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祭囃子を追いかけて 13
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「博子さんが我慢してくれたからおやじの首が繋がったのかもしれない。もしそうなったら僕も進学諦めて、今頃フリーターかなんかで、道路で旗振っていたかもね」
重太郎が会話の途切れたのを確認して入ってきた。
「盛り上がっているみたいだけどなんの話?」
「あたしと重太郎さんの馴れ初め」
「勘弁してくれないか、血圧上がりそうだよ」
「だめ、この際だから俊夫さんに聞いていただきましょう」
「それでその作戦て?」
「うん、あたしこう切り出したの。『あたしはあなたと一緒になることは出来ない女なんです』って、そうしたら重太郎さん可愛いのよ、『なんで、なんで』って。『あたしには病気の母親がいて、看病する責任があるし、農繁期で人手が足りないから早く帰って来て手伝えって兄に催促されているの。だから重太郎さんとは一緒にはなれないの、許してください』自分なりにいい演技ができたと思ったわ。これで重太郎さんも諦めると思っていたらそれがそうじゃなかったの」
「父さんなんて言ったの?」
「『そりゃあよかった、僕も秋田に行くよ、秋田に行って農作業手伝うよ、うちはねえ、もともと農家で、昔は農繁期に田植えも稲刈りも手伝っていたんだ。野菜の収穫なんか日課みたいなもんだったから、そうしよう、二人で秋田に行こう、君はお母さんの看病に費やせばいい、僕はお兄さんの指示で農作業を手伝うから、そうだそれがいい、そうと決まったら早い方がいいなあ、わあーっ、この年になって百姓が出来るなんてなあ、それも君のために、そうだ今電話しなさい、お兄さんに』だって。それであとはとんとん拍子に話が先に進んでしまったの」
博子は重太郎に煙草を差し出した。
「あたしねえ、まさか重太郎さんがそういう行動をとるなんて夢にも思っていなかったからあたしの方が焦ってしまったの。でも本当は凄く嬉しかったわ、母さんも兄さんも喜んでくれたわ。それであたし考え方を変えたの、生涯洋子さんの代わりでもいい、生涯大事にしてくれるならいいって」
俊夫が切り出した。
「父さん、五年間この家を人に貸そうよ。そして五年後に答え出そうよ。不動産屋の伯父さんに頼んで借家の案内お願いしようよ。僕が大学卒業して、進路が決定するまで五年間待ってよ」
「ああそうしよう、五年間の限定だから只同然でもいい、人が暮らしていないと家も朽ちてくるから。そうだそういう手があったじゃないか、おまえが卒業して、就職して、嫁さんもらって、そのときに考えればいいんだ。改築しようと建て直そうと、都合に拠っては売ってもいい、おまえのものだ」
てんてん、てんつく、てん、てん、ててんつく、てんてん
ひゃーり、ひゃーりらり、ひゃらりひゃらり、ひゃありら、ひゃーり、ひゃーらり、
てん、てん、てんてん、てんつく、ひゃーりら
「あらお囃子が聞こえ出したわ、いいわねえ夏祭りって」
「子供達が帰宅して集まって来たんですよ、明日からは小中学校も夏休みに入るから朝から聞こえますよ」
「今年はうちも当番なんだお祭りの、昨夜は私の代わりに俊夫が御仮屋の番に行ってくれたんだ」
「あらかわいそうに、人付き合いの苦手なお父さんで」
「昨日は裏の北川さんちの賢治さんと一緒だったよ」
「ほう賢ちゃん元気だったか?ブロック塀一枚で遮られたお隣さんだが、玄関に繋がる道路が違うだけで逢わないものだ」
「相変わらず面白い人だよ、父さんにも宜しくって」
「そうか、例大祭には一杯誘おう、色々世話になったから、お礼かたがた宜しくお願いしておこう。」
「二人で一緒に迎える最後のお祭りね、ところで俊夫さんはお囃子やってたの?」
「ええ、中学生まではやってました。規則ではないんですけどだいたい中学卒業と同時に引退するんですよねみんな、そのあとはお神輿のかつぎ手に回されるんです。僕はお神輿苦手だからずっと逃げていましたけどね、今年は当番だし、最後になるからそうはいきませんねえ、賢治さんに引っ張り出されますよ」
「ねえ、聴かせて、笛、ねえ聴きたいわあ、生演奏」
「あるかなあ」
俊夫は立ち上がり階段の下の物入れを探した。俊夫と書かれたダンボール箱を開けると、アルバムに収まりきれなかった写真の上に、玩具に混じって笛が入っていた。洋子手製の絹の入れ物から先が少しはみ出していた。
「あったあった、少し離れたところから聞いたほうがいいから、上手く吹けるかなあ六年ぶりだからなあ」
俊夫は縁側からつっかけを履いて裏庭に出た。賢治宅とのボーダーラインであるコケの生えたブロック塀の前に立った。小気味のいい太鼓が響いている。守屋が子供達の指導を兼ねて叩いているのだ。酒屋の商売も不景気だというのに地元の活動には惜しまず参加している。その守屋の太鼓に合せるように俊夫が吹き始めた。
てんてん、てんつく、てん、てん、ててんつく、てんてん、
ひゃーり、ひゃーりらり、ひゃりらひゃりら、ひゃありーら
てんてん、てんつくてん、ててん、てん、てん、
俊夫の笛が舞台の守屋に届いた。長年一緒の舞台で演奏した仲間の音色をお互いが忘れない。
てんてん、てんつくてん、ひゃーり、ひゃーりら
互いが意識して合奏を楽しんでいる。
「重太郎さん、よろしくお願いします」
「何言っているんだよ、私の方こそだ。君のために生涯を捧げる」
ひゃーりら。
(十二)
「おい、賢治が務所に行くことになったの知ってるか?」
内田が、ヨークシャーテリアに刺身をちぎって与えている妻の里美に言った。
「あんまり生物食わせるなって、朝方、顔舐められると生臭くて吐きそうになるんだよ」
「おまえに言われたくないでちゅよねー、臭いの我慢して舐めてやってるこっちの身にもなってくだちゃいよねー」
里美が犬に成り代わり赤ちゃん言葉で言った。
「ふざけんじゃねえよ、毎日歯ー磨いてるし、コロンつけてるから汗かいたって臭くねえよ」
「みんな我慢してんのよ、わかんないの?、あんたは歯が臭いって言うより内臓から込み上げてくるのよ。あれ止めたらどう、朝起き掛けのプロテインと煮干をミキサーで混ぜて飲むの、あの不気味な色した液体が体中に回って消化吸収されない腐敗物だけが息として吐き出されているのよ、ねージロちゃん」
「おまえっ、汚ったねえなあ、口移しでやるんじゃねえよ、それにそんなに刺身やったら腹壊すっつんだよ。おめえみていにゲテモノ喰いじゃないの、血統証つきの犬なの。元々はヨーロッパの犬だよ、中トロ食わせてどうすんだよ、それにおめえよう、よく醤油もつけねえで口に入れてちぎれるじゃん、ああ気持ち悪い」
「これ三崎から送ってもらったのよ、新鮮生マグロ、あんたみたいに醤油ドボドボ、わさびドバドバで、セメントみたいなたれを、刺身の両面に擦り付けて食べたら味なんかわからないでしょう、スーパーの安い筋だらけのマグロでたくさんだわ」
里美を応援するかのように内田に向かって犬が吠えた。
「うるせいこのやろう、おまえなんか喰っちゃうぞうって、そうかそうかパパの方がいいのかようしようし、これか、これが食いたいのか?」
それなりに犬は気を遣い、里美から離れ内田に飛びついた。内田は犬を抱え上げ、刺し身を橋で割いてその一辺にたれをつけて与えようとした。
「ジロ、おいで、そんなの食ったら死んじゃうよ。ほらおいでおいで」
「あっ、このやろう、特性のたれつけてやったのによう、もうおまえなんか遊んでやんない」
「で、ほんとなの、賢治が刑務所行くって、酔っぱらい運転で?まったくしょうがないわねえ、世津子がかわいそうよ、どれくらい行くの?」
「半年だって、まあ一月ぐらいは早まるだろうけどな、正月に間に合うかどうか、おまえ賢治がいない間、世津子や子供達かわいがってやれや、あいつのことだから貯えもねえだろうし、今すぐじゃねえけど年末になって生活費苦しいような素振りみせたらなんとかしてやれ。ああそれからなあ、大には言うんじゃねえぞ、俺達から情報が漏れたりすると親友ってのは悲しくなるもんだ。拓から話があるだろうから構わないでほっとけよ」
内田は刺身をおかずにフランスパンに齧り付いている。根っからの下戸で甘いものに目がない。
「ほんと気持ち悪い、あんたの食事、考えられない」
「何がだよ、フランスパンにマグロの刺身がよう、フランス人は魚料理食うだろう。ボンジュール」
「何しろ汚いの、パンツ一丁で醜い腹出して、室温二十二度なのに汗かいて、箸で刺身つまんで、それが口の中に残っているうちにパンに齧りついて、うわーっ汚い。またそれを流し込むのにトマトジュースで」
「いいじゃねえかよパン好きなんだからよ。それにトマトは身体にいいの、血圧にいいんだよ」
「賢治は酒止めた方がいいけど、あんたは少し飲んだ方がいいんじゃない。ドーナツやあんぱんを朝から五つも六つも食べるより、ビールでも飲んだ方がよっぽど身体にはいいわよ。それに鳶の頭のくせにカッコつかないじゃない、佐藤が言ってたわよ、一昨日の上棟式で、頭は鳥のから揚げとポンジュースで盛り上がっていたって」
「ポンジュース飲むと声がよく出るんだよ。木遣唸ったら施主が大喜びしてたぞ。あんなぺらぺらのベニヤハウスで木遣なんかもったいねえけどよ、不動産屋の社長に手を合せられたから仕方なく唸ってやったんだ。しかしベニヤ板だぞ、ベニヤ板、あんな家を買ってよう、若い夫婦だったけどママゴトでもやろうっていうのかねえ。蹴っ飛ばしたらぶち壊れちゃうぞ、騙されて四千万も出してよう。アクタスの井上ニッコニッコしてやがんの」
「あんただってその片棒担いでんじゃない。その夫婦がかわいそうだと思ったら手を引けばいいのよ」
「それがそうはいかねえんだ、先に金貰っちゃってるし、基礎やってるときに井上が、『ここの施主は建築にはまったくの素人ですから、手を抜いても構いませんよ、五年も持てば上等ですよ、金に不自由している家系じゃありませんから、壊れたらまた改修工事で儲けましょう』って、さすが営業だなあ、俺達みたいにその場限りじゃなくて、しっかりと将来のことも見据えているんだなあ」
「なに感心してんのよ、そんな仕事していると鳶内田組も三代目で終わりね、死んだおじいちゃんが言ってたでしょ、『みっともねえことだけはすんな、食えなくなったらいつでもこんな看板下ろしてかわまねえから』って、不動産屋の片棒担いでインチキやってるあんたなんて最低よ」
里美は内田が手抜き工事をしているのが我慢ならなかった。常人とずれた価値観を押し通す強引な男であるが、嘘や誤魔化しをする男ではなかったはずである。
重太郎が会話の途切れたのを確認して入ってきた。
「盛り上がっているみたいだけどなんの話?」
「あたしと重太郎さんの馴れ初め」
「勘弁してくれないか、血圧上がりそうだよ」
「だめ、この際だから俊夫さんに聞いていただきましょう」
「それでその作戦て?」
「うん、あたしこう切り出したの。『あたしはあなたと一緒になることは出来ない女なんです』って、そうしたら重太郎さん可愛いのよ、『なんで、なんで』って。『あたしには病気の母親がいて、看病する責任があるし、農繁期で人手が足りないから早く帰って来て手伝えって兄に催促されているの。だから重太郎さんとは一緒にはなれないの、許してください』自分なりにいい演技ができたと思ったわ。これで重太郎さんも諦めると思っていたらそれがそうじゃなかったの」
「父さんなんて言ったの?」
「『そりゃあよかった、僕も秋田に行くよ、秋田に行って農作業手伝うよ、うちはねえ、もともと農家で、昔は農繁期に田植えも稲刈りも手伝っていたんだ。野菜の収穫なんか日課みたいなもんだったから、そうしよう、二人で秋田に行こう、君はお母さんの看病に費やせばいい、僕はお兄さんの指示で農作業を手伝うから、そうだそれがいい、そうと決まったら早い方がいいなあ、わあーっ、この年になって百姓が出来るなんてなあ、それも君のために、そうだ今電話しなさい、お兄さんに』だって。それであとはとんとん拍子に話が先に進んでしまったの」
博子は重太郎に煙草を差し出した。
「あたしねえ、まさか重太郎さんがそういう行動をとるなんて夢にも思っていなかったからあたしの方が焦ってしまったの。でも本当は凄く嬉しかったわ、母さんも兄さんも喜んでくれたわ。それであたし考え方を変えたの、生涯洋子さんの代わりでもいい、生涯大事にしてくれるならいいって」
俊夫が切り出した。
「父さん、五年間この家を人に貸そうよ。そして五年後に答え出そうよ。不動産屋の伯父さんに頼んで借家の案内お願いしようよ。僕が大学卒業して、進路が決定するまで五年間待ってよ」
「ああそうしよう、五年間の限定だから只同然でもいい、人が暮らしていないと家も朽ちてくるから。そうだそういう手があったじゃないか、おまえが卒業して、就職して、嫁さんもらって、そのときに考えればいいんだ。改築しようと建て直そうと、都合に拠っては売ってもいい、おまえのものだ」
てんてん、てんつく、てん、てん、ててんつく、てんてん
ひゃーり、ひゃーりらり、ひゃらりひゃらり、ひゃありら、ひゃーり、ひゃーらり、
てん、てん、てんてん、てんつく、ひゃーりら
「あらお囃子が聞こえ出したわ、いいわねえ夏祭りって」
「子供達が帰宅して集まって来たんですよ、明日からは小中学校も夏休みに入るから朝から聞こえますよ」
「今年はうちも当番なんだお祭りの、昨夜は私の代わりに俊夫が御仮屋の番に行ってくれたんだ」
「あらかわいそうに、人付き合いの苦手なお父さんで」
「昨日は裏の北川さんちの賢治さんと一緒だったよ」
「ほう賢ちゃん元気だったか?ブロック塀一枚で遮られたお隣さんだが、玄関に繋がる道路が違うだけで逢わないものだ」
「相変わらず面白い人だよ、父さんにも宜しくって」
「そうか、例大祭には一杯誘おう、色々世話になったから、お礼かたがた宜しくお願いしておこう。」
「二人で一緒に迎える最後のお祭りね、ところで俊夫さんはお囃子やってたの?」
「ええ、中学生まではやってました。規則ではないんですけどだいたい中学卒業と同時に引退するんですよねみんな、そのあとはお神輿のかつぎ手に回されるんです。僕はお神輿苦手だからずっと逃げていましたけどね、今年は当番だし、最後になるからそうはいきませんねえ、賢治さんに引っ張り出されますよ」
「ねえ、聴かせて、笛、ねえ聴きたいわあ、生演奏」
「あるかなあ」
俊夫は立ち上がり階段の下の物入れを探した。俊夫と書かれたダンボール箱を開けると、アルバムに収まりきれなかった写真の上に、玩具に混じって笛が入っていた。洋子手製の絹の入れ物から先が少しはみ出していた。
「あったあった、少し離れたところから聞いたほうがいいから、上手く吹けるかなあ六年ぶりだからなあ」
俊夫は縁側からつっかけを履いて裏庭に出た。賢治宅とのボーダーラインであるコケの生えたブロック塀の前に立った。小気味のいい太鼓が響いている。守屋が子供達の指導を兼ねて叩いているのだ。酒屋の商売も不景気だというのに地元の活動には惜しまず参加している。その守屋の太鼓に合せるように俊夫が吹き始めた。
てんてん、てんつく、てん、てん、ててんつく、てんてん、
ひゃーり、ひゃーりらり、ひゃりらひゃりら、ひゃありーら
てんてん、てんつくてん、ててん、てん、てん、
俊夫の笛が舞台の守屋に届いた。長年一緒の舞台で演奏した仲間の音色をお互いが忘れない。
てんてん、てんつくてん、ひゃーり、ひゃーりら
互いが意識して合奏を楽しんでいる。
「重太郎さん、よろしくお願いします」
「何言っているんだよ、私の方こそだ。君のために生涯を捧げる」
ひゃーりら。
(十二)
「おい、賢治が務所に行くことになったの知ってるか?」
内田が、ヨークシャーテリアに刺身をちぎって与えている妻の里美に言った。
「あんまり生物食わせるなって、朝方、顔舐められると生臭くて吐きそうになるんだよ」
「おまえに言われたくないでちゅよねー、臭いの我慢して舐めてやってるこっちの身にもなってくだちゃいよねー」
里美が犬に成り代わり赤ちゃん言葉で言った。
「ふざけんじゃねえよ、毎日歯ー磨いてるし、コロンつけてるから汗かいたって臭くねえよ」
「みんな我慢してんのよ、わかんないの?、あんたは歯が臭いって言うより内臓から込み上げてくるのよ。あれ止めたらどう、朝起き掛けのプロテインと煮干をミキサーで混ぜて飲むの、あの不気味な色した液体が体中に回って消化吸収されない腐敗物だけが息として吐き出されているのよ、ねージロちゃん」
「おまえっ、汚ったねえなあ、口移しでやるんじゃねえよ、それにそんなに刺身やったら腹壊すっつんだよ。おめえみていにゲテモノ喰いじゃないの、血統証つきの犬なの。元々はヨーロッパの犬だよ、中トロ食わせてどうすんだよ、それにおめえよう、よく醤油もつけねえで口に入れてちぎれるじゃん、ああ気持ち悪い」
「これ三崎から送ってもらったのよ、新鮮生マグロ、あんたみたいに醤油ドボドボ、わさびドバドバで、セメントみたいなたれを、刺身の両面に擦り付けて食べたら味なんかわからないでしょう、スーパーの安い筋だらけのマグロでたくさんだわ」
里美を応援するかのように内田に向かって犬が吠えた。
「うるせいこのやろう、おまえなんか喰っちゃうぞうって、そうかそうかパパの方がいいのかようしようし、これか、これが食いたいのか?」
それなりに犬は気を遣い、里美から離れ内田に飛びついた。内田は犬を抱え上げ、刺し身を橋で割いてその一辺にたれをつけて与えようとした。
「ジロ、おいで、そんなの食ったら死んじゃうよ。ほらおいでおいで」
「あっ、このやろう、特性のたれつけてやったのによう、もうおまえなんか遊んでやんない」
「で、ほんとなの、賢治が刑務所行くって、酔っぱらい運転で?まったくしょうがないわねえ、世津子がかわいそうよ、どれくらい行くの?」
「半年だって、まあ一月ぐらいは早まるだろうけどな、正月に間に合うかどうか、おまえ賢治がいない間、世津子や子供達かわいがってやれや、あいつのことだから貯えもねえだろうし、今すぐじゃねえけど年末になって生活費苦しいような素振りみせたらなんとかしてやれ。ああそれからなあ、大には言うんじゃねえぞ、俺達から情報が漏れたりすると親友ってのは悲しくなるもんだ。拓から話があるだろうから構わないでほっとけよ」
内田は刺身をおかずにフランスパンに齧り付いている。根っからの下戸で甘いものに目がない。
「ほんと気持ち悪い、あんたの食事、考えられない」
「何がだよ、フランスパンにマグロの刺身がよう、フランス人は魚料理食うだろう。ボンジュール」
「何しろ汚いの、パンツ一丁で醜い腹出して、室温二十二度なのに汗かいて、箸で刺身つまんで、それが口の中に残っているうちにパンに齧りついて、うわーっ汚い。またそれを流し込むのにトマトジュースで」
「いいじゃねえかよパン好きなんだからよ。それにトマトは身体にいいの、血圧にいいんだよ」
「賢治は酒止めた方がいいけど、あんたは少し飲んだ方がいいんじゃない。ドーナツやあんぱんを朝から五つも六つも食べるより、ビールでも飲んだ方がよっぽど身体にはいいわよ。それに鳶の頭のくせにカッコつかないじゃない、佐藤が言ってたわよ、一昨日の上棟式で、頭は鳥のから揚げとポンジュースで盛り上がっていたって」
「ポンジュース飲むと声がよく出るんだよ。木遣唸ったら施主が大喜びしてたぞ。あんなぺらぺらのベニヤハウスで木遣なんかもったいねえけどよ、不動産屋の社長に手を合せられたから仕方なく唸ってやったんだ。しかしベニヤ板だぞ、ベニヤ板、あんな家を買ってよう、若い夫婦だったけどママゴトでもやろうっていうのかねえ。蹴っ飛ばしたらぶち壊れちゃうぞ、騙されて四千万も出してよう。アクタスの井上ニッコニッコしてやがんの」
「あんただってその片棒担いでんじゃない。その夫婦がかわいそうだと思ったら手を引けばいいのよ」
「それがそうはいかねえんだ、先に金貰っちゃってるし、基礎やってるときに井上が、『ここの施主は建築にはまったくの素人ですから、手を抜いても構いませんよ、五年も持てば上等ですよ、金に不自由している家系じゃありませんから、壊れたらまた改修工事で儲けましょう』って、さすが営業だなあ、俺達みたいにその場限りじゃなくて、しっかりと将来のことも見据えているんだなあ」
「なに感心してんのよ、そんな仕事していると鳶内田組も三代目で終わりね、死んだおじいちゃんが言ってたでしょ、『みっともねえことだけはすんな、食えなくなったらいつでもこんな看板下ろしてかわまねえから』って、不動産屋の片棒担いでインチキやってるあんたなんて最低よ」
里美は内田が手抜き工事をしているのが我慢ならなかった。常人とずれた価値観を押し通す強引な男であるが、嘘や誤魔化しをする男ではなかったはずである。
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