もしもしお時間いいですか?

ベアりんぐ

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小さな世界と遠雷

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 瀬辺地駅での邂逅から数日。まるであの出来事が通り雨のように一瞬で消えゆくような、時間の潮流に乗って忘却に行くような心地で、僕の中からゆっくりと確実に失われようとしていた。しかし、ふと思い立って朝方、最寄り駅の始発に飛び乗って瀬辺地駅に向かってみれば――



 駅舎にその姿は、あった――。



 降車口から覗くことができる駅舎の中には、前回とは違い、白いワンピースに発色の良いサンダルを履いている彼女、理香が見えた。変わらぬボブカットの金髪に隠れた目線の先は、膝。……電車が止まり、降車口から降りる。そして駅舎の引き戸を開くと、彼女はゆっくりと、膝にポツリと置かれたからこちらに視線を上げる。

「おはよう、まさかこんなに早く会うことになるとはね」

「……どうして、こんな朝に?」

「なんとなく、って言ったらどうするの?」

「いや、どうするもないけど……」

 そう言うと彼女は、まるで僕がどう答えるか分かっていたかのように小馬鹿にした様子で笑った。前回のフォーマルチックな出立ちよりも、カジュアルなこちらの見た目のほうが、その笑い方によく似合っていると思った。

 ひとしきり笑い終えた彼女は「あっ」と言って、前回よりもだいぶ大きなかごバックから、ビニールに包まれた黒い半袖シャツを取り出した。

「これ、ありがとね」

「あっ。すっかり忘れてた」

「貸した本人が忘れてたら意味ないじゃない。……まあ、こうして覚えてて、また来てくれたみたいだけれど」

「……まあ、覚えてたと思うよ。多分」

 そう言って僕の半袖シャツを受け取り、背負って来ていたリュックサックにしまい込む。ビニールの内側からは微かに柔軟剤の香りがして、しまったはずのシャツがまるで僕のものではないように思えてしまう。

「ねぇ、その本……一時期流行ったやつ?」

「……ええそう。私は結構好きだったのだけど、すぐにみんな忘れてしまった本」

「僕は覚えてる」

「……なんだか嬉しいわね」

 そう、僕は覚えている。だから本が目についたとき、なぜ彼女が持っているのか気になった。もし単純に読んでいたのだとしても、彼女の発言からしてすでに読み慣れた本だろうし、こうしてわざわざ持ち歩くものでもないように思う。そもそも、本の内容からして、僕が先日彼女に抱いたイメージとはかけ離れたものだ。


 
 あの物語は、男の子と女の子の悲恋を描いたものだ。男の子はずっと、その女の子に恋をしていて。しかし女の子は、恋や愛というものを知らずに育ったため、その想いをどうすれば良いかわからなかったのだ。そこで男の子は、女の子にその想いをどうすれば良いか教えることにした。

何年もかけて教えていく中で、女の子はだんだん男の子と同じ想いを抱くようになり、ようやっと恋が成就する――というところで、男の子は不慮の事故で亡くなってしまう。

女の子は悲しみに暮れ、自身も彼と同じところへ――というタイミングで、男の子が1番初めに渡してくれた手紙を見る。そこには彼女を想う言葉と、『愛』がどういうものなのか、ということが書かれていた。稚拙ながら丁寧に綴られた文字と、時を越えて彼女に伝わる、男の子の恋ではなく、『愛』。その愛を受け止め女の子は、男の子の分まで必死に生きることを決める……というところで、物語は閉じる。


 
 この本は今から20年ほど前に書かれたもので、当時は人気を集めて映画化までされた。しかし現在は語る人すら少なくなっており、この本をわざわざ持ち歩いて読む人なんて稀だろう。彼女がどうしてこの本を持ってきているのか、不思議である。

 そんなことを座って考えていると、理香はスッと立ち上がって駅舎の引き戸に手をかけた。こちらに振り返り、無言でこちらをジッと見つめる。先日もそうだが、彼女は相手を見つめて言葉以外のコミュニケーションをはかろうとする癖があるように思う。僕はそれにできるだけ応えるために、とりあえずベンチから立ち上がって、彼女を見ることにした。すると彼女は少し驚いた様子で、その後フッと笑った。

「まだ2回しか会ってないのに、分かるの?」

「……いや、分かんないからとりあえず立ってみた」

「ふふっ、でも正解。一緒に散歩しない?」

「散歩か……いいよ」

 彼女が引き戸を開け、駅舎の外に出る。僕もそれに続くかたちで、外に出る。太陽が何者にも遮られていない状態で地上を照らし、だんだんと空を水色に染め上げていく夏の早朝。セミがまばらに鳴き、少し冷たい風が頬を撫でる。理香の着ているワンピースも風を可視化したかのようにゆらゆらとしている。――今日は降らなさそうで良かった。そう思っていると、理香が側で残念そうに呟く。

「今日は……降らなさそうね」

「でも、おかげで散歩できる」

「雨が降っていても、散歩はできるもの。最近は雨が減って少し、残念だわ」

「僕としては喜ばしいことだけどね」

 そんな会話をしながら、僕にとっては3度目となる瀬辺地駅周辺での散歩が始まった。誰かとの散歩は、2度目になる。

 ……雨は降りそうにないが、大間の方では巨大な積乱雲が遠雷を轟かせていた。
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