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二章
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四月三十日の午後はひたすら机に向かっていた。
ベットの上で黙々と泣き、そのことに困惑しながらも涙が枯れるまで泣き続けた俺は、寝起きとは思えぬ疲労感を感じていた。手足に力が入らず、まるで地球の重力が三倍になったかのような感覚だった。
しかしいつまでもダラダラしているのも、残った半日に失礼だなと思いつつ一時間ほどはまたベット上で横になり、ぼんやりと天井を見つめていた。開けていない窓からカラスや小鳥の鳴き声を聴き、ゴールデンウィークに学校グラウンドからも類人猿のような声を聴き、やがてスッと立ち上がる。椅子に座って画用紙と色鉛筆を取り出し、机へと向かった。
紙に鉛筆の芯が吸いつき、やがて思考も画用紙の中へと入っていく。それからは時間も忘れ、激しい尿意に襲われるまで黙々と、画用紙の中で戯れ続けた。
トイレから戻って時計を確認すれば、すでに『7』の数字を短針が過ぎている。閉め切っていた遮光カーテンをスッと開けば、先ほどまでの喧騒も活気もなりをひそめ、月と影になった山、そして近隣のマンションやアパートから漏れる光だけが世界に存在する葦野市に変貌を遂げていた。変わりない、このクソ田舎であり、自身のいま、帰るべき場所。
カーテンを閉めて、今日描いた絵を眺める。どれを眺めてもラクガキの域を越えない駄作たち。特に描いた意味はなく、ただこの半日は描きたいという衝動に任せていた。しかしこれで確かに分かったことが一つ、ある。
今まで描いていた絵を思い出せない。
何故か知らないが、全く思い出せないのだ。最初は過去改変から帰ってきたばかりのあの時――。あの日はきっと疲れと過去改変による影響で記憶がショートしているに過ぎないと軽く考えていた。過去を変えればもちろん未来である俺も様々な分岐をやり直していることになる。そうすれば短期間の間でも、肉体や臓器が脳情報とエラーを起こしてもおかしくはない。
しかし今はどうだ。あの日からもう一週間が経とうとしている。それでも思い出せない、ということは――
俺は、なにかを、捨てたのか?
何を今まで描いていたのか思い出せないとなると、捨てたのはきっと、絵だ。海夏との過去改変で俺は、ある絵を捨てなければならなかったのか。今まで恐らくずっと描いていたであろう絵の記憶を失ったことを残念に思いつつ、海夏との関係を修復出来たことを改めて喜んだ。
そのままぼんやりしていると、リラックスし過ぎたのか、椅子に座ったまま眠ってしまっていた。翌日の朝、猛烈に痛む首と腰で悶絶し、昨日の夜ここで寝落ちした自分を呪った。
***
いよいよ初夏が目前へと迫った、五月一日の昼。俺は何故か虹輝とコンビニに来ていた。いつもの、坂を降りた先にある、国道『139』号線沿いにひっそりと建つコンビニであり、前回は弘海さんと来た覚えがある。
「青人、お前カップ麺ばっか買うじゃん。俺のも買ってくれよ」
「どういう論理でもの言ってんだお前……?後半まるで分からんぞ」
ちぇっ、と言いながらドリンクコーナーへとトボトボ歩いていく虹輝。……コイツなにがしたかったんだ?
そもそもコイツとは一緒に来たわけではない。昼飯を買おうと自宅のマンションから坂を下っていたら、バッタリと出くわしてしまった。現在首と腰が猛烈に痛いが、腹は減るし食糧は無くなるので、どうしても買いに出なければならなかったという、あまり人に会いたくないタイミングでコイツと!
……それに、こうして首と腰を痛めてはいるが、今日の夜にはウミカの所へ行き、ある改変をしようと決めている。そう決意を漲らせている。だからこそ、今日は人に会いたくなかったのだが。
果たして、あの事故を過去改変へ行ったとしても止められるのだろうか?……まあ、行かなければ、分からないことだ。
「――んで、この土地特有の伝説とこれらの因果関係を絵にしたら楽しそうで~……っておい、聞いてた?いまの話っ!」
「ん、わりぃ。ミリも聞いてなかった。天ぷらとキノコの相性がなんだって?」
「おいホントにミリも聞いてねぇじゃねえか。いいか……よく聞け、そして驚け!俺は最近、お前も驚くような絵のアイデアがな――」
「すいませーん。会計お願いします」
「おいマジで聞く気ねぇじゃんお前……泣くぞ、おれ」
そんなやりとりをしつつ無事(?)買い物を済ませ、帰路に着きつつ、虹輝とのくだらない話をすこーしだけ、楽しんで。互いの家路に分かれた。……それにしてもアイツ、一体どこからあんな迷信を持ってきたんだ……?
なんでも虹輝が言うには、『この葦野市にはある伝説があり、むかしむかしに、ある栄えていた家が一晩にしてボロ屋敷になったり、忽然と人が姿を消したりすることが年に一度ペースであったのだそう。江戸や明治の時代なら分かるが、なんと今でもそういうことが起きるらしい。しかもその起きた事象は誰にも観測出来ない』の、だそうだ。
誰も観測出来ないならこんな話はもとからない。きっと、タチの悪い宗教派の作り話などの類に過ぎないのだろう。きっと、そんなことよりも俺は。
これからもっと大きいものに、絡むのだから。過去改変による、擬似的な死者蘇生というある種の禁忌に。
四月三十日の午後はひたすら机に向かっていた。
ベットの上で黙々と泣き、そのことに困惑しながらも涙が枯れるまで泣き続けた俺は、寝起きとは思えぬ疲労感を感じていた。手足に力が入らず、まるで地球の重力が三倍になったかのような感覚だった。
しかしいつまでもダラダラしているのも、残った半日に失礼だなと思いつつ一時間ほどはまたベット上で横になり、ぼんやりと天井を見つめていた。開けていない窓からカラスや小鳥の鳴き声を聴き、ゴールデンウィークに学校グラウンドからも類人猿のような声を聴き、やがてスッと立ち上がる。椅子に座って画用紙と色鉛筆を取り出し、机へと向かった。
紙に鉛筆の芯が吸いつき、やがて思考も画用紙の中へと入っていく。それからは時間も忘れ、激しい尿意に襲われるまで黙々と、画用紙の中で戯れ続けた。
トイレから戻って時計を確認すれば、すでに『7』の数字を短針が過ぎている。閉め切っていた遮光カーテンをスッと開けば、先ほどまでの喧騒も活気もなりをひそめ、月と影になった山、そして近隣のマンションやアパートから漏れる光だけが世界に存在する葦野市に変貌を遂げていた。変わりない、このクソ田舎であり、自身のいま、帰るべき場所。
カーテンを閉めて、今日描いた絵を眺める。どれを眺めてもラクガキの域を越えない駄作たち。特に描いた意味はなく、ただこの半日は描きたいという衝動に任せていた。しかしこれで確かに分かったことが一つ、ある。
今まで描いていた絵を思い出せない。
何故か知らないが、全く思い出せないのだ。最初は過去改変から帰ってきたばかりのあの時――。あの日はきっと疲れと過去改変による影響で記憶がショートしているに過ぎないと軽く考えていた。過去を変えればもちろん未来である俺も様々な分岐をやり直していることになる。そうすれば短期間の間でも、肉体や臓器が脳情報とエラーを起こしてもおかしくはない。
しかし今はどうだ。あの日からもう一週間が経とうとしている。それでも思い出せない、ということは――
俺は、なにかを、捨てたのか?
何を今まで描いていたのか思い出せないとなると、捨てたのはきっと、絵だ。海夏との過去改変で俺は、ある絵を捨てなければならなかったのか。今まで恐らくずっと描いていたであろう絵の記憶を失ったことを残念に思いつつ、海夏との関係を修復出来たことを改めて喜んだ。
そのままぼんやりしていると、リラックスし過ぎたのか、椅子に座ったまま眠ってしまっていた。翌日の朝、猛烈に痛む首と腰で悶絶し、昨日の夜ここで寝落ちした自分を呪った。
***
いよいよ初夏が目前へと迫った、五月一日の昼。俺は何故か虹輝とコンビニに来ていた。いつもの、坂を降りた先にある、国道『139』号線沿いにひっそりと建つコンビニであり、前回は弘海さんと来た覚えがある。
「青人、お前カップ麺ばっか買うじゃん。俺のも買ってくれよ」
「どういう論理でもの言ってんだお前……?後半まるで分からんぞ」
ちぇっ、と言いながらドリンクコーナーへとトボトボ歩いていく虹輝。……コイツなにがしたかったんだ?
そもそもコイツとは一緒に来たわけではない。昼飯を買おうと自宅のマンションから坂を下っていたら、バッタリと出くわしてしまった。現在首と腰が猛烈に痛いが、腹は減るし食糧は無くなるので、どうしても買いに出なければならなかったという、あまり人に会いたくないタイミングでコイツと!
……それに、こうして首と腰を痛めてはいるが、今日の夜にはウミカの所へ行き、ある改変をしようと決めている。そう決意を漲らせている。だからこそ、今日は人に会いたくなかったのだが。
果たして、あの事故を過去改変へ行ったとしても止められるのだろうか?……まあ、行かなければ、分からないことだ。
「――んで、この土地特有の伝説とこれらの因果関係を絵にしたら楽しそうで~……っておい、聞いてた?いまの話っ!」
「ん、わりぃ。ミリも聞いてなかった。天ぷらとキノコの相性がなんだって?」
「おいホントにミリも聞いてねぇじゃねえか。いいか……よく聞け、そして驚け!俺は最近、お前も驚くような絵のアイデアがな――」
「すいませーん。会計お願いします」
「おいマジで聞く気ねぇじゃんお前……泣くぞ、おれ」
そんなやりとりをしつつ無事(?)買い物を済ませ、帰路に着きつつ、虹輝とのくだらない話をすこーしだけ、楽しんで。互いの家路に分かれた。……それにしてもアイツ、一体どこからあんな迷信を持ってきたんだ……?
なんでも虹輝が言うには、『この葦野市にはある伝説があり、むかしむかしに、ある栄えていた家が一晩にしてボロ屋敷になったり、忽然と人が姿を消したりすることが年に一度ペースであったのだそう。江戸や明治の時代なら分かるが、なんと今でもそういうことが起きるらしい。しかもその起きた事象は誰にも観測出来ない』の、だそうだ。
誰も観測出来ないならこんな話はもとからない。きっと、タチの悪い宗教派の作り話などの類に過ぎないのだろう。きっと、そんなことよりも俺は。
これからもっと大きいものに、絡むのだから。過去改変による、擬似的な死者蘇生というある種の禁忌に。
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