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1章 たとえ、誰を灰にしようとも
12.勝負に出た日 -2-
しおりを挟む「……フルール嬢。私、殿下にお伝えしなければならないことを思い出しましたの」
いつの間にか、殿下の姿はなかった。教室に戻るのだとしたら、私たちと一緒に戻れば良い。
けれど、そうしなかったということは、教室に戻るつもりがないということ。
ならば、と殿下の行き先を予想して追いかける。魔術を使いでもしない限り、まだそう遠くには行っていない筈――――いた!
「っ、殿下!」
「シア? どうしたどうした」
「あの、お訊きしたいことがあって」
訊きたいこと? と小首を傾げる殿下は、常と何ら変わらない。
けれど、私はこの人の性質を知っている。
知っているから、尋ねるのが怖かった。知ってしまえば、知らないふりは出来ない。
ならば、素知らぬ顔で愚かな娘のふりをしていた方が、心穏やかに過ごせるだろう。
でも、私には目的がある。兄様の《魔の王》覚醒を阻止するには、もはや自分の力だけでどうにか出来るとは思えない。
先のフルール嬢の言葉。もし兄様に残された時間が僅かだと言うなら、手段を選ぶ余裕は、ない。
「――――どうして、このタイミングだったのですか」
私は、公子殿下を利用する。公子殿下に、利用価値がある女だと思わせる。
公家になら、何か手がかりが残っているかもしれない。公家になくとも、ヴィクスルート国にならあるかもしれない。
例え、何も見付からなかったとしても、兄様を守る鎧の数が増えるに越したことはない。
だから、私は、今ここで、殿下の関心を買う必要がある。
「このタイミングってのは?」
「殿下は、今日までフルール嬢と言葉一つ交わしておりませんでした。なのに、今日になって突然、しかも私と話している最中に割って入るなんて、おかしいと思うのが当然かと」
「交流会の話をするのに、ちょうど良かったからな」
「それだけなら、殿下御自ら動く必要などございませんでしょう?」
「……なら、シアはどうして、あのタイミングで俺が割って入ったと思う?」
掛かった、と思う。殿下の関心が向いている。
後は、殿下が私を評価する答えを返せば良い。
縺れそうになる舌をなんとか動かして、答える。
「あのタイミングなら、フルール嬢が警戒を解いているから、では?」
ゲームのヒロインは、入学初日に気遣ってくれた殿下たちに心を開いた。
けれど、ここはゲームの中ではない。
フルール嬢は自分の頭で考え、物事を判断する一人の人間だ。平民から貴族入りをしたばかりの状態で学園に入学したことで、周囲からは冷たい視線を向けられていた。
元々、平民として貴族に悪感情を抱いていたところに加えて、ここ一週間ほどの生活で、フルール嬢の貴族に対する感情は悪化の一途を辿っていたことだろう。今、殿下が話しかけたって、フルール嬢が心を開く筈がない。
けれど、貴族に悪感情を抱いているフルール嬢が、私と親しげに話していた。利用しない手はないと判断し、殿下自ら動いたのだろう。
「薄々察してはいたが――――」
「!?」
視界いっぱいに広がる、殿下の麗しい顔面。
お、推しは兄様だけれど、こんな顔が良い方が接近してきたら、ときめいてしまうでしょう!?
内心、動揺しまくりの私を知ってか知らずか、殿下の蒼穹色の瞳が、にんまりと弧を描いた。
「鈍臭いが、愚かではないよな」
「……褒められているのでしょうか?」
「褒めてる褒めてる」
嘘か本当か疑わしい。けらけら笑いながら離れる殿下を、胡乱な眼差しで見つめる。
それはそれとして、離れてくれて良かった。本当に良かった。
さすが、メインヒーローとしてパッケージのど真ん中を張る男。余りにも顔が良い。変な声が出るところだった。
「公国が、光属性持ちをどう扱おうとしているのか、察しはついているんだろ?」
「……稀有な光属性持ちを囲い込みつつ、利用する腹積もりなのでしょう?」
「正解。プロパガンダとして利用する以上、ある程度の教養と礼節は、身に付けてもらわないと困る」
稀有な光属性、《聖女》の生まれ変わりか。ゲームでプレイしているから知っているけれど、改めて聞かされると、何とも複雑な気分だ。
自分の知らないところで、役割を押し付けられ、知らないうちに囲い込まれているなんて、私だったらぶん殴ってる。
でも、私だってフルール嬢を利用しようと――正確には、フルール嬢の力だけど――しているのだから、殿下のことも公国のことも悪くは言えない。
「そういう訳だ。よくよく見ておいてくれると助かるよ」
「……フルールさんを閉じ込める鳥籠の役目を負えと言うことですの?」
「シアは俺を利用したいんだろ。なら、それくらいはしてもらわないと割りに合わない。精々、フルール嬢が公国を支えたいと思う理由になってくれ」
「ッ、」
さすが、と言うべきなのかしら。仮にも、一国を担う次期公主陛下を相手に、私のその場凌ぎの駆け引きごとき、通用する筈がなかった。
けれど、私の思惑を察していながら、わざわざ乗った理由が見えない。
「お前は、イクシスに迷惑をかけるのを何よりも避けている。そして、何故だかは訊かないでおいてやるが、俺の人となりをよく理解している」
き、訊かれても答えられないので、それは助かりますけど!
ゲームをやっているので、あなたの人となりをよく存じております、なんて天地がひっくり返ったって言えないわ……。
「イクシスに迷惑をかける可能性を理解しながら、わざわざ藪を突付いた理由は……まあ、俺に何らかの利用価値を見出だしたからだろ」
蒼穹色の瞳が、私がひた隠しにしている秘密を、一つ一つ暴いていく。
居心地が悪い。叶うならば、今すぐこの場を辞したいと、後退りかけた足を叱咤する。
そして、さながら簒奪者のような瞳を、真っ向から見つめ返した。
だって、私には、退けない理由があるのだから。
「……イクシスに迷惑をかけるくらいなら、息を潜めて大人しくしてるようなシアが、蛇とも鬼とも知れぬものと対峙する覚悟をするとしたら」
呼吸を戸惑うほどに注がれていた青が、ふと逸れて、微かに伏せられた。
一瞬か、永遠とも知れない沈黙の後、再び交差した視線にふざけた色はなく、どこまでも真摯な光が灯っていて。
「それは他でもない、イクシスのためだろう。そして、俺はイクシスを買っている。出来れば、このまま手離さずに重用したい」
ああ、と。声とも溜息とも取れない音が、零れ落ちた。
両手を挙げて喜びたいような気もするし、子供のように大声で泣きたいような気もする。
根本的な解決には繋がらないし、兄様の秘密を明かせる訳ではない。
でも、どうしたら、兄様を救えるのか分からなくて、たぶんきっと、ずっと不安で、だから、助けになってくれるかもしれない人の存在が、こんなにも嬉しくて。
「……あのだな、頼むから、泣くなよ? 俺がイクシスに殺される。マジで」
「…………鋭意、努力しております」
いくらなんでも、私が泣いたくらいで、兄様が殿下を殺すことなんてないと思うけど。
でも、ジスラン様のことがあるから、側近を辞めるくらいはしそう。
「……そこまで追い詰められて尚、事情は言えそうにないんだな?」
「も、申し訳ありません……」
気遣わしげな声に、眉間の辺りがじわじわ熱くなってきた。こ、こういうときに優しくしないで欲しい!
ゲームでも、殿下はそうだった。次期公主として、ヒロインを利用することに躊躇わないくせに、利用されているだけでしかないと知ったヒロインが泣いているのを、放ってもおけないような、善良な人なのだ。
「イクシスを第一に考えるシアが、それでも躊躇うってことは……そりゃあ、しんどかったろ」
「で、殿下はもう黙っててください!」
「慰めてんのにすっげえ理不尽」
危うく、15にもなって泣くところだった。深呼吸、深呼吸。
気分を切り替える為にも、もう一つ気になっていたことを尋ねることにした。
「入学初日に、フルール嬢に話しかけなかったのは、どうしてですか?」
入学当初であったなら、殿下が普通に声をかけるだけで、フルール嬢は殿下に心を開いただろう。
だと言うのに、殿下はフルール嬢ではなく、私に声をかけた。その理由には、何か政治的な思惑があるのだろう。
「……まあ、お察しの通りに、シアにちょっかいをかけてるのは、イクシスの足場を確固たるものにする為だ」
「殿下が、兄様を買っているのだと、他の貴族に知らしめる為、ですか?」
「そういうこった。貴族は才能よりも出自を気にする。本人に愛想があればまだ救いがあるんだが……あれだろ?」
そ、その、兄様はお優しい方だけれど、殿下が仰るように、愛想が良いタイプではないので、敵対者はそれなりにいる。いかに優秀であっても、だ。
妙に接触が多いと思ったけれど、殿下は殿下なりに兄様の立場を良くする為に、私に声をかけていたということか。
「表立って庇い過ぎれば反感を買うし、かといってイクシスの能力は手放しがたいから、放っておく訳にもいかなくてさあ。だから、シアの存在は都合が良かった。色んな意味でな」
後は、と殿下が悪戯っ子のように笑う。な、なんだと言うのです? まだ何かとびっきりの爆弾をお抱えになってますの?
「単純に、シアに会いたかったんだよ。少なくとも、教室で話しかけた理由は、それだけだった」
「……私に?」
それは、予想外の答えだった。幼い頃から国を統べる者としての教育を受けてきた殿下が、政治的な思惑を抜きにして私に、会いたかったというだけの理由で、話しかけた?
もちろん、本音とは限らない。嘘の可能性の方がずっと高いのに、何故だか私は殿下の言葉が嘘には聞こえなかった。
「イクシスに怒られたお前、世界の終わりみたいな顔して、それっきり会えず仕舞いだったろ? そりゃあ、あのときのあいつは大丈夫だったかって気にかかるさ」
「わ、私、そんなにひどい顔をしてました!?」
「してたしてた」
殿下が、からからと楽しげな笑い声を上げた。実際に話したのなんて数分にも満たなかった筈なのに、いつまでも忘れられなかったほど、私はひどい顔をしていたということか。
自覚はあるから否定はしないけど、そんなに笑わなくても良いと思います!
ふてくされながらも、思う。殿下のことだから、個人的な理由だけで動くとは、やっぱり考えられない。他にも何か思惑があったのだろう。
嘘には聞こえなかったって? あれは多分きっと気の所為よ!
「……それで? 本当は何か他に意図があったのでは?」
そう尋ねたら、殿下は意味ありげに口角を持ち上げ、笑った。
「――――さあて、どうだろうな?」
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