上 下
18 / 29

夏とハイライト

しおりを挟む
 しばらくベンチに座って電車を待っていると、ボブカットの金髪の隙間から目を覗かせて――理香がこちらをまたジッと見てくる。なんだか心まで見透かされているような、そんな雰囲気を感じさせる目だ。俺が着ていた黒い半袖シャツの下には、黒いデニムパンツ。スラっとした印象を持たせる脚の先で、ヒールがこちらを向いている。なんだか仕事に行くOLのような格好だ。その割に持っている鞄は小さく、ちぐはぐな印象がより彼女をミステリアスに感じさせる。

「ねえ君いや、智樹くんって何年生?」

「……2年、ですけど」

「そう、今日はなんで瀬辺地に来たの?」

 なんて言えばよいか少し迷ったが、それとなく、当たり障りのない理由を言うことにした。

「前に家族旅行で来たことがあって。それを思い出して、ひさびさに来たって感じで」

「ふ~ん、それにしては雨が随分嫌そうに見えたけど?」

「……雨が好きなんて人、そうそういないでしょ」

「確かにそうかも」

 そう言いながら脚を組み、引き戸の外を見ながら彼女は続けた。

「でも、私は雨好きなんだ。余分なものを洗い流してくれるような気がして」

「余分なもの?」

「そう。この世界に流れてる時間ってさ、余分なものを作り出すの。それをこうして雨が洗い流してくれる気がしてね」

 ……なんだか不思議な考え方だ。しかし僕の中ではその考えが妙に腑に落ちた。雨はそんなに好きじゃないし、曇りもそこまで好きじゃない僕だけど、この人が言っていることに関してはすごく共感できた。そこで僕はひとつの気づきを得る。

「もしかして、僕より先に駅舎に居たのにあんなに濡れてたのは、雨に打たれてたから?」

「よく分かるわね。私も洗い流してもらおうかと思ったの」

「自分も……?」

 そんな理由で雨にわざと打たれるような人は今までにいなかったので、どう反応をすれば良いかわからず、ただ息を呑んで眉を顰めることしか出来なかった。でもこれが今の僕の素の反応な気がして、悪い心地ではなかった。そんな反応に、彼女は小さく大人っぽく笑う。

「ふふっ、変な顔ね。まあ誰でもそんな反応になるでしょうけど」

「なっ、変な顔って……!変なのはあなたですよ」

「ははっ、そうかもね」

 僕が冗談半分、恥ずかしさ半分で言うと、なぜだか彼女はすんなりとその言葉を受け取り、湿っぽい息で乾いたような笑い声をあげてそう言った。ここで初めて会った彼女。けれどその姿は、まるでうつし鏡のようであった。こんな田舎駅に来て、雨に打たれて、煙草をなんでもないかのように吸う姿がそう思わせた。

「あなたは……理香?は、どうしてここに?」

「う~ん、なんとなく?」

「な、なんとなく?」

「誰だってなんとなくで行きたい場所、付き合いたい人ぐらい、いるでしょ?……そんなとこよ」

 そう言う彼女は左手を差し出し「もう一本もらえる?」と言ってきた。煙草のボックスを見ればあと一本だった。逡巡し、やがて一本取り出してライターとともに左手に乗せる。「ありがとう」とだけ理香は言って、慣れた手つきで火をつけ、やがて小さな空間に薄雲を作る。……そのうち駅舎の外から微かに電車の音がした。雨に紛れてカタコトと音を響かせる電車はやがて僕たちが止まっている駅に止まり、乗車口を開いた。

それに慌てて乗ろうとベンチを立ち上がり、駅舎の引き戸を開けようとすると、横から理香は一言だけ、僕を止めることなく呟いた。



「またね」



 その言葉の真意は分からなかったが、社交辞令のようなものだと思い、「じゃあまた」と吐き捨てるように彼女に言って、僕は少しばかり雨に濡れながら電車に飛び乗った。すぐに乗車口は閉まり、その窓から駅舎の中がうかがえる。理香はこちらに小さく手を振り、煙草の残りを吸っている。……やがて電車は発車し、瀬辺地駅は小さく、見えなくなっていった。それと同時に雨は止み、先ほどまでの陽の光が視界を刺す。光の柱が電柱のように立ち並び、そこを鳥が鋭く飛んでいく。

 たった十数分の邂逅。しかしこれほど不思議で静かな出会いはこれまでなかった。これまでにあった出会いの中を覗いても、これほどしっとりとしていて、しかし胸をざわつかせるような会話はなかった。そして最後に言った「またね」。連絡先など交換していないし、知っているのは彼女の名前と雨が好きだということだけだ。当然、またがあるはずもない。

 しかしなぜだかもう1度会うような――会ってしまうような予感がする。それはこの地で以前感じたものとは真逆の、その気はあまりないが絶対だろうという予感。しかしそれは自然と僕の心を潤していた。

「……何者だろうか」



 電車は先ほどあった雲と雨を切り裂くようにレールの上を走っていく。どこに向かっていくのか分かっていながら、その先にある結末を知っていながら、ただ時という莫大なエネルギーを受けて走り続ける。それに今の僕も乗っていて、不思議とその原動力に触発されて、いつぶりかの胸の煌めきを覚える。

 それはさながら、行く末を知らなかった過去の誰かに似ていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

夜の公園、誰かが喘いでる

ヘロディア
恋愛
塾の居残りに引っかかった主人公。 しかし、帰り道に近道をしたところ、夜の公園から喘ぎ声が聞こえてきて…

処理中です...