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やっちん先生 22
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「友達にも見捨てられたか小使い先生?もっとも鎌投げて遊んでるやつとじゃ友達になりたくねえよな」
「ああ、あんたの言うとおりだ。友達はひとりしかいないし女運にも恵まれていない。しかしあんたはあの山田によく似ているいるなあ、ドブ臭い口臭には吐き気がするぜ、今度ドブで見つけたらこの鎌で退治してやろうか」
色付きメガネがシャーペンをノートに突き立て俺に飛びかかってきた。俺のリーチが長くカウンター気味にやつの顔面にヒットした。よろけた身体を突き飛ばすと背中からコンクリートの壁にぶつかり呻き声をあげた。
「てめえぶちこんでやるぞ、横田、このやろう公務執行妨害で逮捕しろ」
飛びかかろうとしたら横田にしがみつかれた。
「やめないか徳田さん、これ以上暴れると本当に帰れなくなりますよ。迫田さん、さっきからあなたの態度はやくざ以下ですよ。徳田さんは協力者であって犯人ではありません。これ以上挑発的な態度を取るならば上に報告しますよ」
迫田と呼ばれた横田の先輩は机を蹴り倒し取調室を出ていった。
「徳田さん、困らせないでくださいよ。あんな奴の挑発に乗らないでください」
横田が俺に縋るように言った。
「すぐに乗っちゃうからここに呼ばれて来ているんです。気持ちを抑えられる性格だったらこんな危ない事件に巻き込まれてなんかいませんよ。今度あいつがちょっかい出したら手足をもぎ取ってやりますよ」
「しょうがねえなあ、今晩はお引き取りください。鳶の頭に連絡して山田さん宅でお話し伺いますから」
「あいつは俺より数段手強いですよ。なにしろ公務員を徹底的に嫌っていますから、あいつが市役所に顔を出すと職員たちが忙しそうに動き回るくらいですから」
「うわっ、でもしょうがない。早いとこ決まりつけてしまわないとそれこそ税金の無駄遣いですから」
横田はうんざりした顔で転がったノートとシャーペンを拾い、机を起こした。
「横田さん、ところでどうして俺から事情聴取したんですか?どうも腑に落ちない、そりゃあやり過ぎの面は多々あるし、教育もしっかり受けていないから言動も行動も自制できない。それにしても俺が犯罪者扱いされる道理はないと思うんですけど、いや横田さんにそういう意識はなくてもさっきのサングラスの態度は明らかじゃないですか。奴の挑発は偶然じゃなくて始めから計算していたんじゃないですか、俺が署に顔だしたときから」
「それは徳田さんの考えすぎですよ。でも別の事件との関連を模索したのは確かです。つい先日の深夜に韓国人男性が刺殺されました。ご存知かと思いますが鋭利な刃物で後ろから二突きされてドブに蹴り落とされたものと鑑識結果が出ています」
「ええ知っていますよ。それでその犯人が俺だと警察は疑っているんですか?」
「あなたが容疑者だなんて我々は考えていません。刺傷も徳田さんの飛び道具とは一致しませんでしたし、ただ警察は疑問のひとつひとつを消去方で、裏を取って消していく作業をしていかなければなりません。わかってください」
横田は俺が大事にしている先祖伝来の鎌を飛び道具だなんてぬかしやがった。先輩が刺された鋭利な刃物や山田が振りかざして襲いかかってきたサバイバルナイフと同類と考えている。
「それでどうなんです、俺の疑いは晴れたんですか?」
「そんな言い方しないでくださいよ、僕だって辛いんですから。さあ、母上が心配していますよ」
階段を降りると受付に近いところに迫田がふんぞり返って座っていた。
「またどうぞ」
灰色の息を吐きながら俺を挑発した。少し赤くなっている右の頬を指差して「今度は左か」と左頬に指を差し替え笑ってやった。ばたばたと迫田が椅子から立ち上がる音がしたが既に後ろから横田に押されるように外に出ていた。外の空気は生暖かくて吸い込みにくいが署内の腐臭よりはまだましだ。
「ところで横田さん、山田が殺害したんじゃなかったんですか例の韓国人?」
つけ始めのエアコンから発っされたかび臭さが車内に蔓延した。横田も俺もたまらず窓を全開にした。
「山田のサバイバルナイフも殺害された韓国人男性の刺傷と異なっていました」
「でも別の道具を使って殺した可能性もあるでしょう、サラマリアさん達を襲ったあのナイフじゃなかったからって奴じゃないって決められないでしょ」
かび臭さは車外に放り出され、エアコンの正常な冷風がコールテンのズボンの裾から進入してきた。
「確かに、徳田さんの予想も一理あります、でも山田にはアリバイがあります。事件が起きた時刻、奴はカプセルホテルに閉じ篭っていました、複数のホテル関係者からの聞き込みをして裏も取れています、間違いないでしょう」
俺はショックでした。先輩を殺ったのは山田と決めつけていた俺には横田の言ったことをそのまま素直に受け入れられませんでした。
「でも深夜にホテルを抜け出して犯行に及んだってことは考えられませんか?ホテルの従業員だって一晩中あいつを監視していたわけじゃないでしょう」「犯行推定時間は深夜二時頃です。ホテルを抜け出し、犯行に及んですぐその足でホテルに戻るには物理的に不可能なんです」
「どうして?やる気になれば一時間もあればできそうだけど」
「山田の利用していたホテルをご存知ですか?上野です。それに犯行時刻に奴はホテルの売店でカップラーメンをすすりながら缶ビールを飲んでいたそうです。そのとき中年の女性従業員をからかっていました」
山田の利用していたホテルが上野だったとは思いませんでした。てっきり近くに潜んでいたのだと思っていました。でもよし乃はあの晩山田が店に来て先輩と視線を交わしたと言っていたから大船にいたのは間違いない。しかし警察の調べではホテルに閉じ篭っていたと裏付けられている、ということはサラマリアさんの様子伺いに立ち寄っただけなのか。
「徳田さんは殺害された男性とは飲み仲間だったらしいですね、飲み仲間って中々いませんよね、寂しいでしょう」
警察は俺と先輩の関係を知っていた。
「きれいな女将さんですよね、店も手入れが行き届いていて安心して料理もいただけますよね。さあ着きましたよ、どうも不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。事件に進展があれば連絡しますから、そのときはまた協力してください。これお返ししておきます。無茶しないように」
「あいけねえ、チャリンコ忘れた、明日取りに行きます」
暫く横田の車を見送った。俺は正義の味方を気取っていたが一容疑者にすぎないのだ。玄関の灯りが点いている、俺が遅い晩は躓いて転ばないようにとおふくろの気配りだ。うちの借家で暮らす年寄り夫婦が飼っている黒猫が俺の足に絡みついた。蹴落とされた俺を見ちゃいられなくて慰めてくれているのかもしれない。爪先で腹を軽く蹴飛ばしたら毛を逆立てて闇に紛れた。
「このネックレスのチェーンを長くして欲しいんだけど」
雄二から預かったエバの十字架を、この街では古い、時計及び装飾品を扱っている店主の愛想のないおじいさんに差し出した。
「おまえさんは徳田さんとこのぼっちゃんだね」
うちでは大きなものから腕時計まで昔からこの店を利用している。うちを立て直したときも柱時計の取り付けまでしてくれた。しかしいくら客だからといって愛想を振りまいたり、チラシや広告を出したりしない。この男の腕とセンスだけを信じて来店する客のみが食い扶持だ。塵ひとつ見当たらない狭い空間は精密機械にとって天国だろう。小学二年生のときおふくろに連れられて来てからほとんど変わっていない店内。
『結婚指輪なんですけど少し小さくなってしまって、直して欲しいのですけどお願い出来るでしょうか?』
『あんた徳田さんとこの若奥さんだね、悪いけど指輪は小さくならない、指はいくらでも太くなるけどね。少し時間がかかるけどそこにおいていきなさい。二週間後に一度寄ってみてください』
おふくろの指を見つめて店主は言った。その日おふくろの気分がすぐれないのは晩飯のおかずにぶつけられた。
『今日かあさんに何かあったのか?』
おやじがそれとなく俺に探った。
『時計屋のおじさんがデブだって』
「おまえさん結婚したのかね?それとも交際中の女性のためにかい?だったらチェーンを取り替えた方がいいよ、直にメッキがはがれて汚くなってしまう、神様をぶら下げるには気の毒だ」
「俺のものじゃないんです。俺の後輩が彼女から貰ったものなんですけど、そいつは俺よりでかくて首周りも太い化け物みたいな奴なんです。そいつの首にその十字架が喰い込んでいたんで、誕生日祝いに直してやろうと思って来たんです」
「二週間後にまた寄りなさい、本物のシルバーにしておこう」
本物のシルバーがどれくらいの値段なのか装飾品に疎い俺には想像もつかなかったがまあしょうがない。
時計屋を出てジーパン屋に向かった。ジーパン屋のウインドウ越しに店内を窺うとレジの椅子に座ったカマ店がおいでおいでをしている。
「ワオッ、いまどきサーファーだって穿いてないわよコーディロイ、それもつんつるてん」
嫌な野郎だ。
「ジーパンある?三本くれ」
「なによそれ、色々あるから試着してみなさいよ。手伝ってあげるからイッヒッヒ」
耳を劈くカマ店の不気味な笑い声に耐えながら店内を一周して一本を取り出し差し出した。
「これでいい。これ三本、いくら?」
「穿いてみて、悪いこと言わないから穿いてみなさいよ、手作りだから微妙にサイズや穿き心地が違うから」
俺が差し出したジーパンを左の二の腕にかけて更衣室のカーテンを開け広げた。
「穿き替えたら声かけてね、裾寸法合わせるから。イッヒッヒ」
カーテンを強く締めても不気味な笑い声は遮れない。コールテンのズボンを脱ぐと脚がすっとした、やっぱり夏場に穿くもんじゃない。新しいジーパンが太ももを擦る、ひんやりとした快感が走る、やっぱりこれだ。カーテンを開けると閉めたときと全く変わらぬ姿勢でカマ店が立っていた。俺の腰を今にも喰いつきそうな目で見つめている。
「ぴったりね、本場のこのシリーズを、裾をカットしないで合う人はここのお客さんではあなたひとりよ。ウェストから踝までのラインが見事に出されて綺麗だわ。昨日来たお客さんも常連なんだけどチンチクリンで五十センチも裾をカットしたのよ、これと同じやつを、半ズボンに端切れを足した方がずっと早いわ」
「お世辞はいいよ、これくれ、三本」
「シューズは?」
さすが商売人だ、おふくろに捨てられてしまったからしかたなく学校で仕事用に使っているスニーカーを履いてきたが、その踵が捲れているのをしっかりと見ていた。靴の種類は少ないが俺好みのものが何足かウィンドウに飾られている。
「これじゃ冴えないわよ」
俺の靴をゴミみたいにつまんでぶらぶら振っている。
「ちょっと待ってて」
カマ店はレジの脇にある棚から箱を下ろし、俺の前で開けてまっさらの靴を取り出した。
「これあなたにぴったり、あなたには底が薄くて、踝が隠れない、シンプルで通気性のいいものがいいわ。これ、これっきゃない。履いてみて」
カマ店が揃えた靴に足を差し込んだ。ぴったりと収まった。圧迫感は感じない。靴底が柔らかく薄いので裸足の感覚に近い。ピカピカに磨かれたフローリングに靴を滑らせてみたが吸盤のように吸い付いて身体がつんのめった。
「白は嫌だな」
「ブラウンとレッドがあるわよ」
「じゃあ両方くれ」
「パンツはこれしか在庫がないの、一週間以内に取り寄せるから」
「このまま帰ってもいいかな、そのズボンと靴捨てちゃってくんないかな」「靴は捨てるけど、コーディロイのパンツはもったいないわよ、裾の返しに余裕があるから直してあげるわサービスで」
「いくら?」
カマ店はポパイのシールが貼ってある古いレジをガチャガチャと打ち込んだ。
「九万六千七百円、カード?」
値段を確かめてから買えばよかった。おふくろから借りた十万しか持って来ていないし、カードはおふくろに管理されていて携帯していない。
「靴止めようかな、金はあるんだけどそれもまだ履けるし」
「いいわよあるときで、何回払いでもいいから都合のいいときに入れてくれれば」
「いや金はあるんだって、じゃあこうしよう取り合えず今日五万、残りを一週間後」
「いいわよ、ねえアイスコーヒーでも飲む、隣にオープンしたお店、結構美味しいのよ、持ってきてくれるし」
「残念だなあ、これから用事あるんだ、今度ごちそうになるよ」
「そう、恥ずかしいの?二人っきりのコーヒータイム?」
「そうじゃないけどほんとに用事があるんだ。ところで靴なんだけど赤を履いていくよ。レコが好きなんだ赤、燃えるらしい」
「ふん」
カマ店の店を出ると陽はすっかり沈んでいた。振り向くと例のごとく胸の高さで両手を小さく振って見送ってくれた。それを見ていた女子高生が黄色い声をあげて笑っている。カマ店は「ふーんだ」と顎を突き出し店の中に戻った。モノレールがグオーと音を立てて朽ちかけたビルの陰から滑り込んできた。
「ああ、あんたの言うとおりだ。友達はひとりしかいないし女運にも恵まれていない。しかしあんたはあの山田によく似ているいるなあ、ドブ臭い口臭には吐き気がするぜ、今度ドブで見つけたらこの鎌で退治してやろうか」
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「てめえぶちこんでやるぞ、横田、このやろう公務執行妨害で逮捕しろ」
飛びかかろうとしたら横田にしがみつかれた。
「やめないか徳田さん、これ以上暴れると本当に帰れなくなりますよ。迫田さん、さっきからあなたの態度はやくざ以下ですよ。徳田さんは協力者であって犯人ではありません。これ以上挑発的な態度を取るならば上に報告しますよ」
迫田と呼ばれた横田の先輩は机を蹴り倒し取調室を出ていった。
「徳田さん、困らせないでくださいよ。あんな奴の挑発に乗らないでください」
横田が俺に縋るように言った。
「すぐに乗っちゃうからここに呼ばれて来ているんです。気持ちを抑えられる性格だったらこんな危ない事件に巻き込まれてなんかいませんよ。今度あいつがちょっかい出したら手足をもぎ取ってやりますよ」
「しょうがねえなあ、今晩はお引き取りください。鳶の頭に連絡して山田さん宅でお話し伺いますから」
「あいつは俺より数段手強いですよ。なにしろ公務員を徹底的に嫌っていますから、あいつが市役所に顔を出すと職員たちが忙しそうに動き回るくらいですから」
「うわっ、でもしょうがない。早いとこ決まりつけてしまわないとそれこそ税金の無駄遣いですから」
横田はうんざりした顔で転がったノートとシャーペンを拾い、机を起こした。
「横田さん、ところでどうして俺から事情聴取したんですか?どうも腑に落ちない、そりゃあやり過ぎの面は多々あるし、教育もしっかり受けていないから言動も行動も自制できない。それにしても俺が犯罪者扱いされる道理はないと思うんですけど、いや横田さんにそういう意識はなくてもさっきのサングラスの態度は明らかじゃないですか。奴の挑発は偶然じゃなくて始めから計算していたんじゃないですか、俺が署に顔だしたときから」
「それは徳田さんの考えすぎですよ。でも別の事件との関連を模索したのは確かです。つい先日の深夜に韓国人男性が刺殺されました。ご存知かと思いますが鋭利な刃物で後ろから二突きされてドブに蹴り落とされたものと鑑識結果が出ています」
「ええ知っていますよ。それでその犯人が俺だと警察は疑っているんですか?」
「あなたが容疑者だなんて我々は考えていません。刺傷も徳田さんの飛び道具とは一致しませんでしたし、ただ警察は疑問のひとつひとつを消去方で、裏を取って消していく作業をしていかなければなりません。わかってください」
横田は俺が大事にしている先祖伝来の鎌を飛び道具だなんてぬかしやがった。先輩が刺された鋭利な刃物や山田が振りかざして襲いかかってきたサバイバルナイフと同類と考えている。
「それでどうなんです、俺の疑いは晴れたんですか?」
「そんな言い方しないでくださいよ、僕だって辛いんですから。さあ、母上が心配していますよ」
階段を降りると受付に近いところに迫田がふんぞり返って座っていた。
「またどうぞ」
灰色の息を吐きながら俺を挑発した。少し赤くなっている右の頬を指差して「今度は左か」と左頬に指を差し替え笑ってやった。ばたばたと迫田が椅子から立ち上がる音がしたが既に後ろから横田に押されるように外に出ていた。外の空気は生暖かくて吸い込みにくいが署内の腐臭よりはまだましだ。
「ところで横田さん、山田が殺害したんじゃなかったんですか例の韓国人?」
つけ始めのエアコンから発っされたかび臭さが車内に蔓延した。横田も俺もたまらず窓を全開にした。
「山田のサバイバルナイフも殺害された韓国人男性の刺傷と異なっていました」
「でも別の道具を使って殺した可能性もあるでしょう、サラマリアさん達を襲ったあのナイフじゃなかったからって奴じゃないって決められないでしょ」
かび臭さは車外に放り出され、エアコンの正常な冷風がコールテンのズボンの裾から進入してきた。
「確かに、徳田さんの予想も一理あります、でも山田にはアリバイがあります。事件が起きた時刻、奴はカプセルホテルに閉じ篭っていました、複数のホテル関係者からの聞き込みをして裏も取れています、間違いないでしょう」
俺はショックでした。先輩を殺ったのは山田と決めつけていた俺には横田の言ったことをそのまま素直に受け入れられませんでした。
「でも深夜にホテルを抜け出して犯行に及んだってことは考えられませんか?ホテルの従業員だって一晩中あいつを監視していたわけじゃないでしょう」「犯行推定時間は深夜二時頃です。ホテルを抜け出し、犯行に及んですぐその足でホテルに戻るには物理的に不可能なんです」
「どうして?やる気になれば一時間もあればできそうだけど」
「山田の利用していたホテルをご存知ですか?上野です。それに犯行時刻に奴はホテルの売店でカップラーメンをすすりながら缶ビールを飲んでいたそうです。そのとき中年の女性従業員をからかっていました」
山田の利用していたホテルが上野だったとは思いませんでした。てっきり近くに潜んでいたのだと思っていました。でもよし乃はあの晩山田が店に来て先輩と視線を交わしたと言っていたから大船にいたのは間違いない。しかし警察の調べではホテルに閉じ篭っていたと裏付けられている、ということはサラマリアさんの様子伺いに立ち寄っただけなのか。
「徳田さんは殺害された男性とは飲み仲間だったらしいですね、飲み仲間って中々いませんよね、寂しいでしょう」
警察は俺と先輩の関係を知っていた。
「きれいな女将さんですよね、店も手入れが行き届いていて安心して料理もいただけますよね。さあ着きましたよ、どうも不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。事件に進展があれば連絡しますから、そのときはまた協力してください。これお返ししておきます。無茶しないように」
「あいけねえ、チャリンコ忘れた、明日取りに行きます」
暫く横田の車を見送った。俺は正義の味方を気取っていたが一容疑者にすぎないのだ。玄関の灯りが点いている、俺が遅い晩は躓いて転ばないようにとおふくろの気配りだ。うちの借家で暮らす年寄り夫婦が飼っている黒猫が俺の足に絡みついた。蹴落とされた俺を見ちゃいられなくて慰めてくれているのかもしれない。爪先で腹を軽く蹴飛ばしたら毛を逆立てて闇に紛れた。
「このネックレスのチェーンを長くして欲しいんだけど」
雄二から預かったエバの十字架を、この街では古い、時計及び装飾品を扱っている店主の愛想のないおじいさんに差し出した。
「おまえさんは徳田さんとこのぼっちゃんだね」
うちでは大きなものから腕時計まで昔からこの店を利用している。うちを立て直したときも柱時計の取り付けまでしてくれた。しかしいくら客だからといって愛想を振りまいたり、チラシや広告を出したりしない。この男の腕とセンスだけを信じて来店する客のみが食い扶持だ。塵ひとつ見当たらない狭い空間は精密機械にとって天国だろう。小学二年生のときおふくろに連れられて来てからほとんど変わっていない店内。
『結婚指輪なんですけど少し小さくなってしまって、直して欲しいのですけどお願い出来るでしょうか?』
『あんた徳田さんとこの若奥さんだね、悪いけど指輪は小さくならない、指はいくらでも太くなるけどね。少し時間がかかるけどそこにおいていきなさい。二週間後に一度寄ってみてください』
おふくろの指を見つめて店主は言った。その日おふくろの気分がすぐれないのは晩飯のおかずにぶつけられた。
『今日かあさんに何かあったのか?』
おやじがそれとなく俺に探った。
『時計屋のおじさんがデブだって』
「おまえさん結婚したのかね?それとも交際中の女性のためにかい?だったらチェーンを取り替えた方がいいよ、直にメッキがはがれて汚くなってしまう、神様をぶら下げるには気の毒だ」
「俺のものじゃないんです。俺の後輩が彼女から貰ったものなんですけど、そいつは俺よりでかくて首周りも太い化け物みたいな奴なんです。そいつの首にその十字架が喰い込んでいたんで、誕生日祝いに直してやろうと思って来たんです」
「二週間後にまた寄りなさい、本物のシルバーにしておこう」
本物のシルバーがどれくらいの値段なのか装飾品に疎い俺には想像もつかなかったがまあしょうがない。
時計屋を出てジーパン屋に向かった。ジーパン屋のウインドウ越しに店内を窺うとレジの椅子に座ったカマ店がおいでおいでをしている。
「ワオッ、いまどきサーファーだって穿いてないわよコーディロイ、それもつんつるてん」
嫌な野郎だ。
「ジーパンある?三本くれ」
「なによそれ、色々あるから試着してみなさいよ。手伝ってあげるからイッヒッヒ」
耳を劈くカマ店の不気味な笑い声に耐えながら店内を一周して一本を取り出し差し出した。
「これでいい。これ三本、いくら?」
「穿いてみて、悪いこと言わないから穿いてみなさいよ、手作りだから微妙にサイズや穿き心地が違うから」
俺が差し出したジーパンを左の二の腕にかけて更衣室のカーテンを開け広げた。
「穿き替えたら声かけてね、裾寸法合わせるから。イッヒッヒ」
カーテンを強く締めても不気味な笑い声は遮れない。コールテンのズボンを脱ぐと脚がすっとした、やっぱり夏場に穿くもんじゃない。新しいジーパンが太ももを擦る、ひんやりとした快感が走る、やっぱりこれだ。カーテンを開けると閉めたときと全く変わらぬ姿勢でカマ店が立っていた。俺の腰を今にも喰いつきそうな目で見つめている。
「ぴったりね、本場のこのシリーズを、裾をカットしないで合う人はここのお客さんではあなたひとりよ。ウェストから踝までのラインが見事に出されて綺麗だわ。昨日来たお客さんも常連なんだけどチンチクリンで五十センチも裾をカットしたのよ、これと同じやつを、半ズボンに端切れを足した方がずっと早いわ」
「お世辞はいいよ、これくれ、三本」
「シューズは?」
さすが商売人だ、おふくろに捨てられてしまったからしかたなく学校で仕事用に使っているスニーカーを履いてきたが、その踵が捲れているのをしっかりと見ていた。靴の種類は少ないが俺好みのものが何足かウィンドウに飾られている。
「これじゃ冴えないわよ」
俺の靴をゴミみたいにつまんでぶらぶら振っている。
「ちょっと待ってて」
カマ店はレジの脇にある棚から箱を下ろし、俺の前で開けてまっさらの靴を取り出した。
「これあなたにぴったり、あなたには底が薄くて、踝が隠れない、シンプルで通気性のいいものがいいわ。これ、これっきゃない。履いてみて」
カマ店が揃えた靴に足を差し込んだ。ぴったりと収まった。圧迫感は感じない。靴底が柔らかく薄いので裸足の感覚に近い。ピカピカに磨かれたフローリングに靴を滑らせてみたが吸盤のように吸い付いて身体がつんのめった。
「白は嫌だな」
「ブラウンとレッドがあるわよ」
「じゃあ両方くれ」
「パンツはこれしか在庫がないの、一週間以内に取り寄せるから」
「このまま帰ってもいいかな、そのズボンと靴捨てちゃってくんないかな」「靴は捨てるけど、コーディロイのパンツはもったいないわよ、裾の返しに余裕があるから直してあげるわサービスで」
「いくら?」
カマ店はポパイのシールが貼ってある古いレジをガチャガチャと打ち込んだ。
「九万六千七百円、カード?」
値段を確かめてから買えばよかった。おふくろから借りた十万しか持って来ていないし、カードはおふくろに管理されていて携帯していない。
「靴止めようかな、金はあるんだけどそれもまだ履けるし」
「いいわよあるときで、何回払いでもいいから都合のいいときに入れてくれれば」
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「いいわよ、ねえアイスコーヒーでも飲む、隣にオープンしたお店、結構美味しいのよ、持ってきてくれるし」
「残念だなあ、これから用事あるんだ、今度ごちそうになるよ」
「そう、恥ずかしいの?二人っきりのコーヒータイム?」
「そうじゃないけどほんとに用事があるんだ。ところで靴なんだけど赤を履いていくよ。レコが好きなんだ赤、燃えるらしい」
「ふん」
カマ店の店を出ると陽はすっかり沈んでいた。振り向くと例のごとく胸の高さで両手を小さく振って見送ってくれた。それを見ていた女子高生が黄色い声をあげて笑っている。カマ店は「ふーんだ」と顎を突き出し店の中に戻った。モノレールがグオーと音を立てて朽ちかけたビルの陰から滑り込んできた。
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