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二章
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自宅の扉を閉め、鍵をかける。時刻は十時二十分。スーツケースを持って階段を下る。ずっしりと右手にかかる負荷は、夜勤明けというデバフには少々厳しいものであったが、これから訪れる地で行われる再会に想いを馳せれば、なんてことのないものだった。
それからはしばらく坂道を下り、ゴロゴロとスーツケースを転がしながら『葦野文化大学前』駅へと向かった。道中、初夏と呼ぶにはあまりにも厳しい日差しと熱風に遭い、駅に着く頃には先ほどスッキリしたはずの身体が汗ばんでいた。改札と呼ぶには簡素な入り口を通り、電車を待つ。
幸いにも電車はすぐに駅へと到着し、効き過ぎなクーラーの冷風の中、ゆっくりと空いている席に座る。周りには観光客と『アシブン』の学生らしい人、さらには外国人観光客がワラワラとしていたが、特に気にすることなくむしろ、心地良い雑音として睡魔を呼び寄せる。……ハッ。いけない、いけない。きちんと起きてないとなぁ。
そんなふうにうつらうつらしながらも、ある意味ではきちんとした再会と、二日ぶりの実家への期待を胸に、ガタリゴトリと一定のリズムで揺れる電車に身を任せ、鉄路を進んだ。
***
「まもなくぅ~藤枝ぁ~ふじえだです。お降りの際は――」
「……んあ?」
……思いっきり寝てしまったな。
これまでの旅路とそれに掛かった時間を考えれば当然のことではあるが、なんとかこうして降車駅である『藤枝』駅に着く前に起きられたのは幸いであった。
『葦野文化大学前』駅から『大月』駅まで二十分。そこから中央線、松本行き電車へと乗り換えて、『甲府』駅まで一時間弱。
『甲府』駅にて一度改札を出て切符を買い直し、五番線ホームにてあの、『キャンプを通じて話が進んでいく某有名アニメ』の聖地である身延町を通り、静岡方面までを繋ぐ身延線電車に乗り換え、三時間弱という時を経て『富士』駅まで。そこから東海道線へと乗り換え、今に至る。所要時間としては現在までで六時間超!という旅路であった。……途中から寝過ぎて記憶ねぇぞ……。
電車が完全に停止し、ドアが開く。ぞろぞろ降りていく人混みに紛れて、スーツケースを持って改札口を目指す。ゴールデンウィークが始まったというのにスーツ姿の人は多く、疲弊しきった社会人を見るたび社会の厳しさを思い知らされる。そんな中、スーツケースを転がしながら改札口を通り、なんとか駅の南口まで出てくることが出来た。
辺りを見渡し、見覚えのある乗用車にナンバープレート、そしてスマホをいじる母の姿を見つけ、そこに向かって歩く。母もこちらに気づいたようで、車のドアを開けてくれた。事前にメッセージアプリ内でアポを取っていたので当たり前なのだが、こうして目の前にすると、どうにも感慨深いものである。――二日ぶりであり、数年ぶりの再会だ。
「お疲れー。長かったでしょ?」
「ああ、まあね。えっと……ただいま?」
「なんで疑問形?とりあえず乗って。買い物寄ってくけど、今日の夕飯何が良い?」
「んと……オムライス」
「はいはーい。それじゃ卵とか――」
母は夕飯の材料が家にあるかないか、ということを自問自答したり、こちら側の気候や俺の体調を聞いたりしてきたが、全くのうわの空で何を聞かれ、なんて答えたか、スーパーに着くまでハッキリと覚えていない。
……だけど。
あの日以来と変わらぬ母の口調や少し乱暴な運転。しかし少し増えた皺や変化した髪型、髪色と車内に置かれた小物たち。聴いている車内曲も、いちファンとして応援するアイドルグループも。あの日から確かに、動き出しているという証左だけはハッキリと、未だかつてない克明さで覚えていた。
スーパーでの買い物を終え、帰路に着く。しばらくぶりであった切絵町への帰郷は、驚愕と哀愁の連続でもあった。空き地であったはずの場所に公園が出来ていたり、空き地が埋め立てられ、整備された土地に家が数件ほど建っていたりした。むかし近所の子達と遊んだ空き地も、それは見事な一軒家が二つも建っている。
また、デコボコだったはずの道路が大幅に整備されていたり……理由は分からないが、立派な桜の木が数本ほど腑抜けた切り株に変貌を遂げていたり……と、なかなかショッキングなものもあった。――あの満開の桜、もう見れないのか……。
車内から見えた風景に過ぎないので、細かいところを見ればもっと、変わった、変わってしまった部分が出てくるだろう。寂寥感こそあれど、あの日、あの時からもこうして、地元が時間という波に乗って変化を続けていると思うと、なんだか誇らしく感じた。
「着いたー……なにボーッとしてんの、早く降りてー」
「うっす……」
エンジンが止まったことにすら気づかずぼんやりとしていたら、いつの間にか実家についていた。母に促されるままスーツケースを持って、車外に出る……うなぎの養殖地だった土地に家が建てられており、ある一軒の屋根に西陽が掛かって鮮やかな橙色が空を貫いていた。そして反対の空では既に藍色と、それよりも濃い紺碧の空が夜の帳を下ろしに掛かっている。スマホのデジタル時計には『17:53』と表示されており、感嘆のため息が漏れた。
実家の玄関扉を開けてもらい、スーツケースと共に入る。懐かしくも、もうすでに日常を送る場所ではない匂い。そしてもう一人の、改変を遂げた人物が目の前に立って、こちらを出迎える。
「青人、おかえり」
「……ただいま」
そのたった四文字に、特別な意味はないだろう。
しかし、その四文字を言うために重ねた沈黙は、きっと、嘘じゃない。
自宅の扉を閉め、鍵をかける。時刻は十時二十分。スーツケースを持って階段を下る。ずっしりと右手にかかる負荷は、夜勤明けというデバフには少々厳しいものであったが、これから訪れる地で行われる再会に想いを馳せれば、なんてことのないものだった。
それからはしばらく坂道を下り、ゴロゴロとスーツケースを転がしながら『葦野文化大学前』駅へと向かった。道中、初夏と呼ぶにはあまりにも厳しい日差しと熱風に遭い、駅に着く頃には先ほどスッキリしたはずの身体が汗ばんでいた。改札と呼ぶには簡素な入り口を通り、電車を待つ。
幸いにも電車はすぐに駅へと到着し、効き過ぎなクーラーの冷風の中、ゆっくりと空いている席に座る。周りには観光客と『アシブン』の学生らしい人、さらには外国人観光客がワラワラとしていたが、特に気にすることなくむしろ、心地良い雑音として睡魔を呼び寄せる。……ハッ。いけない、いけない。きちんと起きてないとなぁ。
そんなふうにうつらうつらしながらも、ある意味ではきちんとした再会と、二日ぶりの実家への期待を胸に、ガタリゴトリと一定のリズムで揺れる電車に身を任せ、鉄路を進んだ。
***
「まもなくぅ~藤枝ぁ~ふじえだです。お降りの際は――」
「……んあ?」
……思いっきり寝てしまったな。
これまでの旅路とそれに掛かった時間を考えれば当然のことではあるが、なんとかこうして降車駅である『藤枝』駅に着く前に起きられたのは幸いであった。
『葦野文化大学前』駅から『大月』駅まで二十分。そこから中央線、松本行き電車へと乗り換えて、『甲府』駅まで一時間弱。
『甲府』駅にて一度改札を出て切符を買い直し、五番線ホームにてあの、『キャンプを通じて話が進んでいく某有名アニメ』の聖地である身延町を通り、静岡方面までを繋ぐ身延線電車に乗り換え、三時間弱という時を経て『富士』駅まで。そこから東海道線へと乗り換え、今に至る。所要時間としては現在までで六時間超!という旅路であった。……途中から寝過ぎて記憶ねぇぞ……。
電車が完全に停止し、ドアが開く。ぞろぞろ降りていく人混みに紛れて、スーツケースを持って改札口を目指す。ゴールデンウィークが始まったというのにスーツ姿の人は多く、疲弊しきった社会人を見るたび社会の厳しさを思い知らされる。そんな中、スーツケースを転がしながら改札口を通り、なんとか駅の南口まで出てくることが出来た。
辺りを見渡し、見覚えのある乗用車にナンバープレート、そしてスマホをいじる母の姿を見つけ、そこに向かって歩く。母もこちらに気づいたようで、車のドアを開けてくれた。事前にメッセージアプリ内でアポを取っていたので当たり前なのだが、こうして目の前にすると、どうにも感慨深いものである。――二日ぶりであり、数年ぶりの再会だ。
「お疲れー。長かったでしょ?」
「ああ、まあね。えっと……ただいま?」
「なんで疑問形?とりあえず乗って。買い物寄ってくけど、今日の夕飯何が良い?」
「んと……オムライス」
「はいはーい。それじゃ卵とか――」
母は夕飯の材料が家にあるかないか、ということを自問自答したり、こちら側の気候や俺の体調を聞いたりしてきたが、全くのうわの空で何を聞かれ、なんて答えたか、スーパーに着くまでハッキリと覚えていない。
……だけど。
あの日以来と変わらぬ母の口調や少し乱暴な運転。しかし少し増えた皺や変化した髪型、髪色と車内に置かれた小物たち。聴いている車内曲も、いちファンとして応援するアイドルグループも。あの日から確かに、動き出しているという証左だけはハッキリと、未だかつてない克明さで覚えていた。
スーパーでの買い物を終え、帰路に着く。しばらくぶりであった切絵町への帰郷は、驚愕と哀愁の連続でもあった。空き地であったはずの場所に公園が出来ていたり、空き地が埋め立てられ、整備された土地に家が数件ほど建っていたりした。むかし近所の子達と遊んだ空き地も、それは見事な一軒家が二つも建っている。
また、デコボコだったはずの道路が大幅に整備されていたり……理由は分からないが、立派な桜の木が数本ほど腑抜けた切り株に変貌を遂げていたり……と、なかなかショッキングなものもあった。――あの満開の桜、もう見れないのか……。
車内から見えた風景に過ぎないので、細かいところを見ればもっと、変わった、変わってしまった部分が出てくるだろう。寂寥感こそあれど、あの日、あの時からもこうして、地元が時間という波に乗って変化を続けていると思うと、なんだか誇らしく感じた。
「着いたー……なにボーッとしてんの、早く降りてー」
「うっす……」
エンジンが止まったことにすら気づかずぼんやりとしていたら、いつの間にか実家についていた。母に促されるままスーツケースを持って、車外に出る……うなぎの養殖地だった土地に家が建てられており、ある一軒の屋根に西陽が掛かって鮮やかな橙色が空を貫いていた。そして反対の空では既に藍色と、それよりも濃い紺碧の空が夜の帳を下ろしに掛かっている。スマホのデジタル時計には『17:53』と表示されており、感嘆のため息が漏れた。
実家の玄関扉を開けてもらい、スーツケースと共に入る。懐かしくも、もうすでに日常を送る場所ではない匂い。そしてもう一人の、改変を遂げた人物が目の前に立って、こちらを出迎える。
「青人、おかえり」
「……ただいま」
そのたった四文字に、特別な意味はないだろう。
しかし、その四文字を言うために重ねた沈黙は、きっと、嘘じゃない。
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