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第1章 〜喪失・失った青年と喫茶店〜
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道ゆく人々はみな傘をさしている。黒が主だが時に赤や青、模様が入っていたり、何色も持っていたりとさまざまだ。しかしみな同じ音で雨を弾いている。そこに紛れて黒い折りたたみ傘をさして歩く。灰色だった縁石が濃く染め上げられ、街が一段と影を落としている。
駅周辺ではいつもよりタクシーが走っているし、車通りも多い。雨音に加えて生活音も鼓膜に入ってくる。届いて、反響して、全てが混ざってワァーン……と聴こえる。いつもなら嫌な音だが、どうにも今は気にならない。
ぼんやり歩いていると喫茶店に着く。表に出された小さな看板は濡れているものの、きちんと『open』になっている。窓からは明かりが溢れていてうっすらツムギさんの姿も見える。
扉に手をかけ、ゆっくりと押す。少しの雨風とともに店内に入ると、カウンター越しに前と変わらぬ姿が。スラっと伸びた脚によく似合うジーパン、クリーム色した長袖ワイシャツを捲っていて、上には黒いエプロン。ツヤ感のある黒髪ポニーテールがふわりと揺れて、こちらを見てペコリとお辞儀する。
「いらっしゃいませ……また来てくれましたね、アキラさん」
「あ、どうも」
「今日もお客さんいませんから、お好きなところへ」
ガラスコップを取り出し水の用意をしてくれている。店内は前回来た時となんら変わっておらず、当然のことなのだが不思議と安堵した。前回と同じカウンターテーブルの席に着く。カウンターの向こうからコトっと水の入ったガラスコップが置かれ、それを取って口に運ぶ。
「コーヒーどうされます?」
「前回と同じで」
「はい」
そう言ってメニューを開く。ここも全く変わっていない。いや、1週間程度で変わっている方が怖い。ジッと悩んで、前回とは違う料理に目をつける。カルボナーラにボンゴレビアンゴ、カレーにオムライス、デザートにはバニラアイスとプリンがある。飲み物も何種類かあったが、今は気分ではなかった。
「すいません、ツムギさん」
呼びかけに応じて、キッチンの方からゆったりと歩いてくる。手にはコーヒーの入ったガラスコップ。首元には赤い石のネックレス。前回も付けていたが、いつもこれを着けているのだろうか?
「注文お決まりで?」
「あぁ、はい。今日はカレーお願いします」
「はーい」
「……そのネックレス、いつも着けてるんですか?」
ツムギさんが黒々したガラスコップをカウンターに置いた時そう言うと、彼女は懐かしむようにネックレスを触りながら答えてくれた。
「これは……母の形見なんです。別れる前にもらったもので」
「……お亡くなりに?」
「いえ、生きているのか死んでいるのか……分かりません。でもこれを着けていると、いつでも思い出せるんですよ」
「……また、会えるといいですね」
「はい」
そう言ってキッチンへ戻ってしまうツムギさんに影は見えない。揺れるネックレスがきらりと光る。訊いて良かったのかは分からないが、少なくともツムギさんの表情は暗いものではなかった。形見と言われた時ドキッとしてしまったが、問題ないようだった。
スパイシーな香りと共に運ばれてきたカレーは程よい色合いで、味はやはりそこそこだった。喫茶店なのだから別に良い。それに俺は腹が満たせればそれで良いのだ。パクパクとスプーンを運んでいけば、すぐにカレーの僅かな茶色と容器の底が残った。
仕上げとも言えるコーヒーを飲んで、ひと息つく。味覚的にも食欲的にも満足だ。壁掛けアンティーク時計を見れば、まだ午後4時半。門限まで時間があったためしばらく課題をすることにした。
……課題が半分に差し掛かったぐらいだろうか、横の席にツムギさんが静かに座る。きっと、前回同様にいっさいお客さんが来ないから暇なのだ。黙って俺の課題を見ている。ほのかなコーヒーとアロマのような香りが隣からする。
「難しいですか?」
「んー……まあまあです、かね」
「へぇ~……」
……気が散る。課題をやっている時、誰かにジロジロ見られることなんてなかったからだ。すぐにシャーペンを筆入れにしまい、参考書と一緒に鞄へしまう。喫茶店内には妙な沈黙が流れた。外から聴こえてくるのは雨音のみであり、アンティーク時計からはカチッ、カチッと一定のリズムが聴こえる。
ひとくちコーヒーを飲むと、ツムギさんが声をかけてきた。
「そういえば、妹さん居るんですか?」
「えっ!?なんで」
「ふふっ、ごめんなさい。筆入れの中に可愛らしいペンが見えたから」
「あぁ!アレですか」
筆入れを再度鞄から出し、中から小さなクマのキーホルダーが付いたボールペンを取り出す。
「これ、妹のミカが小学生の時に買ってくれたんです。誕生日プレゼントだ~!って」
「プレゼント……なんだか良いですね、兄妹って」
「そうでもないですよ、最近は反抗期なのかめっきり会話も減りました」
この前会話したのが直近かなと思ってしまうぐらいには減った。それはとても自然なことだし仕方がないのだが、やはり少し寂しく思ってしまう。
無くなったコーヒーの代わりに水の入ったガラスコップを持ち、ひとくち飲む。
「でも、まだプレゼントは持っているんですもんね?」
「……まぁ、嫌いになったわけじゃないですから」
「いつかきちんと、話せる日が来ますよ」
温かみを持った表情のツムギさんがそう言う。思わずもう一杯水を飲んでしまう。それから話題を変えたいと思い、少し疑問に思っていたことを呟く。
「そういえば、ここは何時までやってるんですか?」
そう言うとツムギさんは、唸りながら首を傾げた。それから捻り出すようにして答える。
「ん~ここは結構、雑なんですよねぇ……」
「え、雑?」
「今日はお客さんもう来ないな~ってなったら閉めます。まだ来そうだなぁ~ってなったら開けているんです……あ、開店時間は同じですよ」
「ずいぶんとまたテキトウな……」
きっちりしている人だと思っていたから、意外だ。でも喫茶店って、どこもそんな感じなのだろうか?あまり行ったことがないから分からん……。
でも。こうしてゆったりとした雰囲気が、居心地を良くしてくれているのかも知れない。
駅周辺ではいつもよりタクシーが走っているし、車通りも多い。雨音に加えて生活音も鼓膜に入ってくる。届いて、反響して、全てが混ざってワァーン……と聴こえる。いつもなら嫌な音だが、どうにも今は気にならない。
ぼんやり歩いていると喫茶店に着く。表に出された小さな看板は濡れているものの、きちんと『open』になっている。窓からは明かりが溢れていてうっすらツムギさんの姿も見える。
扉に手をかけ、ゆっくりと押す。少しの雨風とともに店内に入ると、カウンター越しに前と変わらぬ姿が。スラっと伸びた脚によく似合うジーパン、クリーム色した長袖ワイシャツを捲っていて、上には黒いエプロン。ツヤ感のある黒髪ポニーテールがふわりと揺れて、こちらを見てペコリとお辞儀する。
「いらっしゃいませ……また来てくれましたね、アキラさん」
「あ、どうも」
「今日もお客さんいませんから、お好きなところへ」
ガラスコップを取り出し水の用意をしてくれている。店内は前回来た時となんら変わっておらず、当然のことなのだが不思議と安堵した。前回と同じカウンターテーブルの席に着く。カウンターの向こうからコトっと水の入ったガラスコップが置かれ、それを取って口に運ぶ。
「コーヒーどうされます?」
「前回と同じで」
「はい」
そう言ってメニューを開く。ここも全く変わっていない。いや、1週間程度で変わっている方が怖い。ジッと悩んで、前回とは違う料理に目をつける。カルボナーラにボンゴレビアンゴ、カレーにオムライス、デザートにはバニラアイスとプリンがある。飲み物も何種類かあったが、今は気分ではなかった。
「すいません、ツムギさん」
呼びかけに応じて、キッチンの方からゆったりと歩いてくる。手にはコーヒーの入ったガラスコップ。首元には赤い石のネックレス。前回も付けていたが、いつもこれを着けているのだろうか?
「注文お決まりで?」
「あぁ、はい。今日はカレーお願いします」
「はーい」
「……そのネックレス、いつも着けてるんですか?」
ツムギさんが黒々したガラスコップをカウンターに置いた時そう言うと、彼女は懐かしむようにネックレスを触りながら答えてくれた。
「これは……母の形見なんです。別れる前にもらったもので」
「……お亡くなりに?」
「いえ、生きているのか死んでいるのか……分かりません。でもこれを着けていると、いつでも思い出せるんですよ」
「……また、会えるといいですね」
「はい」
そう言ってキッチンへ戻ってしまうツムギさんに影は見えない。揺れるネックレスがきらりと光る。訊いて良かったのかは分からないが、少なくともツムギさんの表情は暗いものではなかった。形見と言われた時ドキッとしてしまったが、問題ないようだった。
スパイシーな香りと共に運ばれてきたカレーは程よい色合いで、味はやはりそこそこだった。喫茶店なのだから別に良い。それに俺は腹が満たせればそれで良いのだ。パクパクとスプーンを運んでいけば、すぐにカレーの僅かな茶色と容器の底が残った。
仕上げとも言えるコーヒーを飲んで、ひと息つく。味覚的にも食欲的にも満足だ。壁掛けアンティーク時計を見れば、まだ午後4時半。門限まで時間があったためしばらく課題をすることにした。
……課題が半分に差し掛かったぐらいだろうか、横の席にツムギさんが静かに座る。きっと、前回同様にいっさいお客さんが来ないから暇なのだ。黙って俺の課題を見ている。ほのかなコーヒーとアロマのような香りが隣からする。
「難しいですか?」
「んー……まあまあです、かね」
「へぇ~……」
……気が散る。課題をやっている時、誰かにジロジロ見られることなんてなかったからだ。すぐにシャーペンを筆入れにしまい、参考書と一緒に鞄へしまう。喫茶店内には妙な沈黙が流れた。外から聴こえてくるのは雨音のみであり、アンティーク時計からはカチッ、カチッと一定のリズムが聴こえる。
ひとくちコーヒーを飲むと、ツムギさんが声をかけてきた。
「そういえば、妹さん居るんですか?」
「えっ!?なんで」
「ふふっ、ごめんなさい。筆入れの中に可愛らしいペンが見えたから」
「あぁ!アレですか」
筆入れを再度鞄から出し、中から小さなクマのキーホルダーが付いたボールペンを取り出す。
「これ、妹のミカが小学生の時に買ってくれたんです。誕生日プレゼントだ~!って」
「プレゼント……なんだか良いですね、兄妹って」
「そうでもないですよ、最近は反抗期なのかめっきり会話も減りました」
この前会話したのが直近かなと思ってしまうぐらいには減った。それはとても自然なことだし仕方がないのだが、やはり少し寂しく思ってしまう。
無くなったコーヒーの代わりに水の入ったガラスコップを持ち、ひとくち飲む。
「でも、まだプレゼントは持っているんですもんね?」
「……まぁ、嫌いになったわけじゃないですから」
「いつかきちんと、話せる日が来ますよ」
温かみを持った表情のツムギさんがそう言う。思わずもう一杯水を飲んでしまう。それから話題を変えたいと思い、少し疑問に思っていたことを呟く。
「そういえば、ここは何時までやってるんですか?」
そう言うとツムギさんは、唸りながら首を傾げた。それから捻り出すようにして答える。
「ん~ここは結構、雑なんですよねぇ……」
「え、雑?」
「今日はお客さんもう来ないな~ってなったら閉めます。まだ来そうだなぁ~ってなったら開けているんです……あ、開店時間は同じですよ」
「ずいぶんとまたテキトウな……」
きっちりしている人だと思っていたから、意外だ。でも喫茶店って、どこもそんな感じなのだろうか?あまり行ったことがないから分からん……。
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