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「東の塔?」

 サラキア城塞都市で人間たちに背を向けたかつての聖騎士、現在は世界の敵と成り果てたルシウスから連絡があった、と智也が頬を紅潮させながら教えてくれた。
 事が事なので人払いをして欲しい、と頼まれたときは何かと思ったが、確かに人に聞かせられる話ではない。
 ルシウスが魔族になったしまったことを、フォルトは父王にも神殿にも言えず、行方不明とだけ伝えていた。
 フォルトも、共に旅をした他の仲間たちも、本当は伝えるべきだとは思っていたのだ。だが、他でもない智也に言わないで欲しいと懇願され、告げられずにいた。
 だが、サラキア城塞都市に魔族となったルシウスが現れ、その異形の姿を神殿騎士たちも見てしまった今、アヴァリス王国とユルティア神殿はルシウスを世界の敵と見なした。智也がどんなに懇願しても、その事実が覆ることはない。
 ルシウスのことを仲間と思いたい一方で、サラキアで人間に背を向けたルシウスから届いたという手紙を疑わしく思うのは至極当然で。
 智也の部屋に置いてあったという手紙を見せてもらえば、確かにルシウスの筆跡で「東の塔で、二人きりで会いたい」と記されている。

「確かに東の塔は王族以外の立ち入りが禁止されていて、王城内で密かに会うならば適しているとも言えるが、何故よりにもよって東の塔なんだ」
「フォルト様、東の塔だと何かまずいのでしょうか……?」

 困惑そうに眉を下げる智也に、フォルトの胸は軋み、気付かれないよう歯噛みをした。
 異界から招かれた勇者は愛らしい顔立ちをして、一歩後ろで微笑む穏やかな少年だ。王族と知るや否や目の色を変える子息子女とは違い、謙虚な姿勢の智也に好感を覚えた。
 共に旅に出たのも、何くれとなく心を砕いたのも、智也への想いが故。こうして頼ってくれて嬉しいが、智也の想いがルシウスに向いていることを知る度に血を吐くような痛みが胸に走るのだ。
 諦めろ、と言えたらどれだけ良いか。軋む胸を無視し、フォルトは溜息混じりに言う。

「……東の塔は、誘惑の塔とも呼ばれている」
「誘惑?」
「今から数代前、魔族があの塔に棲み着いたんだ。揚げ句、当時の王を魅了して、この国に災いを招いた」

 王城内の最東端に聳え立つ塔。人の手が長らく入っていない塔は蔦が絡み、不気味な雰囲気を醸し出している。
 塔自体は、王城建設当時に建てられたものだが、立ち入りが禁止になったのはその一件が原因だ。
 魔族に魅了された王は国と民への感心をなくし、昼に夜にと塔へ通い詰めた。このままでは国が傾く、と当時の王妃がユルティア神殿に助けを求めた。

「幸い、当時の聖騎士が魔族を討伐したおかげで大事には至らなかったが、それ以来あの塔には誰も近寄らなくなった」
「……なら、却って都合が良いかもしれません。誰も近付かない塔でなら、ルシウス様を保護できますよね!」

 花が咲いたように微笑む智也に、フォルトはかける言葉が見付からなかった。
 ルシウスの心が今も変わらずに魔族を憎んでいるのであれば、彼を保護することもできたかもしれない。だが、サラキア城塞都市に派遣された神殿騎士たちは皆一様に「ルシウス殿が魔族を庇った」と言っていた。
 もはや、彼は世界の敵だ。智也がどんなに願ったところで、その事実は変わらない。だが、事実を伝えたところで、智也は果たして理解してくれるだろうか。

「トモヤ、俺も同席させてくれ。おまえにもしものことがあったら……!」
「フォルト様、ありがとうございます」

 結局、口を吐いて出たのはそんな言葉。事実を突きつけてやることも、愛を伝えることもできない、自分の愚かしさを痛感するばかりだった。


 ◇


「────と、言うのがアヴァリス王家に伝わっている表向きの歴史だ」

 長らく手入れがされていない東の塔の内部は埃っぽく、置き去りされた家具も劣化が酷い有り様だった。とはいえ、ここでのんびり夜を明かす訳でもない。
 アスモデウスは、パチンっと指を鳴らして、邪魔な家具をあっという間に消してしまった。
 広くなった部屋の石畳に陣を刻むアスモデウスの背を見ながら、手持ちぶさたのルシウスはふと東の塔にまつわる昔話を明かすことにした。

「その言い方だと、他にも裏がありそうだけどー?」
「ユルティア神殿では、この塔を鳥籠の塔と呼んでいた」
「鳥籠?」
「アヴァリス王が魔族に魅了されたことは事実だ。だが、実際は王がどこからか魔族を拉致し、鳥籠の塔に閉じ込めたらしい」

 一体どこで見初めたのか、王がどこからか魔族を拉致してきて、ここで慰み物にしていた、というのが真実だ。
 アスモデウスは薄紅の瞳をぱちぱちと瞬かせ、「へえ、そんなことあったんだ」と興味深そうに呟いた。

「知らなかったのか?」
「助けを求められたならいざ知らず、そうじゃないなら、何でもかんでも首突っ込んでる訳じゃないよ」

 同胞の女子供を大切にする魔族、特にアスモデウスならば何か知っていたとしてもおかしくはないが、どうやら彼は何も知らなかったらしい。
 なるほどと頷いてから、ルシウスは続けた。

「事を重く見た正妃が神殿に仔細を明かし、当時の聖騎士が件の魔族と王を始末した。アヴァリス国内でユルティア神殿の影響力は絶大になったきっかけだな」
「なるほどねぇ。ヴィクスルートやオルディニアが金品の調達や人材の派遣はしていても、主だって動いているのがアヴァリス王国だったから不思議には思っていたけど、介入しやすいのが単にアヴァリスだったからか」

 本来、魔族と姦淫した人間は悪と見なされ、妻や子供、両親までも処刑されることが多い。
 よりにもよってアヴァリス王家の直系筋が魔族と交わってしまい、次代の王まで処刑されては堪らない、と王妃が懇願したのだ。直系筋の血縁を処刑するのはさすがにまずい、と当時のユルティア神殿上層部も考えたのだろう。
 結果、アヴァリス王族に伝わる歴史は捏造され、その見返りとして、アヴァリス国内におけるユルティア神殿の影響力は絶大なものとなった。

「ニンゲンって、都合の良いように真実を捏造するの得意だよねぇ。歴史の闇に葬られて泣いてるニンゲンはどれだけいるんだか」

 アスモデウスの横顔からは呆れと、微かに悲しみにも似た感情がうかがえた。彼は、都合の良い歴史の為に踏み躙られた人間を思って、心を痛めているのだろう。
 ルシウスは、胸の奥にぽっとあたたかな何かが灯るのを感じた。堪えきれず、アスモデウスの華奢な身体を抱き寄せ、柔らかな髪に顔を埋める。腕の中で「なぁに」ところころと笑う声。

「人間を憎んでも良いし、傷付けられて尚、怒りもしないおまえに腹が立ったことは事実だ」
「そう言ってたねぇ」
「だが、そうやって当に死んでいった人間たちを慮ってくれるのが、俺は嬉しい。ダリアのそういうところを、俺は好ましいと思う」

 ルシウスよりもずっと長く生きているアスモデウスならば、人間の醜いところを何度も何度も見ているだろう。人間を見下しても、憎んだとしてもおかしくはない。
 けれど、彼はいつかも言ったように人間を十把一絡げに判断することはせず、心を寄せられる情け深さがある。アスモデウスはきっと素直に認めないけれど、その優しさのおかげで、ルシウスは何度となく救われたのだ。

「……ニンゲンって小っ恥ずかしいことをよくもまあ言葉に出来るよねぇ」
「事実を口にして何か問題が?」
「いや、問題はないけどねぇ……っと。いちゃいちゃすんのも悪くないけど、そろそろ主役が来るから離して離して」

 名残惜しく思いながらも、ルシウスはアスモデウスの身体を話した。直ぐ様、アスモデウスの身体は闇に溶けたように見えなくなる。
 そして、そう間を置かずに、部屋の扉が勢い良く開け放たれた。

「ルシウス様!」

 明かり一つない部屋には似つかわしくない、晴れやかな声が響く。小柄な身体が体当たりするように抱き付いてきた。
 こちらの世界の身勝手な都合で、戦いを強いられた哀れな少年。智也に対して恩義や後ろめたさはある。彼を守らなければならない、と抱いた気持ちに嘘はない。
 だが、今、こうして抱き付かれ、好意を表されても、ルシウスの心は僅かにも動かなかった。

「お会いしたかったです……」
「フォルト殿下までいらっしゃったのか」
「フォルト様は僕を心配してくださったんです」

 来ない可能性も考えないことはなかったが、彼はきっと疑うことすらしなかったのだろう。
 対して、智也の背後に立つフォルトは敵意を隠そうともしない目付きでルシウスを睨んでいた。
 誰が誰に好意を抱こうとも、それは当人の自由だ。だが、智也はフォルトに恋をした方がきっと幸福だったろう、と思わずにはいられない。
 ルシウスが智也に優しくしたのは、彼の境遇への申し訳なさが理由だ。それだって、アスモデウスに言われるまで気付けなかった。もし、アスモデウスの言葉がなかったら、彼を軽んじたままだったかもしれない。
 それに比べて、フォルトはずっと智也に心を砕いていた。彼のために危険を省みず剣を振るい、今もこうした智也の心に寄り添おうとしている。智也がフォルトを選んでいれば、こんな結末にはならなかっただろうに。

「……然して問題はないな、アスモデウス」

 ルシウスの背後で影がゆらりと揺れた。闇の中から浮かび上がるように現れたアスモデウスが「ベリトがそれ追い払ってくれたらねぇ」と冷ややかに笑う。
 アスモデウスの姿に、智也とフォルトがはっと息を飲んだ。

「まさか……貴様、トモヤを騙したのか!?」
「だ、騙すってルシウス様がそんなことをする訳が……あっ、アスモデウスを罠にかけるつもりだったんですね!」
「トモヤ、何を言って……!」
「僕たちでその男を殺しましょう! その後は、ルシウス様の安全が保証されるまで、しばらくこの塔に隠れてもらうことになるかもしれませんが……」

 何を言っているのか、と信じられないものを見るように、智也を見つめるフォルト。その顔には驚愕と、事ここに至ってもルシウスを盲信する智也への想いが生む痛みで歪んでいた。
 だが、智也はフォルトの気持ちにも、ルシウスの冷ややかな眼差しにも気付かない。恋という感情で視界を塞がれ、自分が見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く、恋慕の虜囚。

「────殿下の言う通り、トモヤ殿を罠にかける為に仕組んだことだ」
「え」
「なッ!」

 ルシウスは智也を押し退け、一切の躊躇もなく、フォルトを蹴り飛ばした。窓を突き破り、フォルトの身体が夜の闇を舞う。落下する彼を追い、ルシウスもまた窓から飛び降りた。

「ルシウス様! フォルト様!」

 残されたのは、アスモデウスと智也だけ。ルシウスは智也を罠にかけたと言っていたけれど、ルシウスの口から聞いた今でも、信じられずにいる。どうして、ルシウスが世界の敵の味方をして、勇者の智也を罠にかける必要があるのか。

「さて、二人っきりになったねぇ」

 ────きっと、目の前の男がルシウス様を操っているんだ。
 酷薄に嗤う魔族が憎らしくて恨めしくて、智也は叫び出したい気持ちを必死で押さえ込んだ。

「心配しなくても、君を傷付けるつもりはないよぉ?」
「何を、企んでいるんですか!」
「強いて言うなら幕を引きに。君の旅路の末路を見届けに」

 相も変わらず、アスモデウスの言っていることは分からない。
 人を人とも思わないような冷酷な薄紅色がすっと細められたとき、智也の足下が白く輝き出した。何故か、この輝きには覚えがあった。そう、この世界に来る直前にも見たような。

「どんな物語にも終わりは来るんだよ。例外なくね」


 ◇


「《浮遊》!」

 魔術を発動させたおかげで、地面に叩き付けられることはなかったが、事態が好転した訳ではない。追いかけてきたルシウスの手には、月光を受けて不気味に煌めく剣が握られていた。
 フォルトも剣を抜いたが、果たして彼を相手にどこまでやれるだろう。人間であった頃から、ルシウスに勝てた試しはない。魔族となった今、一方的に蹂躙されるだけだろう。
 だが、憎い恋敵を前にして、おめおめと逃げ出すような情けない男にはなりたくなかった。

「どうして貴様なんだ! 俺の方がトモヤを愛しているのに、何故貴様が……!」

 唇が、声が震えてしまわないよう、必死に取り繕った。肺が締め付けられたように痛い。こんなにも愛しいと思うのに、何一つ届かない惨めさを、この男にも味わわせてやりたかった。
 ふと、ルシウスは塔を見上げて「始まったか」と溢す。フォルトの屈辱などどうでも良いと言いたげな態度に、ますます憎悪の炎が激しさを増した。

「では、トモヤ殿と共に、トモヤ殿の世界で生きれば良い」
「は……?」
「王族と言っても、あなたは所詮第二王子だ。トモヤ殿の世界に行ったところで、アヴァリス王国にさほど影響もないだろう」

 ルシウスの言葉に、フォルトは頭が真っ白になった。智也と共に、智也の世界で生きる? 王族としての身分を、家族や友人を、この世界の何もかもを捨てて?

「アスモデウスに頼めば、あなたもあちらに往けるだろう」
「そ、れは……」

 智也と共に、智也の世界で生きれば、少なくともルシウスに恋い焦がれる智也を見ることはなくなるだろう。
 智也とて、それまでのすべてを取り上げられ、この世界にやって来た。自分もまた、彼と同じことをするだけだ。

「全てのことには意味がある。そして、これがあなたの答えだ」

 だが、そんな自分が思い浮かべられなかった。智也を愛している気持ちに嘘偽りはないのにらこれまでのすべてを捨て、智也だけを選ぶことはできなかった。

「あなたにとって、トモヤ殿はその程度なのだろう。愛しく思えども、世界のすべてを捨てるほどではない」
「それは……!」
「少なくとも、自分の世界を捨てられないあなたに、責められる謂れはないな」
「だが、トモヤの意志はどうなる! あいつは、貴様と共に生きたいと望んでいるんだぞ!」
「知ったことではない。俺は、俺の意志でトモヤ殿を元の世界に返す」

 フォルトの怨嗟も、智也の恋慕も、ルシウスには届かない。関心すらない。

「身勝手は百も承知だ。だが、俺は魔族になった。人間の事情を配慮する必要がどこにある?」

 世界の時間が止まったような気がした。どんな経緯で、ルシウスが魔族になったのかは分からない。だが、今の言葉を聞いて直感した。
 ルシウスは、もはや人間ではない。魔族として生きることを選んだのだ、と。

「勇者がいる限り、アスモデウスの意識は勇者に────彼の勇者に向けられてしまう。妬ましさで気が狂いそうになる」
「……智也を思って、元の世界に返したいんじゃないのか……?」
「否定はしない。彼に戦いは似つかわしくない。元の世界に帰るべきだ。だが、それ以上にトモヤ殿の存在は目に余る」

 智也の意志を無視して、彼を元の世界に帰そうとしているのは、他でもない智也を配慮してのことだと、フォルトは思っていた。
 だが、違った。智也の為であることは嘘ではない。けれど、ルシウスが智也を騙して誘き出すほどに強硬策に打って出たのは、自分自身とアスモデウスの為に、勇者をこの世界から追い出そうとしているに過ぎない。

「俺は、たとえ世界を引き換えにしてでも、好いた相手の為に身を引くつもりはない。何があっても手に入れる」
「なぁに、何の話~?」

 ころころと鈴の音のような笑い声が、静寂の夜闇に響き渡った。ふわり、とアスモデウスがルシウスの隣に降り立つ。

「アスモデウス。トモヤ殿は?」
「元の世界にお帰りいただいたよ~」

 アスモデウスの言葉を理解した瞬間、フォルトは崩れ落ちた。
 どうして魔族が世界を渡る術を操れるのか、疑問はいくつもある。だが、唯一確かなことは、この世界のどこにも智也はいないのだ、ということ。

「つーかーれーたー……解術はちょっと休んでからするねぇ」
「俺は別に、このままでも良いが」
「えぇ………………いや、それは、ちょっと」

 身体が重い。喉が締め付けられたようで、息ができない。
 智也がいないという事実は、フォルトの心を完膚なきまでに打ちのめした。
 だが、それでもこの世界を捨てて、智也のもとに行きたいとは思えない己がいて、薄情さに吐き気がした。

「大丈夫?」

 覗き込んで来る薄紅色を認めた瞬間、視界が真っ赤に染まった。

「ッ、貴様の、貴様たち魔族の所為で……!」

 そもそも、魔族が存在していることが悪い。こいつらさえいなければ、智也がルシウスに恋をすることもなく、フォルトが智也に恋をすることもなかった。ルシウスが、魔族になることもなかった筈だ。
 半ば八つ当たりだと分かっていながら、自己嫌悪をどこかにぶつけなければ、自分の足で立って歩けそうにもなく、あらんかぎりの罵倒を吐き出した。
 息を荒らげるフォルトに、アスモデウスは目を丸くし、そして問う。

「確かに、俺たちは世界の敵だけどさあ。《魔の王》を倒す為に、この世界の都合で勇者を消耗品みたいに扱うことは棚上げなの?」
「……消耗品、だと」
「じゃあ、生贄?」

 そんなことはないと否定しようとして────できなかった。
 アスモデウスの言葉が、深く深く胸の奥底に突き刺さった。あの言葉の刃には、きっと毒が塗られていたに違いない。
 心臓がばくばくと脈を打ち、呼吸が乱れて、嫌な汗が止まらなかった。

「君たちニンゲンが選んだことなのに、なんで傷付いた顔してんの?」

 それは、フォルトがこれまで見向きもしなかった事実だった。
 この世界の平和の為に呼び出された勇者たちが、一体何人いるのだろう。一体何人が、元の世界に帰れたのだろう。
 分からない、分からないけれど。きっとこの世界は、そう時を置かずに新たな勇者をまた呼び出すだろう、と予感があった。

「勇者様が君を選ばないのも、君が勇者様を選ばないのも、すべてちゃんと繋がってるんだよ」
「やめろ……」
「一人の子供の為に世界は捨てられなくて? そのくせ、自分達の都合で勇者を消耗品として扱うだけ扱って?」
「やめてくれ……もう、頼む……」
「お綺麗な王子様。自分を犠牲にしたくない側のニンゲンが、どうして愛してもらえると?」
「聞きたくない、言わないでくれ」

 フォルトが力なく首を横に振る。耳を塞ぎたいのに、手足は凍り付いたように動かない。アスモデウスが、恍惚とした笑みを浮かべた。

「積み上がった勇者の骸の山の頂きに腰掛けて、ふんぞり返る気分はどう?」

 自分の足下に積み上がった骸の山。そのうちの一人が、智也だったかもしれない。突き付けられた罪の重さに、自身の身体に流れる醜悪な血に、フォルトはついに堪えきれず絶叫する。血が滲むような叫びが夜の静寂を引き裂いた。だが、不思議なことに近付いて来る気配はない。

「アスモデウス、その辺りで良いだろう」
「そうねぇ……そうだ、哀れな君に贈り物をあげよう」

 ふわり、とフォルトの目の間に一冊の本が現れた。頁数がさほどないそれは、どうやら絵本のようだ。表紙には上半身が人で、下半身が魚のひれの少女が描かれていた。

「人魚姫って言って、勇者様の世界の童話なんだよ。この話、人魚姫の最期が切なくて悲しいけど、彼女の選んだ答えは尊いものだと思うんだぁ」

 何故、こんなものを魔族が持っているのか。何故、こんなものを渡すのか。
 この魔族が、親切で渡す筈がない。知りたくもない、聞きたくない。なのに、どうしてか知らずにはいられなくて。

「最も愚かなのは、王子様。仕方がないとは言え、大事なことに最後まで気付かなかった、愚かで哀れな王子様」

 哀れな王子様とは、俺のことか。フォルトが力なく嗤う。アスモデウスはその通りと言わんばかりに、薄紅の瞳を細めた。

「────さようなら、王子様?」


 ◇


「あそこまで苛める必要はあったか?」

 アヴァリスの王城から黒領のお城まで戻るまで、というか戻ってもずーっと不機嫌そうに眉間にシワを寄せてるルシウスは、何度尋ねても理由を明かしてはくれなかった。
 年相応に経験豊かな俺は、こういうとき身体を宥めすかしてどろっどろに甘やかした方が良いと知っているので、優しい俺は解術も休憩もしないで、ルシウスをベッドに引きずり込んだ。
 最初こそ迷っていた様子のルシウスも、俺がどうしてもダメ? とおねだりしたら、眉間のシワをさらに深くしながらも、噛み付くようなキスをしてくれて、そのまま組んず解れつ濃厚な一時を過ごした訳で。
 何度目かの射精のあと、対面座位で向かい合って、啄むようなキスをしてから、不機嫌の理由を尋ねて、返ってきた答えがあれ。

「俺、アヴァリスの血族とユルティアの信奉者に、世界の側面を突き付けるの好きなんだよねぇ」

 我ながら、人を食ったような笑みを浮かべている自覚はある。
 良いニンゲンもいれば、悪いニンゲンもいる。ユルティアの信奉者やアヴァリスの血族を筆頭に勇者召喚に関わっているニンゲンすべてに罪を押し付けるつもりはない。
 けど、自分が絶対に正しいと思っているさまを見ると、少し腹が立つことも事実で。

「だから別に、ニンゲンに無条件に優しい訳じゃないんだよー?」

 あの王子様の心を嬲ったらどんな顔をするんだろう、どんな風に苦しむんだろう、といつもの悪い癖が出ちゃったんだよねぇ。
 ルシウスは、俺がニンゲンを傷付けるのが嫌だから不機嫌になってた訳? いや、でもなーんか違うような……。

「初めて会ったときも、似たようなことを言っていたな」
「ふふ、よく覚えてらっしゃる。出会った頃の聖騎士様は、確かに自分の目に見える世界がすべてだと信じ込んでいたよねぇ」

 アヴァリス王家やユルティアの信奉者に限らず、矜持の高いニンゲンほど、自分がそれまで見てこなかった世界の、もう一つの側面を突き付けられると、逆上することが多い。
 そもそもは世界の敵である魔族の存在が悪いんだ、とかね。まあ、認められない気持ちも分からなくはないけど。

「ただ、ルシウスの場合は素直に認めて、俺に頭まで下げるから、拍子抜けしちゃって」
「……喜べば良いのか、腹を立てれば良いのか分からないな」
「そんなルシウスのことを好きになったんだから、素直に喜んでよぉ」

 聖騎士様は自分の非を認めて、魔族に頭を下げた。世界が決して美しいだけではないのだと知り、理解するのは容易ではなかったろうに、聖騎士様は目をそらさなかった。
 そんな聖騎士様を、いつの間にか目で追いかけるようになったんだから。
 頬をほんのりと赤らめたルシウスが、俺の喉に舌を這わし、軽く吸い付いてきた。ふふ、機嫌治ってきたんじゃなーい?

「……あと、逆上した矜持の高い男とセックスするの、すっごいぞくぞくするんだよねぇ」
「は?」

 憎い魔族に動きを封じられた揚げ句、無理やり快感を引き出された男とのセックスは、はっきり言ってめちゃめちゃ興奮するんだよねぇ。
 魔族相手に快感なんて覚えたくないのに、俺のナカに入ったご立派なナニは固くて熱くて全然萎えなくて、俺を突き上げながら「くそ!」と毒づく様は本当にたまらない。

「手酷く犯されたいと言うことか」

 ────そうそう、そんな目。甘いだけのセックスも最高だけど、乱暴なくらい貪られるのも興奮するよねぇ。

「ねえ、ルシウス。俺の関心が盗られそうで腹が立ったって素直に言いなよ」
「ッ、クソ!」

 ぐんっと最奥を突かれて、目の前がちかちかした。暴力的な快楽に打ち震える俺など知ったことかと、ルシウスががつがつと突いて来る。

「ひッ、んん、あっ、奥、そん、な、ごつって!」
「おまえは、本当にッ!」
「ん、ふふ、あ、ああッ、ルシ、ウスのが、おっき……!」

 ……これで、すっきりしてくれると良いんだけど。ほんと、俺のベリトは損な性分をしてるよねぇ。まあ、そんなところが好きなんだけど────と、考えたのを最後に、俺の思考はまともに回らず、善がり狂うことになるのだった。

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