浴槽海のウミカ

ベアりんぐ

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一章

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 弘海さんの呟きに思わずギョっとする。今、なんて――



「今描いてる絵のテーマ、なかなか不思議だね~」

「……って、なに僕の荷物漁ってるんですか!?」

「ごめんごめん、ちょっと気になってね。青人このままだと悩み過ぎて見せてくれなさそうだからさ」

「まあそうですけど……」



 ――見透かされてしまった。弘海さんの行動に観念し、荷物を返してもらって、夜勤中に描くつもりもなかったのに持ってきていた画用紙を取り出す。弘海さんはどこかワクワクした面持ちだ。



「なんだか不思議な絵だね。この女の子が『深層心理の投影』なの?」

「う~ん……なんて言えばいいか分かんないんですけど、この子はもちろんそうなんですけど、実はまだ何か、足りなくて……」



 実際この絵はまだ未完成だ。この子――ウミカ自体はほとんど完成と言っても過言ではない。ただ、。その漠然とした問題が足枷……いや、完成への確実なパーツとなっている。



「何かが足りない、か……。まあ完成を焦るもんじゃないし、無理に終わらせちゃっても良いことないしね」

「……まあ、そうですよねー。じっくり描きます」



 そう言うと弘海さんは煙草に火をつけ、紫煙を吐き出す。煙がたちのぼり、やがて紛れて消えていく。

……そもそもどうして弘海さんは俺の絵のテーマが分かったのだろう?テーマは書いておらず、題名すら書いていない。というより決まっていない。それなのに荷物の隙間から少し見ただけで……ウミカの言っていた言葉と同じことを言った。

考えれば考えるほど、なぜ弘海さんが分かったのかが分からなかった。――なら、聞けば良い。



「弘海さん」

「ん、どうし――うわっ、客来てるっ!行ってくるね!」

「あ、はい。お願いしまーす」



 ……まあ、この後聞けば良いだけか。

 そう考えていたにも関わらず、結局この日の夜勤で弘海さんに聞くことはなかった。ただ淡々とバイトの深夜業務をこなし、朝を迎えるだけであった。











         ***











「虹輝、おつかれ~」

「おう、おつかれ~。弘海さん、築地さんもお疲れ様です」



 夜勤業務時間が終了し、夜勤メンバーが一つのコンビニに集まる。送迎車がメンバー全員を乗せるために自分の勤務地から残り二つのコンビニを回るのだが、いつも決まって『市役所前』店が最後である。

送迎のため回るのもそうだが、『市役所前』店にはシフト表が貼っており、そこで自分のシフトの要望を書き込めるのだ。もちろんスマホからでもシフトの要望を書き込めるのだが、予めこちらで書いた方が早いこともあり、いつもこうして書いている。

 俺が先に書き終え、先輩二人がうんとかすんとか言いながら書いている最中。なにやら虹輝がこちらに近づき、耳元で小さく囁く。



「今日の『市役所前』の朝勤、海夏ちゃんだったぞ。気まずいな」

「……わざわざ言ってくるあたり、お前やっぱ性格悪いわ」

「はいはい、どうもー」



 そう言ってニヤニヤしながら虹輝はトイレへ行った。――あの野郎、楽しんでるな。

 先輩達がシフトを書き終え、虹輝のトイレを待っている最中。あまりの気まずさにソワソワとしていると――バックヤードの扉が開き、セミロングの明るめの茶髪をなびかせ勢い良く入ってくる女の子が、振り向きざまに眼前へと飛び込んでくる。

その女の子に先輩達が、おつかれ~、と声をかけるも俺は気まずさゆえに声をかけることは出来なかった。女の子もこちらを確認し、目を合わせることなく歩きざまに返事をする。



「お疲れ様です」



 そう小さく返事をし、ウォークインへと入っていってしまった。先輩達がこちらに近づき、ヒソヒソと話し始める。



「あれ、海夏ちゃんじゃん。気まず~」

「青人がさっきからソワソワしてたのはこれか……」

「……もう虹輝置いて帰りましょう」



 そう言ってバックヤードの出口へと歩き出す。先輩達も悪ノリのようにそそくさと歩き出した。

結局その後、車へ乗り込んでいる最中に虹輝が慌てた様子で店から出てきたことで、虹輝を置いていくことは出来なかった。ちくしょうめ。











         ***











「それじゃ、お疲れ様」

「はい、お疲れ様です~」



 車のドアをバタンとしめ、送迎車を見送る。車は徐々に動き出し、やがてタイヤと地面の擦れる音とエンジン音を出しながら坂道を下っていった。

見送りを終え、マンションの階段を上り、玄関扉のドアノブに鍵を差し込んで、鍵を開ける。

扉を開けて身を内部へと入れ込み、玄関扉を閉める。キィ……バタン。閉めると同時に大きく長いため息が出た。ため息の理由は夜勤終わりの疲労感ともう一つ、彼女のことである。

 六畳の自室にある椅子に座り、背もたれに身を預ける。時刻はすでに十時。四月二十四日、金曜日。今日の二限に行けば一週間の講義が終わることを思えば、夜勤明けの疲れが吹き飛ぶ思いである。

深く座り込んだためか、帰ってきたらやろうと思っていた洗濯物や掃除が面倒に感じてきた。そこで家事を諦め、彼女のことを考えることにした。

――『早瀬 海夏はやせ うみか。アシブンに通う大学生であり、学年は俺と同じ。バイト先も……先ほど会ったのだから当然同じであり、俺の『元カノ』である。

『美術サークル』に所属しており、自身は絵こそ上手いわけではないが、なによりもアドバイスが的確であり、よく目の肥えた人物であったことを記憶している。

彼女とは『美術サークル』の新歓にて出会った。現在は期待していたものとの差異を感じ、面倒くさいという理由で行ってはいないが、俺も『美術サークル』に所属はしている。ほとんど幽霊のようなものだ。ちなみに、虹輝は所属していない。

新歓にて各々の描いた絵を鑑賞するというものがあった時、海夏から話しかけられ、それ以降からよく俺の描いた絵を見てもらうことが何度もあった。

バイト先でもそれがあり、どんどんと近づいた距離を意識しないことは出来ず、俺から告白をした。容姿に関してもそうだが、なにより俺の絵をよく見てくれたことが、確かな決め手であった。

それからはよく互いの家に転がり込み、俺が絵を描いては海夏がニコニコと見て、ということを繰り返す日々を過ごした。この時、虹輝が恨めしそうに時折愚痴を溢していたのが面白いものだ。いま思い返しても充実し、燦々と記憶の中で暗闇を照らし続けている。

 その、輝きに満ちた日々が崩れ去るキッカケとなったのも、虹輝と同じく『絵』であった。
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