もしもしお時間いいですか?

ベアりんぐ

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ハルは行く

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         ***













 車を走らせること10分。松が堂々と立ち並ぶ辺りまでやってきて、ガランとした駐車場に車を止める。車のエンジンが完全に停止し、車内に静寂が訪れる。その中で私だけが音を持って動いている。ドアを開けて車から降りると、先ほど窓から香ってきた潮の匂いが全身を包む。若干聴こえる波の音に、私は瀬辺地を見ていた。

松の壁と、十数メートルの丘。この地域は南海トラフ地震が発生した時に甚大な津波被害を受けると予測されているだけあって、こうして堤防を築いて備えているのだろう。丘にはコンクリートの階段があり、そこから丘の向こうへ出られる。

 丘の頂上からは、白波立つ太平洋が見える。側には松だらけだが、丘の下には砂利や丸々とした石、そして流木が散在していた。坂を降り、砂利の海岸へ降り立つ。足場が悪く、運動をしてこなかった私では上手く歩けなかった。

悪戦苦闘しながらも、ようやく海のそばまでやってくる。どこから来ているのかわからない音と、海が発する雄大で怖さすら感じる音に、背筋がゾクリとする。しかし次にきたのは安心感で、私はひと息つき、大きな伸びをした。

腰や背中がぐんぐん伸びる感覚に解放感を覚える。無理もない、デスクワークが基本の仕事に、ここまでの運転。座りっぱなしだった私がようやくまともに身体を伸ばしているのだから。

 手頃な岩に体育座りをして海を眺める。海はくっきり空の色を見せるから好きだ。これが建物や山に遮られていると、空の模様がハッキリ見えない。夕暮れを過ぎて東の空は紫から紺になっている。西の空はまだ陽が残っているのかオレンジだ。雲は風に押されて千切れてしまっている。

海の左側はうっすら駿河湾の向こうにある伊豆半島を映している。それが大間の地に見えてしまい、少し目を擦らせる。

 そんなふうに、のんびり潮風と海音に浸りながらぼんやりしていると、視界の端に、なにかだんだん色濃くなっていく球体があった。何かと思えばそれは満月であった。つい「あっ」という声が漏れる。

満月……角度こそ違えど、それはあの日、彼と見た満月にそっくりであった。満月にも色々な種類がある中で、今日という日にあの日と似た満月が出ていれば、何も感じないわけにはいかなかった。少しだけ手を伸ばす。しかし途端に恥ずかしくなり、下ろす。

 何をやっているのだろうか、私は。いくら季節や月、場所があの日に似ているということであっても、時間は違う。想いも……やはり、違う。それでもやっぱり、この運命めいた出来事に私は願わずにはいられなかった。

 立ち上がって、海に目を瞑り、両手を結ぶ。……もう一度だけ、彼と――トモくんと、会わせてください。言葉を交わせずとも、この抱き続けた想いを伝えられなくとも。私の告げた「また会える」という望みを、叶えさせてください。……誰に願うというのか、強いて言えばこの世界や運命というものだけれど、そう強く、願う……。

 ひとしきり願い、やがて手を解いて目を開ける。ゆっくりと振り返り、辺りを見渡す。そして私は思わず笑ってしまった。



「叶うはず、無いのになぁっ……」



 気づけば私は泣いていた。いつぶりの涙だろう、止めどなく流れた。嗚咽にもならず、ただ一雫というわけでもなく、静かに長く、泣いていた。拭く気にはなれなかったので、ただ流し続けた。視界がぼやけても、浮かぶ満月だけははっきり見えた。

…………

………

……

 ……涙が止んだ頃。私は自分に正直になれた。

どれだけ後悔を押し隠しても、過去の私の想いをただ過去のものとしてしまい込もうとしても、あの時から何一つ、その想いは変わらなかったのだ。誰かと付き合ったところで、ずーっと同じだった。

時間が解決してくれると思っていた。流れたぶんだけ彼を想うことになってしまった。

必死に自立しようとすることで忘れられると思っていた。自立する力を身につけるたび、彼の顔と声が私のそばで励ましてくれていた。

いくら誤魔化そうとしたところで無意味だった。むしろ逆効果だったのだ。その証拠に、この季節が来るたび、潮風を感じるたび、誰かから電話がかかってくるたび、彼を思い出していた。

結局のところ、私はずっと背負い続けていたのだ。自身の想いが宙ぶらりんであることを、許せなかった。それが私の純粋で嘘偽りのない答えだ。だからこそ、ここでこんなにも泣いた。その涙に、嘘は似合わない。

しかし、ずっとここで彼を待つことは出来ない。たとえ出来たとしても、来る保証はない。だから私は行くのだ。とにかく歩く。彼に恥じぬ人生を、唯一想いを繋げられるのは、生きる意志あってこそだから。

 そう思い、もう一度だけ伸びをして、丘の方へ歩いていく。砂利や丸々とした石は、すでに障害で無くなっていた。


 
 ……もう一度だけ振り返ると、なにやら東側からゆっくりと歩いてくる人がいる。少し遠くて見えづらいが、どうにも若い男である様子。

 その姿に、私の過去が重なる。

――思わず息を呑む。

気付かぬうちに、男性には聴こえていないだろう呟きが出る。



「トモ、くん……?」
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