20 / 47
蟹田へ向けて
しおりを挟む
駅周辺から国道280号へと出て、特に会話もなく海の側まで来たところで、理香は防波堤に座り、海を眺め始めた。僕もその隣に腰かけ、潮の香りと海の青さを感じる。遠くに見える雷雲は風景に溶け込んでおらず、不穏に大間の空を漂っていた。
横に座る彼女は、海を眺めながらこちらに話しかけてきた。
「前に私、ここになんとなく来たって言ったでしょ?あれ、嘘なの」
「嘘?」
「そう。……煙草、持ってる?」
「……どうぞ」
なぜ自分で買ったり持ってきたりしないのか疑問だったが、特に問う必要性を感じなかったので、返事だけして煙草一本とライターを渡した。火をつけて2度吸ってから、彼女は話の続きをした。
「ここ、父親の実家があった辺りなの。毎年夏になるとここへ家族で来て、みんなで海を見たり花火をしたりしていたわ」
そう話す理香はどこか楽しそうで、しかし寂しそうでもあった。
「もうないの?」
「ええ、数年前に取り壊してしまったわ。仕方ないとはいえ、なかなか寂しいものね」
「この前はそれが理由だったのか……それじゃあ今回は、なんで?」
「前回とたいして変わりはないわ。というより、私がこうしてここに来るのは、毎回のことよ」
そう言ってまた煙草を咥えて、紫煙を吐き出す。体勢を変えて海ではなく、先ほどまで背後にあった場所に視点を移し、続ける。
「なにかにいき詰まったとき、悲しいとき辛いとき、そして嬉しいとき。ここに来て、私は自分を見つめ直すの」
「へえ……でも、そういう場所があるのは羨ましいね」
「ん、智樹くんにはないの?」
「地元にも青森にも、そういう場所はないよ」
「そう……でも案外ここが、あなたにとってそういう場所な気もするのだけど、合ってる?」
そう言われたとき、すこしドキッとした。僕のことをほとんど知らない人にそう言われたからというのもあるが、自分でもここがそういう場所になりつつあるのではないか、という考えが僕の知らないところで芽生えていたからだ。
数秒沈黙し、自虐的に笑いながらその問いに答える。
「そうかもね。そういうつもりはなかったんだけど、案外そういう場所になりつつあるのかも」
「智樹くん、最初に会った時からそういう感じはしていたもの」
「そうかな?……まあ、多分あってるけど」
「ねぇ、どうしてこの前は瀬辺地に来たのかしら?」
そう理香から聞かれたとき、どう答えれば良いか迷ったが、素直に答えることにした。自分でもよくわからないが、この地に想い出を抱える人間として信用しても良いと思った。興味深そうにこちらを見つめる彼女に向き直り、僕も体勢を変えて海に背を向け、当時のことを話始める……。
当時の僕といつかの日の彼女、電話での繋がりとやりとり、そしてこの瀬辺地駅での約束。忘れようと努めて終ぞ忘れることのできなかった出逢いと想い。僕の中で彼らは、色褪せることなく僕の帰りを待っていたから、昔の出来事なのについ最近のことみたいにスルスルと話すことができた。……話し終えるころには理香が煙草を防波堤に擦り付けていた。
「そう……なんだか運命的ね。その子はいまどこにいるの?」
「わからない。ここから帰った後、彼女とは連絡が取れなくなった。それからは探しもしなかった」
胸が苦しくなる。それからの中学、高校、大学での5年間を考えればさらに、だ。きっと探し出そうにも探せるものじゃないし、彼女を考えることは、これまで自分がしてきたものを根底から覆してしまうような、そんな恐怖があった。
「彼女がいなくなっても、想い出がある。それを綺麗さっぱり無くすことが出来なかったのが、運の尽きってところだ」
「……別に不運でもないわ。だって、私と会えたじゃない?」
「理香と?」
「そうよ。だから想い出は後悔とか、無くそうとか考える方がよっぽど不幸よ」
「そうだと、良いんだけどね」
なんだか励まされているようで、胸の辺りがくすぐったく感じる。こんな話をされて励まさない人間のほうが珍しいのだが。だからだろう、俺が自身の過去をこれまで誰にも話さなかったのは、過去の俺の否定したい想いを誰かに肯定して欲しくなかったからだ。知らないうちに、自分の過去を嫌っていたからだ。必要であって欲しくなかった。
「でも不思議ね。人は、自分にとって思い入れのある場所に戻ってくる。それが良い想い出でも、悪い想い出でも」
「理香にとって、ここにあった家での想い出は、どうなの?」
「さあ、どっちかしらね?あなたの想い出も、どっちなのかしら?」
どちら、か……決して、二分できてしまうようなものではないが、どちら側にあるのか、自分以外に問われるとその答えに困ってしまう。黙考していると、横にいた理香は立ち上がり、右手をスッとこちらに差し出す。恐らく散歩の続きをするのだろう。
「とりあえずどちらかは置いておきましょ。それより、少し先まで歩かない?この先に外ヶ浜町の蟹田って駅があるの」
「理香は行きたいの?」
「もちろん。あそこも、私にとって想い出の場所だもの」
「そうなんだ、なら付き合うよ」
そう言って彼女が差し出してきた右手をとって、僕も堤防から立ち上がる。時間が経って少し暖かくなった風が、僕らの横を、潮の香りを連れて通り過ぎていった。
横に座る彼女は、海を眺めながらこちらに話しかけてきた。
「前に私、ここになんとなく来たって言ったでしょ?あれ、嘘なの」
「嘘?」
「そう。……煙草、持ってる?」
「……どうぞ」
なぜ自分で買ったり持ってきたりしないのか疑問だったが、特に問う必要性を感じなかったので、返事だけして煙草一本とライターを渡した。火をつけて2度吸ってから、彼女は話の続きをした。
「ここ、父親の実家があった辺りなの。毎年夏になるとここへ家族で来て、みんなで海を見たり花火をしたりしていたわ」
そう話す理香はどこか楽しそうで、しかし寂しそうでもあった。
「もうないの?」
「ええ、数年前に取り壊してしまったわ。仕方ないとはいえ、なかなか寂しいものね」
「この前はそれが理由だったのか……それじゃあ今回は、なんで?」
「前回とたいして変わりはないわ。というより、私がこうしてここに来るのは、毎回のことよ」
そう言ってまた煙草を咥えて、紫煙を吐き出す。体勢を変えて海ではなく、先ほどまで背後にあった場所に視点を移し、続ける。
「なにかにいき詰まったとき、悲しいとき辛いとき、そして嬉しいとき。ここに来て、私は自分を見つめ直すの」
「へえ……でも、そういう場所があるのは羨ましいね」
「ん、智樹くんにはないの?」
「地元にも青森にも、そういう場所はないよ」
「そう……でも案外ここが、あなたにとってそういう場所な気もするのだけど、合ってる?」
そう言われたとき、すこしドキッとした。僕のことをほとんど知らない人にそう言われたからというのもあるが、自分でもここがそういう場所になりつつあるのではないか、という考えが僕の知らないところで芽生えていたからだ。
数秒沈黙し、自虐的に笑いながらその問いに答える。
「そうかもね。そういうつもりはなかったんだけど、案外そういう場所になりつつあるのかも」
「智樹くん、最初に会った時からそういう感じはしていたもの」
「そうかな?……まあ、多分あってるけど」
「ねぇ、どうしてこの前は瀬辺地に来たのかしら?」
そう理香から聞かれたとき、どう答えれば良いか迷ったが、素直に答えることにした。自分でもよくわからないが、この地に想い出を抱える人間として信用しても良いと思った。興味深そうにこちらを見つめる彼女に向き直り、僕も体勢を変えて海に背を向け、当時のことを話始める……。
当時の僕といつかの日の彼女、電話での繋がりとやりとり、そしてこの瀬辺地駅での約束。忘れようと努めて終ぞ忘れることのできなかった出逢いと想い。僕の中で彼らは、色褪せることなく僕の帰りを待っていたから、昔の出来事なのについ最近のことみたいにスルスルと話すことができた。……話し終えるころには理香が煙草を防波堤に擦り付けていた。
「そう……なんだか運命的ね。その子はいまどこにいるの?」
「わからない。ここから帰った後、彼女とは連絡が取れなくなった。それからは探しもしなかった」
胸が苦しくなる。それからの中学、高校、大学での5年間を考えればさらに、だ。きっと探し出そうにも探せるものじゃないし、彼女を考えることは、これまで自分がしてきたものを根底から覆してしまうような、そんな恐怖があった。
「彼女がいなくなっても、想い出がある。それを綺麗さっぱり無くすことが出来なかったのが、運の尽きってところだ」
「……別に不運でもないわ。だって、私と会えたじゃない?」
「理香と?」
「そうよ。だから想い出は後悔とか、無くそうとか考える方がよっぽど不幸よ」
「そうだと、良いんだけどね」
なんだか励まされているようで、胸の辺りがくすぐったく感じる。こんな話をされて励まさない人間のほうが珍しいのだが。だからだろう、俺が自身の過去をこれまで誰にも話さなかったのは、過去の俺の否定したい想いを誰かに肯定して欲しくなかったからだ。知らないうちに、自分の過去を嫌っていたからだ。必要であって欲しくなかった。
「でも不思議ね。人は、自分にとって思い入れのある場所に戻ってくる。それが良い想い出でも、悪い想い出でも」
「理香にとって、ここにあった家での想い出は、どうなの?」
「さあ、どっちかしらね?あなたの想い出も、どっちなのかしら?」
どちら、か……決して、二分できてしまうようなものではないが、どちら側にあるのか、自分以外に問われるとその答えに困ってしまう。黙考していると、横にいた理香は立ち上がり、右手をスッとこちらに差し出す。恐らく散歩の続きをするのだろう。
「とりあえずどちらかは置いておきましょ。それより、少し先まで歩かない?この先に外ヶ浜町の蟹田って駅があるの」
「理香は行きたいの?」
「もちろん。あそこも、私にとって想い出の場所だもの」
「そうなんだ、なら付き合うよ」
そう言って彼女が差し出してきた右手をとって、僕も堤防から立ち上がる。時間が経って少し暖かくなった風が、僕らの横を、潮の香りを連れて通り過ぎていった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―
入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。
遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる