もしもしお時間いいですか?

ベアりんぐ

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夏とハイライト

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 しばらくベンチに座って電車を待っていると、ボブカットの金髪の隙間から目を覗かせて――理香がこちらをまたジッと見てくる。なんだか心まで見透かされているような、そんな雰囲気を感じさせる目だ。俺が着ていた黒い半袖シャツの下には、黒いデニムパンツ。スラっとした印象を持たせる脚の先で、ヒールがこちらを向いている。なんだか仕事に行くOLのような格好だ。その割に持っている鞄は小さく、ちぐはぐな印象がより彼女をミステリアスに感じさせる。

「ねえ君いや、智樹くんって何年生?」

「……2年、ですけど」

「そう、今日はなんで瀬辺地に来たの?」

 なんて言えばよいか少し迷ったが、それとなく、当たり障りのない理由を言うことにした。

「前に家族旅行で来たことがあって。それを思い出して、ひさびさに来たって感じで」

「ふ~ん、それにしては雨が随分嫌そうに見えたけど?」

「……雨が好きなんて人、そうそういないでしょ」

「確かにそうかも」

 そう言いながら脚を組み、引き戸の外を見ながら彼女は続けた。

「でも、私は雨好きなんだ。余分なものを洗い流してくれるような気がして」

「余分なもの?」

「そう。この世界に流れてる時間ってさ、余分なものを作り出すの。それをこうして雨が洗い流してくれる気がしてね」

 ……なんだか不思議な考え方だ。しかし僕の中ではその考えが妙に腑に落ちた。雨はそんなに好きじゃないし、曇りもそこまで好きじゃない僕だけど、この人が言っていることに関してはすごく共感できた。そこで僕はひとつの気づきを得る。

「もしかして、僕より先に駅舎に居たのにあんなに濡れてたのは、雨に打たれてたから?」

「よく分かるわね。私も洗い流してもらおうかと思ったの」

「自分も……?」

 そんな理由で雨にわざと打たれるような人は今までにいなかったので、どう反応をすれば良いかわからず、ただ息を呑んで眉を顰めることしか出来なかった。でもこれが今の僕の素の反応な気がして、悪い心地ではなかった。そんな反応に、彼女は小さく大人っぽく笑う。

「ふふっ、変な顔ね。まあ誰でもそんな反応になるでしょうけど」

「なっ、変な顔って……!変なのはあなたですよ」

「ははっ、そうかもね」

 僕が冗談半分、恥ずかしさ半分で言うと、なぜだか彼女はすんなりとその言葉を受け取り、湿っぽい息で乾いたような笑い声をあげてそう言った。ここで初めて会った彼女。けれどその姿は、まるでうつし鏡のようであった。こんな田舎駅に来て、雨に打たれて、煙草をなんでもないかのように吸う姿がそう思わせた。

「あなたは……理香?は、どうしてここに?」

「う~ん、なんとなく?」

「な、なんとなく?」

「誰だってなんとなくで行きたい場所、付き合いたい人ぐらい、いるでしょ?……そんなとこよ」

 そう言う彼女は左手を差し出し「もう一本もらえる?」と言ってきた。煙草のボックスを見ればあと一本だった。逡巡し、やがて一本取り出してライターとともに左手に乗せる。「ありがとう」とだけ理香は言って、慣れた手つきで火をつけ、やがて小さな空間に薄雲を作る。……そのうち駅舎の外から微かに電車の音がした。雨に紛れてカタコトと音を響かせる電車はやがて僕たちが止まっている駅に止まり、乗車口を開いた。

それに慌てて乗ろうとベンチを立ち上がり、駅舎の引き戸を開けようとすると、横から理香は一言だけ、僕を止めることなく呟いた。



「またね」



 その言葉の真意は分からなかったが、社交辞令のようなものだと思い、「じゃあまた」と吐き捨てるように彼女に言って、僕は少しばかり雨に濡れながら電車に飛び乗った。すぐに乗車口は閉まり、その窓から駅舎の中がうかがえる。理香はこちらに小さく手を振り、煙草の残りを吸っている。……やがて電車は発車し、瀬辺地駅は小さく、見えなくなっていった。それと同時に雨は止み、先ほどまでの陽の光が視界を刺す。光の柱が電柱のように立ち並び、そこを鳥が鋭く飛んでいく。

 たった十数分の邂逅。しかしこれほど不思議で静かな出会いはこれまでなかった。これまでにあった出会いの中を覗いても、これほどしっとりとしていて、しかし胸をざわつかせるような会話はなかった。そして最後に言った「またね」。連絡先など交換していないし、知っているのは彼女の名前と雨が好きだということだけだ。当然、またがあるはずもない。

 しかしなぜだかもう1度会うような――会ってしまうような予感がする。それはこの地で以前感じたものとは真逆の、その気はあまりないが絶対だろうという予感。しかしそれは自然と僕の心を潤していた。

「……何者だろうか」



 電車は先ほどあった雲と雨を切り裂くようにレールの上を走っていく。どこに向かっていくのか分かっていながら、その先にある結末を知っていながら、ただ時という莫大なエネルギーを受けて走り続ける。それに今の僕も乗っていて、不思議とその原動力に触発されて、いつぶりかの胸の煌めきを覚える。

 それはさながら、行く末を知らなかった過去の誰かに似ていた。
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