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「遅かったねぇ、可愛らしい勇者様?」

 見張り役の同胞から、可愛らしい勇者様ご一行が、女神ユルティアの祝福が眠る遺跡近くまで辿り着いた、という報が入った。
 より世界に同調しやすくなる宝玉を、適切な指導者がいない勇者様が求めるのはさもありなん。
 別に、あんな石ころの一つや二つくれてやったところで、俺やお父様が後れを取ることはないんだけど、指を咥えて見ていただけか! と怒られるのは面倒なので、こうしてわざわざ出向いた俺、働き者じゃない?

「おまえは、アスモデウス……!」
「どうしてここに……」
「どうしてって、俺は世界の敵なワケで。君たちの邪魔をしに来たに決まってるじゃーん」

 女神ユルティアを祀る神殿や神殿跡地は世界の各地にある。ここも、そのうちの一つだ。
 同胞との争いで破壊された神殿跡地ではあるけれど、何を思ったか女神ユルティアは自分の力の一端を廃れたこの地に隠した。
 おかげで、こーんな埃っぽくて瓦礫しかない遺跡で、勇者様と聖騎士様たちを待たなきゃいけなかったんだから、俺ってほんと可哀想。

「さあて、少しは強くなったかどうか試してみようか!」

 宝玉とやらに興味はない。でも、彼らがこの旅路でどれほど強くなったかは興味がある。
 ゆらりと空間の裂け目から姿を現したのは、青銅の自動人形。アヴァリス城で用いた泥人形なんか可愛く見えるほどの攻撃力と防御力を誇る。これくらいは倒せるようになっているでしょう?

「ルシウスはそこの魔族を! 俺達はこのでかいのを!」
「承知しました」

 おぞましい白き輝きを放つ聖剣を抜いた聖騎士様が、一息に迫ってきた。
 《防御壁》を────いや、ちょっと足りないかな。後方へと跳べば、つい先ほどまで立っていた場所が大きく抉れた。

「自動展開だと強度が足りない気がしたけど……案の定だったねぇ」

 自動展開の防御壁は、展開速度を優先しているから強度が今一つ心許ないんだよねぇ。
 それでも、ただのニンゲン相手なら耐えられるけど、女神の祝福を受けた聖剣の使い手、元々ニンゲン離れしていたところに、さらに力をつけた聖騎士様相手じゃあ荷が勝ち過ぎる。

「逃がさん!」

 俺が避けることを読んでいたのか、聖騎士様は追撃せんと地を蹴った。再び振り下ろされる聖剣。けれど、その切っ先が俺に届くことはやはりない。

「《反撃Zähler》」
「なッ!?」

 脳天を砕き割り切り裂かんという勢いそのままに、聖騎士様が後方へと弾き跳ばされた。
 ははーん。予想通り、聖騎士様は身体強化系というか物理特化型らしい。身体強化系術式と剣の技量で聖騎士の地位まで上り詰めたとか、ほんとにニンゲン?

「ほんと、規格外だねえ、聖騎士様」
「負け惜しみを聞いてやるつもりはない」
「……言ってくれるねぇ」

 聖騎士様に応えんと、聖剣が更に強い光を放ち始める。
 ああ、あのおぞましい輝き、忌々しい女神の祝福を目にするのはいつぶりか。
 先代の勇者が召喚されたとき、あの聖剣を振るえる技量を有する騎士はいなかった。歴代の聖騎士たちの中でも、目の前にいる聖騎士様の技量は間違いなく頭一つ抜きん出ている。
 彼そのものに恨みはないけれど、女神の祝福とやらを捻り潰してやりたい、という凶暴な衝動は俺にもあるんだよ。

「《砲撃Kanonade》」

 俺の後方から射出された魔弾は過たず、聖騎士様へと向かう。人一人軽く飲み込む大きさのそれを、聖騎士様は避けることなく迎え撃つことにしたらしい。
 まあ、避けたが最後、お仲間に当たるんだから、真正面から受ける以外にないだろう。
 俺の魔術が勝つか、それとも聖騎士様の聖剣が勝つか────ところが、決着は予想もしていなかった方法でついて。

「あ」
「なんッ!?」

 俺と聖騎士様の足場が、がくんっと崩れ落ちたのだ。真っ逆さまに落ちていく身体。
 羽根を開くだけの広さがあるようには感じられず、一先ず落下に身を任せることにした。この下に何があるか、ちょっと気になるしねぇ。
 飛び出た岩肌で傷付かないよう防御壁を張りながら、ようやっと最下層と思しき場所まで辿り着いた。

「聖騎士様、生きてる~?」
「……当たり前だ」

 あ、当たり前かなあ。結構落ちたし、途中結構尖った岩肌もあったと思うんだけど。

「それにしても、遺跡の下がこんなになってるとはねぇ……」
「おまえも知らなかったのか?」
「知る訳ないでしょ。女神ユルティアの息がかかった場所なんか、誰が好き好んで探検するかっての」

 魔術で明かりを灯し、周囲をぐるりと見渡す。神殿の地下には避難用の通路が設けられているものだけど、これは人の手で作られたものではないような気がする。かといって、年月と共に形成されたとも考えにくい。
 落ちてきた縦穴を登れないことはないけど、この地下道を調べたい欲が圧倒的に勝った。

「おい、どこに行くつもりだ」
「出口を探しがてら、探検してみるの」
「闇雲に探して見付かると思うのか?」
「待ってたところで、出口の方から来てくれるとでも?」

 返す言葉がないのか、聖騎士様は口を噤んだ。迷う心配をしているのかもしれないけど、俺には空間跳躍系の術式があるので、いざとなれば遺跡の前に魔術で戻れば良い。

「大人しく待ってるならご自由に。世界の敵を放っておいて良いならね?」

 そうせせら笑ってやれば、聖騎士様は渋々ながらも俺の後を付いて来た。
 んふふ、素直でよろしい。利用できるものはなんであれ利用するのが賢しい生き方だと思うよ?

「聖騎士様は、この遺跡について何か知ってたりする~?」
「……いや、何も知らないし、地下がこうなっているとは聞いていない」
「そっかぁ。じゃあやっぱり、ニンゲンの手は加えられてないのかな。でも自然にこんな通路ができ────ッ!?」

 それまで硬質な岩の表面を歩いていたのに、急にぐにゃりと柔らかい何かを踏んで、ぐらりと身体が傾いた。
 ぶつかるのを覚悟して身構えたけれど、痛みを覚えるよりも早く、ぐんっと後ろに強く引かれる。

「おい、大丈夫か」

 薄暗闇の中、聖騎士様の顔をぼんやり見上げた。聖騎士様に、抱き止められている。もしかしなくとも、助けてくれたらしい。

「びっくりしたぁ。ありがとー」

 瞬間、頭上で息を飲む音。何か驚くようなことあった? とつい小首を傾げる。

「……助けてしまった俺自身と、魔族に礼を言われたことに動揺している」
「あのさあ、世話になったら礼をするのに、ニンゲンだとか魔族だとか関係あるの?」
「……だが、おまえは魔族だ」
「そうだねぇ。俺は世界の敵だけど、でもお礼を言っちゃいけない決まりはある?」

 相手がニンゲンなら、礼を欠いても良いって? 相手が魔族なら、与えられた誠意を踏み躙っても良いって?

「もう大丈夫だから離してくれる~?」

 こんな狭い場所で険悪な空気になっても仕方がないし、聖騎士様から距離を取る。幸いにして、聖騎士様もあっさり離してくれた。

「ところで、何に躓いたんだ?」
「わかんない。なんか急にぐにゃってして……」

 足下を照らし、俺と聖騎士様は思わず目を瞠る。落ちていたのは、手のひらくらいの大きさの、赤黒い肉片。まだ血が乾き切っていないことから、あまり時間が経過していないことが分かる。

「ニンゲンにしろ動物にしろ、これだけの肉が削げてるとしたら、血が落ちていても不思議はないけど……」
「落ちている様子はない、か。この先に行けば何か分かるかもしれないな」
「えぇ……なんで急にやる気になる訳~?」

 いや、まあ俺だって気になるし、放っておくつもりはもないけどさあ。
 ゴツゴツと歩きにくい悪路を再び歩き出してしばらく。背後を歩く聖騎士様が「訊きたいことがある」と呟くように問いかけてきた。

「おまえたちは、何故人間を殺す?」
「飛び回る羽虫を潰すのに理由がいるの?」

 項の辺りが粟立った。これくらいのことで殺気立たないでよ、聖騎士様。
 ニンゲンだって、顔の周りでぶんぶん飛び回る煩わしい羽虫を潰すくせに。

「……そういえば、聖騎士様はなんで神殿騎士になったの?」
「……5つのとき、親に捨てられた俺は、俺はユルティア神殿の神官に拾われた」
「なぁんだ、てっきり親兄弟を魔族に殺されたのかと思ったけど違うんだ?」
「だが、多くの仲間をおまえたちに殺された!」
「俺の同胞も、ニンゲンたちに殺されたけど?」

 まあ、ニンゲンに殺されるような弱い同胞、何匹死のうがどうも思わないけど。
 それにしても、身内が殺された憎悪が故でもなく、拾ってもらった恩義程度で聖騎士の地位まで上り詰めたの?
 その執念は尊敬しなくもないけど……薄っぺらい土台は崩しやすくて都合が良い。
 仲間を殺されたことへの憎悪はあるらしいけど、その程度は十分にひっくり返せる。
 ニンゲンが決して正しいばかりの生き物ではないことを突き付けて、その誇りと信仰が眉唾でしかないと知ったとき、聖騎士様はどんな顔をするだろうねぇ。

「……ん?」

 ニンゲンよりも遥かに優れた感覚が、この先に蠢く何かの存在を察知した。
 知性ある高位魔族がこんな場所を根城にするとは考えにくい。となれば、知性も理性もないような同胞かな。
 一先ず確かめるのが先だ、と地を蹴った。背後の聖騎士様が「おい!」と声を上げ、駆け足で追いかけてきた。
 しばらく走って、前方に道の終わりを示す穴を見付けた。地下の最奥だけあって光もほとんど入らないそこに、はいた。

「っ、おい、なんでこんなところに魔族が……!」

 高さはニンゲン三人分くらいだろうか、見上げるほどの巨体。暗闇の中で退化したらしい真っ黒な目玉が無数にある。そこかしこから白い触手を蠢かせて、先端には口らしき部位があった。
 俺は微かな光源で事足りるけど、聖騎士様はよく見えたねぇ。身体強化系の術を使ったのかな…………なーんて、現実逃避。

「無理」
「は?」
「待って待って待って待って。俺、同胞でも目がいっぱいあって足がいっぱい生えてる軟体系は無理!」
「……女子か?」

 思わず、傍らの聖騎士様にくっついた。いざとなったら盾になってもらう為だ。
 聖騎士様は呆れてるけど、あれは特に無理! 穏健派な俺だけど、あれだけはマジで無理!

「あれ、雌雄関係なく卵を植え付けてくるタイプなんだよ!? 聖騎士様だってセックスするなら柔らかくて良い匂いのする女の子の方が良いでしょ!」
「性交を基準で物事を考えたことがないんだが」

 そのとき、蠢いていた触手が襲いかかってきた。大きな声を出してしまったから、気付かれちゃったかな。寸でのところで飛び降りる。うっわ、間近で見ちゃったから、すごい鳥肌立ってるんですけど!

「高位の魔族に攻撃してきた……!?」
「ははーん。俺に喧嘩を売ってきたってことは、命が惜しくないんだねぇうんうんその意気や良し!」

 知性も理性もない上、視覚すらも退化しているなら、格上に襲い掛かってきたとしても不思議はない。反って好都合だ。俺好みじゃない同胞を消すのに、なけなしの良心が痛むこともないからね。

「っ、アスモデウス、あまり規模の大きな魔術を使うな! どこが崩れるか分かったものじゃない!」
「えぇー、じゃあ俺、役立たずなんだけどぉ」

 自慢じゃないけど、俺は素の身体能力が底辺を這ってる。例えば、聖騎士様が持っているような両手剣を1分振るっただけで、翌日は筋肉痛に苛まれる自信があるもん。
 さっきのような《砲撃》なんてもっての他で、慎ましくもバーンッ! と出来る方法はないもんか…………ないなら作れば良くない?

「《阻害hindern》────《弾丸kern》、《弾丸》、《弾丸》、《弾丸》、《弾丸》、《弾丸》、《弾丸》、《弾丸》」

 何をしたいかを強く強く思い描けば、世界は自ずと応えてくれる。ぱっと思い付いた限りだけど、術式に矛盾もない。
 なら、この魔術は正しく発動する。世界に満ちる魔力が、手のひら大の球状へと変化した。その数、八発。弾丸であり、弾丸ではないそれ。
 そして、すべての弾は過たず、同胞の肉の裡へと沈んだ。痛みに甲高い叫び声を上げたが、致命傷には程遠いようだ。
 まあ、俺だってこの程度でとどめを刺せるとは思ってない。だって、端から狙いは別だしねー?

「聖騎士様ぁ、2分くらいそいつと遊んでてくれる~?」
「は!?」
「俺、気持ち悪くってこれ以上相手したくないんだよねぇ……」
「何かしたんじゃなかったのか!?」
「したけど、発動までに2分くらいかかるんだよぉ」

 これの触手は思いの外に動きが機敏で、聖騎士様が剣を振るうよりも早く攻撃して来ている。
 もちろん、この程度は聖騎士様にとっても敵じゃないだろうけど、どこが崩れるか分からない以上、思い切り剣を振り下ろせず、決定打を加えられない。

「だからと言って、何故、俺が……!」
「えぇ? 俺が聖騎士様の分の防御壁を展開しても良いけどさあ、聖騎士様的にアリなの?」

 俺の問いに、返事はなかった。代わりに、苛立たしげに「くそッ!」と悪態が聞こえてきた。
 聖騎士様がちょっと可哀想で可愛くて、噴き出してしまったのは内緒。

「ッ、何故、俺の方ばかり……!」
「ああ、認識阻害の術式をかけたから、そいつには俺のこと見えないし聞こえないし感じないんだよ」

 こいつ、視力が退化している代わりに、僅かな振動や呼吸音、体温を察知して攻撃を加えて来るんだよね。
 だから、さっきの魔術を発動する直前にしっかり認識阻害の魔術をかけた俺、抜かりがないね!

「お、まえという奴は!」
「だから、聖騎士様的に魔族の手を借りるのはアリなの?」
「自分だけ高みの見物をする神経が気に食わないんだ!」
「あは、素直~」

 とはいえ、肉の壁前衛役がいない術者が認識阻害の術式を使うのは当然だと思うんだけど?
 まあ、ちょっと早いけど、聖騎士様が可哀想だから働きますかね。

「《花開けAufblühen》」

 洞穴に響き渡る断末魔の叫び。
 俺が撃ち込んだのは種子の弾丸だ。血と肉を貪り食らった種子は発芽し、そして大輪の花を咲かせる。巨体の突き破って現れた、惨たらしくもあり、美しくもある花。香るのは血か、花か。どうせなら明るいところで見たかったなぁ。
 力なく倒れ付した同胞は、間もなく泡のように儚く消えた。

「魔族も、同族を殺すのか」

 砂利を踏む音の方へ、視線を向ける。聖騎士様が不可解なものを見るかのような顔をして立っていた。どこか責めるような色が滲んでいるのは、気の所為じゃない。

「ニンゲンだってニンゲンを殺すじゃん。自分たちで呼んだ勇者様を拷問にかけたこともあったでしょ」

 自分たちのしでかしたことは棚に上げて、俺たちが同胞を殺すことを責めるのか。
 せせら笑う俺に、聖騎士様がふと視線をそらす。気まずげに、どこか罰が悪そうに。

「当時の勇者が、魔族の間者に成り下がったからだと、聞いている」
「……ふうん。そういうことになってる訳ね」

 歴史は、常に勝者が自分に都合の良いように編纂する物。ひとつひとつを挙げて真実かそうでないかなど指摘するのは馬鹿馬鹿しい。
 けれど、頭では理解していても、ニンゲン側の保身の為に貶められた彼を思うと、どうしようもなく悲しくて、どうしようもなく腹が立った。
 沸き上がる激情を押し潰すように深く息を吐いて、踵を返す。俺の背に「おい」と聖騎士様の戸惑いがちな声がかかった。

「帰る」
「お、おい!」
「今一緒にいると、約束を守れなくなるから」

 ユルティア神殿が保身の為に偽りの歴史を教えているなど知らないのだろう。あるがままを学んで覚えた聖騎士様に罪はない。
 ただ、踏み躙ってきた命を知らず、我が身は美しいのだと、正しいのだと思い込む聖騎士様に、俺は怒りをぶつけてしまいそうだから。

「《案内leiten》」

 薄暗闇の中、ふわりと光輝く一羽の小鳥。聖騎士様の周りをくるくると飛び回るそれは、俺の優しさだ。付き合わせておいて、こんなところで放り投げるつもりはない。

「この鳥の行く先に、可愛らしい勇者様がいる筈だよ。信じられないならお好きにどうぞ~」
「……どういうつもりだ」
「別に。それから一応言っておくけど、ニンゲンごときの情報なんか、ニンゲンを使わなくても手に入れられるよ」

 空間を裂くように開いた穴へと身を滑らせる。洞穴よりもよほど暗い闇の中で、俺は深く息を吐いた。
 ニンゲンそのものを憎んでいるつもりはない。良いニンゲンがいるように、度し難いニンゲンがいるだけだ。遠い昔に交わした約束を、俺はまだ果たせている。

「────リツ」

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