やっちん先生

壺の蓋政五郎

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やっちん先生 24

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「校長先生にスイカ食べていただきましたか?」
 おふくろがホースで植木に水をやっていった。薄緑の楓の葉から滴り落ちる水滴に池の鯉が餌と勘違いして群がってきた。
「ああ、美味そうに食ってた」
「そう、それは良かったわ」
 ありのままを説明するのが面倒くさくて俺は嘘をついた。この町で校長を悪くいうひとはいない。明るく、やさしく、笑みを絶やすことなく、通学路で擦れ違う人には誰にでも声をかけ挨拶をしている。うちのおふくろも校長のファンのひとりで、うちの畑で収穫した野菜を俺に持たせる。
「ビール飲むぞ」
「一本だけよ、黒ラベルはだめよ、おとうさんの分なんですから」
 俺は冷蔵庫の前で黒ラベルを一気に煽った。もう一本出そうとしたとき聞き覚えのあるクラクションが数回聞こえた。
「やすおー、徹平くーん」
 俺は黒ラベルとモルツと書かれた発泡酒とを一本ずつ取り出してうちを飛び出した。助手席に座ると徹平は「サンキュー」と言って俺の手から黒ラベルを掴み取り車を発車させた。大嫌いなモルトの香りが口の中一杯に広がった。ちきしょう、黒ラベル二本持ってくればよかった。
「どうした?モルツの発泡酒嫌いか?贅沢言うなこの税金泥棒。柳の下にぼーっと突っ立ていたって幽霊には見えねえんだよ」
 しっかりと見られていた。
「何のようだ、似合わねえジーパンなんか穿いちゃって、それに腰に巻いてるその見慣れねえズタ袋はなにもんだ?」
「これか、これ知らねえのか、だから女っ気のねえ野郎は嫌だってんだよ。ポシェットてんだ覚えとけ、俺の前だからいいけど他所なら一生笑い者にされるぞ。昨夜な、サラが夜なべして作ってくれたんだ、ほらカマ店のジーパン屋知ってんだろ、おめえもあそこで買ってんだろう。あれっ、それおまえ、俺のと同じやつじゃねえか、まねしやがって」
 足元を見ると靴も同じで色違いのを履いている。
「まあいいさ、ちっぽけな街にそうそう気の利いたショップがあるわけねえしな、カマ店がな、頭にはこのジーンズとこの靴底が薄くて踝丸出しのデッキシューズがぴったりだって言うもんだからよ。まあまんざら外れちゃあいねえけどな。靴二足とパンツ三枚で十万近く取られちゃったよ」
「コーヒー飲んだか?」
「よく知ってんな、隣にオープンした喫茶店からアイスコーヒーまで注文されてよ、抜け目のねえ野郎だ、野郎じゃねえなあれ」
 カマ店は俺への煽て文句そのままを徹平にもしていた。
「ところで俺をどこまで連れて行くんだ?貴重なプライベートな時間をよう」「どうせうちにいたって酒喰らって、歯もろくすっぽ磨きもしねえでぐっしょりと汗の染み込んだ重い布団にうなされて寝るだけじゃねえか、だからたまには外で飯でも食わせてやろうってサラの算段だ。有難く思え」
「サラさんだいぶ良くなってきたみたいだな、おめえの献身的な態度がそうさせたんだろう」
「俺は何もしちゃいねえよ、ただ信じる神様に一日中お祈りしてんだ、何かいい知恵でも授けてくんなきゃ。そうでなきゃ勾配のきつい屋根に上っていって十字架逆さまにしちゃうよ俺は」
 まだ労働者の帰宅時間にはいくらか早いせいか、鎌倉街道は比較的すいていた。
「ジョセフ神父には会ってるのかおまえ?」
「ああ、今日神父も招待している」
 ジョセフ神父にはエバの葬儀以来会っていなかった。エバの死に一番衝撃を受けたのは校長と神父だろう。どちらも大きな愛で包み込む立場でいたのに彼女の出したシグナルを見逃したのを悔いているのだ。『仕方ない』と慰める人も多いが、責任感の強い男にそれは通じない。俺みたいに掻き回すだけ掻き回しておいても責任の分担を求めてくる奴がひとりもいないのは、俺の人間としての力不足をわかっているからだ、情けない。
「教会まで迎えに行くのかこれで?」
「そうもいかねだろうと思って神父の滞在しているホテルで待ち合わせしている。そうだなあ、どっかに車ぶん投げて行ったほうがいいなあ」
  徹平はワシントンホテルの斜向かいにある中学校の校庭に面した道路の歩道に乗り上げて車を停めた。ホテルのロビーに行くと二人はこっちに気付き、サラマリアさんが手を振った。二、三日前に駐車場で見た彼女とは別人のような笑みを浮かべていた。ジョセフ神父はジーパンに黒いTシャツ、それにベージュのロングコートを羽織っている。
「なんだよ三人ともジーパンじゃねえか、サラ、誰が一番よく似合うかな?悪い質問しちゃったかな、はっきりと言えないよなあ」
「あれ、お揃いのポシェットじゃありませんか、お似合いですねえ」
 神父が大袈裟に冷やかした。
「これかい、これはジーパンの余った裾でサラが作ってくれたんだ。こいつはマニラで縫製の仕事していたからこういうことは得意なんだな。自分の着なくなった服からジッパーを外したりベルトを差し込んだりして上手く作るもんだよなあ、でもサラ、眠いでしょう、夜なべで作ったから」
「ダイジョブ」
「そうかダイジョブですか、母さんが~よなべ~をして~って歌はフィリピンから来たんじゃないのか?そんなことないよな、サラはよく笑うねえ、冗談を言う張り合いがあるってもんだ、こいつなんか明日の朝になんなきゃわからないよ」
 カマ店が言ってた常連のチンチクリンは徹平だった。五十センチ切り取った裾でサラマリアさんがお揃いのポシャットを作ったんだ。しかしサラマリアさんはパンツとシャツの着こなしもよく、その上天性のスタイルのよさに美人ときてるからどこに何を付けても似合っているが、徹平にはかなり無理がある。ざっくりと切られたジーパンは太ももまで垂れ下がったTシャツのせいで視界に入る部分は片側40センチぐらいだ。そのTシャツの上からよそ行きの半纏を纏っている。馬券売り場の両外のお兄さんにこの手がいそうだ。
「徹平、暑くないか、半纏車に置いてきたらどうだ」
「ばかやろう、いくら暑くたって看板外して表を歩くわけにはいかねえんだよ。俺が通った軌跡の全てに責任取るって心構えなんだ。おめえみてえな木っ端役人とは違うんだよ。それに神父だってむさっ苦しいコートを羽織ってんじゃねえか。なんで俺にだけ言うんだよ」
「おまえ、ジョセフ神父にむさっ苦しいはねえだろう」
「気にしない気にしない。お二人の会話を聞いていると面白いですねえ。漫才でもやったらいかがですか、売れますよきっと。それに私は徹平さんの半纏すごくよいと思います。日本人の粋とか感じますね、すばらしいです」
 すばらしいのは神父、あなたの巧みな話術ですよ。俺達一行は伊勢崎モールを抜けて細い路地に入った。
「この店はおじいさんの代から利用している、品数は少ないけど味は絶品だ」 
 暖簾をくぐるとベテランの板前が大根をかつら剥きにして刺身のつまを用意している。
「いらっしゃいませ頭、ご用意しております」
 女将が奥まった席に案内してくれた。造りは古いが整理整頓の行き届いた店内は客を安心させるだろう。
「女将、適当に出してくれ、ビール三本とその後は冷酒だな、それも適当に頼むよ」
 サラマリアさんがタガログ語でジョセフ神父と話している。徹平が何、今なんて言ったのサラ、としつこく尋ねるたびにたどたどしい日本語でサラマリアさんは説明していた。
「料理のこと話してました。サラマリアさんは刺身以外の魚料理は問題ないと、私ですか、刺身、酢の物、いかの塩辛までなんでもござれ」
「へえっ神父さんはなんでもいける口なんですねえ、サラ、見習わなければだめだよ、お腹の子の為にも好き嫌いはよくない」
「あら、頭のいいひとですかこちらの美人は」
 天麩羅の盛り合わせを運んできた女将が聞いた。
「ああ、直に所帯を持つ、女将も招待するから是非来てくれ」
 一瞬だがサラマリアさんの顔が翳ったのは錯覚だろうか、俺の不安顔をジョセフ神父は見逃さず、なにかを語りかけるような視線で俺を見つめている。「ええそりゃもう、招待されなくたってでしゃばって行きますよ」
 女将はそれっきり姿を見せなかったが若い仲居が次々に料理を運んでは、空いたグラスや碗をさげていった。俺は、徹平がサラマリアさんの回復の嬉しさから、酒のペースをあげていたので逆にセーブして、料理を食うことに専念した。酔うと腹にあることを全て吐き出してしまうという俺の酒癖から、彼らのこの旅立ちの門出に水を注すことだけは絶対にしてはいけないと思ったからだ。
「どうですか徹平さん、サラマリアさんとお二人で僕の部屋で休んでいかれたら?私はやっちん先生と、もてない同士飲み歩きたくなったものですから」「そうだそうしろ徹平、あのポンコツはサラマリアさんちの前の駐車場にぶん投げておくから、サラマリアさん、こんなチンチクリンだけど宜しくお願いします」
 徹平はろれつが回らないまでに日本酒が効いてきていた。
やかましく何か言っているがさっぱりわからない。サラマリアさんには通じるのか「ダイジョブ、ダイジョブ」とおでこを撫でられては口を尖がらせている。ジョセフ神父が勘定を払おうとすると女将が手を振って拒んだ。
「それを戴くとあたしが後で叱られますから、それより頭をお願いします」
 そう言って深く一礼して見送ってくれた。俺とジョセフ神父で徹平を抱えて歩いた。通りすがる若い連中に指を差しては奇声を発っする徹平の後始末を、サラマリアさんが「ゴメナサイ」と怒鳴られた若者にやさしく詫びている。それだけでは気分の収まらない威勢のいいチンピラ気取りは精一杯顔を捩じって怒りを露にするが、両脇で抱えている二人の大男が盾になっているせいか声で表現するのを控えている。
 徹平をホテルのベッドに横にすると奇声一発鼾と変わった。サラマリアさんを教会に送り、仕事に戻り、夕方また迎えに行く、襲ってくる睡魔に堪え一晩中彼女を見守る。そんな生活が続いていたので彼女の元気な笑顔に緊張が解け、そこにアルコールが入ったのだから疲れが一気に出たのだろう。神父がサラマリアさんにタガログ語で話しかけた。サラマリアさんは大きく頷き俺に頭を下げた。
「あの二人には幸せになってもらいたい、絶対に」
 俺の語り掛けに神父は答えなかった。
「先生、大丈夫ですか運転?」
「ええ問題ありません、ビール二本と冷酒を二合だけですから、もしどっかに突っ込んでも神父と一緒なら天国に行けるでしょう」
「あまいあまい」
 乗り上げた歩道からタイヤが外れたとき二人とも天井に頭をぶつけた。
俺は日本語で、ジョセフ神父は英語で、このポンコツに罵声を浴びせた。鎌倉街道を海岸へ向かう暴走族の集団がさまざまなホーンを鳴らして俺の運転するチビ助を威嚇していく。仕方なく車道を彼等に譲って側道を徐行する。抑え切れない鬱憤と先の見えない欲望を求めて江ノ島海岸の駐車場に集合する彼等も、いずれは女房子供を守るために側道を徐行するようになる。
「何を求めているのでしょうねえ、私の国ではあの年代で自家用車を持つことなど出来ません。家族のために海外に出稼ぎに行くか、軍隊に入るか、反政府組織の武装集団に入るか、どちらにしても家族のためと自身がその日の飢えを凌ぐ手段です。そうそう、いつだったかやっちん先生にご馳走していただいたおでん屋さんにいた青年、彼は私の国の若者と同じにおいがしました」
 神父はあの危険なさぶろーに故郷を感じているのだろうか。
「この前は不愉快な思いをさせてすいませんでした、ですがもう一度付き合ってくれませんか」
 ジョセフ神父は苦笑いして頷いた。砂利の駐車場に入り、階段のすぐ下に車を停めた。こんなポンコツに盗難の心配はないだろうが、一応サラマリアさん宅の郵便ポストにキー投げ込んでおいた。
「やっちん先生、あなたにも黙っていようと思っていましたが、やはり伝えておくべきでしょうねえ」
 神父はそれとなく俺に判断を仰いでいる口調だった。
「大概のことには驚きませんよ、この一月で相当タフになりました。なんでも言ってください」
「そうですか、それで私も安心して伝えることができます。サラマリアさんが明後日帰国します」
「えっ、あっ徹平との結婚を前提にした交際を親戚や友人に報告に行くとか?」
「そうじゃありません、フィリピンに帰り、ご両親と生まれてくる子供と生活するそうです」
「ほんとですか?徹平もよく決断したなあ、佐藤組どうすんのかなあ、まあ先代も元気だし、そうそう妹が婿とれば問題ないしそれもいいなあ、仕事より愛が優ったわけだ」
「そうではなくてひとりで戻るそうです」
「誰が?」
「サラマリアさんがひとりで帰国してご両親と暮らすそうです。徹平さんには内緒のまま帰国します。彼女は相当悩んでいました。死まで覚悟していたようですが毎日神に縋っているうちに、自分を生んで育ててくれた両親と、生まれてくる子供のために自分の生涯をかけるのが償いであると、彼女が考えに考え抜いた結論です」
 赤信号がジョセフ神父を赤く染めている。青く染まった神父は俺より先に交差点を歩き出した。
 
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