浴槽海のウミカ

ベアりんぐ

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一章

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 時刻は十八時。講義終了のチャイムが鳴り、俺は席を立つ。続けて隣に座っていた虹輝も、席を立つ。



「よし、帰ろうぜ」

「だな。お前今日夜勤?」

「そうだよ。……あれ、お前も夜勤なの?」



 メッセージアプリに登録されている夜勤だけのグループには、一週間分のシフトが書かれており、俺たちがバイトをしているコンビニの夜勤はオーナーが三店舗持っているため、ランダムで三店舗に割り振られる形式となっている。

今日は弘海さんと同じ店舗、ということだけを認識していたが、シフト表をスマホで見るとどうやら虹輝も夜勤のようだ。店舗は違うが。



「なら、なおさら早く帰って寝ようぜ」

「うわっ、雨強くなってんじゃん」



 昇降口から見える風景は、篠突く雨と夕日にうっすらと照らされた山々が燦々と輝いていた。雨の奏でる音に、五限が終わった生徒たちがぞろぞろと突っ込んでいく。後に雨音よりも、傘を打つ雨粒の音の方が耳に残って聴こえるようになった。

そんな中、人混みから避けるように別の出入り口から傘をさして校舎を後にする。歩くたびに跳ね上がる雨水を置き去りにして、早歩きで帰路に着く。

家の方向が一緒の虹輝も同じように歩いているが、なかなか歩くスピードが上がらない。――マイペースな奴め。



「なあ、もうちょっと早く歩こうぜ。このままじゃしんどいぞ」

「……そういやお前、SNSってやってるか?」



 雨音にかき消されそうな声で唐突に言う虹輝は、なにやら神妙な面持ちだ。一体やっていたらどうだつてんだ、全く意味がわからない。



「お前も絵とか上げたりしないのか?」

「……はぁ?」



 いつの間にか立ち止まって向かい合う。この時俺は怪訝そうな顔をしていただろう。それだけ虹輝の言葉の真意が分からなかった。



「お前の絵、上げたらきっと人気出ると思うんだけどなぁ……」

「……今は別に上げる気はない。ほらっ、さっさと帰るぞ!!」



 そう虹輝を急かし、無理やり歩かせることにした。この時も虹輝はなにやら神妙な面持ちのままだった。

降り続ける雨の中、男二人で傘をさして坂道を登っていると、あるが傘をさして坂道を下っていく。その仕草、傘に遮られてもなお分かるものがあった。

横を通り過ぎる時。無意識のうちに傘で顔を覆い、目線を合わせまいとする。恐らくだが相手も同じことをしているであろうことが、なんとなくだが分かる。――やがて過ぎる。段々と遠のいていく微かな足音を聴いていると、横から虹輝がこちらを覗き込む。



「あれ、海夏うみかちゃんじゃね――っておい、聞いてんのかよ」



 ――きっとそう言うだろうと思っていた。俺は虹輝の声を雨音のせいで聞こえていないふりをして、俯きながら早歩きをする。虹輝はそれからも何かを言っていたが、聞こえないふりをし続けた。

やがて俺の家と虹輝の家の分かれ道となり――じゃあな、と声をかけて振り返ることなく真っ直ぐ帰った。……なかなか、完全に会わないことも出来ないのが、この大学と近辺のマンション立地の、悪い所だ。











         ***











「お願いします」

「おつかれ~……じゃ、行くよー」



 月が山の陰に隠れ、暗闇の中人々が寝静まる頃――。夜勤に行くための送迎車に乗り込む。

車内は四人。夜勤をするコンビニはこの葦野市の隣に位置する富士芦田市であり、基本送迎はその日夜勤に入っているバイトの中で車を持っている人が行う。つまりこの車内全員が、今日の夜勤メンバーである。

SUV車が軽快に夜道を切り裂いてゆく。後部座席に俺と虹輝。助手席には弘海さんが乗っている。今日送迎をしてくれているのは築地つきじさんだ。話が上手く、築地さんを起点にどんどん会話が盛り上がっていく。

そんな中、あるタイミングで虹輝が話を切り出した。



「そういえば今日、五限の講義から帰ってる時に海夏ちゃんとすれ違ったんですよ。そしたら青人、傘を深くさして、顔合わないように必死に俯いてたんですよ~」



 ――こいつ……!!突然の暴露から車内のムードが一気に色気付く。特にそういった話が好物である築地さんからは質問攻めをくらった。上手く受け流している最中、横にいるクズはニマニマしていた。……絶対に許さん。後で仕返ししてやる。

 そんな話に花を咲かせていると、目的地となるコンビニに辿り着き、俺と弘海さんが降りる。二人を降ろした車は、また別の場所にあるコンビニに向かって走り去っていった。











         ***











 夕勤と代わってしばらくの間。いつものように煙草をふかしながら弘海さんと深夜テンションで会話をする。中には下品な話もあったが……深夜だから、仕方がない。

そうしてバックヤードで野郎会話をしている時、ふと何かを思い出したかのように会話を沈黙で止めた弘海さんが、何本目か分からない煙草に火をつけてから、口を開く。



「そういえば車で話してたことって……元カノのこと?」

「っ!!ゴホッ、ガホッ……!」



 こちらも煙草を吸っている最中だったので、その発言に動揺して咽せてしまった。――煙、変なとこ入ったぁ……。それに笑いながら謝る弘海さんの目には、どこかイタズラめいたものが宿っている。



「……やめません?この話」

「え~?聞きたいなぁ。青人の元カノのことー」

「えぇ……」

「ごめん、ごめん。無理には聞かないよ~だからそんな、めんどくさそうな顔しないでよ~。……代わりに、今描いてる絵のこと教えてよ」

「……絵、ですか?」



 そうそう――と言いながら微笑む弘海さん。一応気を遣ってくれてはいるみたいだ。

過去を深掘りされないことに安堵しつつも、今描いている絵について教えてくれ、と言われてもなかなか返答に困る。なんせあの絵は未完成だし、一体どこから話せば……。

 逡巡していると、弘海さんは一人、呟くようにして、言った。



「『深層心理の投影』、か……」
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