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8.震天動地
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・震天動地(しんてんどうち)
大きな事件が起こることのたとえ
ハイドフェルト様の情報は、急に横っ面をぶん殴られたような驚きと衝撃をもたらした。
お嬢様と合流し、コースフェルト家に取って返したのだが……何故か、ハイドフェルト様も当然の如く付いて来た。解せねえ。
屋敷に戻る道中はハイドフェルト様から、そして屋敷に戻ってからは家令から詳しい話を聞いた。直ぐ様逮捕されるという状況ではないだろうが、決して油断できる状況でもない。
事の発端は、国境で起きた。隣国へ出荷する積み荷の中に、生きた子供が入っていたのだ。すぐに積み荷の送り主を調べたところ、それはコースフェルト領から出荷されたものだった。
「念のために確認するが、人身売買ではないんだな?」
「はい。旦那様、奥様、イルゼお嬢様、ならびに主だった使用人には確認が取れました」
幸い、荷はすべて控えが残っており、ひとつひとつ記録してあったおかげで、その荷はコースフェルト領のものではない可能性が高い、となった。
「エリアーシュ、おまえはどうなんだ」
「メルカダンテとお呼びください……私が、子供を買い取るとお思いで?」
「使えるのなら子供でも使うだろうが、こんな使い方はしないだろうな」
俺という人間を理解していただけて何よりだ。別に嬉しくも何ともないが。
ハイドフェルト様の言うように、使えるものなら子供だろうと容赦なく使うが、コースフェルト家の評判を落とすおそれのある使い方はしない。
「……今回の件、些か妙だ。事態発覚から捜査まで一日とかからなかった。プリムローズの件があったとは言え、あまりにも迅速過ぎる」
「その上、情報統制までしっかりなさっていたようで、まったく情報が入ってきませんでした」
実際のところ、事の真偽は問題ではない。問題は、騎士団の捜査が及ぶことと、捜査が及んだという事実そのものだ。
コースフェルト家は、人身売買に手を染めていない。だが、コースフェルトとて清廉潔白という訳でもない。
たとえば、お嬢様をリチャード殿下の婚約者にする為に、裏でかなりの金が動いたと聞いている。三大公爵家の直系女児がお嬢様しかいなかったとは言え、候補の中には傍系の令嬢や近隣諸国の王女殿下もいた。他の候補を押し退けて、当初の予定よりも早い時期に婚約を結ぶ為に、旦那様は後ろ暗いことの一つや二つした訳だ。
更に言うのなら、コースフェルトの息がかかった協力者の存在も、明るみに出ればかなり厄介なことになるだろう。
よりにもよって、王国の法務を司るコースフェルト家が、他所の貴族の使用人に定期的に金を渡し、情報を横流しさせているなんて知られた日にはお嬢様の話していたバッドエンドまっしぐらだ。
そして、仮に騎士団の目を誤魔化せたところで、
大衆という名の飢えた野獣を抑える術はない。
奴等にとって、貴族の醜聞はこの上のないご馳走だ。彼のコースフェルト家に騎士団の捜査が入ったそうだぞ、殿下の婚約者の家は犯罪に手を染めているのかもしれない、と面白おかしく喚き立てやがるだろうよ。
「……迅速過ぎる理由に心当たりはありますか?」
「いや。コースフェルトとの距離が近いという理由で、俺には情報がほとんど回って来ない」
「なるほど。徹底していらっしゃる」
金を握らせた協力者たちからは、今日まで何の情報も上がって来なかったと、コースフェルト家の家令が教えてくれた。
事の発覚、捜査までの流れの早さ。どこにも情報を漏らさなかった手際の良さ。そして、三大公爵家の一角、ハイドフェルトにも口を挟ませない力を持つ相手、か。
コースフェルトを陥れようとしている犯人が単独なのか複数なのか定かではないものの、国の中枢にほど近い人間であることは間違いないだろう。
「気は進みませんが……私はこれより、コースフェルト領の孤児院に向かいます」
「孤児院に?」
「手がかりを探しに行くのですよ。降りかかる火の粉を払うのは、人として当然の行動でしょう」
気は進まない、本当に進まねえんだが。積み荷の中にいた子供が、コースフェルト領の孤児院にかかわりがある子供かどうかを確かめておく必要がある。他に、就職先を斡旋した子供の数やその後の生活についても、確認しておいて損はない。
何より、コースフェルトを陥れようとしている相手の手がかりが欲しかった。これだけ手際良く進められる相手が、手がかりを残してくれているとは思えないが、今はどんな些細な情報であっても手に入れておきたい。相手が、この一件だけで手を引くとは到底思えねえからな。
「……おまえが行って、大丈夫なのか?」
「何故です?」
「おまえは、イルゼ嬢付きの使用人だろう。イルゼ嬢の側を離れて良いのか?」
「ああ……確かにお嬢様付きではありますが、お嬢様がお屋敷にいらっしゃる以上、私の仕事はさほどありません。今回の件を調べるよう、旦那様と家令から指示が下っております」
俺に下った指示は、コースフェルト領の孤児院の調査、ならびにコースフェルトの敵を突き止めること。そして、可能ならば排除すること、だ。
無論、指示が下っているのは俺だけではない。使用人のうち数名に、同じような指示が与えられている。
俺の話を聞いて得心がいったのか、ハイドフェルト様は「なるほど」と頷いてから、とんでもないことを言い出した。
「俺も同行する」
「……………………は?」
「利益の為ならば、手段を選ばないおまえのことだ。調査の為と言って、犯罪に手を染める可能性が大いにある。見張っておく必要があるだろう」
ハイドフェルト様に掴みかからなかった、俺の理性を褒めて欲しい。
コースフェルト公爵家が貶められようとしている最中、お上品にやり返せってか? そんな悠長なことを言っている場合か?
少しは清濁を併せ呑めるようになったのかと思ったが、どうやら買い被っていたらしい。内心の怒りを抑え込んで、ハイドフェルト様が最も嫌がるだろう言葉を舌に乗せた。
「左様でございましたか。てっきり、親愛なるグリニコフ先輩のところに駆け込み、協力を依頼する私の邪魔をするつもりなのかと勘繰ってしまいました」
ハイドフェルト様が、予想通り苦々しげに顔を歪めた。俺の口からヴェンツェル・グリニコフの名を聞きたくないそうだからな。
ああ、この男の顔を歪めてやる度、胸がすく気分になる。俺は慈悲深い男なので、ハイドフェルト様のその顔で矛をおさめてやるよ。ついでに、コースフェルト領までの同行も許してやるさ。
◇
コースフェルト家が用意した馬車に乗り、孤児院までの道のりを半分程過ぎた頃。黙り込んだままだったハイドフェルト様が不意に前触れもなく口を開いた。
「……リチャードに聞いたんだが、イルゼ嬢は婚約破棄を望んでいるのか」
そのままずっと黙り込んでくれれば良かったものを、とは思ったが口にはしなかった。
殿下の護衛任務を放棄している、どこかの誰かとは違って身の程は弁えているんでな。
持ち込んだ書類から顔を上げ、視線をそらしたままのハイドフェルト様を見る。質問の真意はうかがえない。さて、何と答えたものか。
「……まあ、建前は」
「建前?」
ここにきて、ハイドフェルト様が視線を俺へと向けた。そのままずっとそっぽを向いてりゃあ良かったものを。
「女性にはいろいろあるようですよ、ハイドフェルト様」
とは言え、そのいろいろとやらを明かす訳にはいかない。
お嬢様には前世の記憶があり、この世界は本来ならばアリシア・プリムローズを中心として成り立っている仮想恋愛遊戯とやらの世界で? その筋書き通りに進むと、お嬢様とコースフェルトは破滅する未来が待ち受けているのです?
そんな話をしてみろ、間違いなく正気を疑われるだろうが。俺だって、お嬢様の話のすべてを信じきっている訳じゃねえからな。
だが、お嬢様と俺の事情など知ったことかと、ハイドフェルト様がさらに質問を重ねてくる。
「…………俺の目からは、イルゼ嬢はリチャードを憎からず思っているように見えるんだが、違うのか?」
「違いませんが」
「………………イルゼ嬢は、何がしたいんだ?」
まあ、それに関しては同意するより他にない。公爵令嬢に相応しい知性と教養をお持ちの筈なのだが、お嬢様はなんというか、ちょっと気の毒になるくらいポンコツなときがある。主に、リチャード殿下がかかわると。
殿下の護衛騎士であるハイドフェルト様は、必然的にお嬢様の残念なお姿を目にする機会が多くなるので、その疑問は当然のものでもある。だが、と俺はせせら笑った。
「イルゼお嬢様も、ハイドフェルト様にだけは言われたくないでしょうね」
「……おまえに心配されずとも、人を見る目はある。エリアーシュが使用人として優れていること、その点を差し引いてもおまえの人品に難があることは承知している」
ハイドフェルト様も、中々言ってくれるようになったじゃねえか。つーか、そこまで分かっていて、なんで俺なんかに懸想すんだか。
呆れをまったく隠すことなく、大きな大きな溜息をついた。
「まあ、イルゼお嬢様もそういうことなのですよ」
「そういうこと?」
「ハイドフェルト様は、理性では俺という人間に難があると分かっていながらも、心はどうしても諦めきれないのでしょう? 俺としては甚だ不本意な状態ですが」
「一言付け加えないと死ぬ病にでもかかっているのか?」
口の端を僅かに引き攣らせながら、ハイドフェルト様が言う。
それをさらっと無視して話を続けた。お嬢様もまた、心はどうしても諦めきれずにいるのですよ、と。
「……つまり、イルゼ嬢もリチャードを慕ってはいるものの、どうしてもリチャードと結婚したくない理由がある、と」
「左様でございます」
「事情を話す気はないんだな」
「私は自分の性格が歪んでいると自認しておりますが、淑女の煩悶を面白おかしく吹聴するほど腐っているつもりはありませんよ」
なんとも複雑そうな顔をするハイドフェルト様だったが、それ以上追及することはなかった。幼馴染みの悩みを、本人の与り知らぬところで聞き出すのは外聞が悪いと悟ってくれたらしい。
ふと、馬車の窓をこつんと叩く音。やがてそれは断続的な音の連なりへと変わり、馬車が孤児院に到着した頃には大雨となっていた。
「お久しぶりです、院長」
「あらまあ、エリアーシュ……!」
コースフェルト領に限った話ではないが、孤児院は修道院や教会に併設されていることが多い。神の慈愛だかなんだか知らないが、身寄りのない子供を押し付けられるうちに、孤児院を併設せざる得なくなった、という流れだ。
現国王は、孤児院を有している領地への税を軽減するという施策を出している為、ここ十数年の間で国内の孤児院数は爆発的に膨れ上がった。
だが、子供の養育に適切な環境を維持できているかとなると話はまた別で。コースフェルト領の孤児院は、まだ比較的マシ……というよりマシになった方か。
俺の姿を見るや否や柔和な笑みを浮かべたシスター・アリアナが、この孤児院の管理を任されている。一応、と但し書きはつくが。
何故なら、この慈愛に溢れている院長、貧困層に寄付をする余り、孤児院を経営を大きく傾けた前科持ちなんだよ。まあ、経営が傾いた要因は他にもあったけどな。
「ねぇ、エリアーシュ。そちらの方は……?」
「……………………ちょっとした知人です」
ハイドフェルト様のことは知人ということにして、それ以上の紹介はしないでおいた。
説明をするのが煩わしかったというのもあるが、余計な警戒心を抱かせない為でもある。俺の考えを察しているのかどうか分からないが、ハイドフェルト様も家名を明かすことはなかったし、院長もそれ以上追及しようとはしなかった。
「ああ、エリアーシュがこの孤児院にやって来た日を今もよく覚えていますよ」
「天涯孤独の私を受け入れてくださったこと、今でも感謝しております」
「何を言っているの。あなたがいなかったら、この孤児院はどうなっていたか……」
「……昔話に花を咲かせたいところですが、今日はコースフェルト公爵の使いでうかがいました」
コースフェルト公爵家に起きている事件についてかいつまんで説明すると、院長は「なんてこと」と痛ましげに眉を下げた。
嘘をついているような素振りはないが、人の好い院長が騙されている可能性は多分にある。
「アリアナー、おきゃくさまが……あっ! エリアーシュだ!」
「えっ! エリアーシュがきたの!?」
……………………ああ、出やがったな小さい悪魔共。不躾に応接間の扉を開けて、ぞろぞろっと現れたのはここで生活しているガキ共だ。
俺の姿を認めるや否や、わっと大きな声を出して近付いてきやがる。だから気が進まなかったんだよ、くそったれ。
「なんでなんで? どうしてエリアーシュがいるの? あそびにきたの?」
「違います。仕事です」
「エリアーシュいっつも仕事! たまには遊んでよぅ!」
「仕事以外の理由で来たことは一度もありませんが」
「エリアーシュ、エリアーシュ、この絵本よんでー!」
「無理です。仕事なので」
汚い手でくっついてくるんじゃねえ勝手に膝の上に乗るんじゃねえ。
あと、ハイドフェルト様。こっち見るんじゃねえ。なんだその顔。その緑色の目玉を穿られてえのか?
「ふふ。相変わらず、エリアーシュは人気者ねえ」
「好かれるようなことをした覚えはまったくありませんが」
溜息をついて、ガキ共を押し退けた。この孤児院の為にも仕事をこなさないといけないんですよとか適当に理由を説明したら、小さな怪物共は「今度はあそびにきてね!」とつまらなさそうに部屋を出て行く。
……今回は早々に終わったな。隣のいかつい顔した相手が怖かったのかもしれない。たまには役に立つな、ハイドフェルト様。
「院長室にご案内いたしますわ。大事な書類はそこに保管してありますから」
院長室に向かう僅かな距離を歩く間にも、ここのガキ共がちらちら見たり、「エリアーシュ遊んでー!」と喚いている。
こっちはどれもこれも無視してるってのに、なんだってあいつらは気にしないんだか。精神が鋼鉄性なのか?
「エリアーシュ! エリアーシュ! ちょっと、ちょっとだけ見て!」
「……なんですか。本当に少しだけですよ」
「エリアーシュの絵描いたの! 見て見て!」
「頑張りましたね。光栄です。ありがとうございます」
「こーえー?」
「とても嬉しいという意味ですよ」
俺の絵を描いたという少女──確かカイサだったか?──が、奇声を上げてバタバタと走り去って行った。なんだったんだ、あれ?
因みに、ハイドフェルト様はものすげえ冷たい目でガキを見ていた。まさかとは思うが、ガキ相手に嫉妬してんじゃねえだろうな。
突き刺さるような視線を無視して、院長室の中へとようやく入った。
「……エリアーシュは、ここの出だったのか?」
院長室に保管されている資料を確認していると、ハイドフェルト様がぽつりと呟くように尋ねてきた。やっぱり尋ねてくんのかよ、くそ。院長を追い出して良かったんだか悪かったんだか。
あなたには関係ないでしょう、と切り捨てても良かった。だが、後々の仕込みの為にはハイドフェルト様のおしゃべりに付き合ってやるのも悪くないかもしれない。
「出と言っても、世話になったのは半年ほどです。すぐに公爵家に使用人として引き取られましたので」
「何故だ?」
「経営難だったここを立て直した功績が認められました」
「な……」
「大したことはしていません。杜撰な管理体制の是正と、寄付金を着服していた屑を見つけただけですから」
明日の食事すら危ういのに貧困層に寄付を続けようとする院長を理詰めで諌めて、ついでに寄付金の一部を着服していた修道女を炙り出したくらいだ。文字の読み書きと計算ができたら、俺じゃなくとも出来たことだろう。
「だから、ここの子供とも仲が良いのか?」
「ろくに相手もしてないんですが、何故かまとわりつかれるんですよ」
「……なんとなくだが、分かる気はする」
「は? 正気か?」
どこら辺に共感要素があった? いや、やっぱいい。知りたくもねえ。
「……聞いたことはなかったが、家族はいるのか?」
「何もかも詳らかにしないと気が済まないので?」
「相手がおまえだからだ」
「私から情報を聞き出すのなら、もう少し駆け引きというものを磨くことをおすすめしま────これか」
無駄口を叩きながらでもちゃんと手がかりを見つける俺は優秀だな。戻ったら賃金交渉をしよう。
持ってきていたリストと、修道院側で保管していたリストを見比べ、分かったことがある。
「子供の数が合わない」
「ッ、なんだと?」
「斡旋リストを見比べると、コースフェルトに報告していた数は3人。しかし、実際の数は1人となっています」
「虚偽の報告をしていたということか?」
「そのようですね」
虚偽の報告がどこまで虚偽なのかによって、コースフェルトの立場は大きく変わってくる。
この子供が架空の存在で、斡旋先も架空の相手ならばまだ良い。修道女の中にとんでもないバカ女がいたのだと、騎士団にくれてやれば良いんだからな。
だが、仮に子供が実在していたとして、孤児はいったいどこに向かった?
行き先が分からないままだと、人材斡旋を隠れ蓑に人身売買をしていたと言われても、否定する手立てがないな。
「虚偽の報告はいつからだ」
「ちょうど、アリシア・プリムローズが入学して少し経った頃です」
「まるで見ていたかのようなタイミングだが、アリシア・プリムローズとその関係者の行動は洗っている。すべてをつまびらかに出来ている訳ではないが、少なくともコースフェルト領内の孤児院と接触を図ったものはいない」
加えて、コースフェルト領内の孤児院から、子どもを労働力として斡旋している事実を把握して、且つ学園で起きていたトラブルも正しく把握していた人物となると、果たして存在しているのかさえ疑わしい。
敬虔な修道女な虚偽の報告をする筈がない、と報告書を提出させるだけにしていたのがまずかったな。今後は不定期に調査員を向かわせねえと。
「……妙と言えば、他にも気になることがあります。孤児院に引き取られる子供の数が、格段に減っているんです」
「まさか、それも時期はあの女が入学して少し経った頃か?」
「はい」
他の領地から流れ着いてきた、或いは他の孤児院から押し付けられた孤児が、月に二人や三人はいるものだ。なのに、この春先からぱたりと途絶えている。国内で孤児関連の制度ができていない以上、国内の孤児が減ったとも考えにくい。
まさか、引き取った孤児の数も誤魔化してたのか?
「もし、この件がアリシア・プリムローズの一件以降に始まったのであれば、コースフェルトに恨みを持つプリムローズ家の関係者を怪しむところですが……」
今回の一件で、他家から少しばかり恨みを買ったが、この相手はプリムローズが捕まる前には既に動き出している。
ならば、以前よりコースフェルト家に恨みを抱いている貴族や商人か。心当たりならば掃いて捨てるほどあるが、コースフェルト家を敵に回し、且つハイドフェルト家にも圧力をかけられる貴族ともなれば、そう多くはない。
「ひとまず、修道女に話を聞こう。リストを作成した者を探せば手掛かりが得られる筈だ」
「そうですね」
ハイドフェルト様の提案に従い、院長にリストを作っていた人間について尋ねることにした。
だが、院長は顔色を曇らせて「2日ほど前に出て行った」と明かす。何の前触れもなく、彼女は隣国へと旅立ったらしい。
「逃げ足の早いことだな。その修道女が、裏で糸を引いている輩と手を組んでいるのなら、こちらの動きを読んでいたとしたもおかしくないか」
件の修道女が虚偽のリストを作成し始めたのは、アリシア・プリムローズが編入して間もなくのこと。何故、虚偽のリストを作成したのかは分からない。コースフェルトの手が伸びる前に、何者かによって逃がされたのだろう────逃がされた?
アリシア・プリムローズの件には、第三者の思惑が見え隠れしていた。視界の端に写る度、奇妙な感覚に苛まれた。まるで、誰かが描いた筋書きを進まされている気がしてならない。
……だが、この違和感には、この筋書きには覚えがある、ような。
「エリアーシュ、どうした?」
「……いいえ、ハイドフェルト様。今後についてどうすべきか考えていたところです」
「ひとまず、コースフェルト公爵に報告すべきだろう。俺の方でも、何か分かったら連絡すると約束する」
何の迷いもなければ躊躇もなく約束しやがるハイドフェルト様に、得体の知れない生き物を見るような目を向けてしまった。事実、ハイドフェルト様の思考回路は理解が及ばない。
「人が好いのもほどほどにすべきかと。私のような悪人に利用されてしまいますよ」
「好きなだけ利用しろ。心配されずとも、下心も含んでいる」
「恋は視界を覆い隠してしまうようですね。実に嘆かわしい」
大きな事件が起こることのたとえ
ハイドフェルト様の情報は、急に横っ面をぶん殴られたような驚きと衝撃をもたらした。
お嬢様と合流し、コースフェルト家に取って返したのだが……何故か、ハイドフェルト様も当然の如く付いて来た。解せねえ。
屋敷に戻る道中はハイドフェルト様から、そして屋敷に戻ってからは家令から詳しい話を聞いた。直ぐ様逮捕されるという状況ではないだろうが、決して油断できる状況でもない。
事の発端は、国境で起きた。隣国へ出荷する積み荷の中に、生きた子供が入っていたのだ。すぐに積み荷の送り主を調べたところ、それはコースフェルト領から出荷されたものだった。
「念のために確認するが、人身売買ではないんだな?」
「はい。旦那様、奥様、イルゼお嬢様、ならびに主だった使用人には確認が取れました」
幸い、荷はすべて控えが残っており、ひとつひとつ記録してあったおかげで、その荷はコースフェルト領のものではない可能性が高い、となった。
「エリアーシュ、おまえはどうなんだ」
「メルカダンテとお呼びください……私が、子供を買い取るとお思いで?」
「使えるのなら子供でも使うだろうが、こんな使い方はしないだろうな」
俺という人間を理解していただけて何よりだ。別に嬉しくも何ともないが。
ハイドフェルト様の言うように、使えるものなら子供だろうと容赦なく使うが、コースフェルト家の評判を落とすおそれのある使い方はしない。
「……今回の件、些か妙だ。事態発覚から捜査まで一日とかからなかった。プリムローズの件があったとは言え、あまりにも迅速過ぎる」
「その上、情報統制までしっかりなさっていたようで、まったく情報が入ってきませんでした」
実際のところ、事の真偽は問題ではない。問題は、騎士団の捜査が及ぶことと、捜査が及んだという事実そのものだ。
コースフェルト家は、人身売買に手を染めていない。だが、コースフェルトとて清廉潔白という訳でもない。
たとえば、お嬢様をリチャード殿下の婚約者にする為に、裏でかなりの金が動いたと聞いている。三大公爵家の直系女児がお嬢様しかいなかったとは言え、候補の中には傍系の令嬢や近隣諸国の王女殿下もいた。他の候補を押し退けて、当初の予定よりも早い時期に婚約を結ぶ為に、旦那様は後ろ暗いことの一つや二つした訳だ。
更に言うのなら、コースフェルトの息がかかった協力者の存在も、明るみに出ればかなり厄介なことになるだろう。
よりにもよって、王国の法務を司るコースフェルト家が、他所の貴族の使用人に定期的に金を渡し、情報を横流しさせているなんて知られた日にはお嬢様の話していたバッドエンドまっしぐらだ。
そして、仮に騎士団の目を誤魔化せたところで、
大衆という名の飢えた野獣を抑える術はない。
奴等にとって、貴族の醜聞はこの上のないご馳走だ。彼のコースフェルト家に騎士団の捜査が入ったそうだぞ、殿下の婚約者の家は犯罪に手を染めているのかもしれない、と面白おかしく喚き立てやがるだろうよ。
「……迅速過ぎる理由に心当たりはありますか?」
「いや。コースフェルトとの距離が近いという理由で、俺には情報がほとんど回って来ない」
「なるほど。徹底していらっしゃる」
金を握らせた協力者たちからは、今日まで何の情報も上がって来なかったと、コースフェルト家の家令が教えてくれた。
事の発覚、捜査までの流れの早さ。どこにも情報を漏らさなかった手際の良さ。そして、三大公爵家の一角、ハイドフェルトにも口を挟ませない力を持つ相手、か。
コースフェルトを陥れようとしている犯人が単独なのか複数なのか定かではないものの、国の中枢にほど近い人間であることは間違いないだろう。
「気は進みませんが……私はこれより、コースフェルト領の孤児院に向かいます」
「孤児院に?」
「手がかりを探しに行くのですよ。降りかかる火の粉を払うのは、人として当然の行動でしょう」
気は進まない、本当に進まねえんだが。積み荷の中にいた子供が、コースフェルト領の孤児院にかかわりがある子供かどうかを確かめておく必要がある。他に、就職先を斡旋した子供の数やその後の生活についても、確認しておいて損はない。
何より、コースフェルトを陥れようとしている相手の手がかりが欲しかった。これだけ手際良く進められる相手が、手がかりを残してくれているとは思えないが、今はどんな些細な情報であっても手に入れておきたい。相手が、この一件だけで手を引くとは到底思えねえからな。
「……おまえが行って、大丈夫なのか?」
「何故です?」
「おまえは、イルゼ嬢付きの使用人だろう。イルゼ嬢の側を離れて良いのか?」
「ああ……確かにお嬢様付きではありますが、お嬢様がお屋敷にいらっしゃる以上、私の仕事はさほどありません。今回の件を調べるよう、旦那様と家令から指示が下っております」
俺に下った指示は、コースフェルト領の孤児院の調査、ならびにコースフェルトの敵を突き止めること。そして、可能ならば排除すること、だ。
無論、指示が下っているのは俺だけではない。使用人のうち数名に、同じような指示が与えられている。
俺の話を聞いて得心がいったのか、ハイドフェルト様は「なるほど」と頷いてから、とんでもないことを言い出した。
「俺も同行する」
「……………………は?」
「利益の為ならば、手段を選ばないおまえのことだ。調査の為と言って、犯罪に手を染める可能性が大いにある。見張っておく必要があるだろう」
ハイドフェルト様に掴みかからなかった、俺の理性を褒めて欲しい。
コースフェルト公爵家が貶められようとしている最中、お上品にやり返せってか? そんな悠長なことを言っている場合か?
少しは清濁を併せ呑めるようになったのかと思ったが、どうやら買い被っていたらしい。内心の怒りを抑え込んで、ハイドフェルト様が最も嫌がるだろう言葉を舌に乗せた。
「左様でございましたか。てっきり、親愛なるグリニコフ先輩のところに駆け込み、協力を依頼する私の邪魔をするつもりなのかと勘繰ってしまいました」
ハイドフェルト様が、予想通り苦々しげに顔を歪めた。俺の口からヴェンツェル・グリニコフの名を聞きたくないそうだからな。
ああ、この男の顔を歪めてやる度、胸がすく気分になる。俺は慈悲深い男なので、ハイドフェルト様のその顔で矛をおさめてやるよ。ついでに、コースフェルト領までの同行も許してやるさ。
◇
コースフェルト家が用意した馬車に乗り、孤児院までの道のりを半分程過ぎた頃。黙り込んだままだったハイドフェルト様が不意に前触れもなく口を開いた。
「……リチャードに聞いたんだが、イルゼ嬢は婚約破棄を望んでいるのか」
そのままずっと黙り込んでくれれば良かったものを、とは思ったが口にはしなかった。
殿下の護衛任務を放棄している、どこかの誰かとは違って身の程は弁えているんでな。
持ち込んだ書類から顔を上げ、視線をそらしたままのハイドフェルト様を見る。質問の真意はうかがえない。さて、何と答えたものか。
「……まあ、建前は」
「建前?」
ここにきて、ハイドフェルト様が視線を俺へと向けた。そのままずっとそっぽを向いてりゃあ良かったものを。
「女性にはいろいろあるようですよ、ハイドフェルト様」
とは言え、そのいろいろとやらを明かす訳にはいかない。
お嬢様には前世の記憶があり、この世界は本来ならばアリシア・プリムローズを中心として成り立っている仮想恋愛遊戯とやらの世界で? その筋書き通りに進むと、お嬢様とコースフェルトは破滅する未来が待ち受けているのです?
そんな話をしてみろ、間違いなく正気を疑われるだろうが。俺だって、お嬢様の話のすべてを信じきっている訳じゃねえからな。
だが、お嬢様と俺の事情など知ったことかと、ハイドフェルト様がさらに質問を重ねてくる。
「…………俺の目からは、イルゼ嬢はリチャードを憎からず思っているように見えるんだが、違うのか?」
「違いませんが」
「………………イルゼ嬢は、何がしたいんだ?」
まあ、それに関しては同意するより他にない。公爵令嬢に相応しい知性と教養をお持ちの筈なのだが、お嬢様はなんというか、ちょっと気の毒になるくらいポンコツなときがある。主に、リチャード殿下がかかわると。
殿下の護衛騎士であるハイドフェルト様は、必然的にお嬢様の残念なお姿を目にする機会が多くなるので、その疑問は当然のものでもある。だが、と俺はせせら笑った。
「イルゼお嬢様も、ハイドフェルト様にだけは言われたくないでしょうね」
「……おまえに心配されずとも、人を見る目はある。エリアーシュが使用人として優れていること、その点を差し引いてもおまえの人品に難があることは承知している」
ハイドフェルト様も、中々言ってくれるようになったじゃねえか。つーか、そこまで分かっていて、なんで俺なんかに懸想すんだか。
呆れをまったく隠すことなく、大きな大きな溜息をついた。
「まあ、イルゼお嬢様もそういうことなのですよ」
「そういうこと?」
「ハイドフェルト様は、理性では俺という人間に難があると分かっていながらも、心はどうしても諦めきれないのでしょう? 俺としては甚だ不本意な状態ですが」
「一言付け加えないと死ぬ病にでもかかっているのか?」
口の端を僅かに引き攣らせながら、ハイドフェルト様が言う。
それをさらっと無視して話を続けた。お嬢様もまた、心はどうしても諦めきれずにいるのですよ、と。
「……つまり、イルゼ嬢もリチャードを慕ってはいるものの、どうしてもリチャードと結婚したくない理由がある、と」
「左様でございます」
「事情を話す気はないんだな」
「私は自分の性格が歪んでいると自認しておりますが、淑女の煩悶を面白おかしく吹聴するほど腐っているつもりはありませんよ」
なんとも複雑そうな顔をするハイドフェルト様だったが、それ以上追及することはなかった。幼馴染みの悩みを、本人の与り知らぬところで聞き出すのは外聞が悪いと悟ってくれたらしい。
ふと、馬車の窓をこつんと叩く音。やがてそれは断続的な音の連なりへと変わり、馬車が孤児院に到着した頃には大雨となっていた。
「お久しぶりです、院長」
「あらまあ、エリアーシュ……!」
コースフェルト領に限った話ではないが、孤児院は修道院や教会に併設されていることが多い。神の慈愛だかなんだか知らないが、身寄りのない子供を押し付けられるうちに、孤児院を併設せざる得なくなった、という流れだ。
現国王は、孤児院を有している領地への税を軽減するという施策を出している為、ここ十数年の間で国内の孤児院数は爆発的に膨れ上がった。
だが、子供の養育に適切な環境を維持できているかとなると話はまた別で。コースフェルト領の孤児院は、まだ比較的マシ……というよりマシになった方か。
俺の姿を見るや否や柔和な笑みを浮かべたシスター・アリアナが、この孤児院の管理を任されている。一応、と但し書きはつくが。
何故なら、この慈愛に溢れている院長、貧困層に寄付をする余り、孤児院を経営を大きく傾けた前科持ちなんだよ。まあ、経営が傾いた要因は他にもあったけどな。
「ねぇ、エリアーシュ。そちらの方は……?」
「……………………ちょっとした知人です」
ハイドフェルト様のことは知人ということにして、それ以上の紹介はしないでおいた。
説明をするのが煩わしかったというのもあるが、余計な警戒心を抱かせない為でもある。俺の考えを察しているのかどうか分からないが、ハイドフェルト様も家名を明かすことはなかったし、院長もそれ以上追及しようとはしなかった。
「ああ、エリアーシュがこの孤児院にやって来た日を今もよく覚えていますよ」
「天涯孤独の私を受け入れてくださったこと、今でも感謝しております」
「何を言っているの。あなたがいなかったら、この孤児院はどうなっていたか……」
「……昔話に花を咲かせたいところですが、今日はコースフェルト公爵の使いでうかがいました」
コースフェルト公爵家に起きている事件についてかいつまんで説明すると、院長は「なんてこと」と痛ましげに眉を下げた。
嘘をついているような素振りはないが、人の好い院長が騙されている可能性は多分にある。
「アリアナー、おきゃくさまが……あっ! エリアーシュだ!」
「えっ! エリアーシュがきたの!?」
……………………ああ、出やがったな小さい悪魔共。不躾に応接間の扉を開けて、ぞろぞろっと現れたのはここで生活しているガキ共だ。
俺の姿を認めるや否や、わっと大きな声を出して近付いてきやがる。だから気が進まなかったんだよ、くそったれ。
「なんでなんで? どうしてエリアーシュがいるの? あそびにきたの?」
「違います。仕事です」
「エリアーシュいっつも仕事! たまには遊んでよぅ!」
「仕事以外の理由で来たことは一度もありませんが」
「エリアーシュ、エリアーシュ、この絵本よんでー!」
「無理です。仕事なので」
汚い手でくっついてくるんじゃねえ勝手に膝の上に乗るんじゃねえ。
あと、ハイドフェルト様。こっち見るんじゃねえ。なんだその顔。その緑色の目玉を穿られてえのか?
「ふふ。相変わらず、エリアーシュは人気者ねえ」
「好かれるようなことをした覚えはまったくありませんが」
溜息をついて、ガキ共を押し退けた。この孤児院の為にも仕事をこなさないといけないんですよとか適当に理由を説明したら、小さな怪物共は「今度はあそびにきてね!」とつまらなさそうに部屋を出て行く。
……今回は早々に終わったな。隣のいかつい顔した相手が怖かったのかもしれない。たまには役に立つな、ハイドフェルト様。
「院長室にご案内いたしますわ。大事な書類はそこに保管してありますから」
院長室に向かう僅かな距離を歩く間にも、ここのガキ共がちらちら見たり、「エリアーシュ遊んでー!」と喚いている。
こっちはどれもこれも無視してるってのに、なんだってあいつらは気にしないんだか。精神が鋼鉄性なのか?
「エリアーシュ! エリアーシュ! ちょっと、ちょっとだけ見て!」
「……なんですか。本当に少しだけですよ」
「エリアーシュの絵描いたの! 見て見て!」
「頑張りましたね。光栄です。ありがとうございます」
「こーえー?」
「とても嬉しいという意味ですよ」
俺の絵を描いたという少女──確かカイサだったか?──が、奇声を上げてバタバタと走り去って行った。なんだったんだ、あれ?
因みに、ハイドフェルト様はものすげえ冷たい目でガキを見ていた。まさかとは思うが、ガキ相手に嫉妬してんじゃねえだろうな。
突き刺さるような視線を無視して、院長室の中へとようやく入った。
「……エリアーシュは、ここの出だったのか?」
院長室に保管されている資料を確認していると、ハイドフェルト様がぽつりと呟くように尋ねてきた。やっぱり尋ねてくんのかよ、くそ。院長を追い出して良かったんだか悪かったんだか。
あなたには関係ないでしょう、と切り捨てても良かった。だが、後々の仕込みの為にはハイドフェルト様のおしゃべりに付き合ってやるのも悪くないかもしれない。
「出と言っても、世話になったのは半年ほどです。すぐに公爵家に使用人として引き取られましたので」
「何故だ?」
「経営難だったここを立て直した功績が認められました」
「な……」
「大したことはしていません。杜撰な管理体制の是正と、寄付金を着服していた屑を見つけただけですから」
明日の食事すら危ういのに貧困層に寄付を続けようとする院長を理詰めで諌めて、ついでに寄付金の一部を着服していた修道女を炙り出したくらいだ。文字の読み書きと計算ができたら、俺じゃなくとも出来たことだろう。
「だから、ここの子供とも仲が良いのか?」
「ろくに相手もしてないんですが、何故かまとわりつかれるんですよ」
「……なんとなくだが、分かる気はする」
「は? 正気か?」
どこら辺に共感要素があった? いや、やっぱいい。知りたくもねえ。
「……聞いたことはなかったが、家族はいるのか?」
「何もかも詳らかにしないと気が済まないので?」
「相手がおまえだからだ」
「私から情報を聞き出すのなら、もう少し駆け引きというものを磨くことをおすすめしま────これか」
無駄口を叩きながらでもちゃんと手がかりを見つける俺は優秀だな。戻ったら賃金交渉をしよう。
持ってきていたリストと、修道院側で保管していたリストを見比べ、分かったことがある。
「子供の数が合わない」
「ッ、なんだと?」
「斡旋リストを見比べると、コースフェルトに報告していた数は3人。しかし、実際の数は1人となっています」
「虚偽の報告をしていたということか?」
「そのようですね」
虚偽の報告がどこまで虚偽なのかによって、コースフェルトの立場は大きく変わってくる。
この子供が架空の存在で、斡旋先も架空の相手ならばまだ良い。修道女の中にとんでもないバカ女がいたのだと、騎士団にくれてやれば良いんだからな。
だが、仮に子供が実在していたとして、孤児はいったいどこに向かった?
行き先が分からないままだと、人材斡旋を隠れ蓑に人身売買をしていたと言われても、否定する手立てがないな。
「虚偽の報告はいつからだ」
「ちょうど、アリシア・プリムローズが入学して少し経った頃です」
「まるで見ていたかのようなタイミングだが、アリシア・プリムローズとその関係者の行動は洗っている。すべてをつまびらかに出来ている訳ではないが、少なくともコースフェルト領内の孤児院と接触を図ったものはいない」
加えて、コースフェルト領内の孤児院から、子どもを労働力として斡旋している事実を把握して、且つ学園で起きていたトラブルも正しく把握していた人物となると、果たして存在しているのかさえ疑わしい。
敬虔な修道女な虚偽の報告をする筈がない、と報告書を提出させるだけにしていたのがまずかったな。今後は不定期に調査員を向かわせねえと。
「……妙と言えば、他にも気になることがあります。孤児院に引き取られる子供の数が、格段に減っているんです」
「まさか、それも時期はあの女が入学して少し経った頃か?」
「はい」
他の領地から流れ着いてきた、或いは他の孤児院から押し付けられた孤児が、月に二人や三人はいるものだ。なのに、この春先からぱたりと途絶えている。国内で孤児関連の制度ができていない以上、国内の孤児が減ったとも考えにくい。
まさか、引き取った孤児の数も誤魔化してたのか?
「もし、この件がアリシア・プリムローズの一件以降に始まったのであれば、コースフェルトに恨みを持つプリムローズ家の関係者を怪しむところですが……」
今回の一件で、他家から少しばかり恨みを買ったが、この相手はプリムローズが捕まる前には既に動き出している。
ならば、以前よりコースフェルト家に恨みを抱いている貴族や商人か。心当たりならば掃いて捨てるほどあるが、コースフェルト家を敵に回し、且つハイドフェルト家にも圧力をかけられる貴族ともなれば、そう多くはない。
「ひとまず、修道女に話を聞こう。リストを作成した者を探せば手掛かりが得られる筈だ」
「そうですね」
ハイドフェルト様の提案に従い、院長にリストを作っていた人間について尋ねることにした。
だが、院長は顔色を曇らせて「2日ほど前に出て行った」と明かす。何の前触れもなく、彼女は隣国へと旅立ったらしい。
「逃げ足の早いことだな。その修道女が、裏で糸を引いている輩と手を組んでいるのなら、こちらの動きを読んでいたとしたもおかしくないか」
件の修道女が虚偽のリストを作成し始めたのは、アリシア・プリムローズが編入して間もなくのこと。何故、虚偽のリストを作成したのかは分からない。コースフェルトの手が伸びる前に、何者かによって逃がされたのだろう────逃がされた?
アリシア・プリムローズの件には、第三者の思惑が見え隠れしていた。視界の端に写る度、奇妙な感覚に苛まれた。まるで、誰かが描いた筋書きを進まされている気がしてならない。
……だが、この違和感には、この筋書きには覚えがある、ような。
「エリアーシュ、どうした?」
「……いいえ、ハイドフェルト様。今後についてどうすべきか考えていたところです」
「ひとまず、コースフェルト公爵に報告すべきだろう。俺の方でも、何か分かったら連絡すると約束する」
何の迷いもなければ躊躇もなく約束しやがるハイドフェルト様に、得体の知れない生き物を見るような目を向けてしまった。事実、ハイドフェルト様の思考回路は理解が及ばない。
「人が好いのもほどほどにすべきかと。私のような悪人に利用されてしまいますよ」
「好きなだけ利用しろ。心配されずとも、下心も含んでいる」
「恋は視界を覆い隠してしまうようですね。実に嘆かわしい」
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