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やっちん先生 3
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「違うんだよ下痢でさ、昨夜から。ばあちゃんの作ったハンバーグ生っぽかったからたぶんそれが原因だと思うんだ、食ってるときにおかしいと感じたんだけどばあちゃん一生懸命作ったやつ食わねえわけにいかねえし」
「あたりめえだ、生食ったからって死にゃあしねえ、エスキモーなんか毎日トドの肉美味そうに生でかぶりついてるじゃねえか。ばあちゃんの作ったもんにけちつけたら俺が許さねえぞ。あっこのやろう、上から覗き込むなんてこの卑怯者」
「へっへっへ、見ちゃったもんねえ。そりゃあないんじゃないの。煙草はないでしょ。火の元とか防犯上というよりモラルの問題だよな。生徒が隠れて吸う方がまだ可愛いよ。大人がねえ、それも学校関係の公務員がねえ」
「おい雄二おまえいい奴だよなあ、口は堅いし、約束は絶対に守るし、それに女にやさしいときたもんだ。だから黙っててくんねえか。悪いけど」
雄二はうちの借家におばあさんと二人で暮らしている。18年前、このおばあさんと腹のでかい母親が越してきて、直に男の子を出産した。その子が今トイレの上から俺を覗き見た雄二である。母親は雄二を産んでから三ヶ月もしないうちに男と蒸発した。そんな母親だから父親は特定出来なかったらしい。それからおばあさんが父母兼用で育てて来た。雄二を食わせるために、土方もビルの清掃も出来るものはなんでもやってきた。その無理がたたってか、身体を壊し、最近は勤めも止め、家事をするのがやっとの状態になってしまった。役所に母子家庭の申請をして福祉の世話になっている。おやじは役所に連絡せず家賃を三分の一にした。公共料金は大家のうちに請求がくるように計らった。雄二は小学生の時から少年野球チームに入っていた。中学で頭角を現しこの高校で更に磨きが掛かって来た。進学も東京の名門大学からスカウトされて入学が決まりかけている。こいつは身体も俺ぐらいあり、上から振りかぶって投げる直球は高校生離れしていて、プロも注目しているとの噂だ。俺も楽しみにしている。
「ああーっ肉食いてえ。本物の肉最近食ってないから、本格韓国焼肉食いてえ。脂の乗ったカルビ食いてえ。最後にユッケビビンバ食いてえ」
「うるせいなこいつ。わかったわかった。ようしわかった、俺に任せろ。ホルモン道場連れて行ってやる。にんにくのたっぷり効いた豚のホルモンうめえぞうっ」
「学校関係の公務員がトイレで煙草とはねえ。ああーっ肉食いてえ。本場韓国焼肉食いてえ。脂の乗った上カルビ食いてえ」
「まったくどいつもこいつも、連れて行く、ばあちゃんにも言うんじゃねえぞ。おやじの耳に入ったらねちっこい説教聴かされるから。わかったな。そうだ今晩行くべえ。部活何時までだ?」
「今日は6時で終わりです」
「6時?6時なら家に帰ってるから風呂に入ったらすぐ来い」
「やりーっ、行きます。隅々まで洗って準備万端で行きます」
「何考えてんだおまえは、焼肉だよ。くだらねえとこに神経回さねえで、食う事と投げる事だけ考えてろ。その後は大学に行ってからだ」
今年の正月にばあちゃんと雄二が年始の挨拶に来たとき、酒の勢いでファッションマッサージに連れて行くと俺が言ったのを雄二は覚えていて、ことあるごとに催促する。それは野球部の何人かが他の女子高校生と性行為をした体験を聞かされ、悶々とした日々を送り、野球に集中できないと俺に打ち明けたからだ。雄二にとって俺は父親と兄と友人をたして三で割ったような存在であるらしい。
12~3年前になる。俺が高三のとき土方のばあちゃんをネタに、雄二が近所のガキ共から苛められていたのを俺が仲裁に入り仲直りさせた。仲裁と言うより制裁と言った方が正しい、ませた言葉使いをする子のパンツを脱がせ、けつが赤く腫れ上がるまで平手打ちをした。その子は泣きながら『もうしません』と約束したが、やはり五、六歳の子供だ、うちに帰り親に報告する。翌日その親はうちに来ておふくろの前で息子のパンツを脱がせ、たっぷりと軟膏を塗ったくった可愛い尻を見せ、謝罪を迫った。おふくろは事件が大袈裟になるのを懸念して平謝りし、その日のうちに高級菓子を手に、謝罪に訪問した。おふくろは俺を直接叱らない。自分で叱ったところで反省しないと諦めているからおやじに言いつける。消防署副署長のおやじには理屈でも腕力でも勝ち目はない。一度酔いに任せておやじに向って行った事があったが一本背負いを喰らいあえなくダウンした。おやじは俺に正座をさせ、なぜこうなったのか根本から糺す。最低二時間はかかる。おやじの説教は一々尤もで、結局子供達に、優しさと、わかり易い言葉で、ひとを苛める悪を理解させられず、尻を叩くなど暴力以外に頭が利かない野蛮人そのものであると指摘された。要するに俺は子供達と同じ次元で物事を捉えているバカったれなんだと結論付けられた。最後におやじは罪に対しての妥当な責任を俺自身に考えさせ、おやじの定規に叶う方法が出るまで許してくれなかった。
「いいか安男。お前ももうじき一八になる。昔なら成人だ。おまえの徳の無さが招いた事件だというのはわかったな。成人が罪を犯すと責任を取らなければならないな。そうだな。そこまでは理解しているな。それじゃ簡単だ。事件に関係ない、ただ、おまえの生みの親というだけでおまえの代わりに謝罪し、更に街まで出向き、菓子折りを購入し、平謝りした母さんにどう責任を取るつもりか?」
おやじの畳み掛ける説教にはうんざりする。
「菓子代弁償します」
「何?」
「ええと菓子代弁償して母さんに謝ります」
「それから?」
「それから?、それからーっ、俺がぶった子供と親に謝ります」
「どうやって?」
「訪問してご両親と子供に土下座して謝ります」
俺はその日の晩におやじと約束した通り、玄関で土下座をして子供と親に『申しわけありませんでした、ごめんなさい』と地面に顔を擦り付けて暴力を詫びた。その子の父親は、今回は警察に連絡しないが次は絶対に許さんと吐き捨て奥へ引き上げた。俺は立ち上がり母親に一礼して表に出て、再度一礼したところをおもい切りドアを閉められた。それによって発生する風の無機質なこと、情けなかった。一礼したとき上目使いで子供を見たら笑っていやがった。憎ったらしいがきだ。今度はこめかみグリグリしてやる。俺はうちに戻りおやじに謝罪の報告をしてから、台所でニタニタしているおふくろに飯の催促をした。やけ食いをし、風呂にも入らずに布団に倒れた。それから数日後雄二のばあちゃんが俺を夕食に招待してくれた。
「やっちん、ビール冷やしてあっから飲みなせい。悪かったな、おらのこっておやじさんにこっぴどく怒られてしまってほんに申し訳ねえ。この子が全部話してくれた。やっちんも隠して、おやじさんに苛められた原因を言わんかったんやねえ、おらに気を使って。団地の子に『おまえの母ちゃん土方ばばあ』って言われたのが口惜しくてうちの子は向っていって、逆に大勢にやられて泣いているところをおめえに助けてもらったってなあ」
「ばあちゃんもういいから、おやじに叱られたのは俺の勉強不足が原因でばあちゃんに関係ないって。でも雄二は偉いぞばあちゃん、ひとりで五人に飛びかかっていったんだからなあ。将来大物だ」
「今晩は、今晩は」
「はい、どなたさんですか?」
「はい、私は先日貴方様のお子様に暴言を吐いた子の父親です。昨日、お宅様の大家さんがうちに来られて、事件の真相を語られて行かれました。大家さんは私に『子供には子供の世界があって、私共、大人が口出ししない方が良いと、私もそう考えております。しかし明らかにその子にとってマイナスになると判断したとき、やはり厳しく指導するのも大人の義務であると思います。今回うちのバカ息子があなた方の命より大事なお子様に傷を負わせたのはいくら詫びても容赦しがたい行為であり、バカ息子の父親としてこの通りお詫び致します。誠に申し訳ございませんでした。もし許していただけずに、警察に通報されるのも当然と覚悟しております。バカ息子が何週間か牢獄に入れられてもそれで解決するとは考えておりませんが、どうぞご遠慮なくお宅様の気の済むように進めてください。それも他所様の大事なお子様に手を上げた報いとして当然と存じます。本当に申し訳ないことをしました。ごめんなさい。バカ息子の処置はお宅様に任せるとして、あなたとあなたの息子さんに訪問していただきたい宅がおります。それはあなたの息子殿に、『おまえのかあちゃん土方ばばあ』と罵しられた子と、そのばあちゃんが暮らすアパートです。訳あって父母に恵まれなかった子を、祖母がひとりで面倒を看てきました。財産もなく、これといった技術もない老寄りに残された生活手段は肉体労働しかありませんでした。男衆に混じり真っ黒になって泥運びをしている姿は確かにきれいなもんじゃない。でも形振り構わず汗をかいて、肉体を切り売りして稼いだ僅かな収入を、ほとんど孫のためにのみ使うばあちゃんに感動をしました。孫は苛められた原因を祖母に気遣い隠していました。あとで知った祖母は土方を辞めようと真剣に考えました。どうでしょうか、大家のでしゃばりと承知しております。精一杯生きてる二人にエールを送るつもりで伺ってはもらえないでしょうか。宜しくお願いします』と深々と頭を下げて帰られました。私は息子の吐いた暴言を知ろうともせずに大家さんの息子さんに頭ごなしに罵声を浴びせました。恥ずかしくて穴があったら入りたいと反省しています。今回の息子の暴言とその監督不行き届きを心よりお詫びします。すいませんでした。許してください。孝、おまえもおばあさんととあの子に謝りなさい」
「おばあさん、ごめんね。明日雄二君と遊んでいい?」
「いいに決まっとる。これからも雄二とたくさん遊んでやってな」
「それでは失礼します。大家さんには寄らずに帰りますが高橋が息子さんに謝っていたとお伝えください」
それ以来俺と雄二は、ずっと父親みたいな、兄貴みたいな、友達みたいなそんな関係が続いています。
「やっちん先生、孝も連れて行っていい?」
あのときの二人はグラウンドで夫婦になり、雄二の速球を受けるのが孝です。
「いいよばかやろう。ひとりもふたりも変わんねえよ」
俺は失態を隠す手段として雄二に焼肉を奢ると約束しました。ですがそれとは別に大船に行きたい理由がありました。それはエバのことが気になっていたからです。焼肉屋は彼女の母親が勤めるスナック『ジェニー』の近くなので坊主二人を帰したら、その店の前で待っていれば必ず会えると考えたからです。俺は彼女の父親に偉そうなことを言ってしまったのが気になって仕方ありませんでした。俺は単純で、暴力か暴言でしか対抗する処置を持ち合わせていないのです。なにもピンポンやテニスじゃないんだから、打たれたボールをすぐに打ち返さなくてもいいのに、一度受け取って、一周か二周、身体のなかを潜らせ、余分な物を殺ぎ落としてから吐き出せばいいのにそれが出来ない。がきの頃からあれだけおやじに粘土質の説教聴かされても一向に治らなかったのは、ほんとに俺はバカなんです。
「すいませーん。カルビ四人前。そうです上、それとライス大盛二つおかわり」
「おまえら未だ食うのか、もうカルビばっかり二十人前も食ってるぞ、ふざけやがって。野菜焼き食えよ野菜焼き。脂っこい肉ばっかり食ってるから腰に切れがなくなってへなちょこボールしか投げれなくなっちまうんだよ。いいかそれで終わりだぞ、俺用事あるから先に帰るぞ。寄り道しねえで真っ直ぐ帰れよ、ふざけやがって」
「やっちん先生どうも、明日学校で」
「まったくクソ坊主、おやっさんいくらですか?」
「はい毎度、三万四千五百両です」
「三万って、おやっさんその五百両とかそのギャグぼちぼちやめようよ。具合悪くなりそうだよ」
痛い出費だ。しかし一人前千三百円の上カルビを二十人前も平らげたのだからその位はかかるだろう。それもこれもうちにはトイレがひとつしかなく、俺がやりたい時間帯におふくろが邪魔をしやがるからこうなるんだ。おやじが言ってたなあ、『同じ物を同じ時間に食ってるから同じ時間にしたくなるんだ』そうなるとトイレの近くにいるおふくろの方が断然有利だもんな。よし明日からパンにしよう。俺はがき共の体力代を支払って、この前隠れそこなった電柱の影で、彼女達がやってくるのを待った。
「あたりめえだ、生食ったからって死にゃあしねえ、エスキモーなんか毎日トドの肉美味そうに生でかぶりついてるじゃねえか。ばあちゃんの作ったもんにけちつけたら俺が許さねえぞ。あっこのやろう、上から覗き込むなんてこの卑怯者」
「へっへっへ、見ちゃったもんねえ。そりゃあないんじゃないの。煙草はないでしょ。火の元とか防犯上というよりモラルの問題だよな。生徒が隠れて吸う方がまだ可愛いよ。大人がねえ、それも学校関係の公務員がねえ」
「おい雄二おまえいい奴だよなあ、口は堅いし、約束は絶対に守るし、それに女にやさしいときたもんだ。だから黙っててくんねえか。悪いけど」
雄二はうちの借家におばあさんと二人で暮らしている。18年前、このおばあさんと腹のでかい母親が越してきて、直に男の子を出産した。その子が今トイレの上から俺を覗き見た雄二である。母親は雄二を産んでから三ヶ月もしないうちに男と蒸発した。そんな母親だから父親は特定出来なかったらしい。それからおばあさんが父母兼用で育てて来た。雄二を食わせるために、土方もビルの清掃も出来るものはなんでもやってきた。その無理がたたってか、身体を壊し、最近は勤めも止め、家事をするのがやっとの状態になってしまった。役所に母子家庭の申請をして福祉の世話になっている。おやじは役所に連絡せず家賃を三分の一にした。公共料金は大家のうちに請求がくるように計らった。雄二は小学生の時から少年野球チームに入っていた。中学で頭角を現しこの高校で更に磨きが掛かって来た。進学も東京の名門大学からスカウトされて入学が決まりかけている。こいつは身体も俺ぐらいあり、上から振りかぶって投げる直球は高校生離れしていて、プロも注目しているとの噂だ。俺も楽しみにしている。
「ああーっ肉食いてえ。本物の肉最近食ってないから、本格韓国焼肉食いてえ。脂の乗ったカルビ食いてえ。最後にユッケビビンバ食いてえ」
「うるせいなこいつ。わかったわかった。ようしわかった、俺に任せろ。ホルモン道場連れて行ってやる。にんにくのたっぷり効いた豚のホルモンうめえぞうっ」
「学校関係の公務員がトイレで煙草とはねえ。ああーっ肉食いてえ。本場韓国焼肉食いてえ。脂の乗った上カルビ食いてえ」
「まったくどいつもこいつも、連れて行く、ばあちゃんにも言うんじゃねえぞ。おやじの耳に入ったらねちっこい説教聴かされるから。わかったな。そうだ今晩行くべえ。部活何時までだ?」
「今日は6時で終わりです」
「6時?6時なら家に帰ってるから風呂に入ったらすぐ来い」
「やりーっ、行きます。隅々まで洗って準備万端で行きます」
「何考えてんだおまえは、焼肉だよ。くだらねえとこに神経回さねえで、食う事と投げる事だけ考えてろ。その後は大学に行ってからだ」
今年の正月にばあちゃんと雄二が年始の挨拶に来たとき、酒の勢いでファッションマッサージに連れて行くと俺が言ったのを雄二は覚えていて、ことあるごとに催促する。それは野球部の何人かが他の女子高校生と性行為をした体験を聞かされ、悶々とした日々を送り、野球に集中できないと俺に打ち明けたからだ。雄二にとって俺は父親と兄と友人をたして三で割ったような存在であるらしい。
12~3年前になる。俺が高三のとき土方のばあちゃんをネタに、雄二が近所のガキ共から苛められていたのを俺が仲裁に入り仲直りさせた。仲裁と言うより制裁と言った方が正しい、ませた言葉使いをする子のパンツを脱がせ、けつが赤く腫れ上がるまで平手打ちをした。その子は泣きながら『もうしません』と約束したが、やはり五、六歳の子供だ、うちに帰り親に報告する。翌日その親はうちに来ておふくろの前で息子のパンツを脱がせ、たっぷりと軟膏を塗ったくった可愛い尻を見せ、謝罪を迫った。おふくろは事件が大袈裟になるのを懸念して平謝りし、その日のうちに高級菓子を手に、謝罪に訪問した。おふくろは俺を直接叱らない。自分で叱ったところで反省しないと諦めているからおやじに言いつける。消防署副署長のおやじには理屈でも腕力でも勝ち目はない。一度酔いに任せておやじに向って行った事があったが一本背負いを喰らいあえなくダウンした。おやじは俺に正座をさせ、なぜこうなったのか根本から糺す。最低二時間はかかる。おやじの説教は一々尤もで、結局子供達に、優しさと、わかり易い言葉で、ひとを苛める悪を理解させられず、尻を叩くなど暴力以外に頭が利かない野蛮人そのものであると指摘された。要するに俺は子供達と同じ次元で物事を捉えているバカったれなんだと結論付けられた。最後におやじは罪に対しての妥当な責任を俺自身に考えさせ、おやじの定規に叶う方法が出るまで許してくれなかった。
「いいか安男。お前ももうじき一八になる。昔なら成人だ。おまえの徳の無さが招いた事件だというのはわかったな。成人が罪を犯すと責任を取らなければならないな。そうだな。そこまでは理解しているな。それじゃ簡単だ。事件に関係ない、ただ、おまえの生みの親というだけでおまえの代わりに謝罪し、更に街まで出向き、菓子折りを購入し、平謝りした母さんにどう責任を取るつもりか?」
おやじの畳み掛ける説教にはうんざりする。
「菓子代弁償します」
「何?」
「ええと菓子代弁償して母さんに謝ります」
「それから?」
「それから?、それからーっ、俺がぶった子供と親に謝ります」
「どうやって?」
「訪問してご両親と子供に土下座して謝ります」
俺はその日の晩におやじと約束した通り、玄関で土下座をして子供と親に『申しわけありませんでした、ごめんなさい』と地面に顔を擦り付けて暴力を詫びた。その子の父親は、今回は警察に連絡しないが次は絶対に許さんと吐き捨て奥へ引き上げた。俺は立ち上がり母親に一礼して表に出て、再度一礼したところをおもい切りドアを閉められた。それによって発生する風の無機質なこと、情けなかった。一礼したとき上目使いで子供を見たら笑っていやがった。憎ったらしいがきだ。今度はこめかみグリグリしてやる。俺はうちに戻りおやじに謝罪の報告をしてから、台所でニタニタしているおふくろに飯の催促をした。やけ食いをし、風呂にも入らずに布団に倒れた。それから数日後雄二のばあちゃんが俺を夕食に招待してくれた。
「やっちん、ビール冷やしてあっから飲みなせい。悪かったな、おらのこっておやじさんにこっぴどく怒られてしまってほんに申し訳ねえ。この子が全部話してくれた。やっちんも隠して、おやじさんに苛められた原因を言わんかったんやねえ、おらに気を使って。団地の子に『おまえの母ちゃん土方ばばあ』って言われたのが口惜しくてうちの子は向っていって、逆に大勢にやられて泣いているところをおめえに助けてもらったってなあ」
「ばあちゃんもういいから、おやじに叱られたのは俺の勉強不足が原因でばあちゃんに関係ないって。でも雄二は偉いぞばあちゃん、ひとりで五人に飛びかかっていったんだからなあ。将来大物だ」
「今晩は、今晩は」
「はい、どなたさんですか?」
「はい、私は先日貴方様のお子様に暴言を吐いた子の父親です。昨日、お宅様の大家さんがうちに来られて、事件の真相を語られて行かれました。大家さんは私に『子供には子供の世界があって、私共、大人が口出ししない方が良いと、私もそう考えております。しかし明らかにその子にとってマイナスになると判断したとき、やはり厳しく指導するのも大人の義務であると思います。今回うちのバカ息子があなた方の命より大事なお子様に傷を負わせたのはいくら詫びても容赦しがたい行為であり、バカ息子の父親としてこの通りお詫び致します。誠に申し訳ございませんでした。もし許していただけずに、警察に通報されるのも当然と覚悟しております。バカ息子が何週間か牢獄に入れられてもそれで解決するとは考えておりませんが、どうぞご遠慮なくお宅様の気の済むように進めてください。それも他所様の大事なお子様に手を上げた報いとして当然と存じます。本当に申し訳ないことをしました。ごめんなさい。バカ息子の処置はお宅様に任せるとして、あなたとあなたの息子さんに訪問していただきたい宅がおります。それはあなたの息子殿に、『おまえのかあちゃん土方ばばあ』と罵しられた子と、そのばあちゃんが暮らすアパートです。訳あって父母に恵まれなかった子を、祖母がひとりで面倒を看てきました。財産もなく、これといった技術もない老寄りに残された生活手段は肉体労働しかありませんでした。男衆に混じり真っ黒になって泥運びをしている姿は確かにきれいなもんじゃない。でも形振り構わず汗をかいて、肉体を切り売りして稼いだ僅かな収入を、ほとんど孫のためにのみ使うばあちゃんに感動をしました。孫は苛められた原因を祖母に気遣い隠していました。あとで知った祖母は土方を辞めようと真剣に考えました。どうでしょうか、大家のでしゃばりと承知しております。精一杯生きてる二人にエールを送るつもりで伺ってはもらえないでしょうか。宜しくお願いします』と深々と頭を下げて帰られました。私は息子の吐いた暴言を知ろうともせずに大家さんの息子さんに頭ごなしに罵声を浴びせました。恥ずかしくて穴があったら入りたいと反省しています。今回の息子の暴言とその監督不行き届きを心よりお詫びします。すいませんでした。許してください。孝、おまえもおばあさんととあの子に謝りなさい」
「おばあさん、ごめんね。明日雄二君と遊んでいい?」
「いいに決まっとる。これからも雄二とたくさん遊んでやってな」
「それでは失礼します。大家さんには寄らずに帰りますが高橋が息子さんに謝っていたとお伝えください」
それ以来俺と雄二は、ずっと父親みたいな、兄貴みたいな、友達みたいなそんな関係が続いています。
「やっちん先生、孝も連れて行っていい?」
あのときの二人はグラウンドで夫婦になり、雄二の速球を受けるのが孝です。
「いいよばかやろう。ひとりもふたりも変わんねえよ」
俺は失態を隠す手段として雄二に焼肉を奢ると約束しました。ですがそれとは別に大船に行きたい理由がありました。それはエバのことが気になっていたからです。焼肉屋は彼女の母親が勤めるスナック『ジェニー』の近くなので坊主二人を帰したら、その店の前で待っていれば必ず会えると考えたからです。俺は彼女の父親に偉そうなことを言ってしまったのが気になって仕方ありませんでした。俺は単純で、暴力か暴言でしか対抗する処置を持ち合わせていないのです。なにもピンポンやテニスじゃないんだから、打たれたボールをすぐに打ち返さなくてもいいのに、一度受け取って、一周か二周、身体のなかを潜らせ、余分な物を殺ぎ落としてから吐き出せばいいのにそれが出来ない。がきの頃からあれだけおやじに粘土質の説教聴かされても一向に治らなかったのは、ほんとに俺はバカなんです。
「すいませーん。カルビ四人前。そうです上、それとライス大盛二つおかわり」
「おまえら未だ食うのか、もうカルビばっかり二十人前も食ってるぞ、ふざけやがって。野菜焼き食えよ野菜焼き。脂っこい肉ばっかり食ってるから腰に切れがなくなってへなちょこボールしか投げれなくなっちまうんだよ。いいかそれで終わりだぞ、俺用事あるから先に帰るぞ。寄り道しねえで真っ直ぐ帰れよ、ふざけやがって」
「やっちん先生どうも、明日学校で」
「まったくクソ坊主、おやっさんいくらですか?」
「はい毎度、三万四千五百両です」
「三万って、おやっさんその五百両とかそのギャグぼちぼちやめようよ。具合悪くなりそうだよ」
痛い出費だ。しかし一人前千三百円の上カルビを二十人前も平らげたのだからその位はかかるだろう。それもこれもうちにはトイレがひとつしかなく、俺がやりたい時間帯におふくろが邪魔をしやがるからこうなるんだ。おやじが言ってたなあ、『同じ物を同じ時間に食ってるから同じ時間にしたくなるんだ』そうなるとトイレの近くにいるおふくろの方が断然有利だもんな。よし明日からパンにしよう。俺はがき共の体力代を支払って、この前隠れそこなった電柱の影で、彼女達がやってくるのを待った。
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