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遠い彗星
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『次は~ふじえだー、藤枝です。お降りの方は――』
電車が駅に止まり、人に紛れて僕も目的の駅に降りる。改札口を通って、南口に通じるエスカレーターに乗る。……あの時のことを引きずって、自分のレールをもう一度真っ直ぐにしようと、絡まっていた時間の糸を解こうとあがいた結果が、今の僕だ。あの時は僕を確かなものにしようということだけを考えていた。しかし世界はその逆で、現実はそうはいかなくて。あの時ハルに会った後、僕はぼくをより曖昧なものにしてしまったように感じる。
南口から駅を出る。見上げれば藤枝駅のそばにあるビルと、秋空の雲。ほのかに香る誰かの香水と、自分の匂い。深呼吸とともに身体に入ってくる季節と生活を外に吐き出し、目的のバス停へと向かう。バス停にある電光掲示板に映し出された時間を見ていると、ちょうどターミナル内に目的のバスが入ってきて、目の前に止まる。
『藤枝相良線――榛原総合病院経由、相良営業所行きです。お乗りの際は――』
告げられた言葉を聞き、スマホをIC読み取り機にかざして乗り込む。がらんと空いたバスの最後部座席に座り、その発車を待つ。バス乗車口がプシューっと音を立てて閉まり、運転手のアナウンスが流れた後、揺れをともなってバスが動き出す。
あれから僕は、確かになれていない。しかし確かに、僕はぼくであろうとしたしその結果、他人を傷つけ、ないがしろにしてきた。それに気づき、どうしようもなくなってもこうして生きているということは――
きっとまだ、彼女を忘れられていないからなのだ――。
***
青森駅から津軽線三厩駅行きの電車に乗り込む。いま住んでいる弘前駅周辺からここまで、以前来た時よりは近かったし、時間感覚も年々早くなっているのでそこまで苦労はしなかったが――それでも。行動原理も乗り込む態度も非常に空虚でなにも感じない。ただ何かに引っ張られているような状態で、それが僕を非常にだらりとさせた。……疲れた。そう、疲れたのだ。たいして興味もない講義の内容も、流れで入った野球サークルでの対人関係も、将来に対しての準備も。
だらんとガラガラに空いた電車の座席に座る。すぐに乗降車口が閉まり、ぐいっと引っ張られるような揺れを感じる。だんだんと電車は加速していき、緑と青に彩られた街と自然がどんどん視界に映り、やがて流れていく。ひどく効いた冷房に思わず身体をさすり、もう一度きちんと座り直す。……こうして津軽線電車に乗るのは2度目となる。1度目は今日、そしてもう一度は――その時の風景と心情を思い出し、乾いた笑いだけが口から漏れる。俯瞰的にあの時のことを見てみれば、それはそれは、あまりにも子どもじみていたし、本当に何も知らなかったんだなと思う。
それがただ綺麗な、雪降る幻想的で純粋な記憶だけであったはずなのに。今となってはただ冷笑するだけの対象になってしまった。世界の広さと深さを知らない僕と彼女。そんな2人の、おとぎ話みたいな関係と出会い。確か当時は、そんな2人の時を永遠に過ごしたくて、言葉になった『好き』を純粋に捉えていて。それを確かで誇れるものにしたくて、ガキな自分は自身の姿や内面を、きちんと僕として確かなものにしたいと言ってたっけ。
「バカだなぁ……本当」
今になればわかる。それがただ鏡であり、触媒であり、虚像であることを。彼女に対しての想いは結局自分のためでしかなくて、全然純粋などではなくて。そしてきっと、彼女もそうだった。だからそうして彼女と僕は出会ったのだ。そしてその自分で作った想いと不安を発散するかのように電話をして、会って、そしてキスをした。
そのことに、僕として後悔はない。後にも先にもあんなふうに幻想的で明確なキスはないからだ。ただ一つ気がかりがあるとすれば――いや、いい。そうして彼女の内面を勝手に憶測で話すことは野暮だ。というより失礼だ。結局彼女との関係もそれまでだったというわけで。それでこの話は、おしまいなのだから。
……電車に揺られていると、ふと中学生らしき女の子の姿が視界の端から現れる。どうやら先ほど停車した時に乗り込んできたようだ。座席に座ることなく降車口の扉のガラスに映る田園風景を眺めている……いや、あれは――
誰かを、見てる。
その目を力ませながら、身体の奥底、内部から溢れてくる涙をこぼさないようにして、ここにはいない誰かを見ている。見覚えのあるジャージに、セミロングの髪。それに何故かドキッとしたが、女の子がこちらに振り返り、空いた座席に座るころには、そんな心の揺らぎは消え去っていた。……よくよく見ればどこも違うのだから当たり前だ。
女の子が瞼を手で撫でるとき、ふと視線が交わる。女の子が軽く会釈をしてきたので、僕も会釈を返す。……落ち着かない。そう思い、2両しかない電車の別車両に移動し、もう一度座り直す。いつもこうだ、誰か知らない女の子と2人になることに耐えられないのだ。こうなったのも、あの出来事からだ。
あの雪の日……彼女と会ってキスをして。それからも電話をすると約束していた、会いに行くと決めていた、はずだった。それは当たり前で確かなものだと思っていた。
しかし、僕が帰ってその日の夜……かけた電話は繋がることなく、コールを鳴らすだけであった。
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