浴槽海のウミカ

ベアりんぐ

文字の大きさ
上 下
11 / 44
一章

10

しおりを挟む
          10



 一年の夏休みに付き合ってから三ヶ月。夏の暑さもすっかり影をひそめ、木々が赤や黄色に染まり始めた頃。いつものように俺の部屋で、テレビを観ながらゆったりする海夏と、黙々と絵を描く俺がいた。

確かこの時あたりから『あの絵』を描き始めていたと記憶している。とは言っても下書き段階であり、今の絵とは全く違う様相だったはずだ。

 バラエティー番組を一通り観終わった彼女が立ち上がってこちらに近づき、絵を覗く。



「これってなに描いてるの?」

「ん~とね、なんて言ったらいいか分かんないんだけど、脳裏に浮かんだものを描いてる」

「ふーん……この女の子がそれ?」

「え、うん。一応そうだけど……」



 いつもの彼女ならもっと踏み込んで質問をしてくるはずだが、この時はなぜかそこで会話が終わってしまった。それにどこか不満そうな顔である。

基本的にいつも描いている絵は、幻想さに内在するリアリティを追い求めているため、魅力的な風景の中に人物を置くようにしている。そこに性別は関係なく、合うと思った人間を住まわせているため、彼女が『女を描いている』ということに不満を持っているということはないだろう。だからこそ不思議なのだ。

彼女が俺の絵を見て、あんなにも不満の意を隠さず表情に出すことは。

 それからほぼ毎日、いつものように彼女との日常を過ごしていたある日。いつかは言われてしまうと感じていた言葉を、彼女の口から言われた。



「ねえ、その絵やめない?」



 この時俺は、自身の創作活動を彼女に止められたことに対する怒りではなく――驚き。そして悲しみ。

彼女が俺の創作活動を止めることは今まで一度もなかった。前々からアドバイスや批評をもらったことはあるが、こうして直接止められたことに驚きを隠せなかった。しばらく手を止め、海夏へ質問する。



「どうしてそう思ったの?」

「……たぶん青人くんは無意識にやってるのかも知れないけど……今までの絵と全く違うよ」



 あの時はその言葉の意味が分からなかった。実際今でも分からない。そのまま彼女は続ける。



「今までの絵だったら絶対、どこかに温かさみたいな……その絵に対する愛情があった。でもこの絵は違うの!……どこか仄暗くて、寂しくて、そして忘れ去られる。そんな怖さが、ただある」

「……君にはわからないよ」

「え……?」



 知らないうちにそんな言葉が出る。それだけ、どうしてもこの絵が描きたかったのかも知れないが。

その言葉は彼女の胸に深く突き刺さったのだろう。当たり前だ。今までずっと、この大学に入ってから俺の絵を見続けてきた彼女が、当人に――君にはわからない、と言われたのだから。顔は引き攣り、胸の前で結んだ手が小刻みに震えていた。



「……ごめん、今日はもう帰るね」

「……うん」



 そう言って荷物を持って、玄関扉を開けて帰っていった。この時いつも軋む扉の音が、いつもより悲しげに響いた。

 それから俺の絵を彼女が見ることは無くなった。彼女も俺もたぶん変人と呼ばれる人種であったからか、絵を描くそして見るという一種のコミュニケーションを失ってから、互いに素っ気なくなっていった。

俺自身は彼女との関係を失いたくはなかった。絵を見てくれる存在として虹輝という親友はいたが、強い関心を持って見てくれたり、さまざまなアドバイスをくれた彼女を手放すことは、何か大切なものの欠片を失うようで、怖かった。

しかしこの絵を諦めることは出来なかった。今までしてこなかった自身の脳裏に漠然と浮かび続けたものを絵で現実へと浮かび上がらせるという事象に、自身のプライドをかけていたこともあると思う。

結果としてその後、彼女からはメッセージアプリ越しに別れを告げられた。酷く短い文章だった。











         ***











 金曜二限の授業を終え、昼食を買うべく大学内のコンビニではなく坂道をおりきった場所にある別のコンビニへと歩みを進める。今日は虹輝と授業が被っていないため、一人である。

歩いている最中、考える。海夏との関係を終わらせないために、過去に戻ってなにをすれば良いだろう?虹輝のときとは違い、一時的な感情で激昂したことで関係が歪んだわけじゃない。だからといってあの時の彼女になんと言えばいいか……。

 踏み切りを越えてコンビニへ到着。入店音とともにカゴを持って、店内の目ぼしい商品をカゴへと無造作に入れていく。飲み物、カップ麺、お菓子に昼食。自炊もまともにできない学生にとって、大事なものである。

重たくなったカゴをレジへと持っていき、会計を済ませる。レジ袋を持って店の外に出ると、やけに疲れた様子の虹輝がコンビニの駐車場から歩いてきていた。こちらに気づいて、小さく手をあげてくる。
 


「おー青人。授業終わりか?」

「お疲れさん。さっきぶりだな」

「俺も買い物してくるからちょっと待っててくれや。一緒に帰ろうぜ」

「はいよ」



 そう言ってコンビニに入っていった虹輝は、よほど俺と帰りたかったのか一、二分も経たずにコンビニから出てきた。そのわりにレジ袋が大きい。一体どんなスピードで買い物したらこうなるんだ……?



「んじゃ、行こうぜ」



 二人並んで坂道を上る。その間に絵の話、夜勤の話、あの教授がどうだあの講義がどうだの、実にくだらなくしかし、実に嬉しい時間であった。一回失った関係……それがどれだけ俺にとってかけがえのないものであったかを思い知らせるのに、時間は要らなかった。

やがて互いのマンションの分かれ道にさしかかり、意を決したかのように虹輝がいつもより大きな声で言った。



「お前、海夏ちゃんのことはあんま気にするなよ~!あと、SNS使いたくなったらいつでも言えよなー!」



 ……いい奴なんだか、悪い奴なんだか。

 虹輝には見えないように小さく笑い――おう、じゃあな。とだけ伝え、右手を挙げて別れを告げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。 のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。 彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。 そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。 しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。 その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。 友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

処理中です...