカがジャージ姿で来た。ずいぶん久しぶりに、そんな姿を見た。ふと手元を見れば、一つの布袋を持っている。


「ミカ、それどうした?」


 そう言うとミカは、じゃじゃん!と言いながら袋からグローブを取り出した。型は仕上がっていて、十分使える状態。しかしいつのまに新しいものを買ったんだろうか……?


「これすごいでしょ?小遣い貯めて買ったの!……私も参加させてもらお~」


 そう言いながら白髪混じりのコーチの元へ走っていく姿を見て、俺は思った。……きっと、ずっとこうしたかったんだって。なんだか遠回りしてしまったけれど、陽の目を見たのがこの場所で良かったんだって。

 1人の少年の打ったボールが宙に舞う。西陽を受けて白く輝くそのボールはやがて、1人のグローブの中にポスリと収まる。少年たちの、ナイスキャッチ~!という声に、グローブを高々上げる仕草は、まるで昔から変わっていない。


「すごくないっ!?ひさびさなのにちゃんと捕ったよ~!」

「ああ!……ありがとう」


 たぶん聞こえていないだろうが、そう言わざるを得なかった。

 きっとこれからも俺は、野球を続けていく。ミカにそうであって良いんだって、思い出させてもらったから。明日もあさっても、その先の未来も、俺は――



どうしようもない、野球バカだから――。



*         *          *



「いらっしゃいませ――あらアキラくん、と……妹さん、ですか?」

「どうも、まだ開いてて良かったですツムギさん」

「……」


 少年野球の練習終わりに、俺とミカはツムギさんの喫茶店、『アウローラ』に来ていた。いつものように店内はガラガラで、ぼんやりとした照明に店内が包まれていた。ツムギさんの装いもいつもと同じで、クリーム色した長袖ワイシャツ、スラっとした脚によく似合うジーパン、黒エプロンに、ふわりと揺れるポニーテールと、赤い石のネックレス。

いつものようにカウンターテーブルにつき、ミカも俺の横に座る。出されたお冷をグッと飲み干し、プハーッと息を上げる。……そうだ、ツムギさんにあらためてお礼しないと!


「ツムギさん、このあいだはありがとうございました!おかげで俺、また野球始めましたよ!」

「そうですか……なら、良かったです。今度また野球の話、ぜひ聞かせてくださいね?」

「もちろんですよ――あっ、コーヒー一杯お願いします」

「……」


 ツムギさんがコーヒーを淹れてくれている間、俺は簡単な学校の課題をやっていた。……しかしなんだろう、やけにミカが静かだな。もっとテンション上がってるもんだと思ってたんだが。

……ハッ!もしかして、誘われるの嫌だったとか……?そう思い、ミカに尋ねる。


「な、なあミカ。もしかして誘われるの、嫌だったか?」

「……ちがう」


 そういうミカの顔はムスッとしていて、視線の先にはツムギさんがいる。その視線に気付いたのか、ツムギさんは微笑みながら首を少しだけ傾げる。

その視線の意図は分からないが、そういえばミカにツムギさんを紹介していなかったなと思い、慌ててミカに言う。


「あっ、この人ここの店主のツムギさん!すごくいい人で、あの夜のときも――」



 ダンッ!!!



 突然、ミカがカウンターテーブルを勢いよく叩く。あまりに突然で俺は「ヒィッ」と情けない声が出てしまった。ミカは肩がわなわなしていて、それから俯いていた顔をグッと上げて、ツムギさんを指差す。


「ツムギさん、ね……ねぇお兄ちゃん。私とツムギさん、どっちが大事なの?」

「……え、ええ?」

「答えなさいッ!」

「ミ、ミミミミカです!?」

「……そう、なら良いわ」


 そう言って先ほどの般若のような顔から一変、にだこり微笑みツムギさんに言う。


「紅茶、あります?」

「はい、ございますよ」


 そう言ってキッチンへと向かうツムギさんの目は俺に向かれていて、それはなんだか温かいものだった。

可愛らしい妹さんですね、というところだろう。いったいどうして、兄大好きミカちゃんになってしまったのか……。そう考えていると、横から肩をトントンと叩かれる。その手はやけに圧が強く、オーラを纏っているようだった。

横を見れば、口元こそ笑っているものの、目は完全に笑っていないミカの姿があった。ハラリと耳元から落ちる栗毛の髪が、やけに恐ろしかった。


「これからも一緒に、ずっと、野球しようね」

「ひぃ……」

「ね、お兄ちゃん?」


 ……野球の問題は解決したかも知れないが、妹との問題は残ったままなのかも知れない。そう、思った。












――第1章 ~喪失・失った青年と喫茶店~ ――



         《終》








 
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